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2008年10月

2008年10月31日 (金)

ブリヂストン美術館「都市の表象と心象──近代画家・版画家たちが描いたパリ」

 職場から歩いて行ける距離にブリヂストン美術館があるので、昼、ちょっと抜け出した。

 特集展示は「都市の表象と心象──近代画家・版画家たちが描いたパリ」。ナポレオン三世の第二帝政下、オースマンによって大改造が進められたパリ。近代的都市計画の先駆とされる一方で、古き詩情こもる景観が壊されていく時代の移行期、芸術家たちが徘徊しつつ目の当たりにしていたパリの姿を感じさせようとした展示。

 とりわけメリヨンのエッチングが展示の中心をなす。私は初めて見る名前なのだが、ボードレールからも高く評価された人らしい。大きく俯瞰するように描かれたパリの建築群、銅版画の鋭角的な線はスッキリとして格好良いが、同時にどことなく冷たさも感じさせる。屍体公示場のシーン、行き倒れ人だろうか、死体を引きずる人々も小さく描きこまれており、そうした細部から当時のパリの生活光景も垣間見させてくれる。アンリ・ブテという人の絵は雑誌の挿絵という趣きだが、例えば女性のたたずまいの描き方になかなか情感があってとても良い感じ。

 ブリヂストン美術館の常設展示は、近代絵画以降なら何でもあるが、テーマ的なまとまりがないのでもの足りない。ただ、古代オリエントの遺物、たとえばエジプトやメソポタミアの彫像とか、ギリシアの壷とかを集めた一室があるのはすっかり忘れていた。大学生の頃、(名目上に過ぎなかったけど)古代オリエント史のゼミに所属していたこともあって、今でもこういうのを見るのは好き。東京なら、上野の東京国立博物館東洋館や池袋の古代オリエント博物館などはたまに訪れる。中近東文化センターはちょっと不便な所(ICUの近く)にあるのであまり行けない。むかし、飯田橋に古代地中海美術館というのがあって学生の頃よく寄っていたのだが、いつの間にか消えてしまった。どこかの企業がメセナとして運営していたようだから、景気の落ち込みと共に閉鎖されたのだろうな。

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2008年10月30日 (木)

からゆきさんのこと

 矢野暢『「南進」の系譜』(中公新書、1975年)および、同『日本の南洋史観』(中公新書、1979年)を読み返した。明治期の「南進」論は、体制に容れられず、悲憤慷慨し、絶えず夢を追う者たちの、いわば在野の思想であり、以後の時代における国策としての「南進」論とは明らかに断絶がある。明治のロマンチストたちの楽観性には、彼ら自身が無自覚なところに政治的なスキがあり、昭和に入ってからの国策としての南方進出論においてシンボル的英雄として祭り上げられてしまった。また、戦後、賠償目的の技術協力という形で日本企業が進出したが、あくまでも国策としての関係であって庶民レベルまで含めた人的交流が乏しいという点で、戦前の日本軍進出時と類似した構図を見出している。

 庶民レベルでは、「南進」論なる政治的議論とは関係なく、東南アジアへ渡る無名の人々がいたことにも矢野は目配りを忘れていない。とりわけ注意がひかれるのは、いわゆる「からゆきさん」のこと。なお、「からゆきさん」とは本来、唐(から)の国=外国へ出稼ぎに行く人々を総称した九州北部の方言らしいが(「からゆきさん」はとりわけ島原・天草出身者が多かったという)、いつしか、海外で売春をせざるを得なくなってしまった底辺女性を指すように意味が狭められるようになった。

 山崎朋子『サンダカン八番娼館』(文春文庫、2008年)はこの分野で筆頭に挙げるべき古典的著作だろう(なお、この文春文庫版には、表題作とその続編である『サンダカンの墓』の両方が収録されている)。日本に戻り、孤独と貧窮の中で暮らす元「からゆきさん」のおさきさん。この老婆としばし共同生活を送りながら、ほとんど肉親に近い情を通わせつつ聞き書きした記録を読んでいると、単に歴史の証言というばかりでなく、その肉声の生々しさに何とも言いがたい気持ちになってくる。森崎和江『からゆきさん』(朝日新聞社、1976年)も、たとえば若い頃のあまりに無残な記憶をひきずって時にフラッシュバックで狂気に駆られてしまう老女を見つめるときの静かな眼差しに、詩的な、しかし抑えたやさしさが感じられて、とても魅力的な作品だと思う。

 日本の外交当局は海外における日本人娼婦廃絶に動き出すが、それは彼女たちを思ってのことではなかった。醜業につく日本人女性の存在は国家的威信を汚すというのが理由である。シンガポールなど西洋人の多い都市以外では徹底されなかったため、辺鄙な地方へ追いやられてますます悲惨な境遇に落ち込んでしまった女性たちもいた。そうした事情で孤独な人生を送ってきた女性への聞き書きが山崎『サンダカンの墓』にある。

 思いあたることがあって、本棚から山室軍平『社会廓清論』(中公文庫、1977年)を引っ張り出した。本書でも「海外醜業婦」に1章が割かれている。救世軍のリーダーとして廃娼運動に尽力した山室だが、その動機は無論ヒューマニスティックなものであることに疑いはないけれども、「日本国民の恥」という表現をしているのが気にかかった。

 『サンダカン八番娼館』のおさきさんは、見知らぬ女性が転がり込んできても、彼女の事情を一切詮索しない。人それぞれに都合がある、話したければ自分から話すだろうし、話したくないならそれなりのわけがあるのだろう、と言う。彼女自身がつらい思いを重ねてきたからこそ自然とにじみ出てくるやさしさ、それが読んでいて、山崎ならずとも胸が衝かれる思いがする。『からゆきさん』に出てくるおヨシさんは、きつい境遇の中にあっても刻苦勉励して、自分で事業を起こし、財をなす。成功者、のはずだが、結局彼女は自殺してしまう。死後の始末を自分できっちり整えた上で。どんな思いを秘めていたのか、分からない。いずれにせよ、二人ともタイプは全く異なるが、その人なりの強さを持って生きてきたことに頭が下がる。

