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2008年8月11日 (月)

「敵こそ、我が友──戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」

「敵こそ、我が友──戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」

 フランス占領地域でゲシュタポとしてユダヤ人移送、レジスタンス摘発に辣腕を振るい、“リヨンの虐殺者”と呼ばれたクラウス・バルビー。彼が捕らえられ、“人道に対する罪”で裁判が行なわれたのはようやく1987年になってからのこと。戦後40年以上もの間、彼はなぜ逃げおおせることができたのか。アメリカ情報部門の協力者、ボリビア軍事政権の顧問(ボリビア潜入中のゲバラ捕殺にも関わったらしい)として第二、第三の人生を歩んだバルビーの軌跡をたどるドキュメンタリー。

 バルビー裁判をめぐって取りあえず指摘できるポイントは、第一に、フランス国内における戦争の“記憶”の問題。いわゆる“レジスタンス神話”は戦後フランスにおける国民統合の基柱をなしていたが、他方でヴィシー政権についてはタブーであったことは周知の通り。バルビー裁判の弁護人は、ヴィシー政権もまた積極的にナチスに協力していたこと、その意味でバルビー個人だけでなくフランス国家も免罪されてはならないと主張。

 第二点。終身刑の判決が出た後、バルビーがもらした「みんなが私を必要としたのに、なぜ私一人だけに責任が負わされるのか」という発言をどう捉えるか。もちろん、バルビーの犯した残酷な所業は憎むべきものである。ただ、ここで考えるべきは、ナチスという政治システムの中で彼は自らを“尋問のプロフェッショナル”として磨き上げ、その技術的ノウハウを必要とする政治体制が戦後においても存在していたこと。需要があって供給がある。従って、バルビーがいなくとも別の人間がこうした犯罪に必ず手を染めたであろうことを考えれば、彼個人の犯罪として断罪して終わらせてしまっても意味がない。

 バルビーの娘は、父は優しい人でした、と言う。普通の常識人としてのパーソナリティーと政治システムに組み込まれた犯罪行為とが残念ながら両立し得ることは、ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン』で“悪の陳腐さ”という表現で指摘されていた通りだ。また、やはりアイヒマン裁判をテーマとしたドキュメンタリー映画「スペシャリスト」のサブタイトルが“自覚なき殺戮者”となっていたことも思い返される。

【データ】
原題:Mon Meilleur Ennemi
監督:ケヴィン・マクドナルド
フランス/2007年/90分
(2008年8月10日、銀座テアトルシネマにて)

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