「青春のロシア・アヴァンギャルド」展
「青春のロシア・アヴァンギャルド」展
ロシア帝政末期から1930年代にかけて、モスクワ市立近代美術館の所蔵品による展覧会。“ロシア・アヴァンギャルド”と一言でいっても、フォービスムやキュビスムから未来派、構成主義etc.と様々な潮流が入り乱れている。それぞれの作風の中である種の情念を噴出させている様が革命前後の時期を彷彿とさせて面白い。
マレーヴィチが純粋な抽象を追求したコンポジション、「スプレマティスム」なんて見ても、私にはちょっとピンと来ない。ただ、スプレマティスム=至高性は無対象絵画を目指していたということを解説で知ってみると、同時代の詩人トリスタン・ツァラによるダダの試みなども思い浮かぶ。そういえば、この頃のロシアには“ザーウミ”という超言語を目指した詩人たちもいた。手垢にまみれていない純粋な何かを求めて、一切の“意味”を剥ぎ取ろうとした試み。また、この頃のロシアには未来派の影響も強い。やはり同時代、未来派宣言を出したマリネッティは機械文明におけるスピードを礼賛、それは効率性というのではなく、瞬間の激しさ、瞬間の恍惚を求めていた。手垢にまみれていない純粋さにせよ、瞬間の激しさにせよ、既存体制への叛逆という政治志向と密接に結びつき、芸術家たちはボルシェヴィズムと同盟関係を組むことになる。
しかし、かりそめの蜜月が終わった後は悲惨である。ボルシェヴィズムが着々と権力の再構築を図ると、芸術家たちも統制に服するよう命じられる。マヤコフスキーの詩からは生命が失われて言葉が空回り、単なるアジテーション・プロパガンダに成り下がり、彼は酒におぼれ、果てはピストル自殺を遂げてしまう(亀山郁夫『破滅のマヤコフスキー』筑摩書房、1998年)。シャガールやカンディンスキーのように西欧に逃れることができれば幸いで、残ってスターリン時代の大粛清で命を落とした人も多いことは周知の通り。
こうやって政治の影に目がいってしまうのは私の悪い癖だが、そんな中、ニコ・ピロスマニの素朴な絵を目にしてホッとした。このグルジア人画家の名前は今回の展覧会で初めて知った。彼は専門の美術教育など受けたことはなく、居酒屋や商店の看板絵描きを生業としてグルジア各地を放浪する生活を送っていたらしい。グルジアの首都チフリス(現トビリシ)にやって来たロシア・アヴァンギャルドの画家や作家たちによって見出された。一つには、ロシアにとって辺境たるグルジアに対してオリエンタルな夢想の眼差しもあったらしいが、それ以上に、彼の素朴な色彩と筆致から手垢にまみれていない純粋さを見出したようにも思われる。絵画というだけでなく、世俗から離れた恬淡とした彼の人生態度もひっくるめて。ピロスマニという人の生涯については分からないことが多くて半ば伝説化すらされているようだが、非常に興味がひかれる。
(渋谷、Bunkamuraザ・ミュージアムにて、~8月17日まで)
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