 同時に、まだ十代のうちに、異国で悲惨な境遇に打ちひしがれて死んでいき、思いを語ることすらかなわなかった少女たちのことも思う。そして、これは過去のことというばかりでなく、ひょっとすると今現在にあっても、この地球上のどこかでそうした過酷さに苦しんでいる人もいるはずだということにも。

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2008年10月27日 (月)

西川満という人

 先日、西川満『ちょぷらん島漂流記』(中公文庫、1986年)という本を古書店で見つけ、珍しく思って買った。“ちょぷらん”というのは、秀姑巒の訛音。秀姑巒渓という川が台湾の花蓮県南部を流れているが、江戸時代後期、その河口あたりに漂着した日本人船乗りを主人公とする冒険譚。旧台湾総督府図書館所蔵の「享和三年癸亥漂流台湾チョプラン島之記」写本に基づき、原住民アミ族の習俗を織り込みながら空想を広げている。面白いかと言われれば微妙で、まあ、物珍しさで読んだというところ。セオリー通りにエキゾティシズムぷんぷんという感じ。

 西川満という人は、日本統治期の台湾を考える上で逸することのできないキーパーソンの一人だろう。1908年生まれ、台北一中を経て、西條八十に憧れて早稲田大学仏文科に入学。卒業後、恩師の一人である吉江喬松から「地方主義文学に一生をささげろ」と言われて、台湾に戻る。彼の父親は昭和炭鉱という会社の社長で台北市会議員も務める裕福な名士。そうした金銭的には不自由しない立場をいかして、出版社を経営したり、『文芸台湾』を創刊したほか、自らも多くの作品を発表、台湾における文芸運動をリードした。

 彼の基本的な態度は、美しい作品、読んで面白い作品を書こうというところにあり、本土の文壇に負けないものを台湾から発信していこうという意気込みを持っていた。それは、台湾という植民地の異国情緒をことさらに強調する傾向につながった。だが、これを裏返すと、台湾自体が当面する問題を文学として取り上げる契機がなかったとも言える。こうした西川のスタンスに在台湾の日本人作家・台湾人作家から反発の声があがり(文学上の方針ばかりでなく、西川個人への反発も強かったらしい)、張文環らが『台湾文学』を創刊、こちらはリアリズムを標榜する。なお、西川の『文芸台湾』が川端康成・横光利一など文壇の名士を名誉会員にそろえる一方で、『台湾文学』もやはり中央のプロレタリア文学運動と結びつきを示したあたり、植民地体制下において中央─辺境という構図を脱することの難しさが見て取れる。

 戦後、西川はどのように評価されているか。たとえエキゾティシズムが目的であったとしても台湾の歴史や民話の掘り起こしに努めたこと、たとえ御用文学的な傾向があったとしても台湾在住の作家たちに執筆の場を広く提供したこと、こうした点は肯定的に受け止めることができる。さらにもう一つ、戦後台湾独特な微妙さをはらむ問題がある。西川の台湾への愛着について、台湾ナショナリズムの立場からは“台湾意識”形成に貢献したと肯定的に評価される(たとえば、西川は“美麗島”という表現を好んで使ったが、これは戦後台湾における民主化運動の担い手となった政治雑誌のタイトルと同じである)一方で、中国ナショナリズムの立場からは所詮植民地主義に過ぎないと否定的に捉えられる。戦後台湾における“省籍矛盾”が西川評価にも大きな振幅をもたらしている(以上、フェイ・阮・クリーマン『大日本帝国のクレオール──植民地期台湾の日本語文学』慶應義塾大学出版会、2007年を参照)。

 西川は、1946年に日本へ引き揚げた後も作家活動は続けたが、ほとんど注目を浴びていない。1999年に逝去。

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2008年10月26日 (日)

山崎柄根『鹿野忠雄──台湾に魅せられたナチュラリスト』

山崎柄根『鹿野忠雄──台湾に魅せられたナチュラリスト』(平凡社、1992年)

 先日、ぶらりと立ち寄った古書店で本書を見かけ、鹿野忠雄という人は以前から気にかかっていたので買い求めた。鹿野の名前を初めて知ったのは辻原登「四人の幻視者(ボワイヤン)」というエッセイ(日本経済新聞2006年1月22日朝刊)。小説のモデルになりそうな人物四人を取り上げているのだが、ちょっと面白かったので切り抜いてある。

 鹿野は1906年、東京生まれ。小さい頃から無類の昆虫好き。台湾に採集遠征に出かけた帝大生から昆虫標本を見せられ、原地民の風習の話を聞き、未開拓の熱帯への憧れをつのらせていた。台湾へ行きたい!と念じていたちょうど折りしも、台北に総督府立の高等学校が設立され、一も二もなく彼は台湾へと渡る。

 高等学校生の頃から彼は一人で山地へ分け入り、昆虫採集にいそしみ、そして気軽に原住民の懐に飛び込んでいった。まだ首狩りの風習が残り、台湾総督府の統治が全島にいきわたってはいなかった頃である。タイヤルの若者たちを引き連れて歩いている姿を目撃され、驚かれたという逸話も残っている。タイヤルの少女に恋をして、彼女の写真はいつまでもとっておいたらしい。

 その後、彼は動物学者として身を立てるが、民族学・考古学・地理学と脱領域的な関心の広がりを示した。当時の官学アカデミズムにおける縄張り意識の中では立場が悪くなってしまったようだが、渋沢敬三をはじめ鹿野の行動力を認めた人々の庇護で調査を続け、彼の業績は世界的にも認められるようになった。

 1941年、太平洋戦争勃発。陸軍の命令で嘱託としてフィリピンへと渡り、マニラの博物館の保全に尽力。日本の敗色が濃くなりつつある1945年、助手を連れて北ボルネオの山地へと入るが、そのまま消息を絶った。台湾にいた時から原住民社会に溶け込むことができる人だったので、いつかひょっこり姿を現わすのではないかとも言われたが、軍律違反で憲兵隊に殺された可能性もあるらしい。まだ38歳という若さであった。

