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2008年10月10日 (金)

ウイグル問題についてメモ(5)

 ウイグル人医師アニワル・トフティさんが今年の8月、広島での原爆慰霊式典参列のため来日された。その折に東京で行なわれた講演の要旨「核実験の後遺症を告発した医師が語るウイグル・原爆被害の「真相」」が『明日への選択』10月号(日本政策研究センター発行)に掲載されている(「真シルクロード?」で知りました)。

 父親が幹部党員だったので漢人学校に入学したが、差別された経験。医師として病院に勤務し、父のすすめで入党願いを出したが、入党審査の時に急患が入り、患者を優先させたため、結局入党できなかったこと(人命よりも党を優先させよという共産党の体質がうかがえる)。ある人道上の問題に関わってしまった自責の念。そして、診察した患者たちの様子から、ロプノールでの核実験による深刻な健康被害に気付いたこと。1964年から1996年にかけて46回にわたって核実験が実施されていた。中国政府は核汚染はないという公式見解を崩さないため、ウイグル人・漢人を問わず、多くの人々が悲惨な状態に放置されたままだ。アニワル医師はイギリスの報道番組「シルクロードの死神」の取材に協力したため、結局、イギリスへ亡命せざるを得なくなってしまった。

 中国政府の圧力で調査すら許されていないため核被害の詳細はよく分からないのだが、高田純『中国の核実験──シルクロードで発生した地表核爆発災害』(医療科学社、2008年)は外部で入手可能なデータ(とりわけカザフスタンでの観測データ)を最大限に駆使して被害状況のシミュレーションを行なっている。同書によると、死亡人口は19万人、白血病やその他のガンの発生および胎児影響のリスクのある地域の人口は129万人と推定されている。残留放射能が将来にわたって地域住民に与える影響も懸念される。

 アニワル医師の講演の詳細は上記掲載誌(ただ、同誌には黄文雄とかも書いているのがちょっとなあ…)を参照のこと。また、水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年→こちらの記事を参照)にもアニワル医師の話が採録されている(なお、今回のアニワル医師来日に際しての費用は水谷氏が個人で負担されたとうかがっています。本当に頭が下ります)。

 アニワル医師の講演会は私も聴きに行った。広島の原爆記念日の翌日、ちょうど北京オリンピック開幕式の前日というタイミング。この講演会については「原爆をめぐって」という記事名で当ブログにも書いた。スティーヴン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」を観た時に感じたことから説き起こし、核による悲劇の語り継ぎというテーマでアニワル医師の話につなげたのだが、一応構成上の計算はしていた。おそらく講演会後、中国の暴虐を許すな!みたいな悲憤慷慨調のネット記事が出回るだろうことは予想していたので、そういう論調とは区別をつけておきたかった。もちろん中国政府のやり口があまりにひどいのは確かなのだが、バッシングするだけでは建設的ではない。中国がどうのこうのというだけでなく、何よりも、核兵器の問題、人権の問題、多くの人々が関心を持つべきもっと普遍的な問題なんだという点を強調しておきたかった。日本が“唯一の被爆国”であることを標榜しているならばなおさらのこと(ウイグルの問題を考えると実際には違うわけだが)、右派・保守派の対中強硬論よりも、左派・進歩派の人道論こそがもっとウイグル問題に注目すべきだし、やはりNGOやとりわけ医療関係者など実務のできる人々に関心を寄せてもらうようにしなければならない。その点で、左右の政治対立図式など百害あって一利なし。

 左右の不毛な政治図式という点では、ネット世論(輿論ではなく)上の妙ちくりんなナショナリズムへの違和感について以前に触れたことがある(→ウイグル問題についてメモ②を参照のこと)。ウイグルやチベットの問題→中国バッシング→ああ、右翼の人たちね、という偏見を実は私自身持っていた。こうしたバイアスがかかってしまうと、一般世論の共有認識とはなりづらいし、政治的に中立の立場から人道問題として取り組もうとする人たちをかえって遠ざけてしまいかねない。これじゃあ、まずい。

