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2008年8月

2008年8月31日 (日)

東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

 国立西洋美術館「コロー展」の次に、東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」。こちらも混んでいた。

 フェルメールの作品については真贋論争が割合と活発で、現在、真作とみなされているのは33~36点くらいらしい。この展覧会はフェルメール展とはいっても同時代のデルフト派の画家たちの作品が大半を占め、フェルメールその人の作品は7点ほどに過ぎない(「絵画芸術」も展示の予定だったが、保存状態の問題で見送られたらしい)。しかもその中の「ディアナとニンフたち」について小林頼子『フェルメールの世界──17世紀オランダ風俗画家の軌跡』(NHKブックス、1999年)は真作とは認めがたいとしている(なお、難解な批評言語によるフェルメール礼賛がかえって贋作の横行を許してしまったという本書の指摘に興味を持った)。

 とは言っても、同時代の作品もそれぞれ味わい深いし、作風としても社会背景的にも当時のオランダの雰囲気が垣間見える。ファブリティウスという若くして死んだ(デルフトの火薬庫大爆発で作品もろとも巻き込まれたらしい)画家も積極的に紹介されており、興味を引かれる。

 フェルメールの作品については、画面の構成要素を分解したパネル解説があった。たとえば、「ワイングラスを持つ娘」。ニヤついた男からワインをすすめられ、困ったような笑みを浮かべる少女。後ろにはメランコリックな佇まい(=不幸な恋愛)を見せる男の姿。少女がこちらを向いているのは、見ている者の視線(画家の眼でもあり、私たち鑑賞者の眼でもある)を意識して、恥ずかしそうに助けを求める表情だと説明されており、なるほどなあと思った。自分も絵の中の世界に取り込まれた感じがしてとても面白い。

 そう思いながら、フェルメールの作品をすべてカラーで収録している朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書、2006年)を帰宅してからパラパラめくってみると、見る者の視線を意識した表情の人物像が他にも結構ある。有名な「真珠の耳飾りの少女」(あるいは、「青いターバンの少女」)もそうだ。トレイシー・シュヴァリエ(木下哲夫訳)『真珠の耳飾りの少女』(白水社、2004年)はモデルとなった少女と画家フェルメールとの関係をテーマとした小説で、映画化されるなど話題にもなった(映画については私は未見)。見る者を画面の中に取り込んでしまいそうなあの表情の豊かさは、確かにイマジネーションを広げたくなる魅力があるものだとうなずける(実際には、モデルとなった少女の素姓は分かっていない)。

 私は「デルフトの眺望」の雲の色合いが何となく好きで、職場のパソコンのトップ画面に設定してあるのだが、格別にフェルメールのファンというわけでもなかった。今回、じっくりと見て、女性像の持つ表情の、ほんの一瞬を切り取っただけなのにそこに凝縮された魅力に改めて引き付けられている。

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国立西洋美術館「コロー展──光と追憶の変奏曲」

国立西洋美術館「コロー展──光と追憶の変奏曲」

 土曜日、今日は上野をがっつり回ってやろうと意気込んで家を出た。

 まず、国立西洋美術館「コロー展──光と追憶の変奏曲」が日曜日で最後なので慌てて駆け込んだ。今週、ル・コルビュジエ関連の本を何冊か読み漁ったばかりなのだが、国立西洋美術館も彼の設計。当初は3つの建物で構成する公園計画を立てたらしいが、まだ高度経済成長前の日本には予算がなくて当館だけで計画は進行、彼は興味を失ってしまい、日本人の直弟子たちの指導で何とか完成させたという経緯があったそうな。

 それはともかく。朝一番に来たにも拘わらず、会期末なので非常に混雑していた。絵の前を行列がゆっくりと進んでいる。私は列をはずれ、良さそうだと思う絵のところでピンポイントで立ち止まり、行列より一歩後ろにさがって人と人のすき間から覗き込むように見る。どうでもいいのはとばすが、見たいものはじっくり見たいので、そうしないと他の人の邪魔になってしまいますから。

 森林や田園風景を描いた絵を特に見たかった。こういう穏やかな静謐感を湛えた風景画を見るとき、技法上のこととか歴史的背景とかあまり深くは考えず、ただひたすらボーっと見ていたい。風景写真を見るのとは違って、微妙な筆遣いによって、風のそよぎとか、陽射しのあたたかみ、静けさ、夕暮れ時のにおい、そういったものが不思議と想像されてくる。画集で見るのもいいけど、本物を目の前にしてるという緊張感があった方がいい。どう言ったらいいのか難しいけれど、とりとめないことを考えながら向き合っていると胸の中で何かすずやかなものが吹きぬけていく感覚をふと感じることがあって、その瞬間が体感的にたまらない。色々と鬱屈した日々を過ごしていますので、そういう瞬間で心を洗っておかないと生きていけません。