 鹿野忠雄の著作としては、『山と雲と蕃人と―台湾高山紀行』(文遊社、2002年)が復刻されている。なお、鹿野の他にも台湾の魅力に惹かれて飛び込んでいった学者たちがいた。柳本通彦『明治の冒険科学者たち──新天地・台湾にかけた夢』(新潮新書、2005年)でも魅力的な群像が描かれている。

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2008年10月25日 (土)

北條民雄のこと

 北條民雄『いのちの初夜』(角川文庫、1955年)を読んだ。表題作は、全生病院(現・多磨全生園)に入院した最初の日、戸惑いと絶望を何とか昇華させようともがく気持ちの揺れを写し取っている。自殺に失敗した彼のことを完全に見透かしてしまっている佐柄木という男は、彼の自己内対話で想定された、もう一人の自分なのだろうか。肉体的、精神的、両面の苦痛と苦悩を自分のものにしてしまうこと、ここに生きて死んでいく“人間”というレベルを突き抜けて、生命そのものになりきること、そのように語る佐柄木の考えに触れて、彼はやはり生きていこうという確信を取り戻す。

 実は、“ハンセン病文学”という括りで先入観があって、これまで読もうと思いつつ今回が初めてなのだが、そんなレベルの作品ではないことに改めて気付かされ、己の不明を恥じている次第。何となくあまっちょろいタイトルのせいで手に取るのをためらっていた。もともとのタイトルは「最初の一夜」、北條の作品を世に出すのに尽力していた川端康成が世間受けをねらって改めさせたらしい。

 まあ、しかし、ここで私が何を書いたところで無意味なような気もしている。たとえば、「癩院受胎」という作品では、シェストフを指して、所詮「壮健さん」の書いたもんだ、という感じに軽蔑しきったセリフも出てくる。シェストフなんて言っても今ではほとんど知る人もいないだろうが、大正時代から昭和初期にかけて日本でも流行ったらしい。私の手元にも『悪の哲学──絶望からの出発』(植野修司訳、雄渾社、1967年)という本があるが、ドストエフスキーとニーチェを下敷きに、ニヒリズムを絶叫するタイプ。パラパラとめくり返しても、北條の文章を読んだ後だと、どうにも空回り感が否めない。そういえば、この頃、三木清が「シェストフ的不安について」という論文を書いていた。シェストフがなぜ流行るのかということを取っ掛かりに、昭和初期の不安感をテーマにしていたように記憶している。

 ニーチェといえば、生田長江のことを思い浮かべる。ニーチェ全集を日本で初めて翻訳した彼が、病の中、自身の思想をつづった文章がないものか、気にかかっている。

 高山文彦『火花──北條民雄の生涯』(飛鳥新社、1999年。角川文庫、2003年)は、北條と川端の交流を軸にしながら、北條の一切秘密にされてきた生涯を掘り起こそうとしたノンフィクションである。著者自身が北條に強い思い入れを持っており、暴露趣味などなく、彼のたどった人生をたどろうとする姿勢には真摯なものが感じられる作品だ。

 印象に残ったシーンが二つある。一つは、著者が北條の生家と墓所を訪れたとき、行き会った老婆に場所を尋ねたところ、「そういえば、東京に行って有名になった作家さんがいたらしいね。皮膚病かなんかで死んだそうだけど…」という反応がかえってきたこと。もう一つは、北條が死んだ時、遺骨を引き取りに来た父親が、北條の友人の筆跡を見て「あなたの筆跡は息子のとそっくりだから、我が家宛に手紙を書いてくれませんか」と頼んだこと。郷里では北條は東京で働いていることになっているので、その証拠にしたいとのこと。

 生きていた時ばかりか、死んでからもウソで塗り固めなければならない人生。北條は早くに結婚していた。病の可能性に気付き、妻の体を抱きながら、ウソをついている自分に罪悪感を感じている描写も彼の作品にあった。そして、正直に話したところ、手ひどい“裏切り”にあってしまったらしい。病への偏見の中、人を信頼することの難しさ。畑谷史代『差別とハンセン病──「柊の垣根」は今も』(平凡社新書、2006年)にも、自分のことは他人には絶対に秘密にしておけと親族に言うハンセン病患者のことが取り上げられていた。

 ハンセン病→『砂の器』という発想をするのも実に安易かもしれないが、ウソで塗り固めた人生の辻褄合わせをしようとして殺人を犯してしまうという筋立てに、病への社会的偏見が背景をなしているのは周知の通りである。悪意の全くない老巡査を殺さねばならなかったこと、そして病に冒された父との放浪、そこにかぶさるラストの感傷的な音楽(ちなみに、松本清張の原作では、電子音楽機器が殺人トリックに使われており、映画とはストーリー構成が異なる)、思い出しながらちょっと涙ぐんでいます。ただし、白井佳夫が指摘しているように、日本的な情緒としての“宿命”観に流し込んでしまって問題をうやむやにしてしまいかねない所には要注意(「映画「砂の器」が問いかけてくるもの」、沖浦和光・徳永進編『ハンセン病──排除・差別・隔離の歴史』岩波書店、2001年)。

 なお、北條民雄の「いのちの初夜」が発表されたのは1936年、22歳のとき。翌1937年に23歳で逝去。

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2008年10月18日 (土)

「柳原白蓮展」

 今週は色々とてんてこ舞いだったので、書き込みをサボってました。とりあえず、「柳原白蓮展」(日本橋高島屋8階ホールで10月20日まで開催中)を水曜日に見に行ったこと。白蓮にそれほど興味があるわけじゃないけど、2週間弱という短い開催期間に何となく希少価値を感じて、昼にちょっと職場を抜け出した。

