適当に社会学の入門書
見田宗介『社会学入門──人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)。越境性(なんて言うとしかめっつらしいが、つまり本当に大切なことを考えようとしたとき、分野の障壁なんて無意味ということ)、自明なものへの疑い、“魔術からの解放”(ヴェーバーの有名なテーゼだけど、直訳するとかたい。むしろ、ある種の魅惑がなくなっていくことでそっけない近代化が進むことの両義性に見田は焦点を合わせる)、理想(→リアリティを目指す)と虚構(→もはやリアリティなんて愛していない)、自我、関係の絶対性、交響圏などのキーワードで社会学を語る。感傷的であまっちょろい感じもするが、実感のこもった語り口にしようという姿勢には好感が持てる。同『現代社会の理論──情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)は、情報化・消費化をキーワードに、資源と環境、世界の半分の貧困などの問題の把握を試みる。
内田隆三『社会学を学ぶ』(ちくま新書、2005年)は、著者自身の読書遍歴を通して大所の社会学理論を読み進める。正攻法という感じで少々かたい。
竹内洋『社会学の名著30』(ちくま新書、2008年)。名著解説本にはつまらないものも多いが、本書はそれぞれの社会学関係書の勘所を簡潔におさえてくれていて参考になる。これは読んでみたいと思う本もいくつかあった。
そのうちの1冊が、P・L・バーガー(水野節夫・村山研一訳)『社会学への招待』(新思索社、2007年)。物事は見かけ通りのものではない→現実暴露による幻滅が社会学の特徴。その点でで体制批判的にも見えるが、だからといって社会革命志向とも異質、なぜなら革命幻想の背景をも見破ってしまうから。社会的諸力の交差する位置に個人→社会的制度の中でアイデンティティを付与され、外圧的にも内面的にも個人は制約を受けている。しかし、そうした社会という劇場を動かしている論理を客観的に理解できるところにこそ、他ならぬ私自身の自由の可能性が見出せる、その意味でヒューマニスティックな学問なのだという結びに勇気づけられる。
若林幹夫『社会学入門一歩前』(NTT出版、2007年)。自分があって社会があるのではなく他社とのつながりの結び目として“私”を把握すること、目的合理性のこと(ヴェーバー理解社会学の考え方ですね)、魔術化した科学技術への“信頼”によって社会システムが成り立っていること、カリスマ、欲望の模倣→他者の欲望を内面化したものとしての主体、等々と社会学の基本的な視座が平易に語られている。社会学は何の役に立つのか?→「役に立つこと」を基軸とする社会のあり方そのものを捉えかえすという指摘、学問にも取り組む人それぞれの個性が抜きがたく刻印されているから相性がある、といった指摘に関心を持った。
『橋爪大三郎の社会学講義』(ちくま学芸文庫、2008年)。要素分解⇔綜合、この繰り返しでテーマを分析していく橋爪の語り口そのものが社会学的思考方法の生きた見本。一見当たり前な前提から出発しても論理の運び方がクリアなので説得力を持つ。単に入門書というのではなく、社会科学の小難しい議論に頭がなじんでしまって行き詰まり感があるときなど、こういう本を読み返してみると頭が解きほぐせて良いように思う。本当に良い入門書というのは、初学者にとって分かりやすいというだけでなく、その分野についてある程度分かったつもりになっている人にとっても原点に立ち返って考えさせてくれる、そういう本じゃないかな。
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コメント
「社会的諸力の交差する位置に個人→社会的制度の中でアイデンティティを付与され、外圧的にも内面的にも個人は制約を受けている。しかし、そうした社会という劇場を動かしている論理を客観的に理解できるところにこそ、他ならぬ私自身の自由の可能性が見出せる、・・・」
一言で言えば、ヒトの存在目的も存在理由も存在構造も、これらを基礎にしているヒトの生き方の原理も、これをハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も全く知らず、知らないことも知らない人=インチキ学問の社会学の学者がいう間違った見解、というのが、一般法則論の立場。
一般法則論
投稿: 一般法則論者 | 2008年9月17日 (水) 01時33分