 ウイグルをめぐる問題としては、まず、漢人への同化圧力によってウイグル人の民族的・文化的アイデンティティが奪われつつある点が挙げられる。漢語教育や新疆ウイグル自治区への漢人入植者の増加などの政策として進められている問題のほか、近年は、国家レベルでの市場統合→共通語としての漢語に習熟していないと社会的動向から取り残されてしまう、という経済面での同化圧力も強まっている。言語的な不利や漢人からの差別意識によってウイグル人が社会的底辺に追い込まれてしまっている問題についてはブレイン・カルトマン『龍の踵の下で』(→こちらの記事を参照のこと)が社会学的な研究を行なっている。

 そうした不満は、当然ながら政府への反抗意識として表面化するが、公安による弾圧は過酷を極めている(前掲水谷書を参照されたい)。9・11以後、イスラームに対する偏見も相俟って(チベット問題ほど世界的な同情を集まらない理由はこの辺りにあるのだろうか)、“テロとの戦い”という大義名分がウイグル人弾圧を正当化する口実として使われている。中国・ロシア・中央アジア諸国の加盟する上海協力機構は、経済協力ばかりでなく、ウイグルの民族運動抑え込みの装置としての役割も担っている。

 中国における民族問題としては、毛里和子『周縁からの中国──民族問題と国家』(東京大学出版会、1998年→記事参照)、王柯『多民族国家 中国』(岩波新書、2005年→記事参照)、加々美光行『中国の民族問題──危機の本質』(岩波現代文庫、2008年→記事参照)などでウイグルの問題も取り上げられている。なお、王柯書は漢人側の視点があまりにも強すぎる感もあるが、彼らの内在的なロジックが整理されている点では有益であろう(『東トルキスタン共和国研究』東京大学出版会、1995年も貴重な研究である)。

 ウイグル情勢の背景を概略的に知りたい場合には、新免康「新疆ウイグルと中国政治」(『アジア研究』49-1、2003年1月)がネット上で読める(→こちら)。ウイグル研究の権威である同氏の論考は大きな図書館にでも行かないとなかなか読めないが、板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書、2002年)所収の「新疆ウイグルと中国の将来」が短いが取り合えず入手しやすい。社会的・文化的背景も含めて多面的に知りたいならば、、『アジア遊学』No.1「特集 越境する新疆・ウイグル(新免康・編)」(勉誠出版、1992年2月)と『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」(日本貿易振興機構アジア経済研究所研究支援部、2005年1月)に良質な論考が揃っており、取っ掛かりとしておすすめだ(→ウイグル問題についてメモ①を参照のこと)。生活風習等については岩崎雅美編『中国・シルクロードの女性と生活』(東方出版、2004年)、同編『ウイグル女性の家族と生活』(東方出版、2006年)がカラー写真入りで読みやすい。ウイグルをめぐる最新情勢については水谷尚子「胡錦濤が最も恐れるウイグル人、激白す」(『諸君!』10月号)、同「ウイグルの襲撃事件はテロか──民族運動を知らない日本人の知的怠慢」(『Voice』10月号)が事情通ならではの的確な分析を示している(→ウイグル問題についてメモ④を参照のこと)。また、初めに紹介したサイト「真シルクロード?」はウイグル関連の最新情報を常時更新し続けており、こちらにはられたリンクからも様々な情報にアクセスすることができる。 

 ところで、私はウイグル関係のことに特に関わりを持っているわけではない。もともと、中学生の頃からシルクロード、とりわけ中央アジア史に興味を持ってはいた(→具体的にはこちらの記事を参照のこと)。ただ、その後、政治思想史の方に関心が移ってしまい、中央アジア史関連のことにはしばらくご無沙汰していた。

 去年、たまたま書店で水谷尚子『中国を追われたウイグル人』を見かけ、「そういえば、むかし憧れていたトルキスタンはいまどんな状況なのだろう?」という軽い気持ちで手に取った。学生の時分からロプノールで核実験が行なわれていることは知っていて「そうか、楼蘭には行けないんだな」と漠然と思っていたし、その後も新聞報道等で反政府勢力摘発といった記事を見かけてはいた。しかし、中国政府による人権弾圧がこれほどまでに過酷であるとは思いもよらなかったので驚いた。かつて抱いていた牧歌的なイリュージョンはたちまち消えた。それがウイグルの問題に改めて関心を持つようになったきっかけである。そうした個人的思い入れも含めて、今月、同書がアジア太平洋賞特別賞を受賞したことにはある種の感慨深さを感じている。

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