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2008年8月15日 (金)

岡田恵美子『イラン人の心』

岡田恵美子『イラン人の心』(NHKブックス、1981年)

 先日、あるイラン料理店に行く機会があった。とても居心地の良いお店で、何よりもマスターの奏でる音楽が素晴らしい。生粋のイラン人だが、日本に帰化したそうで、お名前をヒロシさん(!)とおっしゃる。気さくに楽器の説明をしてくれた。サントゥールは船の形を模した一種の打弦楽器で、鍵盤を撥で弾いて音を出す。「大きな古時計」なども弾いてくれたが、どこかもの悲しい響きが心地よい。ネイという笛はリードがなく、笛を歯に直接合わせて吹くようで、見るからに難しそう。ダーフというタンバリンのような太鼓を絶妙な手さばきで叩きながら朗々と歌い上げる声には思わず聞きほれてしまった。サービス精神旺盛で、「涙酒~」なんて歌ってくれたが、それなりにサマになるから面白いものだ。

 帰ってから思い立ち、本書を読み返した。まだイスラム革命の起こる前の王政期、日本人の姿など皆無だったテヘランに女子学生一人で留学した体験記。イラン人のアクの強さに四苦八苦する奮闘ぶりが率直に書かれているが、読んでいて嫌な感じは全くしない。そういう文化なんだな、と自然に納得させてしまうのは、やはり著者自身がイラン文化に深く愛着を持っていることが行間の端々からうかがえるからだろう。イランといえば、“原理主義”政権や核査察問題などがすぐ頭をよぎる。本書はイスラム革命前の話という点では古いのかもしれない。しかし、生活光景や文学作品から垣間見えるメンタリティーというのは、個々の政治的事件とはまた別に、長いタイムスパンの中では一貫したものがあるはずで、それが実感を込めて描かれている点ではとても良い本だと思う。

 以前に本書を読んだときに一番印象に残っていたのが、大学での古典文学の授業風景。壇上に立った教授は、講釈をたれるのではなく、古典作品を朗々と歌い上げる。学生たちはうっとりと聞きほれ、朗誦が終わるやいなや、口々に賛嘆の声を上げる。コンサート会場で熱狂するファンという形容がぴったり。イランといえば詩と歌の国なのか、とヒロシさんの歌声を聞きながら思い返していた次第。

 イランの文学といって、オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』を思い浮かべるのは安直に過ぎるかもしれないが、この四行詩そのものが私は好きなので勘弁されたい。私はもともと厭世的な気質が極めて濃厚な人間なので、『ルバイヤート』にみえる虚無の雰囲気にひかれていた。ただし、“東洋的無”みたいな妙な一般論に結び付けてしまおうとするのが私のいけないところなのだと思う。翻訳を通して理屈で読もうとすると、どうしても独りよがりになってしまう。ヒロシさんの歌声を聞きながら、たとえばこんな感じに歌い上げていけば、『ルバイヤート』の虚無感も、それと表裏一体をなすおおらかな現世肯定の明るさも同時に醸し出されてくるのだろうか、そんなこともとりとめなく考えていた。

 なお、私の手もとにある『ルバイヤート』は古くからある小川亮作訳の岩波文庫版。確か、陳舜臣さんが若き日に訳したものが最近、集英社から出たはずだが、こちらは未見。

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