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2008年9月

2008年9月29日 (月)

フロイトをネタに適当な雑談(いい加減だから読まなくていいです)

 今回はいい加減な雑談です。ただ吐き出したいだけですから、読まなくていいです。話題がどこにとぶのか分かりません。テキトーですから、間違っているとクレームがあったって(今回に限り)無視します。あしからず。

 ここのところ、精神的に少々荒れております。なんか、自分の将来を悲観してしまっているというか。気分がすごく暗いんで、ショック療法のつもりでドストエフスキー(安岡治子訳)『地下室の手記』(光文社古典新訳文庫、2007年)を読んだら、ますます暗くなってきた。鏡で自分を見ているようで…。

 それはともかく。飛躍的な連想があって、フロイトです。中山元訳の『幻想の未来/文化への不満』(光文社古典新訳文庫、2007年)と『人はなぜ戦争をするのか──エロスとタナトス』(光文社古典新訳文庫、2008年)の二冊がいま手もとにあります。以下、これを適当に参照しながら。

 欲動、リビドー、エス、まあ何でもいいけど、人間の内奥にアモルファスなエネルギーを措定して、それが外に向えば攻撃衝動、内に向えば自己破壊的な衝動となる。このエネルギーが社会的に肯定される方向にうまく誘導できれば“昇華”と呼ばれる。基本的に、善悪という価値判断にはなじまない。むしろ、このエネルギーを野放しにしておくと何をしでかすか分からない、“万人の万人に対する闘争”となってしまうから、制限をかけるために共同体なり文化なりがでっち上げられた。善悪という道徳はいわば法律、“超自我”はおまわりというか裁判官みたいなものか。この辺の論理構成はホッブズ『リヴァイアサン』と同じです。

 ところで、19~20世紀にかけて国家の消滅を目指す政治運動が高まります。マルクス主義です。国家をなくし、財産を平等にして物質的な不満がなくなればみんな仲良くなれるはず(レーニンは『国家と革命』で、書記と簿記係だけが必要になる、なんて言ってますが、それがシステム化されれば国家なんじゃないかという疑問がわきますし、そもそも書記さんが権力握って勝手なことをやったわけです)──チッチッ、てめーら、あめーぜ、ってフロイト先生は舌打ちしてます。物質的に平等になったって、平和になったって、人間の奥底に潜む攻撃衝動は絶対になくならない、だから国家による規制が必要となる。ウィーン大学でフロイトの若き同僚で彼に私淑していた法哲学者ハンス・ケルゼンもこうした観点からマルクス主義の国家論にケチつけてます(『社会主義と国家』)。

 ちなみに、私はフロイトの精神分析学を“科学”だなんて思っちゃいません。けっこうウサンくさいです。ただ、19~20世紀(さらには現代にいたるも)という時代状況を考える時に彼の議論を踏まえるとある程度まで納得のいく説明ができる、そういう意味で一つの社会思想だと考えています。カール・シュミットは、あらゆる政治理論は性善説か性悪説かのどちらかに立つし、説得力を持つのは後者の方だという趣旨のことを言ってますが、フロイトも明らかに性悪説です。

「そもそも人間は、指導者と指導者にしたがう人に分かれます。これは人間に生まれつきの不平等性であり、これをなくすことはできないのです。そして大多数は指導者に服従する人々です。自分たちのために決定してくれる権威を必要としますし、こうした指導者にはほとんど無条件にしたがうのです。」(「人はなぜ戦争をするのか」31~32ページ)

 民主主義は“平等”第一という思考になじんだ私たちにとって何ともむかつく発言ですな。このクソジジイはこんなことも言ってます。

「人間に文化的な仕事を強制しなければならないのと同じように、大衆を少数者の支配にしたがわせるようにしなければならない。大衆は怠慢で、洞察力に欠けた生き物だからだ。そして大衆は欲動を放棄したがらず、欲動を放棄する必要性を議論で説得することはできない。誰もがたがいに放埓にしたい放題をするばかりである。大衆が指導者として手本とする個人の影響なしでは、大衆を労働に従事させることも、欲動を放棄させることもできない。文化は大衆の労働と、欲動の放棄によって初めて成立するのである。」(「幻想の未来」15~16ページ)

 こういうエリート理論は別に珍しいものではありません。たとえば、プラトンが『国家』で、人間の心を放埓な部分、気概の部分、理性の部分と三層モデルで示して、理性が他二者を支配すべきものとし、この図式を社会関係にも適用していわゆる“哲人政治”を主張したことは有名です。20世紀においても、たとえばロベルト・ミヘルス『現代民主主義における政党の社会学』、ヴィルフレド・パレート『一般社会学提要』などがエリート支配の必然性を指摘(他にもガエターノ・モスカってのがいますが、私は読んでません)。パレートは、パレート最適で有名なあの人です。経済学史の方では限界効用革命の大成者とされていますが(詳しいことは知りませんが)、後年、社会学に転向しました。ちなみに、ミヘルス、パレート、モスカともムッソリーニのお気に入りです。

 大衆の問題については、ギュスターヴ・ル=ボン『群衆心理』以来、色々な人たちが議論してますね。なお、戦争の時の熱狂状態に絡めてフロイトはこう言ってます。「多数の人々、数百万人の人々が集うと、個人が獲得してきた道徳的要素は解消されてしまい、原初的で、ごく古く、粗野な心構えだけが残る」(「戦争と死に関する時評」70ページ)。一人一人は良い奴であっても、マスというレベルになると凶暴になり得る、大衆なる現象の不思議さ。

 人間は攻撃衝動の十全な発揮にこそ満足を得られる→「多数の人々を、たがいに愛しながら結びつけることができるのは、攻撃欲の〈はけ口〉となるような人々が外部に存在する場合にかぎられるのである」(「文化への不満」228ページ)。つまり、外部に敵がいなければ、ある共同体内で人々を結束させることはできないということ。これもイヤな真実ですな。

 ちなみに、19世紀、ダーウィン以来の進化論の流れの中で、一匹だけで生き残るのは難しいから種が形成された→この種を共同体のアナロジーとして応用して社会理論とするのがはやりました。大正・昭和初期、進化論を使って社会評論に筆を振るっていた丘浅次郎って人がいたのですが、種の結束には外部が必要→戦争がなければ共同体はまとまれない、だから戦争はなくならない、というペシミスティックな議論をしてました。フロイトもこっちですね。他方、種の結束が常態化すれば外敵がなくても維持できる、だから国家権力がなくても人間は仲良くできるとしたのがクロポトキン『相互扶助論』です。これはアナキズムの理論的根拠となりました。日本では大杉栄や、実は北一輝なんかにも影響を与えています。なお、『相互扶助論』の大杉栄訳は今でも全く違和感のない自然な文体で読めます。

 差異をつくって、境界線の内部での結束を保つために外敵を設定し、そちらに攻撃衝動を振り向ける。このプロセスが延々と続く。民族紛争なんて終わるわけありません。

 人間がこの世に存在する限り戦争はなくならない。この厳然たる事実を我々は善悪の彼岸に立って受け容れるしかない、そうフロイト先生はおっしゃっています。仮に完全に平和な状態が出現したとして、今度は心奥に渦巻く攻撃衝動はそのはけ口に困ってしまい、平和であること自体に人間は耐えられなくなる。人間は退屈に耐えられない存在なんだ、ってドストエフスキーも言ってました。で、私が何言いたかったかっていうと、みんな殺しあって死んじまえ、ってことです。冗談ですけどね。

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2008年9月28日 (日)

金昌國『ボクらの京城師範附属第二国民学校──ある知日家の回想』

金昌國『ボクらの京城師範附属第二国民学校──ある知日家の回想』(朝日選書、2008年)

 植民地支配、日本の敗戦、新国家として出発したばかりの混乱期、そして朝鮮戦争──こうした激変期を小学生・中学生として過ごした、その回想録。なんて言い方をすると何やらドラマチックに聞こえるかもしれない。しかし、子供の頃の素朴な眼差しをそのまま想い返しながらつづられていく筆致はとても穏やかだ。著者自身、その後、教員として教壇に立った経験から、反日、克日、そして現在の知日へと移り変わる世相の変遷についても感慨深さがうかがわれる。

 日本の支配から解放されたばかりの頃、教員が不足していたため、日本留学経験者がいわゆる“でもしか”として多数採用されたらしいが、授業はだいぶ適当だったという。投げやりなところがかえってユーモラスでもあったが。彼らにはエリートとしての自覚があった。しかし、植民地支配から解放されたことは喜びつつも、自分がせっかく学んだ専門的技能を生かせるのか、この先どうなるか分からないという不安があったようだ。アメリカ人から直接英語を習った先生が「聞く・話す」重視だったのに対し、日本留学経験のある先生(著者の父も含む)が「読む・書く」重視だったという対比が面白い。朝鮮戦争で除隊したばかりの英語の先生は必死の形相で戦闘体験のことばかり話していて異様だったが、間もなく自殺してしまったという。今で言うとPTSDだったのだろう。

 著者自身が教室で生徒たちに日帝時代の話をしたときのこと。具体的な話をしていくと、日本人の良い思い出にも触れることになる。反日教育世代の生徒たちは納得のいかないという表情を示したらしい。著者自身がかつて軍国少年として“鬼畜米英”と叩き込まれていた頃、母から一緒に働いたことのあるアメリカ人の優しさについて聞かされたとき、彼自身もそれが理解できなかった、その頃の私たちは実際のアメリカ人を知らなかった、と想い返すところが印象的だった。

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2008年9月27日 (土)

木村幹『韓国現代史──大統領たちの栄光と蹉跌』

木村幹『韓国現代史──大統領たちの栄光と蹉跌』(中公新書、2008年)

 本書は、韓国歴代大統領10人のうち、李承晩、尹潽善、朴正煕、金泳三、金大中、盧武鉉、李明博という7人のキーパーソンに焦点をしぼり、彼らの同時代体験に適宜目配りしながら戦後の韓国政治史を描き出していく。著者の前著『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』(名古屋大学出版会、2008年→記事参照)では世代によって政治家として活用できるリソースが大きく異なっていたことが分析されていたが、本書はそうした世代の移り変わりを意識した人物中心のストーリー立てとなっているので興味深く読める。『自民党戦国史』なんてたとえに出すと古臭いかもしれないが、理念的な分析ではなく、人的な離合集散からうかがえる政治力学の分析に専念しているので、政治史として説得力を持つ。

