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2008年8月31日 (日)

東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

 国立西洋美術館「コロー展」の次に、東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」。こちらも混んでいた。

 フェルメールの作品については真贋論争が割合と活発で、現在、真作とみなされているのは33~36点くらいらしい。この展覧会はフェルメール展とはいっても同時代のデルフト派の画家たちの作品が大半を占め、フェルメールその人の作品は7点ほどに過ぎない(「絵画芸術」も展示の予定だったが、保存状態の問題で見送られたらしい)。しかもその中の「ディアナとニンフたち」について小林頼子『フェルメールの世界──17世紀オランダ風俗画家の軌跡』(NHKブックス、1999年)は真作とは認めがたいとしている(なお、難解な批評言語によるフェルメール礼賛がかえって贋作の横行を許してしまったという本書の指摘に興味を持った)。

 とは言っても、同時代の作品もそれぞれ味わい深いし、作風としても社会背景的にも当時のオランダの雰囲気が垣間見える。ファブリティウスという若くして死んだ(デルフトの火薬庫大爆発で作品もろとも巻き込まれたらしい)画家も積極的に紹介されており、興味を引かれる。

 フェルメールの作品については、画面の構成要素を分解したパネル解説があった。たとえば、「ワイングラスを持つ娘」。ニヤついた男からワインをすすめられ、困ったような笑みを浮かべる少女。後ろにはメランコリックな佇まい(=不幸な恋愛)を見せる男の姿。少女がこちらを向いているのは、見ている者の視線(画家の眼でもあり、私たち鑑賞者の眼でもある)を意識して、恥ずかしそうに助けを求める表情だと説明されており、なるほどなあと思った。自分も絵の中の世界に取り込まれた感じがしてとても面白い。

 そう思いながら、フェルメールの作品をすべてカラーで収録している朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書、2006年)を帰宅してからパラパラめくってみると、見る者の視線を意識した表情の人物像が他にも結構ある。有名な「真珠の耳飾りの少女」(あるいは、「青いターバンの少女」)もそうだ。トレイシー・シュヴァリエ(木下哲夫訳)『真珠の耳飾りの少女』(白水社、2004年)はモデルとなった少女と画家フェルメールとの関係をテーマとした小説で、映画化されるなど話題にもなった(映画については私は未見)。見る者を画面の中に取り込んでしまいそうなあの表情の豊かさは、確かにイマジネーションを広げたくなる魅力があるものだとうなずける(実際には、モデルとなった少女の素姓は分かっていない)。

 私は「デルフトの眺望」の雲の色合いが何となく好きで、職場のパソコンのトップ画面に設定してあるのだが、格別にフェルメールのファンというわけでもなかった。今回、じっくりと見て、女性像の持つ表情の、ほんの一瞬を切り取っただけなのにそこに凝縮された魅力に改めて引き付けられている。

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