 柳原白蓮、本名・燁子(あきこ)。年の離れた筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門と見合い結婚。経済的には満ち足りていたものの、複雑な家庭環境に色々と悩む中、文学に自身の拠り所を求めるようになった。佐々木信綱に師事して歌人として立つ。黎明会と関わりの深い雑誌『解放』に戯曲を掲載したことが縁となり、当時同誌の編集業務に携わっていた8歳年下の宮崎龍介と駆け落ち。当時はまだ姦通罪のある時代だったし、龍介は龍介で「ブルジョワ女と駆け落ちとは何事か」と新人会(東大の社会主義系学生団体)を除名されたらしい。それだけ覚悟の上の大恋愛だったわけです。この時、龍介の親父である宮崎滔天は息子のために一肌脱いだという。さすが滔天、情の人! 白蓮の義兄・柳原義光は貴族院議員、叔母愛子(なるこ)は大正天皇の生母(つまり、白蓮は大正天皇といとこ同士)というお家柄。世間は一大スキャンダルに大騒ぎ。いわゆる白蓮事件です。

 そういえば、柳原義光が引責辞任を肯じず、宮中が大騒ぎしているシーンが佐野眞一『枢密院議長の日記』にあった。倉富勇三郎を究極のゴシップ記者と見立てるところが面白かったな。

 白蓮の夫への絶縁状は『大阪朝日新聞』にデカデカと掲載された。彼女の短い手紙をもとに、宮崎龍介と赤松克麿が手を加えて仰々しいものになっている。女性の地位向上とか一種の政治的デモンストレーションとしての意味を持たせようとしたんだろうが、夫の伊藤伝右衛門も律儀に反駁文を新聞に寄せているから面白い。展示されている紙面には「絶縁状を読みて燁子に与ふ(四)」とあるから、連載されたのでしょう。今だったらテレビのワイドショーでマイクを突きつけられたり、それこそ記者会見を開いたりという感じか。

 “ワイドショー”的ネタというのは大正時代から質的に現代まで通じているような気がする。ネタそのものはいつの時代でもあるでしょうが、それが世間的に消費されるあり方として。当時のいわゆる“新しい女”というのもその主役の一つ。

 平塚らいてうが作家の森田草平と心中未遂したり(その顛末は森田が『煤煙』という小説に書いているが、スキャンダルネタで当事者が手記を出版するようなもんだ)、有島武郎が女性新聞記者と心中したり。あるいは、大杉栄、伊藤野枝、神近市子の三角関係(正確には大杉には堀保子という妻がいたから四角関係か)がこじれた日蔭茶屋事件なんて最たるものでしょう。大杉を刺した神近は殺人未遂で実刑判決を受けて服役してます。彼女は戦後、社会党から出馬して当選しますが、ムショ帰りの代議士さんだったわけです(笑)。どうでもいいけど、当時の自我に目覚めた女性たちは年下男が好きなのか、平塚も5歳年下の画家志望青年とくっつく。夫唱婦随を否定しようという意識が働いているのでしょうか。年下の男の恋人を“ツバメ”と呼ぶのは平塚に由来。

 白蓮と姪の柳原徳子(歌人の吉井勇と結婚)、二人の並ぶ写真が目を引いた。白蓮は清楚に気品のある本当に穏やかな美人、この静かな微笑みの裏に駆け落ちしてしまうほどの激しさが潜んでいるのかと思うと結構グッときます。対して徳子は切れ長の目にいかにも意志の強そうなきつめの顔立ち。二様の美しさに見入ってしまいました。

 長谷川時雨『近代美人伝』に白蓮のことも載っていたように思うのだが、蔵書の整理がついておらず見つかりません。

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2008年10月11日 (土)

普通に日記+写真集など立ち見のこと

 さてさて株価大暴落。通勤途中に某証券会社の株式情報ディスプレイがあって、そこはニュース映像でよく映し出される所なのだが、今週は連日テレビカメラがスタンバってました。株式運用になぞまるっきり縁のない私でも否応なく緊迫感が感じ取られてしまいます。ガセも含めて色々キナくさい噂もとびかってますが、いかがなものなのでしょう?

 とは言いつつ、そんな世間を尻目に、この連休はお引越しです。とりあえず梱包作業の目途がついたので、一休みがてらここに書き込んでいる次第。ただ、手元に本が何もないので(全部ダンボールの中)、今週、書店の美術書コーナーで立ち見したことなど。

 廃墟が好き。放置され、なりゆくままに乱雑に崩れかかった様には作り物にはない哀感が漂っていて、ひきつけられます。小林哲朗 『廃墟ディスカバリー 』(アスペクト、2008年)、HEBU『廃墟/工場』(インフォレスト、2008年)、いずれも良いですねえ。ローカル鉄道の無人駅を撮り集めた牛山隆信・栗原景『秘境駅』(メディアファクトリー、2008年)も事実上、廃墟みたいなもんでいい味だしてます。

 私は何事によらず“裏”というのに結構興味があって、たとえば普段でも、旅行先でも、好んで裏道に入り込みます。キレイに飾り立てた表通りよりも、生々しいものにむしろ落ち着きが感じられるというか。その点で、佐藤信太郎『非常階段東京』(青幻舎、2008年)はなかなか良い。ビルの裏側にある非常階段から見える風景を撮り集めた写真集。他人様のビルに勝手に入り込むわけにはいかないですから、そういう見てみたくても普段見ることのできないアングルを代って映し出してくれています。繁華街のネオンが、表通りから見るよりも実に美しい。

 やなぎみわ『Fairly Tale 老少女綺譚』(青幻舎、2007年)。ゴシック・ロマン風のつくりで中をめくると、シワクチャ婆さんのメイキャップをした少女が登場。実写なので、大友克洋『AKIRA』よりも生々しい。そんな醜怪な老少女を、美少女がいたぶってます。むう、欲しい…と思ったが、造本に凝っているので価格設定は高め。断念。

 ヤン・シュヴァンクマイエルの手になる絵本『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(エスクアイアマガジンジャパン、2006年)もあった。シュヴァンクマイエルでアリス…、これも見たい!と思ったが、がっちりビニール包装されていた。買えってことだが、懐がさびしいもので…。去年開催されたシュヴァンクマイエル展の図録が横に積まれていたのでこちらをパラパラめくる。アルチンボルドを意識した変な人物像とか、白眼をむいた人形とか、まあなんとグロテスクなことよ。このタッチでアリスというのはますます見たくなってきます。