 韓国の政治史においては権威主義体制から民主化への移行が比較的スムーズに進んだ点が大きな特徴であると言えよう。理由としては、第一に、軍事政権側が先手を打って民主化宣言を出したこと。第二に、野党側の分裂(具体的には、金大中と金泳三)により慮泰愚が当選したため、光州事件に関わった一部の勢力が排除された他は温存されたこと。第三に、金大中追い落としのため、金泳三が軍部系の流れを汲む勢力と共に民主自由党を結成するというウルトラCをやってのけたこと。政党政治家として老練な金泳三は民自党内で軍部系の政治家たちを軽く手玉にとって主導権を確保する。つまり、金泳三というトリックスターの権力欲が、図らずも権威主義体制の軟着陸を成功させたとも言えるわけで、これも歴史の狡知と言うべきか。その後、金大中も旧KCIA長官だった金鍾泌と手を組むというやはりウルトラCでもって大統領に当選する。政治史というのは意外などんでん返しがつきもので、それがドラマとして面白い。

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2008年9月26日 (金)

福田恆存「一匹と九十九匹と」

福田恆存「一匹と九十九匹と」(千葉俊二・坪内祐三編『日本近代文学評論選【昭和篇】』岩波文庫、2004年、所収)

 先日、何で読んだのだったか、社会科学が対象とするのは多数であり、一人を対象とするのが文学だ、という趣旨の記述があった。その通りだと思う。そんなことをむかし誰かが書いていたなあ、と喉元まで出かかってわだかまっていたのだが、今週、ふと思い出した。福田恆存「一匹と九十九匹と」だ。

 福田は『新約聖書』「ルカによる福音書」から「なんぢらのうちたれか、百匹の羊をもたんに、もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、失せたるものを見いだすまではたづねざらんや」という一節を引く。彼は正統的なキリスト教解釈とは違うのだろうと自覚しつつも、このイエスの言葉は政治と文学との役割の違いを示したものだと感じ取った。

「…かれは政治の意図が「九十九人の正しきもの」のうへにあることを知つてゐたのに相違ない。かれはそこに政治の力を信ずるとともにその限界をも見てゐた。なぜならかれの眼は執拗に「ひとりの罪人」のうへに注がれてゐたからにほかならぬ。九十九匹を救へても、残りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいつたいなにものであるか──イエスはさう反問してゐる。…ぼくもまた「九十九匹を野におき、失せたるもの」にかゝづらはざるをえない人間のひとりである。もし文学も──いや、文学にしてなほこの失せたる一匹を無視するとしたならば、その一匹はいつたいなにによつて救はれようか。」(347頁)

 福田のこの文章は1947年、まだ敗戦のショックが覚めやらぬ中、当時勢いづいていたプロレタリア文学派の政治性に対する批判として発表された。もちろん、左翼・右翼の別など問題ではない。ある政治目的の下、人的にも動員され、作品内容としても図式化された文学なんて代物では、この失われた一匹を、この人間の救われがたい矛盾を見つめていくことはできない、そうした憤りに衝き動かされていた。

 政治は具体的に目に見える形での解決を求める。物理的・定量的な問題に還元され、目に見えない人間の心情などはすべて無視される。政治の論理にデリカシーなんて期待すべくもない。だから悪い、と決め付けるのも早計だ。現実には、政治でなければ解決できない問題がたくさんある。ただし、

「善き政治はおのれの限界を意識して、失せたる一匹の救ひを文学に期待する。が、悪しき政治は文学を動員しておのれにつかへしめ、文学者にもまた一匹の無視を強要する。しかもこの犠牲は大多数と進歩との名分のもとにおこなはれるのである。…善き政治であれ悪しき政治であれ、それが政治である以上、そこにはかならず失せたる一匹が残存する。文学者たるものはおのれ自身のうちにこの一匹の失意と疑惑と苦痛と迷ひとを体感してゐなければならない。」「…こゝに「ひとりの罪人」はかれにとつてたんなるひとりではない。かれはこのひとりをとほして全人間をみつめてゐる。善き文学と悪しき文学との別は、この一匹をどこに見いだすかによつてきまるのである。」(347~348頁)

 だいぶ以前のことだが、知人から誘われてホームレスの実態調査というのに一度だけ参加したことがある(頭数を揃えるためで、私など何の役にも立ちませんでしたが…)。「役所にさあ、あんたから何か言ってくれよ」と屈託なく話してくれる人はまだいい。一人、いまだに忘れられない人がいた。まだ40歳にもなっていないのに見た目はかなり老けていた。こちらから色々と話しかけても一問一答に終わってしまい、話の接ぎ穂がなく困ってしまった。それでも、ポツリポツリと語る断片から、すべて自分のせいなのだから仕方がない、という諦めが窺えた。

 衣食住の問題、医療上の問題(内臓疾患等で、見た目は元気そうでも、体のだるさから激しい労働はできない人が多い)、法制度上の問題(たとえば、夜逃げした人には住民票はないし、保証人もいない→就職先が見つからない)など、立てるべき対策はある。財源等がネックとなるが、その調整は政治の問題である。しかし、こういう境遇に落ち込んでしまった自分自身を許せないという自尊心の傷つきにはどのように向き合えばいいのか。それに対して私などまるで無力であるのがショックだった。もし手を差し伸べようとしたら、同情を見せる素振りそのものが彼の傷ついた自尊心にさらに塩を塗りこめることになってしまう。もちろん、カウンセリング等の方法もあるにはあるが、なかなか難しい。究極的には、彼自身が自分の人生をどう捉え返すのかという問題に尽きるのであって、他人に手出しはできない。心の中に根を張った傷つきに対して、他人の力=政治など無力なのである。

 自分が無力であることを感じ取れるかどうか、それだけでも違ってくると思う。感じない人は、善意という大義名分の下、彼の心の傷をさらに広げてしまいかねない。それに、無力であることが悔しいという自覚は、今の私には何もできなくても、いつか別の機会に、別の形で、自分のできることをやろうというバネにつながる。少なくとも、声高に騒ぎ立てて何かをやった気になってしまうよりかははるかにましだと思う。

 “文学”とか言っても、別に大仰なことではない。社会的に公式化されたロジックによって見失われてしまう“最後の一匹”のことを常に気に留めておくこと、“正しい”人生経路から外れてしまった一つ一つを見つめていくこと、そうした感性を忘れてしまわないように努力していくこと、それが広い意味で“教養”(文学も含めて)なのだと思う。

 なお、福田恆存と言えば、『人間・この劇的なるもの』は私の愛読書の一冊だ(→記事参照のこと)。魔女の予言に翻弄されるマクベスと、メランコリックに逡巡するハムレットとを対比しながら、“自由”の真意義は“必然”に身をさらしていることの自覚にあると喝破したあたりなど私には衝撃的だった。最近、新潮文庫で復刊されたようでうれしい。

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2008年9月25日 (木)

ジグムント・バウマン『アイデンティティ』

ジグムント・バウマン(伊藤茂訳)『アイデンティティ』(日本経済評論社、2007年)

 ポーランド出身でイギリスに亡命した社会学者ジグムント・バウマンが、イタリアのジャーナリストのベネデット・ヴェッキから“アイデンティティ”というテーマで出されたメールによる質問に応答するという形で交わした対話。

・「私のユダヤ性は、他の国が犯す残虐さよりもイスラエルの不正の方が私に苦痛を与えることで確認されます」(36ページ)。
・“アイデンティティ”、とりわけ“ナショナル・アイデンティティ”は“自然な”ものではなく一つのフィクション→“われわれ”と“彼ら”との間に境界線を引き、強化、監視。
・「「出生による帰属」が自動的にまた明白に一つのネーションへの帰属を意味したという想定の「自然さ」は、必死の努力によって作り上げられた決まりごとであり、見かけの「自然さ」にもかかわらず、少しも「自然」ではないのです。…ネーションは、概念操作に媒介されて初めて生活世界に入り込むことができる、想像される実体でした。自然さの外見、そして主張される帰属の信頼性も、長期に及んだ過去の戦いの最終産物にほかならず、また、その永続性は、来るべき戦いによってしか保証できなかったのです。」(51ページ)
(※→ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』と同様の議論)

・新たに登場したグローバルなヒエラルキーにおいて二極化。地球規模で自由気ままにアイデンティティを構成・分解できる人々がいる一方で、アイデンティティを選ぶ選択肢のない人々がいる→屈辱感の中でスティグマ化、非人間化、周辺化(71~73ページ)(※→バウマン『廃棄された生──モダニティとその追放者』(昭和堂、2007年)の議論)

・リキッド・モダニティの流動性→アイデンティティのありかをその場その場でかけかえる→“クロックルーム・コミュニティ”(※→バウマン『リキッド・モダニティ』(大月書店、2001年)の議論)
・民営化・規制緩和→国家による救済には頼らず、自助努力→失敗したら自らの怠惰を責められる。
・リキッド・モダニティにけるアイデンティティの構築は、望みたいポイントに行き着くために何が必要か(道具的合理性の論理:既定の目標への正しい手段の選択)ではなく、手持ちのリソースでたどり着けるポイントはどこなのかを探すこと(目的合理性の論理:既定の手段で達成できる目標がどれほど魅力的かを知ること)。
・人々の関心のスパン、とりわけ何かを始める際の見通しや計画作りのタイムスパンが短くなっている。

・婚姻関係→関係の開始に当っては二人の合意が必要だが、終結には片方の決断だけで十分→私が飽きる前にパートナーが飽きてしまったらどうしよう?→容易に関係から抜け出せる可能性そのものが愛の成就に対する障害。

・近代科学→「神の心が計り知れないのなら、読みとれないものを読むことに時間を費やすのは止めて、われわれ人間が理解できて実行できることに集中しようではないか」という発想。
・「近代の戦略は、人間の力を超える大問題を切り刻んで、人間が処理できる小さな作業に置き換えることから成り立っています。「大問題」は解決されずに棚上げにされ、脇に置かれ、争点から外され、忘れられてしまって、めったに思い出されることはありません。「今」についての悩みで頭がいっぱいで、永遠なものについて思い悩む余裕がなく、それについて省みる時間もありません。液状の絶えず変化する環境の中で、時間の流れに左右されない永遠や永久的な持続、不朽の価値は、人間の経験の中にみられません」。「変化のスピードが永続性(耐久性)という価値に対する必殺の一撃となっているのです」(115~116ページ)。

