原爆をめぐって
今週、ある寝つけない夜、テレビをつけたらスティーヴン・オカザキ監督「ヒロシマナガサキ」を放映していた。去年のちょうどこの時期、岩波ホールで観た(→記事参照)。ある被爆女性が語るシーンにさしかかったところだった。その方は姉妹ともに被爆、明言はされなかったが心身共に人知れぬ苦しみを抱え続けなければならなかったのだろう、妹は自殺してしまったという。「人間には、生きる勇気と死ぬ勇気と二つの勇気があるのだと思います。妹は死ぬ勇気を選び、私は生きる勇気を選びました。」この言葉は去年観た時からずっと頭に刻みつけられていた。
何で読んだのか記憶が曖昧なのだが、ある進歩的とされる知識人がこんなことを書いていたように思う。被爆体験者から話を聞いていた修学旅行生から「それでもやはり日本は侵略戦争を反省しなければいけないから仕方ないことだと思います」というセリフが出てきて、さすがの彼も唖然としたという。しかし、かく言う私だって笑えない。非核地帯構想をテーマに国際法を専攻する友人がいるのだが、彼と会うたびに、そんなの国際政治のリアリズムからはただの空論に過ぎないと議論をふっかける。その時、被爆者のことは念頭にない。もちろん、極論をぶつけることで議論を深めようという意図があるにせよ、ときどき我に返り、「自分はいま知的ゲームとして議論を弄んでいるだけだな」と上滑りした自分の言葉に嫌悪感を覚えることがある。
何と言ったらいいのか難しいけれど、型にはまった政治図式が私の頭の中にこびりついていて、それがざわつくというか妙な理屈を介在させてしまって、被爆者の抱えたつらさを素直に受け止めることができない。そうした不自然な自分自身に冷たさを感じ、もどかしく苛立ちがある。去年の夏、広島へ行き、原爆にまつわる場所を汗だくになりながら3日間かけて歩き回った。単に現場を見るという以上に、巡礼なんて言い方をするのはおこがましいが、ひたすら歩きながらこの妙なこわばりを振り捨てたいという気持ちがあった。
被爆者も高齢化しつつあるが、被爆体験の語り継ぎはやはり大切だと思う。かつては被爆体験を語ること自体が難しかった。GHQによるプレスコードがあったし(堀場清子『原爆 表現と検閲』朝日選書、1995年)、名乗り出ることで社会的差別の視線にさらされるおそれもあった。何よりも、語ること自体が、その時の悲惨な光景をまざまざと思い返すことになり、耐え難い苦痛を強いることになる。原爆をテーマとした作品では、なぜ自分だけ生き残ったのかと自責の念にかられる姿がしばしば描かれている。
「ヒロシマナガサキ」で女性が語っていた“生きる勇気”と“死ぬ勇気”。自殺を逃げだなんて言うことは絶対にできないし、生き続けるだけでも様々な苦痛があったであろうことは余人には何とも言い難い。そして、語ることには、そのこと自体に勇気が要る。十重二十重の苦しみを通してにじみ出た言葉はやはりないがしろにはできない。
核による悲劇の語り継ぎは、日本国内におけるタテの時系列だけに限定されるものではない。日本以外、いわばヨコの軸にも目を向けなければならない。例えば、中国の核実験。この場合、“語る”ことには政治的リスクを賭けた、また別の意味での勇気が必要となる。
ウイグル人医師アニワル・トフティさんの講演会を聞きに行った。中国の新疆ウイグル自治区、ロプノールの近くでは1964年から1996年にかけて46回の核実験が行なわれた。住民の深刻な健康被害に気付いたアニワルさんは調査を始めたが、イギリスの報道番組「シルクロードの死神」の取材に協力したため、政治亡命せざるを得なくなってしまった。
講演内容は主催者・日本政策研究センター発行『明日への選択』に掲載されるそうなのでそちらを参照されたい。水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年)にもアニワルさんの話は紹介されている。また、新疆ウイグル自治区での健康被害の具体的な状況について中国政府は情報公開をしていないが、高田純『中国の核実験──シルクロードで発生した地表核爆発災害』(医療科学社、2008年)が外部で入手可能なデータ(特に隣国カザフスタンでの測定値)を最大限に駆使しながら放射線医科学の立場から推計を行なっている。
アニワルさんは8月6日の広島での式典参加のため来日された。8月8日は北京オリンピックの開幕式だが、1964年、東京オリンピックの開幕式のすぐ後に中国は初の核実験を行なったことにアニワルさんは注意を喚起する。東トルキスタンの人々が漢人によって圧迫されているという政治的現実があるが、ウイグル人ばかりでなく漢人にだって被害は出ている。中国政府は核汚染はないという立場を崩さないので、こうした人々は放置されたままだ。国家的威信を誇示するために人命が軽視されている。政治問題以前に、明らかに人道問題である。情報統制の厳しさのため、放射能被害にあえぐ人々の声はなかなか外に出てこない。もし日本が“唯一の被爆国”であることを国是としているならば、政治という厚い壁に閉ざされている中でともすればかき消されかねない声を伝えようとするアニワルさんの勇気にも耳を傾けなければならないと思う。
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