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2008年9月25日 (木)

ジグムント・バウマン『アイデンティティ』

ジグムント・バウマン(伊藤茂訳)『アイデンティティ』(日本経済評論社、2007年)

 ポーランド出身でイギリスに亡命した社会学者ジグムント・バウマンが、イタリアのジャーナリストのベネデット・ヴェッキから“アイデンティティ”というテーマで出されたメールによる質問に応答するという形で交わした対話。

・「私のユダヤ性は、他の国が犯す残虐さよりもイスラエルの不正の方が私に苦痛を与えることで確認されます」(36ページ)。
・“アイデンティティ”、とりわけ“ナショナル・アイデンティティ”は“自然な”ものではなく一つのフィクション→“われわれ”と“彼ら”との間に境界線を引き、強化、監視。
・「「出生による帰属」が自動的にまた明白に一つのネーションへの帰属を意味したという想定の「自然さ」は、必死の努力によって作り上げられた決まりごとであり、見かけの「自然さ」にもかかわらず、少しも「自然」ではないのです。…ネーションは、概念操作に媒介されて初めて生活世界に入り込むことができる、想像される実体でした。自然さの外見、そして主張される帰属の信頼性も、長期に及んだ過去の戦いの最終産物にほかならず、また、その永続性は、来るべき戦いによってしか保証できなかったのです。」(51ページ)
(※→ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』と同様の議論)

・新たに登場したグローバルなヒエラルキーにおいて二極化。地球規模で自由気ままにアイデンティティを構成・分解できる人々がいる一方で、アイデンティティを選ぶ選択肢のない人々がいる→屈辱感の中でスティグマ化、非人間化、周辺化(71~73ページ)(※→バウマン『廃棄された生──モダニティとその追放者』(昭和堂、2007年)の議論)

・リキッド・モダニティの流動性→アイデンティティのありかをその場その場でかけかえる→“クロックルーム・コミュニティ”(※→バウマン『リキッド・モダニティ』(大月書店、2001年)の議論)
・民営化・規制緩和→国家による救済には頼らず、自助努力→失敗したら自らの怠惰を責められる。
・リキッド・モダニティにけるアイデンティティの構築は、望みたいポイントに行き着くために何が必要か(道具的合理性の論理:既定の目標への正しい手段の選択)ではなく、手持ちのリソースでたどり着けるポイントはどこなのかを探すこと(目的合理性の論理:既定の手段で達成できる目標がどれほど魅力的かを知ること)。
・人々の関心のスパン、とりわけ何かを始める際の見通しや計画作りのタイムスパンが短くなっている。

・婚姻関係→関係の開始に当っては二人の合意が必要だが、終結には片方の決断だけで十分→私が飽きる前にパートナーが飽きてしまったらどうしよう?→容易に関係から抜け出せる可能性そのものが愛の成就に対する障害。

・近代科学→「神の心が計り知れないのなら、読みとれないものを読むことに時間を費やすのは止めて、われわれ人間が理解できて実行できることに集中しようではないか」という発想。
・「近代の戦略は、人間の力を超える大問題を切り刻んで、人間が処理できる小さな作業に置き換えることから成り立っています。「大問題」は解決されずに棚上げにされ、脇に置かれ、争点から外され、忘れられてしまって、めったに思い出されることはありません。「今」についての悩みで頭がいっぱいで、永遠なものについて思い悩む余裕がなく、それについて省みる時間もありません。液状の絶えず変化する環境の中で、時間の流れに左右されない永遠や永久的な持続、不朽の価値は、人間の経験の中にみられません」。「変化のスピードが永続性(耐久性)という価値に対する必殺の一撃となっているのです」(115~116ページ)。

・アイデンティティの強固な核、「私はだれ」という疑問への回答と、その回答への信頼→自己を他の人々に結び付けている絆と、そうした絆がやがて信頼がおけて安定したものになるという想定がなければ作れない→そうした関係はリキッド・モダニティにおいて両義的
・規制緩和の中での予測不可能な選択者の不安→選択者に「著しく欠けているものが、信用や信頼という価値であり、自信という価値です。原理主義(宗教的原理主義も同じ)は、そうした価値を提示しています。それは、あらかじめすべての競合する主張を無効にし、反対者や「異教徒」との対話を拒むことで、確信の感情を浸み込ませ、自らが提示する単純で吸収しやすい行動規範から、あらゆる疑念を拭い去ります。それは、外部に広がっているカオスを遮断する、高くて通り抜けできない壁の内側で得ることができ、享受することができる、心地よい安全の感覚をもたらしてくれます」(133ページ)。「これらの集まりは、社会国家の後退によって放棄されてしまった職務や義務を拾い上げています。それはまた、社会が拒んでいる、人間らしい生活という、残念ながら失われてしまった要素を彼らに提供しています。つまり、目標や有意義な人生(あるいは有意義な死)、全体的なものごとの枠組みの中での正当で尊厳のある場という感覚を与えているのです」(134ページ)。

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