・アイデンティティの強固な核、「私はだれ」という疑問への回答と、その回答への信頼→自己を他の人々に結び付けている絆と、そうした絆がやがて信頼がおけて安定したものになるという想定がなければ作れない→そうした関係はリキッド・モダニティにおいて両義的
・規制緩和の中での予測不可能な選択者の不安→選択者に「著しく欠けているものが、信用や信頼という価値であり、自信という価値です。原理主義(宗教的原理主義も同じ)は、そうした価値を提示しています。それは、あらかじめすべての競合する主張を無効にし、反対者や「異教徒」との対話を拒むことで、確信の感情を浸み込ませ、自らが提示する単純で吸収しやすい行動規範から、あらゆる疑念を拭い去ります。それは、外部に広がっているカオスを遮断する、高くて通り抜けできない壁の内側で得ることができ、享受することができる、心地よい安全の感覚をもたらしてくれます」(133ページ)。「これらの集まりは、社会国家の後退によって放棄されてしまった職務や義務を拾い上げています。それはまた、社会が拒んでいる、人間らしい生活という、残念ながら失われてしまった要素を彼らに提供しています。つまり、目標や有意義な人生(あるいは有意義な死)、全体的なものごとの枠組みの中での正当で尊厳のある場という感覚を与えているのです」(134ページ)。

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2008年9月24日 (水)

ジークムント・バウマン『近代とホロコースト』

ジークムント・バウマン(森田典正訳)『近代とホロコースト』(大月書店、2006年)

 アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アレントが、ナチスによるホロコーストのおぞましさと、その実行責任者であったアイヒマンのあまりに凡庸な人物像とのギャップから“悪の陳腐さ”という表現を使ったことはよく知られている(『イェルサレムのアイヒマン』新装版、大久保和郎訳、みすず書房、1994年)。こうしたアレントによる問題提起に対して、バウマンは社会学の立場から考察を行なう(彼自身もユダヤ人であり、またゲットーから生き残った妻ヤニーナの手記を読んだことが本書執筆の動機となっているらしい)。彼はユダヤ人問題の歴史的特殊性としてホロコーストを片付けてしまうのではなく、“合理性”を特徴とする近代文明そのものが構造的に内包している問題が、ホロコーストという極限状態を通して浮かび上がったのだという論点を示す。

・“官僚制”を理念型とする組織の第一の特徴は分業性。いま自分が取組んでいる仕事が最終的にどのような結果をもたらすのか分からない、仮に分かっていても自分には関係ない、そのように思える距離感→目の前にいない者に対して同情はわかないし、憎しみもない。道徳的麻痺。ホロコーストにおいて必要だったのはユダヤ人に対する敵意ではなく、道徳的睡眠剤。
・第二の特徴は効率追求。自分に与えられた仕事を効率よくこなすこと自体に職業的達成感→最終的にもたらされる結果への道徳的責任が、自分が果すべき当面の仕事への技術的責任に置き換えられる。各自が自分の仕事に一所懸命に取り組む→殺人組織そのものが自己展開。
・このように、行為と(最終的な)目的との分離→すべてが量的な問題に還元される→ユダヤ人という対象の非人間化(※アイヒマンがいみじくも言ったように「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計上の問題に過ぎない」)。
・組織経営の効率性によって現代の我々は大きな利便性を得ているが、それが使い方によってはホロコーストを可能にしてしまうし、また制度内在的にホロコーストの出現を食い止める手段を我々は持っていないという不安。「合理性が行動の能率的調整手段として成功するための根本条件は、道徳性の抑圧であった。また、そこからは、日常的な問題解決行動を完璧な形でおこなうために使われる一方で、合理性にはホロコースト型の解決行動を生む能力があることもはっきりする。」(39ページ)
(※いま公開中の映画「わが教え子、ヒトラー」では第三帝国の“官僚制”が戯画化されているが、こうした視点を踏まえるとそのブラック・ユーモアぶりが際立つ)

・つまり、非合理的な価値が目的であっても、いったんインプットされてしまうと、それを合理的かつ大規模に遂行してしまう組織。その目的価値となった人種主義理論や衛生思想すらも当時にあっては“科学的”とされていた。“より良い”社会をつくるための社会工学としての大量虐殺。バウマンは“造園文化”という表現を使う。何が害虫・雑草であるのかを選別した上で理想的社会へ向けての技術的アレンジとしてホロコースト。

・以上の手段としての“合理的”組織行動にユダヤ人自身も組み込まれていた。アイヒマン裁判において、ユダヤ人協会の上層部が社会的地位の低いユダヤ人をナチスに引き渡すことで自分たちの延命を図っていたことが明かされたが(ドキュメンタリー映画「スペシャリスト」で怒号の飛び交うシーンがあったし、アレントはこの問題を敢えて取り上げたためにユダヤ人社会の中で孤立することになってしまう)、それも目的合理性を持った行動。「ユダヤ人たちは生き延びるための合理的目的に従った行動をとりながら、自ら抑圧者の手中に飛び込み、抑圧者の行動を容易にし、そして、自らに破滅をもたらしたのだ。」「自らの決定的利益に反するものであっても、あえてそうした行動を行為者にとらせる官僚組織の近代的・合理的能力である。」(157~158ページ)

・「人類の記憶に残るもっとも驚異的な悪は秩序の消滅でなく、秩序による安全で、完璧で、絶対的な支配の結果として現れることが、突然、明瞭となった。それは理性を失った暴徒の所業でなく、制服を着用し、従順で折り目正しく、規則に従い、指示を一字一句守る男たちの仕業であった。この男たちも制服を脱げば、けっして悪い人間ではない。彼らもわれわれと同じようにふるまう。彼らにも愛する妻がおり、大事にする子どもがおり、そして、悩めるときには助け、慰める友人がいる。制服に袖をとおした瞬間、彼らは殺し、ガス中毒死させ、銃殺に立ち会い、誰かの愛する妻である女、誰かの大事にする赤ん坊の子どもを含む、何千人をもガス室に送るという信じがたい行動にでる。…ホロコーストとその実行者にかんする知識から得られる戦慄の結論は、「これ」が場合によってはわれわれにも起こるかもしれないということでなく、われわれもこれをおこないうるということである。」(197~198ページ)

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2008年9月23日 (火)

最近読んだ新書

 最近(1、2ヶ月くらい)読んだ新書の備忘録。だらだら並べるのも芸がありませんが、なんか面倒くさくて…。◎印をつけた本などきちんとコメントしたいところですが、また気が向いたときにでも。ここしばらく、だいぶ気分がふさぎこんでいるというか、精神的に憔悴しています。空白が続いたかと思うと、箇条書きや抜書きのオンパレードで手抜きしたりと、ちぐはぐな印象を与えているかもしれませんが、あまり気にはなさらずに。

◎園田茂人『不平等国家 中国』中公新書、2008年
・渡辺浩平『変わる中国 変わるメディア』講談社現代新書、2008年
・本田善彦『人民解放軍は何を考えているか──軍事ドラマで分析する中国』光文社新書、2008年
◎渡辺将人『見えないアメリカ──保守とリベラルのあいだ』講談社現代新書、2008年
・飯山雅史『アメリカの宗教右派』中公新書ラクレ、2008年
・近藤健『反米主義』講談社現代新書、2008年
・テレーズ・デルペシュ(早良哲夫訳)『イランの核問題』集英社新書、2008年
・廣瀬陽子『コーカサス 国際関係の十字路』集英社新書、2008年
・山内昌之『帝国のシルクロード──新しい世界史のために』朝日新書、2008年
・宮田律『人物で読むイスラム世界』日経プレミアシリーズ、2008年
・重村智計『金正日の正体』講談社現代新書、2008年
◎宮城大蔵『「海洋国家」日本の戦後史』ちくま新書、2008年
・保阪正康『東京裁判の教訓』朝日新書、2008年
・清永聡『気骨の判決──東條英機と闘った裁判官』新潮新書、2008年
◎服部龍二『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』中公新書、2008年
・高田里惠子『学歴・階級・軍隊──高学歴兵士たちの憂鬱な日常』中公新書、2008年
・高田里惠子『男の子のための軍隊学習のススメ』ちくまプリマー新書、2008年
・小島英俊『文豪たちの大陸横断鉄道』新潮新書、2008年
・塩見鮮一郎『貧民の帝都』文春新書、2008年
◎堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』岩波新書、2008年
◎湯浅誠『反貧困──「すべり台社会」からの脱出』岩波新書、2008年
◎雨宮処凛・萱野稔人『「生きづらさ」について──貧困、アイデンティティ、ナショナリズム』光文社新書、2008年
◎仲正昌樹『〈宗教化〉する現代思想』光文社新書、2008年
・中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書、2008年
◎堂目卓生『アダム・スミス──『道徳感情論』と『国富論』の世界』中公新書、2008年
・亀山郁夫『ドストエフスキー──謎とちから』文春新書、2007年
・鈴木伸子『TOKYO建築50の謎』中公新書ラクレ、2008年
・吉見俊哉『博覧会の政治学──まなざしの近代』中公新書、1992年
・川添裕『江戸の見世物』岩波新書、2000年

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2008年9月22日 (月)

カール・シュミット『パルチザンの理論』

カール・シュミット(新田邦夫訳)『パルチザンの理論──政治的なものの概念についての中間所見』(ちくま学芸文庫、1995年)

・スペインでナポレオン軍に対して行なわれたゲリラ戦争→非正規的な戦争→パルチザンの理論の出発点。
・古典的な国際法:戦闘員と非戦闘員の区別、交戦権を持った主権国家同士のルールを持った戦争。主権国家の動員する正規軍の条件は、責任を負う指揮官、制服等の目印、武器の公然携帯、戦争法規の遵守。
・パルチザンはこうした枠づけの外にいる。制服がない→非正規性。盗賊とは違う→政治的性格。神出鬼没の遊撃性。土地的性格。