 佐内正史の初期作品をリプリントした『Trouble in Mind』(マッチアンドカンパニー、2008年)が並べられていたが、それよりも私が気になってしまうのは、『a girl like you 君になりたい。』(マガジンハウス、2005年)。いま活躍中の美少女モデルや女優を撮り集めた写真集だが、ずっと面陳され続けている。かなりのロングセラーだ。表1に宮崎あおい、表4に蒼井優という取り合わせの時点で本来の私なら(どんな私だ?)とっくに買っていてもおかしくないのだが、なぜか躊躇している。

 ロングセラーといえば、『石田徹也遺作集』(求龍堂、2006年)もいつも面陳されている。奥付を確認すると、すでに8刷。この手の画集では異例ではないか。私も去年、日曜美術館で紹介されているのを見てすぐに買った。キッチュな人物像、しかしその無表情に、何か痛々しい感情を絵に書き写すことで透明なものに昇華させようとしているようなもがきというか、そんなものが感じられて、時々見入ってしまう。このブログでいつかコメントしようと思っていたのですが、なかなか言葉になりません。それから、松井冬子の画集も相変わらず目立つところで面陳され続けていますな。

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2008年10月10日 (金)

ウイグル問題についてメモ(5)

 ウイグル人医師アニワル・トフティさんが今年の8月、広島での原爆慰霊式典参列のため来日された。その折に東京で行なわれた講演の要旨「核実験の後遺症を告発した医師が語るウイグル・原爆被害の「真相」」が『明日への選択』10月号(日本政策研究センター発行)に掲載されている(「真シルクロード?」で知りました)。

 父親が幹部党員だったので漢人学校に入学したが、差別された経験。医師として病院に勤務し、父のすすめで入党願いを出したが、入党審査の時に急患が入り、患者を優先させたため、結局入党できなかったこと(人命よりも党を優先させよという共産党の体質がうかがえる)。ある人道上の問題に関わってしまった自責の念。そして、診察した患者たちの様子から、ロプノールでの核実験による深刻な健康被害に気付いたこと。1964年から1996年にかけて46回にわたって核実験が実施されていた。中国政府は核汚染はないという公式見解を崩さないため、ウイグル人・漢人を問わず、多くの人々が悲惨な状態に放置されたままだ。アニワル医師はイギリスの報道番組「シルクロードの死神」の取材に協力したため、結局、イギリスへ亡命せざるを得なくなってしまった。

 中国政府の圧力で調査すら許されていないため核被害の詳細はよく分からないのだが、高田純『中国の核実験──シルクロードで発生した地表核爆発災害』(医療科学社、2008年)は外部で入手可能なデータ(とりわけカザフスタンでの観測データ)を最大限に駆使して被害状況のシミュレーションを行なっている。同書によると、死亡人口は19万人、白血病やその他のガンの発生および胎児影響のリスクのある地域の人口は129万人と推定されている。残留放射能が将来にわたって地域住民に与える影響も懸念される。

 アニワル医師の講演の詳細は上記掲載誌(ただ、同誌には黄文雄とかも書いているのがちょっとなあ…)を参照のこと。また、水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年→こちらの記事を参照)にもアニワル医師の話が採録されている(なお、今回のアニワル医師来日に際しての費用は水谷氏が個人で負担されたとうかがっています。本当に頭が下ります)。

 アニワル医師の講演会は私も聴きに行った。広島の原爆記念日の翌日、ちょうど北京オリンピック開幕式の前日というタイミング。この講演会については「原爆をめぐって」という記事名で当ブログにも書いた。スティーヴン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」を観た時に感じたことから説き起こし、核による悲劇の語り継ぎというテーマでアニワル医師の話につなげたのだが、一応構成上の計算はしていた。おそらく講演会後、中国の暴虐を許すな!みたいな悲憤慷慨調のネット記事が出回るだろうことは予想していたので、そういう論調とは区別をつけておきたかった。もちろん中国政府のやり口があまりにひどいのは確かなのだが、バッシングするだけでは建設的ではない。中国がどうのこうのというだけでなく、何よりも、核兵器の問題、人権の問題、多くの人々が関心を持つべきもっと普遍的な問題なんだという点を強調しておきたかった。日本が“唯一の被爆国”であることを標榜しているならばなおさらのこと(ウイグルの問題を考えると実際には違うわけだが)、右派・保守派の対中強硬論よりも、左派・進歩派の人道論こそがもっとウイグル問題に注目すべきだし、やはりNGOやとりわけ医療関係者など実務のできる人々に関心を寄せてもらうようにしなければならない。その点で、左右の政治対立図式など百害あって一利なし。

 左右の不毛な政治図式という点では、ネット世論(輿論ではなく)上の妙ちくりんなナショナリズムへの違和感について以前に触れたことがある(→ウイグル問題についてメモ②を参照のこと)。ウイグルやチベットの問題→中国バッシング→ああ、右翼の人たちね、という偏見を実は私自身持っていた。こうしたバイアスがかかってしまうと、一般世論の共有認識とはなりづらいし、政治的に中立の立場から人道問題として取り組もうとする人たちをかえって遠ざけてしまいかねない。これじゃあ、まずい。

 ウイグルをめぐる問題としては、まず、漢人への同化圧力によってウイグル人の民族的・文化的アイデンティティが奪われつつある点が挙げられる。漢語教育や新疆ウイグル自治区への漢人入植者の増加などの政策として進められている問題のほか、近年は、国家レベルでの市場統合→共通語としての漢語に習熟していないと社会的動向から取り残されてしまう、という経済面での同化圧力も強まっている。言語的な不利や漢人からの差別意識によってウイグル人が社会的底辺に追い込まれてしまっている問題についてはブレイン・カルトマン『龍の踵の下で』(→こちらの記事を参照のこと)が社会学的な研究を行なっている。