 「青い服の婦人」とか「真珠の女」とかの女性像もいいが、私は「水浴するディアナ」が好き。構図はアングルの「泉」にそっくりだけど、アングルのタッチの明確さとは違って、少しぼやけた感じに余韻があって、女性の体って本当に美しいものだなあとしみじみ感じ入る。

 風景画でも人物画でも、セザンヌ、シスレー、ルノワール、モネ、ゴーガンなどの似た構図の作品と並べて対比させるという展示上の工夫が面白い。

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2008年8月30日 (土)

平松剛『磯崎新の「都庁」──戦後日本最大のコンペ』『光の教会──安藤忠雄の現場』

平松剛『磯崎新の「都庁」──戦後日本最大のコンペ』(文藝春秋、2008年)

 鈴木都政が都庁を丸の内から新宿へ移転しようとするにあたり、1985年、新都庁舎コンペの話が磯崎新アトリエにももちかけられた。説明会に出席しようとした磯崎は、エレベーターで師匠・丹下健三と図らずも鉢合わせ、磯崎の姿を認めた丹下の不機嫌そうな態度に驚く。会場には前川國男もいた。前川はル・コルビュジエに師事、1931年の帝室博物館(現在の東京国立博物館本館)コンペで敢えてモダニズム様式のデザインを提出して落選した“近代建築の闘将”である。丹下は前川事務所に勤務していたことがあり、前川・丹下・磯崎と三世代の大物建築家が揃い踏み。東京都の財政規模は優に一国レベルに匹敵する。戦後日本最大のコンペが開幕。

 磯崎は海外での経験を踏まえて「コンペは、たったひとつの極端に突出したアイデアを捜しているのだ」と語るが、この都庁コンペはいわば減点消去法で審査が進められ、特徴のあるプランは早々に落とされてしまったらしい。丹下案が通ったことについて政治的背景があったかどうかは分からない。ところで、磯崎の提出した超高層を避けた立体格子、巨大球形の浮かぶデザインは、その後、お台場のフジテレビ本社ビルとして現出する。手がけたのは磯崎ではなく、なんと丹下であった。本書の主役はもちろん磯崎だが、“敵役”となる丹下健三という人物の魅力もしっかり描かれている。専門的な話題はかみくだかれているし、文体もユーモラス。磯崎・丹下、二人の愛憎を軸に据えた日本建築史としてとても面白かった。

平松剛『光の教会──安藤忠雄の現場』(建築資料研究社、2000年)

 茨木春日丘教会、いわゆる“光の教会”は以前にテレビで見たことがある。安藤忠雄といえばすぐに思い浮かぶのがコンクリート打ちっぱなし。十字架状に切り込まれたすき間から差し込む光は実に荘厳だった。ただし、ギリギリの低予算で工夫しなければならなかったという事情がある。安藤の創造への意気込みと施主側の期待とが必ずしも一致するわけではないし、何よりも、実際に現場に携わる人々の苦労は並大抵ではない。安藤の人柄や彼の示したイメージの魅力はもちろんのこと、現場でのせめぎ合いを通して一つのイメージが形を成していく過程を描き出したノンフィクション。

 著者自身も建築家のようだが、ノンフィクション作家としての筆力は高くてなかなか読ませる。建築というテーマで何か取っ掛かりとなる本を探している場合には、まずこの2冊から手にとることをおすすめする。

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2008年8月29日 (金)

ル・コルビュジエ『伽藍が白かったとき』

ル・コルビュジエ(生田勉・樋口清訳)『伽藍が白かったとき』(岩波文庫、2007年)

 1935年、初めてアメリカを訪れたル・コルビュジエはニューヨークの摩天楼に生々しい矛盾と活力──“仙境的破局”を見出して驚嘆する。一方では、大規模な消費文化のただ中で人々の神経はすり減らされて疲れた顔が見られ、スラムの貧困も看過しがたい。他方で、加速度的に高まるカオスに疾風怒濤の精神的爆発をも感じ取っている。

 摩天楼を見たル・コルビュジエの第一声は「小さすぎる」。住宅事情・交通事情・健康的環境の悪さ、都市の抱える様々な矛盾に対して都市行政のまずさを指摘。摩天楼をもっと高く! そうすれば居住空間は格段に広がり、交通網や緑地を整備できる。集中的かつ簡潔に都市のあり方を根本から再編成せよと言う。機械文明とカオティックな活力、両方をあわせ持った若いアメリカならできると期待を寄せる。彼の理想とする都市プランの詳細は『輝く都市』(坂倉準三訳、鹿島出版会、1968年)にまとめられている。

