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2008年9月24日 (水)

ジークムント・バウマン『近代とホロコースト』

ジークムント・バウマン(森田典正訳)『近代とホロコースト』(大月書店、2006年)

 アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アレントが、ナチスによるホロコーストのおぞましさと、その実行責任者であったアイヒマンのあまりに凡庸な人物像とのギャップから“悪の陳腐さ”という表現を使ったことはよく知られている(『イェルサレムのアイヒマン』新装版、大久保和郎訳、みすず書房、1994年)。こうしたアレントによる問題提起に対して、バウマンは社会学の立場から考察を行なう(彼自身もユダヤ人であり、またゲットーから生き残った妻ヤニーナの手記を読んだことが本書執筆の動機となっているらしい)。彼はユダヤ人問題の歴史的特殊性としてホロコーストを片付けてしまうのではなく、“合理性”を特徴とする近代文明そのものが構造的に内包している問題が、ホロコーストという極限状態を通して浮かび上がったのだという論点を示す。

・“官僚制”を理念型とする組織の第一の特徴は分業性。いま自分が取組んでいる仕事が最終的にどのような結果をもたらすのか分からない、仮に分かっていても自分には関係ない、そのように思える距離感→目の前にいない者に対して同情はわかないし、憎しみもない。道徳的麻痺。ホロコーストにおいて必要だったのはユダヤ人に対する敵意ではなく、道徳的睡眠剤。
・第二の特徴は効率追求。自分に与えられた仕事を効率よくこなすこと自体に職業的達成感→最終的にもたらされる結果への道徳的責任が、自分が果すべき当面の仕事への技術的責任に置き換えられる。各自が自分の仕事に一所懸命に取り組む→殺人組織そのものが自己展開。
・このように、行為と(最終的な)目的との分離→すべてが量的な問題に還元される→ユダヤ人という対象の非人間化(※アイヒマンがいみじくも言ったように「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計上の問題に過ぎない」)。
・組織経営の効率性によって現代の我々は大きな利便性を得ているが、それが使い方によってはホロコーストを可能にしてしまうし、また制度内在的にホロコーストの出現を食い止める手段を我々は持っていないという不安。「合理性が行動の能率的調整手段として成功するための根本条件は、道徳性の抑圧であった。また、そこからは、日常的な問題解決行動を完璧な形でおこなうために使われる一方で、合理性にはホロコースト型の解決行動を生む能力があることもはっきりする。」(39ページ)
(※いま公開中の映画「わが教え子、ヒトラー」では第三帝国の“官僚制”が戯画化されているが、こうした視点を踏まえるとそのブラック・ユーモアぶりが際立つ)

・つまり、非合理的な価値が目的であっても、いったんインプットされてしまうと、それを合理的かつ大規模に遂行してしまう組織。その目的価値となった人種主義理論や衛生思想すらも当時にあっては“科学的”とされていた。“より良い”社会をつくるための社会工学としての大量虐殺。バウマンは“造園文化”という表現を使う。何が害虫・雑草であるのかを選別した上で理想的社会へ向けての技術的アレンジとしてホロコースト。

・以上の手段としての“合理的”組織行動にユダヤ人自身も組み込まれていた。アイヒマン裁判において、ユダヤ人協会の上層部が社会的地位の低いユダヤ人をナチスに引き渡すことで自分たちの延命を図っていたことが明かされたが(ドキュメンタリー映画「スペシャリスト」で怒号の飛び交うシーンがあったし、アレントはこの問題を敢えて取り上げたためにユダヤ人社会の中で孤立することになってしまう)、それも目的合理性を持った行動。「ユダヤ人たちは生き延びるための合理的目的に従った行動をとりながら、自ら抑圧者の手中に飛び込み、抑圧者の行動を容易にし、そして、自らに破滅をもたらしたのだ。」「自らの決定的利益に反するものであっても、あえてそうした行動を行為者にとらせる官僚組織の近代的・合理的能力である。」(157~158ページ)

・「人類の記憶に残るもっとも驚異的な悪は秩序の消滅でなく、秩序による安全で、完璧で、絶対的な支配の結果として現れることが、突然、明瞭となった。それは理性を失った暴徒の所業でなく、制服を着用し、従順で折り目正しく、規則に従い、指示を一字一句守る男たちの仕業であった。この男たちも制服を脱げば、けっして悪い人間ではない。彼らもわれわれと同じようにふるまう。彼らにも愛する妻がおり、大事にする子どもがおり、そして、悩めるときには助け、慰める友人がいる。制服に袖をとおした瞬間、彼らは殺し、ガス中毒死させ、銃殺に立ち会い、誰かの愛する妻である女、誰かの大事にする赤ん坊の子どもを含む、何千人をもガス室に送るという信じがたい行動にでる。…ホロコーストとその実行者にかんする知識から得られる戦慄の結論は、「これ」が場合によってはわれわれにも起こるかもしれないということでなく、われわれもこれをおこないうるということである。」(197~198ページ)

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