 そうした不満は、当然ながら政府への反抗意識として表面化するが、公安による弾圧は過酷を極めている(前掲水谷書を参照されたい)。9・11以後、イスラームに対する偏見も相俟って(チベット問題ほど世界的な同情を集まらない理由はこの辺りにあるのだろうか)、“テロとの戦い”という大義名分がウイグル人弾圧を正当化する口実として使われている。中国・ロシア・中央アジア諸国の加盟する上海協力機構は、経済協力ばかりでなく、ウイグルの民族運動抑え込みの装置としての役割も担っている。

 中国における民族問題としては、毛里和子『周縁からの中国──民族問題と国家』(東京大学出版会、1998年→記事参照)、王柯『多民族国家 中国』(岩波新書、2005年→記事参照)、加々美光行『中国の民族問題──危機の本質』(岩波現代文庫、2008年→記事参照)などでウイグルの問題も取り上げられている。なお、王柯書は漢人側の視点があまりにも強すぎる感もあるが、彼らの内在的なロジックが整理されている点では有益であろう(『東トルキスタン共和国研究』東京大学出版会、1995年も貴重な研究である)。

 ウイグル情勢の背景を概略的に知りたい場合には、新免康「新疆ウイグルと中国政治」(『アジア研究』49-1、2003年1月)がネット上で読める(→こちら)。ウイグル研究の権威である同氏の論考は大きな図書館にでも行かないとなかなか読めないが、板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書、2002年)所収の「新疆ウイグルと中国の将来」が短いが取り合えず入手しやすい。社会的・文化的背景も含めて多面的に知りたいならば、、『アジア遊学』No.1「特集 越境する新疆・ウイグル(新免康・編)」(勉誠出版、1992年2月)と『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」(日本貿易振興機構アジア経済研究所研究支援部、2005年1月)に良質な論考が揃っており、取っ掛かりとしておすすめだ(→ウイグル問題についてメモ①を参照のこと)。生活風習等については岩崎雅美編『中国・シルクロードの女性と生活』(東方出版、2004年)、同編『ウイグル女性の家族と生活』(東方出版、2006年)がカラー写真入りで読みやすい。ウイグルをめぐる最新情勢については水谷尚子「胡錦濤が最も恐れるウイグル人、激白す」(『諸君!』10月号)、同「ウイグルの襲撃事件はテロか──民族運動を知らない日本人の知的怠慢」(『Voice』10月号)が事情通ならではの的確な分析を示している(→ウイグル問題についてメモ④を参照のこと)。また、初めに紹介したサイト「真シルクロード?」はウイグル関連の最新情報を常時更新し続けており、こちらにはられたリンクからも様々な情報にアクセスすることができる。 

 ところで、私はウイグル関係のことに特に関わりを持っているわけではない。もともと、中学生の頃からシルクロード、とりわけ中央アジア史に興味を持ってはいた(→具体的にはこちらの記事を参照のこと)。ただ、その後、政治思想史の方に関心が移ってしまい、中央アジア史関連のことにはしばらくご無沙汰していた。

 去年、たまたま書店で水谷尚子『中国を追われたウイグル人』を見かけ、「そういえば、むかし憧れていたトルキスタンはいまどんな状況なのだろう?」という軽い気持ちで手に取った。学生の時分からロプノールで核実験が行なわれていることは知っていて「そうか、楼蘭には行けないんだな」と漠然と思っていたし、その後も新聞報道等で反政府勢力摘発といった記事を見かけてはいた。しかし、中国政府による人権弾圧がこれほどまでに過酷であるとは思いもよらなかったので驚いた。かつて抱いていた牧歌的なイリュージョンはたちまち消えた。それがウイグルの問題に改めて関心を持つようになったきっかけである。そうした個人的思い入れも含めて、今月、同書がアジア太平洋賞特別賞を受賞したことにはある種の感慨深さを感じている。

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2008年10月 8日 (水)

キルケゴール『現代の批判』

キルケゴール(桝田啓三郎訳)『現代の批判』(岩波文庫、1981年)

 キルケゴールをダシに使いながら、相変わらずどうでもいい雑談に堕していますので、あしからず。

「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激にぱっと燃えあがっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまうといった時代である。」(23ページ)

 分別、反省、といえば聞こえはいいけれど、要するに、現代は知ったかぶりの小賢しい奴らが騒ぎまわっている時代だって言っているわけです。

「原理とは、この語の表わすとおり、最初のもの、すなわち、実体的なものであり、感情や感激がまだ形をなして顕現するにいたらない状態にあるイデーであって、このイデーがその内部にひそむ推進力によって個人を駆り立てるのである。情熱のない者はこのような原理を欠いている。情熱のない者にとっては、原理はなにか外的なものとなり、そのために彼はひとつのこともすればまた他のこともし、またその反対のことまでもすることになる。情熱のない人の生活は、原理の自己顕現、自己展開ではない。むしろ彼の内的生活は、なんとなくせわしなく、たえず途上にあり、「原理のために」なにかをなそうと追いかけている。こういう意味の原理は、公衆と同じような、なにか巨大なもの、なにか抽象的なものになってしまう。」(95~96ページ)

 “原理”といっても、いわゆる“原理主義”とは全く意味内容が異なるのでご注意を。訳語の問題で理解しづらいけれども、要するに、自分自身を否応なく駆り立てていく何か。そのために自分は存在しているとしか言いようのない何か。情熱といっても政治的情熱、芸術的情熱、人それぞれに様々だろうが、一生をかけて向き合っていくしかない何か。

 飛躍的な脱線かもしれないが、吉田松陰の「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」なんて言葉を何となく連想している。私は、実は吉田松陰という人が好きだ。ただし、国家のため、民族のため、みたいな表層的な政治的直接行動主義というレベルでは捉えたくない。内面的な確信があるときに、言葉よりも先に体が動いてしまう、やむをえない心情。そうした松陰的なメンタリティーは、たとえば仮に社会主義・無政府主義というロジックを取れば幸徳秋水にもなるだろう。政治思想の表面としての論理的整合性を整理することはもちろん前提作業として必要ではあるが、そこに目を奪われてしまっていては思想史の基本は見失われてしまうと思う。