・非正規な闘争者としてのパルチザン→戦闘員の権利と特権なし。通例の法によれば犯罪者であり、略式な刑罰および報復的措置で除去され得る。「正規の軍隊が、厳格に訓練され、軍人と市民とを正確に区別し、制服を着用する相手のみを正確に敵とみなせばみなすほど、正規の軍隊は、相手側において制服を着用しない一般住民までもが闘争に参加した場合には、ますます敏感に、また神経質になる。そのさい軍人は、苛酷な報復、銃殺、人質、村落破壊という手段で反応し、そのことを詭計に対する正当防衛と考える。正規の、制服を着用する相手が敵として尊敬され、血なまぐさい闘争においても犯罪者との区別が明確化されればされるほど、逆に非正規の闘争者は犯罪者としてますます苛酷に取り扱われる。このすべては、軍人と市民とを、戦闘員と非戦闘員とを区別し、また敵をそのようなものとして犯罪者と宣告しないという珍しい道徳的な力を育て上げた、古典的なヨーロッパ戦争法の論理からの当然の帰結であった」(77~78ページ)
(※こうした形で、日中戦争やヴェトナム戦争などにおいて一般市民の虐殺が行なわれたわけです)

・古典的な国際法は主権国家を主役として戦争を枠づけ→20世紀以降、戦争から枠づけがなくなり、革命的な政党が主役の戦争となった。
・パルチザンの基本的立場は、本来、自分たちの土地から侵略者を撃退することなのだから防御的→相手はあくまでも“現実の敵”(はねかえして引き下がってくれればそれで済む敵)であって、“絶対的な敵”(殲滅すべき敵)ではない。
・しかし、レーニンはこの概念の重点を、戦争から政治へ、すなわち友と敵との区別へと拡大。
・戦争は政治の継続であるというクラウゼヴィッツの公式→簡潔なパルチザンの理論、レーニン、毛沢東によって拡大される。レーニンがクラウゼヴィッツから学んだのは、「友と敵とを区別することは、革命の時代においては、第一次的なものであり、また、戦争および政治をも規定するものである」という認識。「絶対的な敵対関係の戦争と比較して、古典的なヨーロッパ国際法の、承認された規則にしたがって行なわれる枠づけされた戦争は、決闘申込みに応じうる騎士の間の決闘と同じである。レーニンのような、絶対的な敵対関係によって鼓舞された共産主義者には、このような種類の戦争は、単なるゲームであると思われたのは当然であった。」「絶対的な敵対関係の戦争は、いかなる枠づけも知らない。絶対的な敵対関係をきわめて明確に作り上げることが、その戦争に意味と正義とを与えるのである。…すなわち絶対的な敵は存在するのか、またそれは具体的に誰なのか?…敵を識ることが、レーニンの巨大な衝撃力の秘密であった。…すなわち現代のパルチザンは本来的に非正規なものになり、またそれによって既存の資本主義的秩序の最強の否定になり、そして敵対関係の本来的な執行者に適したものになった、ということにもとづいていた」(110~113ページ)→友・敵関係において、革命イデオロギーに基づいて“絶対的な敵”を認識。
・レーニンの革命性に、毛沢東は土地的基礎付け(農村に基盤を置く)を行なった。

・技術工業的発展により核兵器等の絶滅兵器の登場→相手を絶滅し得る→相手に対して絶滅に値する道徳的無価値な存在と宣言せねば自分たちの正当性を確保できない→相手を“絶対的な敵”と規定。

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2008年9月21日 (日)

ハンナ・アレント『政治の約束』

ハンナ・アレント(ジェローム・コーン編、高橋勇夫訳)『政治の約束』(筑摩書房、2008年)

 アレントが計画していたが結局未完に終わってしまったという「政治入門」の草稿を中心に再編集した論文集。編者序文にある、アレントがセミナーで学生たちに語ったという次の言葉が印象的。「理論は要りません。一切の理論を忘れてください」。すぐに言葉をついで「それは私たちが考えることをやめるという意味ではない、なぜなら思考と理論は同じものではないからです」。

・過剰な暴力→自分たち自身を破滅させかねないのに、それでも政治とは何なのか?
「原子爆弾が発明されてこの方、私たちの不信感は、政治と政治が行使しうる暴力手段が人類を滅亡させるかもしれないという、著しく正当な恐怖に基づいている」(184ページ)。政治とは手段の領域で、その目的は政治の外部にあるという考え方→「本来そうした考え方は、政治にとって周縁的な、どちらとも決めがたい問題──すなわち政治を守るために時として必要になる野蛮な暴力とか、政治的自由が実現される前に最初に確保されねばならない生命維持のための糧食とか──なのだが、いまや生活(=生命)の維持と組織化を第一の目的とする手段として暴力を用いることによって、すべての政治的活動力の中心に躍り出たのである。危機は、いまや政治的領域が、かつては唯一それ自身を正当化するように思えたものを脅威に晒しているという点にある。このような情況では、政治の意味をめぐる問いそのものが変わってしまう。今日その問いは「政治の意味とは何か?」では、まずありえない。政治に脅かされていると感じている世界中の人々にとって、自他に向けて発するはるかに適切な問いは次の通りだ。「政治はいまなお何らかの意味を持っているか?」」(182ページ)。

・複数性→多様な視点、その前提として自由
古代ギリシアのポリスにおける討論→「…決定的な要素は、人が議論を一変させたり主張を覆したりすることができりょうになったということではなく、話題をさまざまな側面から──すなわち政治的に──偽りなく見る能力を身に着けたということであり、またその結果として、人々は現実世界から与えられる多数の可能な観点を引き受ける仕方を理解して、まったく同一の話題がそれらの観点から考慮されうるようになり、それらの観点において、それぞれの話題が、それぞれ同一であるにもかかわらず、非常に多様な見解のもとに見えてくるということである。…同一の事柄を多様な立場から見る能力は人間世界の内部に在り続けるのだ。つまり、それは生まれつき(by nature)持っている立場を、同一の世界を共有している他の誰かの立場とやりとりすることに尽きるのである。…説得を通して他者に影響を与えること、それこそポリスの市民が互いに交流するやり方だったが、そのためには、精神的にも身体的=物理的(フィジカル)にも自分自身の立場や視点に絶対的に縛られてはいない、ある種の自由が前提とされていたのである。」(199ページ)

・複数性=世界→政治の意味
(※以下の引用は長くなりますが、とりわけ感銘を受けながら読んだ箇所です)
「…ある事柄は、それがすべての側面で現れ認識されうる限り、感覚的世界と歴史的‐政治的世界の双方においてリアルであるというのがほんとうなら、リアリティをさらに真実らしくさせ、たしかに長続きさせるためには、個人や民族の複数性、そして立場の複数性がつねに存在しなければならない。言い換えるなら、世界は複数の観点(パースペクティヴズ)が存在するときに限って出現するのだ。つまり世界は、いついかなる時でも、こんな風にもあんな風にも見られる場合に限り、初めて世俗的事象の秩序として現れるということである。もしある民族や国民が、または世界におけるそれ独自の位置──その由来はともあれ、簡単には複製されえない位置──から発するユニークな世界観を持っているある特定の人間集団が、絶滅させられるなら、それは単に一つの民族なり国民なりが、あるいは一定数の個人が死滅するということではなく、むしろ私たちの「共通世界」の一部が破壊されるということであり、今まで現れていた世界の一側面が二度と再び現れえなくなるということなのである。それゆえ、絶滅は一つの世界の終わりというだけではなく、絶滅を行う側もまた道連れにされるということでもあるのだ。厳密に言えば、政治の目的は「人間」というよりも、人間と人間の間に生起して人間を越えて持続する「世界」なのである。…互いに何かしら個別的な関係を持ち合いながら世界に存在する民族の数が多ければ多いほど、それらの間に生起する世界の数もますます多くなるし、世界はますます大きく豊かになるだろう。ある国家の中に世界を──すべての人々に公平に見え隠れする同一の世界を──見るための観点の数が多くあればあるほど、その国家は世界に対してますます意義深く開かれたものになるだろう。他方で、万が一地球に大地殻変動が起きて、あとにはたった一つの国家しか残されなくなったとしたら、そしてその国家内の誰もがあらゆることを同一の観点から理解して、互いに完全に意見を一致させながら暮らすようになったとしたら、世界は、歴史的‐政治的意味では、終焉したことになるだろう。…掛け値なしの意味で、人間は世界が存在するところでしか生きてゆけないし、また世界は、掛け値なしの意味で、人類の複数性というものが、単一の種の単なる数的増加以上のものであるところでしか、存在しえないのである。」(206~207ページ)

 編者序文によると、アレントは、ある事件について考えることは“それを思い出すこと”であり、忘却は私たちの世界の有意味性を危険に曝すことになる、とも語っていたという。もちろんホロコーストが念頭に置かれているわけだが、ユダヤ人に限らず、どんな民族もどんな個人も、それぞれがかけがえのない有意味な存在=複数性として世界を構成しているというメッセージとして理解できるだろう。

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2008年9月20日 (土)

ウイグル問題についてメモ④

 長くなったので二つに分けました。

 水谷尚子「胡錦濤が最も恐れるウイグル人、激白す」(『諸君!』10月号)は中国政府によって投獄され、トルコに亡命したアブドゥカディル・ヤプチャン氏からの聞き書き。同じく水谷尚子「ウイグルの襲撃事件はテロか──民族運動を知らない日本人の知的怠慢」(『Voice』10月号)では、北京オリンピック前後に新疆で相次いだ事件を分析している他、東トルキスタン民族運動の内部事情が整理されている。だいぶ問題含みのようで、読みながら少々複雑なわだかまりを感じてしまった。

 アブドゥカディル氏の話を読んでいると、中国の公安当局による苛酷な弾圧と、それへの反発としてますます漢人への憎悪が深まってしまう負のスパイラルに暗澹とした気持ちになってしまう。同時に感じたのは、“暴動”という形を取らざるを得なかった人たちのやむを得ない心情の哀しさ。

