ウイグル問題についてメモ④
長くなったので二つに分けました。
水谷尚子「胡錦濤が最も恐れるウイグル人、激白す」(『諸君!』10月号)は中国政府によって投獄され、トルコに亡命したアブドゥカディル・ヤプチャン氏からの聞き書き。同じく水谷尚子「ウイグルの襲撃事件はテロか──民族運動を知らない日本人の知的怠慢」(『Voice』10月号)では、北京オリンピック前後に新疆で相次いだ事件を分析している他、東トルキスタン民族運動の内部事情が整理されている。だいぶ問題含みのようで、読みながら少々複雑なわだかまりを感じてしまった。
アブドゥカディル氏の話を読んでいると、中国の公安当局による苛酷な弾圧と、それへの反発としてますます漢人への憎悪が深まってしまう負のスパイラルに暗澹とした気持ちになってしまう。同時に感じたのは、“暴動”という形を取らざるを得なかった人たちのやむを得ない心情の哀しさ。
エリート層のように抗議の意志を洗練された方法で表現できる立場にないがために、直接行動を取るしかない人たちがいる。人は、置かれた立場の中で自分のできることしかできないから、良いか悪いかとはまたレベルの異なる問題だろう。しかし、“暴動”という形を取ると、当局から“テロ”とレッテル貼りされるきっかけになってしまう。やむを得ない怒りが動機であっても、政治の論理に絡め取られてしまい、彼らの心情は完全に脱色されて、私たちのもとにニュースとして届く時にはテロ云々という一般論の中に埋没してしまう。“暴動”という表面的な形だけがクローズアップされて、ではなぜそうならざるを得なかったのかという背景や心情までは外にはなかなか伝わりづらい。
聞き書きは、研究上の第一次史料としてもちろん重要だが、それ以上に、スカスカした一般論に押し込められてオミットされかねない肉声の微妙なニュアンスを伝えていく、そうすることで政治を考える視点に奥行きを持たせていく。肉声が聞こえてこないと、妙な観念論ばかりが遊離して(場合によっては政治的思惑も絡んで)、当事者の思いとは全く違う方向に事態がそれてしまう恐れがある。「ウイグルの襲撃事件はテロか」の最後、右・左を排して、小さき声を丹念に拾い続けながら仲介者の役割を果たしたい(「梶ピエールの備忘録。」で引用されています。普段は『Voice』なんて読まないのですが、こちらで水谷論文のことを知りました)という水谷氏の決意はまさにそこにあるのだろう。とても貴重な仕事だと思う。
なお、水谷氏が以前に研究されていた栄一六四四部隊(南京にあった、いわば七三一部隊の兄弟部隊)についての論考を読んだことがある。人体実験に関わった医師のもとにインタビューに行くのだが、彼は核心的なことは何も語らない。ただ、彼がふと漏らした言葉から、この人はこの人なりにひょっとしたら後悔を抱えているのかもしれない、そう感じたというところが私には印象的だった。人体実験は無論忌むべきことである。だが、そのこととはまた別に、一律な判断基準で相手を断罪してしまわないで、一人一人の抱えているものを見つめようとしている。水谷氏はそうした感性を持っていればこそ、偏見を持たずに相手の話を聞き取ることができる。ウイグル人とも漢人とも話し合えるし、仲介者として漢人側に問題の理解者を増やしていくことはできるはずだ。地道な努力が必要だが、そこにこそ可能性を見出せると思う。
酒井啓子「ウイグル問題を歴史の視点から見る──大陸の進出のためだった日本のイスラーム研究」(『週刊東洋経済』2008年9月20日号)は、「回教」という表現に込められた戦前期日本のイスラーム認識に着目。この表現で対象とされているのは主として中国のイスラームであり、“大日本帝国”のアジア進出のためのコマとして「回教徒」を動員するという国策上の思惑からイスラーム研究が進められていたことを指摘する。
同様の問題意識を持つ研究として、坂本勉編著『日中戦争とイスラーム──満蒙・アジア地域における統治・懐柔政策』(慶應義塾大学出版会、2008年)がある。戦前期日本においてイスラーム認識が格段に深まった点では画期的でありつつも、同時にその調査・研究が国策的支援を受けたものであった二面性をテーマとした論考を集めている。
メルトハン・デュンタル「オスマン皇族アブデュルケリムの来日」によると、1931~1934年の新疆反乱(→東トルキスタン・イスラーム共和国成立)に際して、日本側にはオスマン皇族を“トルキスタン皇帝”に擁立して傀儡国家とする計画があったという。溥儀を連れてきて満州国(1932年)をつくったり、デムチュクドンロブ(徳王)を押し立てて蒙古連合自治政府(1939年)をつくったりというのと同じ発想だ。ただし、トルコ政府はこうした動きがオスマン帝国の復活につながることを懸念しており、在日トルコ系コミュニティにおけるアブデュルケリム招請派の分断を図ったり、東トルキスタン共和国崩壊後にアフガニスタンへ亡命した関係者に日本との関係を慎むよう勧告したりと、対抗策をめぐらしていたらしい。
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コメント
はじめまして。いつも重厚な話題を軽妙なタッチで扱っておられるのが心地よくて愛読させていただいています。水谷さんのVoiceの記事は中途半端な取り上げ方しかできませんでしたが、ああしてブログででも紹介しないとそのまま埋もれてしまいそうな予感がしたのであえて取り上げました。同誌の熱心なファンには逆に素通りされそうな内容ですしね・・
投稿: 梶ピエール | 2008年9月19日 (金) 21時33分
「梶ピエールの備忘録。」はいつも拝読しております。話題の広さと的確なコメントに勉強させていただいています。水谷先生の立ち位置というのは微妙な難しさがありますが、アピールすべき箇所を適切に引用されていたのでリンクをはらせていただきました。わざわざコメントをいただきまして恐縮です。
投稿: トゥルバドゥール | 2008年9月21日 (日) 00時55分
水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年)がアジア太平洋賞特別賞を受賞したようです(→http://www.mainichi.co.jp/information/news/20081004ddm001040033000c.html)。ウイグル問題が、妙な政治運動から解き放たれて、もっと広く一般世論の共有認識となっていくきっかけになって欲しいものです。
投稿: トゥルバドゥール | 2008年10月 5日 (日) 23時35分