 彼らに言いっぱなしはない。陽明学思想には(近代日本においては日蓮主義も)テロリズムに走ってはた迷惑な奴らが多いが、その行動は非難されるべきも、少なくとも自分が命を落とす代償を覚悟している点ではひたむきであり、それを全否定するつもりにはなれない(この点では安岡正篤って奴はウサンくさい)。ただし、知行合一というのも、自身の内なる確信をギリギリまで見つめていく、従って自己認識=行動というところに陽明学は学問的意義を求めているわけで、自己顕示のための行動・言動という雑念はすでに振り払われていることが本来は前提となる(松陰は李卓吾の愛読者→陽明学、というコンテクストでご理解を)。

 “原理”→やむを得ないなにか、これが外在化したとき、どんなに威勢のいいことを言ったところで、所詮は自己顕示のための単なるポーズに過ぎない(いわゆる“ネット右翼”を念頭に置いています)。近代という時代に入り、人間が平準化されているという自覚を抱くようになったとき、それでも自分は特別な存在なのだと思いたがる妙なプライドが首をもたげる。いや、ボクは世の中の役に立っている、大義のために闘っている、だからボクは偉いんだ、そんなボクをみんな認めてよ、というまるでエヴァンゲリオンのシンジくん(笑)みたいな鬱屈。そうした鬱屈のはけ口として威勢のいい発言もするが、所詮、自身の内的必然によってきたる言葉ではないから、中身はからっぽ。

「原理というやつも、途方もない怪物みたいなもので、ごくつまらない人間でさえ、ごくつまらない自分の行動にそいつを継ぎ足して、それで自分が無限に偉くなったつもりでいばっていられるといったようなものである。平々凡々たる、とるに足りない人間が「原理のために」いきなり英雄になる。」(96ページ)

 小賢しくなって、もっともらしいことをさんざ喋喋しつつ、結局はただの言いっぱなし。それでも、自分は何かをやっている、特別な存在なんだという自意識だけは満足させようとする。自分自身の向き合わざるを得ない何かひたむきなものの具体的な発露として振舞いなり言葉なりが出てきているのではない、その意味で、すべてが抽象的。そうした抽象的人間の集合体としてキルケゴールは“公衆”という表現を使う。現代風に言えば“大衆”か。

「公衆は、ひとつの国民でも、ひとつの世代でも、ひとつの同時代でも、ひとつの共同体でも、ひとつの社会でも、この特定の人々でもない。これらはすべて、具体的なものであってこそ、その本来の姿で存在するのだからである。まったく、公衆に属する人はだれ一人、それらのものとほんとうのかかわりをもってはいない。…このような人たちから、すなわち、彼らがなにものでもないような瞬間における諸個人から成り立っている公衆というやつは、なにかある奇怪なもの、すべての人であってなんぴとでもない抽象的な荒野であり真空帯なのだ。…公衆は一切であって無である。あらゆる勢力のうちで最も危険なもの、そして最も無意味なものである。公衆の名において全国民に語りかけることはできる。けれども、その公衆は、どんなつならぬたった一人の現実の人間よりも、より少ないものなのだ。公衆という規定は反省の奇術である。この奇術にかかると、個人個人はだれでもこの怪物が自分のものになったような気がするので、のぼせあがってしまい、現実の具体的な世界などは比べものにならぬほど貧相に見えてくる。…ますます多くの個人が気のぬけたような無感動のゆえに、無になろうと努めることだろう、──それも、公衆に、参与者が第三者になるという滑稽な仕方でできているこの抽象的な全体に、なろうがためなのだ。自分自身ではなにひとつ理解せず、また自分自身ではなにひとつする気もない、この無精な群集、この立見席の観衆は、そこで、気晴らしを求めて、世間の人のすることはみなおしゃべりの種になるためにおこなわれるのだ、という空想にふける。」(77~80ページ)

 こうしてキルケゴールの実存哲学は、二十世紀における大衆社会批判へと継承されていくわけです。で、そういうてめえのタカピーな態度がムカつく、ってつっこまれたら私もぐうの音も出ないわけで、すべて自戒をこめていると付言しておきます。

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2008年10月 5日 (日)

『トゥイーの日記』

ダン・トゥイー・チャム(高橋和泉訳)『トゥイーの日記』(経済界、2008年)

 ヴェトナム戦争で志願して戦地に赴いた女性医師が遺した日記。

 彼女はまだ20代の半ば。しかし、医師として酷い死を毎日のように目の当たりにし、共産党員として現場の指揮もとらねばならない。気丈に振舞っていたのだと思う。同時に、少女としての繊細な感受性からつづられる日記には、アンバランスな戸惑いが垣間見える。忠誠を誓っているはずの党への違和感もある。男性への、同志としての友情、尊敬、愛情のないまぜになった複雑な気持ち。いつ死ぬか分からない中で自分はどうすべきなのか、という人生上の煩悶。身近な人々が次々と死んでいく中、彼女の問いかけは、それだけ端的に、純粋なものにならざるを得ない。読んでいてハッとする言葉もある。ただ、ここに引き写すと陳腐になってしまう、しかし、彼女の置かれた状況を考えると読みながら身につまされてしまう、そんな箇所にもたびたび出会う。恥ずかしながら、結構涙腺がゆるんでいた〔追記:酒を呑みながら読んで書き込んでいたので、だいぶ感傷的になってますな(苦笑)〕。

 アメリカ軍による爆撃が激しくなってきたため診療所は撤退するのだが、彼女は身動きの取れない重症患者と共に残った。日記の最後の日付から二日後、彼女は死ぬ。額を銃弾で撃ち抜かれていた。120人ものアメリカ兵を前にして、たった1人で立ち向かったのだという。

 ある情報部勤務のアメリカ兵がこの日記を読み、それこそ彼女に“恋”をして保管していたために日の目を見ることができた。私には戦場の過酷さなど想像も及ばないが、彼自身にも言葉を置き換えて読むと思い当たるところが感じられたのかもしれない。この日記には侵略者としてのアメリカに対する憎しみもつづられている。しかし、敵であるアメリカ兵もこの日記を読んで共感を示したという、この事実そのものにもまた心がうたれる。