 エリート層のように抗議の意志を洗練された方法で表現できる立場にないがために、直接行動を取るしかない人たちがいる。人は、置かれた立場の中で自分のできることしかできないから、良いか悪いかとはまたレベルの異なる問題だろう。しかし、“暴動”という形を取ると、当局から“テロ”とレッテル貼りされるきっかけになってしまう。やむを得ない怒りが動機であっても、政治の論理に絡め取られてしまい、彼らの心情は完全に脱色されて、私たちのもとにニュースとして届く時にはテロ云々という一般論の中に埋没してしまう。“暴動”という表面的な形だけがクローズアップされて、ではなぜそうならざるを得なかったのかという背景や心情までは外にはなかなか伝わりづらい。

 聞き書きは、研究上の第一次史料としてもちろん重要だが、それ以上に、スカスカした一般論に押し込められてオミットされかねない肉声の微妙なニュアンスを伝えていく、そうすることで政治を考える視点に奥行きを持たせていく。肉声が聞こえてこないと、妙な観念論ばかりが遊離して(場合によっては政治的思惑も絡んで)、当事者の思いとは全く違う方向に事態がそれてしまう恐れがある。「ウイグルの襲撃事件はテロか」の最後、右・左を排して、小さき声を丹念に拾い続けながら仲介者の役割を果たしたい(「梶ピエールの備忘録。」で引用されています。普段は『Voice』なんて読まないのですが、こちらで水谷論文のことを知りました)という水谷氏の決意はまさにそこにあるのだろう。とても貴重な仕事だと思う。

 なお、水谷氏が以前に研究されていた栄一六四四部隊(南京にあった、いわば七三一部隊の兄弟部隊)についての論考を読んだことがある。人体実験に関わった医師のもとにインタビューに行くのだが、彼は核心的なことは何も語らない。ただ、彼がふと漏らした言葉から、この人はこの人なりにひょっとしたら後悔を抱えているのかもしれない、そう感じたというところが私には印象的だった。人体実験は無論忌むべきことである。だが、そのこととはまた別に、一律な判断基準で相手を断罪してしまわないで、一人一人の抱えているものを見つめようとしている。水谷氏はそうした感性を持っていればこそ、偏見を持たずに相手の話を聞き取ることができる。ウイグル人とも漢人とも話し合えるし、仲介者として漢人側に問題の理解者を増やしていくことはできるはずだ。地道な努力が必要だが、そこにこそ可能性を見出せると思う。

 酒井啓子「ウイグル問題を歴史の視点から見る──大陸の進出のためだった日本のイスラーム研究」(『週刊東洋経済』2008年9月20日号)は、「回教」という表現に込められた戦前期日本のイスラーム認識に着目。この表現で対象とされているのは主として中国のイスラームであり、“大日本帝国”のアジア進出のためのコマとして「回教徒」を動員するという国策上の思惑からイスラーム研究が進められていたことを指摘する。

 同様の問題意識を持つ研究として、坂本勉編著『日中戦争とイスラーム──満蒙・アジア地域における統治・懐柔政策』(慶應義塾大学出版会、2008年)がある。戦前期日本においてイスラーム認識が格段に深まった点では画期的でありつつも、同時にその調査・研究が国策的支援を受けたものであった二面性をテーマとした論考を集めている。

 メルトハン・デュンタル「オスマン皇族アブデュルケリムの来日」によると、1931~1934年の新疆反乱(→東トルキスタン・イスラーム共和国成立)に際して、日本側にはオスマン皇族を“トルキスタン皇帝”に擁立して傀儡国家とする計画があったという。溥儀を連れてきて満州国(1932年)をつくったり、デムチュクドンロブ(徳王)を押し立てて蒙古連合自治政府(1939年)をつくったりというのと同じ発想だ。ただし、トルコ政府はこうした動きがオスマン帝国の復活につながることを懸念しており、在日トルコ系コミュニティにおけるアブデュルケリム招請派の分断を図ったり、東トルキスタン共和国崩壊後にアフガニスタンへ亡命した関係者に日本との関係を慎むよう勧告したりと、対抗策をめぐらしていたらしい。

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ウイグル問題についてメモ③

 ウイグル問題関連で最近読んだ論考についてメモです。

 加々美光行『中国の民族問題──危機の本質』(岩波現代文庫、2008年)。『知られざる祈り──中国の民族問題』(新評論、1992年)の改訂版だが、大幅に書き換えられているようだ。ウイグル問題にも多くのページが割かれている。読みながらとったメモを箇条書きすると、
・二十世紀初頭、梁啓超が「中国民族」「中華民族」概念を提唱、これを受けて孫文も「中華民族」形成を主張→「中華=中国世界=天下」観念と近代的「国民国家」観念が重ねあわされる→他民族の「漢人化」
・漢人以外の民族の離脱は、「中国国家」からの離脱というよりも、「天下=中国世界」からの離脱を意味し、漢人の世界を否定されたように受け止められる。
・イスラームもチベット仏教もそれぞれ普遍的な「世界」観念を持つ。また政教合一の傾向→中国政府は大量動員を恐れて政教分離を求める→内発的契機を欠いた強制的な政教分離には厳しい監督・干渉が伴う
・少数民族は居住区域での自治のみ許される(区域自治)→分離権なし(ソ連邦型とは異なる)→連邦制の主張は「分離主義者」として糾弾される
・1954年から、新疆生産建設兵団(屯田兵みたいなもの)→漢人の入植→摩擦
・百家争鳴・百花斉放→トルコ系民族幹部も民族自決権を含めた要求を出した→「地方民族主義」批判→再び漢人大量入植、遊牧民の定住化、人民公社化→トルコ系民族の相次ぐ反乱、ソ連領への越境逃亡
・中ソ対立、越境逃亡者の増大(→ソ連領カザフ共和国で自由トルキスタン運動)→中国政府は新疆への圧力を強化
・階級史観→「遅れた」地域に先進的プロレタリアートを派遣→実際には、「先進的な」漢人が「後進的な」他民族を「指導」という図式→民族的差異解消とは言いつつ同化圧力
・中国国内で、先進民族(漢人)と前近代的な少数民族という対比→実は、近代化論と同じ図式があるからこそ、少数民族の伝統が無視されている
・現在の中国ではもちろん階級史観などとらないが、国民市場的統合という形で同化圧力
・上海協力機構→「反テロリズム」という名目で周辺諸国と安保協力→東トルキスタン独立運動の「国際問題化」を防止

 『環』第34号(2008年夏、藤原書店)で「多民族国家中国の試練」の特集。チベット関連の議論が目立つ。

星野昌裕「国家統治システムの再検討を迫られる中国」から民族問題の論点をメモ。
・当初、毛沢東は「中華民主共和国連邦」も考えていたが、対外的安全保障優先のため連邦制の考えを放棄→民族区域自治制度(“民族自治”と、その区域内で漢族も含めた諸民族の平等を強調する“区域自治”のバランス)→実質的な権限は漢人→形骸化
・中国政府は、自国の民族問題を内外の民族運動が連携して国家統合に挑戦する意図を持つ「敵対矛盾」と認識
・少数民族も中華民族の一部であることを強調、漢語学習の強制

若林敬子「人口から見た多民族国家中国」からウイグル問題絡みの論点をメモ。
・旧ソ連圏での独立国家誕生→中国政府の懸念
・新疆には、開発・国境防衛の名目で大量の漢族移住(とりわけ北疆)、正規の人民解放軍の他にも「生産建設兵団」→実質的に漢族支配
・漢族とトルコ系民族との通婚はほとんど見られない
・イスラーム系民族にとって産児制限政策への反発が強い
・南疆の和田(ホータン)地区では、高出生率・高離婚率・初婚年齢の若年齢などの人口動態上の特徴が目立つ

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2008年9月19日 (金)

ジョルジョ・アガンベン『例外状態』

ジョルジョ・アガンベン(上村忠男・中村勝己訳)『例外状態』(未来社、2007年)

・カール・シュミットの有名なテーゼ「主権者とは例外状態に関して決定を下す者」→『政治神学』の記事参照。
・公法と政治的事実とのあいだ、また法秩序と生とのあいだにある、この無主の地の探究が本書の目的。
・グアンタナモに捕らえられたタリバーンの兵士→戦争捕虜でもなく、囚人でもない→事実としての無限定な拘留者であるに過ぎない、という問題点。例外状態は、政治システムに統合できない人々の物理的除去を可能にしてしまいかねない。合法的内戦、世界的内戦。
・例外状態について公法学者たちは検討してこなかった→政治の問題と考えた。「必要は法律をもたない」という格言。
・「近代の例外状態は、事実と法=権利とが合致するような未分化の領域を創り出すことによって、例外それ自体を法秩序のなかに包摂しようという試み」(55ページ)。「法秩序の外にあり、しかしまた法秩序に属している。これこそは例外状態の位相幾何学的な構造」(70ページ)
・例外状態→法的規範と現実的な強制力とを分離、アノミー(規範の弛緩・欠如した状態)→法的規範の保留、無効→むき出しのありのままの現実を規範化してしまう。
・「…例外状態というのは、そこにおいて適用と規範が互いの分離を提示しあい、ある純粋な法律‐の‐力によって、その適用を停止されていたある規範を実現する──すなわち、適用を停止することによって適用する──ことがなされるようなひとつの空間が開かれている状態である。このようにして、規範と現実の不可能な結合、そしてその結果としての規範的な領域の創出が、例外という状態において、すなわち、それらの連関を前提することをつうじて、操作されるのである。このことは結局のところ、ある規範を適用するためにはその適用を停止し、ひとつの例外を創り出す必要があるということを意味している。いずれにせよ、例外状態は、論理と実践が互いを決定不能状態にし、ロゴスをもたない純粋の暴力がいかなる現実的指示対象ももたない言表内容を実現するふりをしている、ひとつの閾の存在を印づけているのである。」(82ページ)
・例外状態は独裁ではなく、法の空白。イタリアのファシズム体制も、ドイツのナチズム体制も、いずれも現行憲法(アルベルト憲法、ヴァイマル憲法)を存続させたまま、法的には定式化されなかったが、例外状態のおかげで合法的憲法と並立する第二の構造物をつくり上げた。「法学的観点からこのような体制を正当化するのには「独裁」の用語はまったくふさわしくないし、そのうえ、今日支配的となっている統治パラダイムの分析にとっても、民主主義‐対‐独裁という干からびた対立図式は道をまちがったものと言わざるを得ない。」(97ページ)

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2008年9月18日 (木)

カール・シュミット『政治的なものの概念』

カール・シュミット(田中浩・原田武雄訳)『政治的なものの概念』(未来社、1970年)

 箇条書きメモ。カール・シュミットの議論に賛成するかどうかは別として、盲点に容赦なく切り込んでくるところが刺激的で興味は尽きません。

・政治現象固有の指標は何か? 有名な“友‐敵”概念。「政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的区別とは、友と敵という区別である。…それが他の諸標識から導き出されるものではないというかぎりにおいて、政治的なものにとって、この区別は、道徳的なものにおける善と悪、美的なものにおける美と醜など、他の対立にみられる、相対的に独立した諸標識に対応するものなのである。…政治上の敵が道徳的に悪である必要はなく、美的に醜悪である必要はない。経済上の競争者として登場するとはかぎらず、敵と取引きするのが有利だと思われることさえ、おそらくはありうる。敵とは、他者・異質者にほかならず、その本質は、とくに強い意味で、存在的に、他者・異質者であるということだけで足りる。…友・敵といったような特殊な対立を、他の諸区別から分離し、独立的なものとしてとらえることができるという、この可能性のなかにすでに、政治的なものの存在としての事実性、独立性があらわれているのである。」(15~17ページ)

・「敵とはただ少なくとも、ときとして、すなわち現実的可能性として、抗争している人間の総体──他の同類の総体と対立している──なのである。敵には、公的な敵しかいない。なぜなら、このような人間の総体に、とくに全国民に関係するものはすべて公的になるからである。敵とは公敵であって、ひろい意味における私仇ではない。…政治的な意味における敵とは、個人的ににくむ必要はないものであり、私的領域においてはじめて、「敵」、すなわち自己の反対者を愛するということも意味をもつのである。」(18~19ページ)

・“敵”概念があるかぎり、戦争は常に現実的可能性をもつ→重大事態をふまえての結束だけが政治的→例外事態も含めて常に決断が必要→“主権”をもつ単位(例外状況における決断については、カール・シュミット『政治神学』の記事を参照のこと)

・異常事態において規範なし→対外的には国家の交戦権は自国民に死の覚悟、敵の殺戮という二重の可能性を命じる。対内的には内敵宣言。生殺与奪の権。

・ある個人なり国家なりが、自分たちに敵などいない、と宣言して武装解除しても無意味→「もしも、一国民が、政治的生存の労苦と危険とを恐れるなら、そのときまさに、この労苦を肩代わりしてくれる他の国民が現れるであろう。後者は、前者の「外敵に対する保護」を引き受け、それとともに政治的支配をも引き受ける。このばあいには、保護と服従という永遠の連関によって、保護者が敵を定めることになるのである。…一国民が、政治的なものの領域に踏みとどまる力ないしは意志を失うことによって、政治的なものが、この世から消え失せるわけではない。ただ、いくじのない一国民が消え失せるだけにすぎないのである」(59~61ページ)

・あらゆる政治理論は、性悪説にせよ性善説にせよ、何らかの形での人間本性を前提している。

・“自由主義”“平和主義”と言っても、非好戦的なのは用語法だけにすぎない。「…このいわゆる非政治的な、さらには一見反政治的でさえある体系は、既成の友・敵結束に奉仕するか、さもなければ新たな友・敵結束にいきつくものなのであって、政治的なものの帰結からのがれることなど不可能なのである。」(102~103ページ)

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2008年9月17日 (水)

アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?──モダニティの帰結』

アンソニー・ギデンズ(松尾精文・小幡正敏訳)『近代とはいかなる時代か?──モダニティの帰結』而立書房、1993年

 ここのところ色々と面倒くさいので、前回同様に箇条書きメモです。ギデンズの議論は、“脱~”→“再~”という循環性の中で錯綜する状況を捉え返していこうとするところに特徴がありますね。

脱埋め込み
・時間と空間の均質化・分離→個人一人一人の活動が地域ごとの特定の脈絡に「埋め込まれていた」状態から解き放たれる→無限に拡大された時空間の中で社会関係を再構築。
・抽象的システム・専門家システムへの“信仰”(なぜ飛行機が飛ぶのかという原理を知らなくても、我々は飛行機を利用する)や貨幣(時間・空間の括弧入れ)→時空間拡大の手段

再帰性
・「再帰性は、システムの再生産の基盤そのもののなかに入り込み、その結果、思考と行為とはつねに互いに反照し合うようになる。日常生活で確立された型にはまった行いは、「以前なされた」ことがらが、新たに手にした知識に照らして理に適うかたちで擁護できる点とたまたま一致する場合を除けば、過去とは本来的に何の結びつきももたない。あるしきたりを、それが伝承されてきたものであるという理由だけで是認することはできない。伝統は、伝統によってはそれ自体の信憑性が検認できない、そうした知識に照らしてのみ正当化することが可能である。この点は、習慣自体がもつ惰性とあいまって、たとえ近代の最も進んだ社会においてさえ、伝統が引きつづき何らかの働きを果していることを意味する。しかし、伝統の果たす役割は、現代の世界での伝統とモダニティとの融合に着目する論者が想定するほどには、概して大きくはない。なぜなら、正統と認められている伝統は、見せかけの衣をまとった伝統であって、その存在証明(アイデンティティ)を近代の有する再帰性からのみ得ているからである。」(55ページ)
(※エリック・ホブズボームたちの『創られた伝統』も同様の議論)
・社会科学の研究成果は一般の人びとにも摂取される→「モダニティの示す再帰性は、体系的な自己認識が絶えず生成されていくことと直接関係するため、専門家の知識と一般の人びとが行為の際に用いる知識との関係を固定化しない。専門的観察者の求める知識は(何らかに、また多様なかたちで)その認識対象と再び一体化し、それによって(原理的にも、また通常、実際にも)その認識対象を変えていく。」(63ページ)
(※エコノミストが年頭の景気予測がはずれた時、自分の予言が適切だったからこそみんな違う投資行動を取った、その結果としてはずれたのだと言い訳をする小話を思い浮かべた)

信頼と存在論的安心
・確かにあり得る不安であっても度を越した不安(いわゆる“杞憂”ってやつですね)→精神分裂的にも見えるが、他の「普通の人びと」がこれを変だと思うのは、幼少期から“信頼”という予防接種を受けているから。
・「…人間以外の対象の信憑性にたいする信頼は、一人ひとりの人間の信憑性や養育にたいする、もっと原初的な信仰にもとづいている。他者にたいする信頼は、絶えず繰り返して生ずる心理学的欲求である。他者の信憑性や高潔さから確信を引き出すことは、熟知している社会的、物質的環境で経験に付随して生ずる、いわば情緒の再成型である。存在論的安心と型にはまった行いは、習慣という浸透性の強い影響力を介して、本質的に結びついている。…日々の生活の(一見)こまごました型にはまった行いの予測可能性は、心理学的安心感と深く関係している。そうした型にはまった行いが──いかなる理由からであれ──損なわれた場合、不安は、洪水のように押し寄せて、一人ひとりのパーソナリティの揺るぎなく確立された諸側面をさえ剥ぎ取って、つくり変えていくかもしれない。」(124ページ)
・前近代において偶然的なリスクを伴う環境→“信頼”を伴う関係状況で対処:①親族、②地域共同体、③宗教、④伝統(時間的な連続性を生活パターンとして定式化→存在論的安心感に寄与)→これらは脱埋め込み・再帰性により弱体化→モダニティにおいてリスクは査定可能で、不可避的運命とは捉えない。
・脱埋め込みと同時に、再埋め込み→近代は非人格的システムが生活世界を覆いつくしていくというイメージは正しくない(176ページ)。他者との親密性はかつて場所的特性の中にあったが、現在は距離を隔てても可能。
・モダニティにおいては、自己実現がアイデンティティの基盤。

ジャガノート、ハイ・モダニティ(ポスト・モダンではない)
・モダニティは、操縦の極めて困難な大型トラック・ジャガノートが暴走しているようなもの。
・グローバル化したリスク→専門家知識の限界。
・社会的知識の循環性→社会的環境の機能に対して次々と新たな知識が投入されてくる(現状分析→新しい理論という形で。たとえば、投機市場なんか特徴的でしょう)→安定不変の社会的環境は形成できない。
・「近代という時代を創りだした人びとは、先在するドグマにとって代わり確信できるものを捜し求めたとはいえ、近代の時代気質のなかには、実際上、懐疑心が制度化されている。…近代においては、知の主張はいずれも本来的に循環していく。」(218ページ)
・「…グローバル化のもたらす不安定な帰結は、モダニティの示す再帰性が循環的なものであることと相まって、リスクと偶然性がいまだかつてない特質を呈するような事象世界を形づくっていく。…グローバル化は、ローカルな極とグローバルの極の両端で、人びとを、変動の複雑な弁証法の構成要素として、規模の大きなシステムに結び付けていく。しばしばポスト・モダンというレッテルを貼られている現象の多くは、実際には歴史上類例をみないかたちで目の前にあるものとないものとが混在する世界に生きることの経験と関係している。モダニティの示す循環性が定着していくにつれて、進歩は内容を欠いていき、また、横のレヴェルでは、「ひとつの世界」に生きることが必然的にもたらす日々流入する情報の量は、時として圧倒的なものになりうる。しかし、それは、文化の崩壊や、自我が中心性を欠いた「記号世界」のなかに分解していくことの表出では《ない》。それは、重大な帰結をもたらすリスクにみちた、気のもめる舞台背景のもとで展開する、自我と地球規模の社会組織との同時変容の過程である。」(219ページ)

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2008年9月16日 (火)

ジョック・ヤング『後期近代の眩暈──排除から過剰包摂へ』

ジョック・ヤング(木下ちがや・中村好孝・丸山真央訳)『後期近代の眩暈──排除から過剰包摂へ』(青土社、2008年)