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2008年10月 4日 (土)

髙山文彦『孤児たちの城──ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』

髙山文彦『孤児たちの城──ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』(新潮社、2008年)

 ジョセフィン・ベーカーといえば私にもそのイメージはすぐ思い浮かぶ。中学生のころ、『二十世紀全記録』という写真をふんだんに使った歴史図鑑が好きでよく眺めていたのだが、エキゾチックな顔立ちで乳房もあらわに踊っている彼女の姿が、まだウブだった私の目に強く焼きついていた。アメリカで混血児として生まれた彼女はパリでレビューの舞台に立ち、大成功をおさめる。第二次世界大戦ではレジスタンスに協力、戦後は人種差別撤廃運動に尽力。そして、フランスのある古城に世界中から孤児を集め、人種や宗教の別を超える理想王国を目指した──。

 同性愛、母子相姦、ひょっとしたら獣姦すらうかがえるようなジョセフィンの狂気。生い立ちに由来するのか、言い知れぬ憤怒。理想の裏にひそむどす黒さを見つめていくあたりはいかにも最近の『新潮45』好みだが(本書は同誌での連載をまとめたもの)、そうした彼女の狂気に翻弄された子供たちのその後をたずね歩く著者の筆致には真摯なものが感じられる。

 横浜で捨てられた日本人孤児のその後をたずねていくのがメイン・ストーリー。肌の浅黒さ、朝鮮戦争の最中という時代背景を考えると、黒人兵との混血児だったのだろう。澤田美喜のエリザベス・サンダースホーム経由でジョセフィンのもとに預けられた彼に、それ以前の記憶はない。出生も、人種や国籍も、ある意味で作られた記憶。虚構であってもそこに血肉の混じった記憶。アイデンティティーの埋めがたい揺らぎ。拾ってくれた煙草屋さん一家の親切のことを著者から初めて知らされて彼が動揺するところが印象的だった。

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2008年10月 3日 (金)

佐藤卓己『輿論と世論──日本的民意の系譜学』

佐藤卓己『輿論と世論──日本的民意の系譜学』(新潮選書、2008年)

 “輿論”(よろん)=公論(public opinion)は善悪・損得について理性的討議を通して合意形成を目指す意見であり、“世論”(せろん)=私情(popular sentiments)は美醜・好悪についての熱狂的な共感を相互確認するもの。メディア論的には、前者はコーヒーハウスでの議論、後者は街頭での大衆運動と理念化できる(後者については、日本だと山本七平いうところの“空気”が分かりやすい)。

 戦後、国語審議会が進めた漢字制限によって言葉の用法が混乱したケースは多々見られるが、“輿論”もまたその一つ。“輿論”と“世論”──戦前においてその意味するところは対極的であったにもかかわらず、“輿”の字が常用外とされて“世”があてられたため、両者の相違が曖昧になってしまったという問題点から本書は出発する。

 “輿論”と“世論”の対比を軸として、戦時期における世論研究から、戦後における憲法世論調査、安保紛争、東京オリンピック、田中角栄の捉え方、天皇崩御時の自粛現象、テレビ政治などの問題を俎上にあげ、それらをめぐる言説および国民感情のたどった道筋が整理される。“空気”は日本人の自立性のなさの表れだ、みたいな印象批評に傾かず、社会理論の枠組みをしっかり設定した上で議論を進めているので安心して読める。

 新聞社等の世論調査による単純化→自己成就予言的、という問題も確かにある。ただし、そうした“世論操作”への批判は正論ではあるが、糾弾するだけでは責任逃れの感あり、とも指摘される。では、各自で何ができるのか? “輿論”と“世論”の使い分けが大切だと著者は言う。つまり、目の前にある議論を、さらには自分自身の意見をも、このどちらに分類されるのかと常に自問していく。そうした思考ツールとしてこの枠組みは使える。基本的にはメディア史の議論ではあるが、個々のテーマについての分析は、読み手自身がこの思考ツールの使い方を追体験していく、いわば練習問題ともなっている。ぜひ一読をおすすめしたい。

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2008年10月 1日 (水)

角英夫『中国 夢と流転──庶民たちの改革開放』

角英夫『中国 夢と流転──庶民たちの改革開放』(NHK出版、2008年)

 中国社会の急激な変化、沿海部のきらびやかな繁栄ぶりは何となくイメージもつくが、内陸・農村部の事情については外の視点ではなかなか窺い知れない。敢えて農村問題にも目を向けてNHKのドキュメンタリー番組を制作したことのある著者は、かつて出会った人々のもとへ十五年ぶりにたずねていく。

 貧困指定地域から移民した家族のその後。改革開放の聖地と謳われた村の現在。とりわけ私が印象的だったのは、第一章、深圳へ出稼ぎに来た少女とそのボーフレンドの物語。

 農村人口の都市への緩やかな移行が政策として進められている(教科書的な連想で恐縮だが、19世紀ロシア、アレクサンドル2世の農奴解放令→農村人口の流動化→ロシアの産業化の進展、というプロセスを思い浮かべた)。都市と農村の格差、都市内部でも農民工の過酷な労働実態が問題となり、“和諧社会”を掲げる現政権も法整備等の対応を進めてはいる。しかし、結婚した二人、夫となった彼氏は政府の政策動向を的確に読み取ってチャンスをつかもうとするが、コネも学歴もない彼らに現実の壁は厳しい。

 「このままで終わりたくない」──「後悔しない人生、社会からの手応え…、言い表そうとすると陳腐に堕するが、それは「豊かさへの欲望」などと一言で片付けることはできない何かだろう。かつて農村に閉じこめられていた「個」が一斉に解き放たれ、チャンスを求めて彷徨しながら行き場を探している。」(80ページ)

 本書は、中国における社会問題とそれへの政府の施策もたどりつつ、同時に、こうした眼差しを通して、一人ひとりがどのように社会的動向と向き合おうとしているのかを描き出していく。少々感傷的なところも含めて説得力のあるノンフィクションだと思う。

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