文章にまとめるのが面倒くさくなったので、以下、だいぶ雑ですが箇条書きでメモ。

日常生活の脱埋め込み(ギデンズやバウマンの著作を読むとよく出てくるキーワード。disembeddingの訳語らしいが、ちょっとイメージがわきづらい)
・文化・諸制度への埋め込み(ある枠組みの中に自分自身が組み込まれているという感覚)から外れて流動化。選択肢が増えた、自由だという感覚と同時に、存在論的不安、アイデンティティの基盤が崩れた感覚。
・「後期近代を貫くのは、社会的な場所が喪失されたイメージ、物語(ナラティブ)が崩壊し構造が不安定になるイメージである。つまり空間と文化がもはや一致しないような断片化された世界のイメージであり、ある空間が別の時空間や個々人の想像の産物と結びついたような融合物のイメージである。…いわばアノミー、無関係、無関心の荒野であり、互いを意識せず、関心ももたず、ただ勝手に漂流する原子たちの荒野である。そんな断片的かつ分断された分裂性の世界にあって、社会的連帯と人びとの結びつきの感覚はどのように生まれうるだろうか。」(328ページ)(※こうした“後期近代”のイメージは、バウマンの言う“リキッド・モダニティ”と同じ)

他者化・社会的排除
・保守派は移民や貧困層という他者に否定的な属性を投影、悪魔化、文化本質主義→反転的に自己の肯定的属性を確認→貶め
・リベラル派は、貧困層を物質的・道徳的に不利な立場に置かれたものと考えるが、隔離された対象として救済の対象→懸隔
・保守派もリベラル派も、逸脱者を周辺化→自分たち中心層の強化→二項対立という図式では変わらない。
・社会学的調査でも、被調査者に対する客観性→こうした懸隔が再生産される(ひび割れの政治学)
・他者化された人々→社会から受けた屈辱や排除に対抗するため、自己を硬化させる。自己強化の循環構造→スティグマ化と他者化のアイデンティティ・ポリティクス、否定的なアイデンティティの構築。
・二項対立を強化するのではなく、二項対立を脱構築するのが合理的な対処法。

過剰包摂
・社会的排除された人々→社会全体から空間的・社会的・道徳的に切り離されているわけではない。後期近代社会の過剰包摂的性質こそ、社会構造の最底辺にある不満を説明する上でのカギとなる。境界が曖昧になり、価値観が共有され、なおかつ生きることが報われないという矛盾が社会全体に存在。「満ち足りたマイノリティ」とそうでない人の思いとがよく似ていて、同じような欲望や情熱をもっていて、差異は本質的なものではなく、小さいからこそこうした不満が出てくる。
・「アンダークラスの生活と文化的抵抗を形づくるのは、貧困と尊重の欠如という二重のスティグマである。…社会の過剰包摂には、主流社会の成功の価値観、アメリカン(あるいは先進国)ドリームの一身の受容、消費主義的な成功とセレブリティの崇拝を伴う。まさにこの文化的統合こそが排除の屈辱という傷口に塩を塗り込めるのだ。」(96ページ)
・アンダークラス→社会の主流から排除されることで生じる相対的剥奪感→尊厳の剥奪、負け組み感覚、何者でもないこと、アイデンティティの日常的侵害。
・貧困層は富裕層から他者化されると同時に、富裕層に似てくる。貧困層がそうでない人々に近づけば近づくほど、貧困層は排除への憤りを募らせる。

・自己実現の達成こそが理想だとする個人主義。フォーディズムからポスト・フォーディズムへの移行→労働世界の解体→非正規労働市場の拡大、不安定性、アンダーグラスの増加→市場の力はより不平等で非能力主義的な社会を生み出し、市場の価値観は万人に自己責任の精神を奨励。
・脱埋め込みの感覚→アイデンティティの揺らぎ
・存在論的不安の個人的感情を修復しようとすること→本質化の訴えかけに結びつく。つまり、存在論的不安に対する解決法として本質主義(つまり、民族・宗教等の属性を自分たちの“本質”とみなす形で排他的なアイデンティティを形成してしまうこと)。
・自己が他者によって定義される→他者化された集団もまた態度を硬化させて、その押しつけられたアイデンティティを強化してしまう。
・「コミュニティの構築、あるいはその創造は、ある一面を称揚しこれ幸いと受け入れる一方、別の面を罵り、排除する物語(ナラティブ)を構築することでもある。」(333ページ)
・「アイデンティティと文化が次々と生みだされる後期近代の世界にあっては、多文化主義は、自分たちのルーツ探しや「本当の」自己の発見というまったく逆の結果をもたらす。そのような固定的な本質は、ひいては大文字の他者(プロテスタント教徒に対するカトリック教徒、非イスラム教信者に対するイスラム教信者、黒人に対する白人)と対比され、固定した差異という観念から偏見が生じるのを許してしまう。実に皮肉なことに、寛容性を求める多文化主義は、偏見と不寛容性を生みだしてしまうのである。(274ページ)
(※たとえば、マイケル・ウォルツァーなどのコミュニタリアニズムが、そのリベラルな動機とは裏腹に、かえって相互懸隔を拡大・固定化・不寛容化してしまうという批判と理解できる)
・「屈辱を受けた他者は悪魔化や劣等地位という他の場所へと追いやられ、望ましい自己は、国、宗教や階級、ジェンダーいずれかにおいて原理的に優越しているという空想の他の場所にあてがわれる。最終的にもたらされるのは自己欺瞞つまり人間らしい自発性、再帰性(リフレキシビリティ)、営為からの離脱である。だからこそ、われわれがアイデンティティの問題に注意を払い、自己の価値や自己実現化という感覚を保証しつつも他者に体系的に屈辱を与え侮辱する、本質主義の偽りの根拠に身を委ねない政治について論じることが決定的に重要なのだ。」(370~371ページ)

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2008年9月15日 (月)

適当に社会学の入門書

 見田宗介『社会学入門──人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)。越境性(なんて言うとしかめっつらしいが、つまり本当に大切なことを考えようとしたとき、分野の障壁なんて無意味ということ)、自明なものへの疑い、“魔術からの解放”(ヴェーバーの有名なテーゼだけど、直訳するとかたい。むしろ、ある種の魅惑がなくなっていくことでそっけない近代化が進むことの両義性に見田は焦点を合わせる)、理想(→リアリティを目指す)と虚構(→もはやリアリティなんて愛していない)、自我、関係の絶対性、交響圏などのキーワードで社会学を語る。感傷的であまっちょろい感じもするが、実感のこもった語り口にしようという姿勢には好感が持てる。同『現代社会の理論──情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)は、情報化・消費化をキーワードに、資源と環境、世界の半分の貧困などの問題の把握を試みる。

 内田隆三『社会学を学ぶ』(ちくま新書、2005年)は、著者自身の読書遍歴を通して大所の社会学理論を読み進める。正攻法という感じで少々かたい。

 竹内洋『社会学の名著30』(ちくま新書、2008年)。名著解説本にはつまらないものも多いが、本書はそれぞれの社会学関係書の勘所を簡潔におさえてくれていて参考になる。これは読んでみたいと思う本もいくつかあった。

 そのうちの1冊が、P・L・バーガー(水野節夫・村山研一訳)『社会学への招待』(新思索社、2007年)。物事は見かけ通りのものではない→現実暴露による幻滅が社会学の特徴。その点でで体制批判的にも見えるが、だからといって社会革命志向とも異質、なぜなら革命幻想の背景をも見破ってしまうから。社会的諸力の交差する位置に個人→社会的制度の中でアイデンティティを付与され、外圧的にも内面的にも個人は制約を受けている。しかし、そうした社会という劇場を動かしている論理を客観的に理解できるところにこそ、他ならぬ私自身の自由の可能性が見出せる、その意味でヒューマニスティックな学問なのだという結びに勇気づけられる。

 若林幹夫『社会学入門一歩前』(NTT出版、2007年)。自分があって社会があるのではなく他社とのつながりの結び目として“私”を把握すること、目的合理性のこと(ヴェーバー理解社会学の考え方ですね)、魔術化した科学技術への“信頼”によって社会システムが成り立っていること、カリスマ、欲望の模倣→他者の欲望を内面化したものとしての主体、等々と社会学の基本的な視座が平易に語られている。社会学は何の役に立つのか?→「役に立つこと」を基軸とする社会のあり方そのものを捉えかえすという指摘、学問にも取り組む人それぞれの個性が抜きがたく刻印されているから相性がある、といった指摘に関心を持った。

 『橋爪大三郎の社会学講義』(ちくま学芸文庫、2008年)。要素分解⇔綜合、この繰り返しでテーマを分析していく橋爪の語り口そのものが社会学的思考方法の生きた見本。一見当たり前な前提から出発しても論理の運び方がクリアなので説得力を持つ。単に入門書というのではなく、社会科学の小難しい議論に頭がなじんでしまって行き詰まり感があるときなど、こういう本を読み返してみると頭が解きほぐせて良いように思う。本当に良い入門書というのは、初学者にとって分かりやすいというだけでなく、その分野についてある程度分かったつもりになっている人にとっても原点に立ち返って考えさせてくれる、そういう本じゃないかな。

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2008年9月14日 (日)

「わが教え子、ヒトラー」

「わが教え子、ヒトラー」

 総統の心身は病み果てて威厳が失われている。このままでは新年の演説で国民を熱狂させることはできない──考えあぐねた宣伝相ゲッベルスにあるアイデアがひらめいた。ユダヤ人としてザクセンハウゼン収容所に入れられている往年の名俳優アドルフ・グリュンバウム教授を総統の演技指導者としてベルリンに連れてくる。“下劣な”ユダヤ人の指導を受けねばならないとなれば、総統の心中に憤怒がわきおこり、演説に再び迫力が出るはずだという計算。ところが、ゲッベルスの思惑とは裏腹に、グリュンバウムの演技指導で孤独な内面を吐露し始めたヒトラーは、むしろ彼に信頼を寄せるようになる。原題、Mein Führerには、「我が総統」という意味合いと同時に、ヒトラーのグリュンバウムに対する「Mein Führer=私の先生」という呼びかけとが重ね合わされている。

 第三帝国の官僚制が戯画化されていたり、ゲシュタポのヒムラーが変な格好していたり(脇役だが、俳優さんはこの演技で何か受賞したらしい)とコミカルなテンポで進む。偽者ヒトラーの演説で最後をしめくくるのはチャップリン「独裁者」の本歌取りか。ヒトラーもの映画で定番のテーマは、独裁者の孤独(悪逆非道な奴の人間性を肯定するなんてけしからん、という意見もありますが、とりあえずおいておきましょう)。この映画でも、独裁者としての威厳を求められて内面をさらけだせない彼の苦悩、それをマジックミラーごしに見る側近たちのある者は笑い、ある者は心配から憤るというシチュエーションを通して浮き彫りにされている。「ヒトラー 最期の12日間」(2004年)では敗戦を目前にして、部下たちが次々と離反していく孤独が描かれていた。アレクサンドル・ソクーロフ監督「モレク神」(1999年)で描かれていたのは、独裁者でもどうにもならぬ死にひとり恐れおののく姿(ただし、ソクーロフの映画は史実としてのヒトラーというよりも、彼に仮託して神話世界的なイマジネーションを広げているものと私は受け止めた。昭和天皇をモデルにした「太陽」についても同様に考えている)。

 ヒトラーもの映画ではメノ・メイエス監督「アドルフの画集」(2003年)が私は好きだ。W.W.Ⅰ終結直後のバイエルン。不器用で傷つきやすい芸術家崩れの青年アドルフ・ヒトラーと、彼の才能に目をつけたユダヤ人画商とのすれ違ってしまった愛憎を描く。アドルフのスケッチを見た画商は「マリネッティなんて目じゃない、君こそ新しい未来派だ!」と絶賛。そこにあるのは、十数年後に具現化することになるナチスの衣装や建築などのイメージ。アドルフの傷つきやすさと、それが反転したルサンチマンが放っておけない感じで、ユダヤ人画商とのすれ違いには、歴史のイフのような話以前に哀しさが身につまされた。

 なお、「わが教え子、ヒトラー」の主演ウルリッヒ・ミューエは惜しくも昨年に亡くなられたという。「善き人のためのソナタ」(2006年)での渋い感じに私は好感を持っていたので残念。

【データ】
原題:Mein Führer: Die Wirklich Wahrste Wahrheit über Adolf Hitler
監督・脚本:ダニー・レヴィ
2007年/ドイツ/95分
(2008年9月14日、渋谷、Bunkamura ル・シネマにて)

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2008年9月13日 (土)

国立新美術館「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」Bunkamura ザ・ミュージアム「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」

 9月に入ってから色々とバタバタしておりまして、ご無沙汰いたしておりました。ようやく再開です。

国立新美術館「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」

 国立新美術館へ来たのは初めてだ。すぐ隣は政策研究大学院大学、こことの境あたりに美術館の別館がある。このあたりにはかつて旧歩兵第三連隊の兵舎があり(二・二六事件の部隊もここから出発した)、戦後は東大の生産技術研究所として使われていたそうだ。そのほんの一部分だけが保存されているのだが、美術館側から見るとその背面は全面ガラス張り。黒川紀章のやることは意味がよく分からない。館内に旧兵舎の模型がある。「日」の字型の配置が特徴的。確か、旧台湾総督府(現・総統府)がこの形だし、無料招待券があるからと呼んでくださったM先生によると上海でも「日」の字型の旧海軍兵舎を見たという。“大日本帝国”の威光を示す建築様式ということでしょう。

 さて、目的の「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」。静物画というテーマ自体が地味だし、全体的に黒を背景とした作品が多いので華やいだ感じは全然しない。静物画→動かない→死のイメージにつながるのか、狩られた獲物とか、vanitas=虚栄をテーマとしたものとかが目立つ。だけど、正直なところ、ちょっと退屈だったかな…。5年ほど前に東京藝術大学附属美術館でやはりウィーン美術史美術館の展覧会を見たことがある。その時はブリューゲルの群衆画とかアルチンボルドの変な顔とかあって割合に面白かった記憶があるのだが、今回は出品内容が全く違う。M先生は、スケベじじいが女小間使いの胸を触っている絵を指さし「これが一番好き」とのこと。先生の奇抜な(?)着眼点に改めて感服した次第。

 蛇足ながら、去年、台北の故宮博物院に行った折、館報の『故宮文物』を買ったらウィーン美術史美術館の特集があった。私の行った前後の時期に展覧会をやっていたらしい。ウィーン美術史美術館には何のこだわりもないのだが、不思議と縁があるのも妙なもの。

Bunkamura ザ・ミュージアム「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」

 「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」に比べると、こちらの方が彩り華やかで人物の表情にもドラマがあって、見ていて楽しかった。「ローリーの少年時代」、青白く線の細そうな少年が船乗りの話に食い入るように聞き入っている姿は気になった。将来どうなるかは分からないにせよ、原点としてこういう純真さがあるんだなあ、などと思いつつ。

 今回の目玉「オフィーリア」にもやはり見入ってしまう。口を半開きにどこか惚(ほう)けたような表情と周囲の緑との対比が幻想的。変な話になってしまうが、先日、M先生から荒俣宏『衛生博覧会を求めて』(ぶんか社、1997年)を薦められて読んだばかり。この本に「解剖されたウェヌス」という人体解剖人形の写真があり、とろんと眠たげに惚けた表情のなまめかしさが不思議と美しく印象に強かった。その解剖人形の表情がこの「オフィーリア」と私の頭の中でダブってしまい、振り払おうとするとますます同じに見えてきてしまう。両方とも死体だからと言ってしまえばそれまでだけど、M先生の悪い影響には気をつけないと。

 「露にぬれたハリエニシダ」が一番好きだ。朝靄のかかった木立の中、白く消え入りそうな緑の濡れたような色合い。この画面の中に自分も入り込んで一緒に消えてしまいたいという妙な衝動が胸に渦巻く。そんな感じにぼんやり眺めているだけで心地よい。

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2008年9月 1日 (月)

東京国立博物館・国立科学博物館

 上野に行くと、私は必ず東京国立博物館に立ち寄る。とりわけ東洋館に思い入れが強い。中学生の頃に自由研究の課題で古代中国文明をテーマに選んで以来、現在に至るも毎年少なくとも2回以上は来ている。その思い入れについては、大学で考古学を志すも挫折したわだかまりも含めて以前に書いたことがある(→「博物館にまつわる思い出」の記事を参照のこと)。

 素っ気ない感じがした昔に比べると、現在の展示は工夫されていてかなり見やすくなっていると思う。本館の「日本美術の流れ」など簡にして要を得た展示となっているので外国人観光客には親切だと思うし、こまめに特集展示を入れ替えるのも良い。「震災と博物館」という特集展示では、関東大震災で崩れたジョサイア・コンドル設計の旧本館の写真を初めて見た。考古学資料が収められていた表慶館は現在補修のため閉鎖されているが、その代わり、平成館一階に設置されている考古学展示室は、モノという視点で石器時代から江戸時代まで日本史を通覧できる。

 平成館では大規模な特集展示が行なわれるが、2002年に開催された「日中国交正常化30周年記念特別展:シルクロード 絹と黄金の道」という展覧会が私には思い出深い。

 私は学生のとき、「考古学なんてやーめた」という感じになってしまったのだが、一応けじめとして卒業論文はしっかり書いた。中国新疆ウイグル自治区、タリム盆地南縁にかつて存在したオアシス・ニヤ遺跡(現在の町とは異なり、タクラマカン砂漠の中)がテーマ。発掘時期で内容を二分、前半は19~20世紀にかけて活躍した探険家オーレル・スタインの大部な報告書、Ancient Khotan(1907)、Serindia(1921)、Innermost Asia(1928)から関連箇所を抜き出してまとめ、後半は新疆文物考古研究所の紀要『新疆文物』掲載の論文や発掘レポートをもとに中共成立後の発掘成果をサーベイ。ゴミ捨て場の堆積物が層状になっていることに注目して、出土物、特に漢文文書・カロシュティ文書(スタインはもともとインド学者)の出土層位から遺跡の年代を推定することを軸にした(砂漠という特殊条件により、布や木簡、さらには人体などの有機物の保存状態が良好だった)。どうしても中国語文献を読む必要があり、第二外国語はフランス語だったので中国語は半年ほどで速習(もともと中国にも興味があったのだから第二外国語も中国語をとればよかったように今では思うが、中国語のクラスには女の子が少なそう(苦笑)という不純な動機がありました)、論文を書く作業の半分以上はとにかく中国語の辞書をめくることだった。実は、ゼミの授業には初めの1ヶ月出席しただけであとは卒業まで一度も顔を出さず、卒論テーマも指導教官に相談すらせずにいきなり提出するという今から思うと冷や汗もののとんでもないことをやっていた。幸い、名目上指導教官となってくださった先生は、とにかく自分の勉強さえしっかりやっていればそれでいい、という良い意味で古いタイプの方で(開き直ると、これこそリベラル・アーツだろう!)、卒論も、ほとんど出席しなかったゼミまでも成績はAをつけてくれて、本当に頭が上がらない。

 卒論を書くに当たって文献上でしか知らなかった出土品を、この「シルクロード 絹と黄金の道」展で初めて目の当たりにして少々感動的だった。しばらくの間、中央アジア関係のことは学生の時の自分自身のグダグダした嫌な思い出と結びついていたので目を向けたくないという時期もあったのだが、最近ではようやくその呪縛も消えつつある。

 国立科学博物館も学生の頃は時々寄っていた。自然史展示で古生物の化石とか、動物たちの剥製とか、特にグロテスクな生物のホルマリン漬けとか見るのが面白かった。改装されてから入館したのは初めてだと思うが、随分と様変わりしていて驚いた。以前よりもはるかに充実しているし、地球館で動植物を等身大に体感できる展示なんて本当に面白い。夏休み最後なのでガキどもが騒ぎまわっていて、いつもなら癇に障るところだが、ここだとむしろ一緒にはしゃぎまわりたいくらいだ。

 日本館にある、生物としての人間の形質から歴史を通覧できる展示もよくできている。昔の食生活や健康状態などは人骨から解析されるが、近年発見された江戸時代の女性のミイラもあって興味深い。ここの形質人類学的な展示と東博の考古学展示の2ヶ所を回れば、目で見る考古学概論としてたった一日でもかなりの勉強になる。

 以前は南極のタロ・ジロや渋谷のハチ公の剥製とか、アンデス文明のミイラとかもあったのだが見かけなかったな。どこに行ったのだろう?

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