 中世のカテドラル(伽藍)は今では煤けて観光名所として死んだ相貌を見せるだけだが、かつて建てられた当時には溌剌とした活力に満ちあふれていたはずだ。「伽藍が白かったとき…」というリフレインが文章全体にリズミカルな勢いを持たせている。

「伽藍が白かったとき、石工たちは魅力的であろうとは思わなかった。彼らは、緊張、危険、活力、根気、偉大な理想への忠誠の高揚する中で、最も品威ある聖堂を建て、さらに建てつつあった。…基本的なこと、測りえない未知のものと取組む男たちの厳しい運命は、彼らの心や手を、頑健な、実に悲劇的な感情へと向わせたのである。それは力強い時代、新しい時代であった。人々は世界を建設していた。そして、人々が野蛮で原始的であった以上に、その建築は大胆であり、知識と力と運動、増加、生成の支配の具体的なしるしであった。こうして至上権が、聳え立つ石と技術の力によって空に刻み込まれるのだ。一致した感情が企てを支え、人々は信じていた。…死ぬ前に、なにか生き生きとした変化するものに参加したい。私は魅力的であろうとは望まない、しかし強くありたい。私は凝り固まりたくない、保存したくない、行動したい、創造したい。」(本書、78~79ページ)

 都市生活の矛盾を解決しようというヒューマニスティックな動機と、芸術としての創造への意気込み、両者の結節点として都市計画の壮大な理想を繰り広げるところが魅力的だ。もっとも、後にル・コルビュジエ以降の大規模都市計画志向は都市の雑多性を押し殺してしまうと批判されることになるが。

 ル・コルビュジエの建築は、“白い箱”という形態、外壁ではなく柱がすべてを支える(従って、壁はあってもなくても構わない→自由自在なデザインが可能な)構造といった特徴が目立つ。それは、幾何学的な立体が大地から離れて宙に浮いているような印象すら受ける。全面ガラス張りも現代の我々にはすでに見慣れたものだ。技術的進歩を積極的に活用して過去の束縛から飛翔しようというイメージは、20世紀初頭、たとえば未来派などとも共通する精神的雰囲気も感じさせる。

 越後島研一『ル・コルビュジエを見る──20世紀最高の建築家、創造の軌跡』(中公新書、2007年)は、彼の作品一つ一つの持つ意味と魅力を語りつくす。とりわけ、ロンシャン教会堂が漂わせている聖性の理屈では説明しがたいオーラについての語り口には好感を持った。ル・コルビュジエには坂倉準三、前川國男、吉阪隆正などの直弟子がいたほか、丹下健三、磯崎新、安藤忠雄、伊東静雄をはじめ彼を意識している建築家は日本でも非常に多い。越後島研一『現代建築の冒険 「形」で考える──日本1930~2000』(中公新書、2003年)は日本の現代建築の流れをたどっているが、随所でル・コルビュジエとの対比に言及されるのが興味深い。

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2008年8月27日 (水)

松本仁一『アフリカ・レポート』『カラシニコフ』他

 最近でもジンバブエのムガベ大統領による強権的な政治抑圧が世界中の注目を集めた。指導者の腐敗、絶え間ない内戦、経済効率の悪さ、そして捨て鉢になってしまう人々──。松本仁一『アフリカ・レポート──壊れる国、生きる人々』(岩波新書、2008年)やロバート・ゲスト(伊藤真訳)『アフリカ──苦悩する大陸』(東洋経済新報社、2008年→記事参照)は、ジャーナリストとして歩き回りながらアフリカ諸国の抱える問題をスケッチしている。

 こんな言い方をすると語弊があるかもしれないが、国家という枠組みへの帰属意識や公共意識がないがために人々がバラバラになって収拾がつかなくなっている状況が見て取れる(私が単純にナショナリズムを礼賛しているわけではないことは上掲書を読めばわかる)。国民のためという自覚がないから政治指導者は平気で汚職に手を染めるし、国家への帰属意識よりも部族意識を優先させるため内戦が終わらないし(植民地支配によって不自然な国境線を引かれてしまったという問題がある)、遵法精神がなければ経済も治安も悪化するばかり。アフリカ各国の政治家たちは問題点を指摘されると「それはレイシズムだ、すべては白人が悪いんだ」と論点をすりかえて建設的なことは何もやらない。それでも、崩壊国家ソマリア(→ソマリア情勢の背景についてはこちらの記事を参照のこと)内部で事実上の独立国家となっているソマリランド共和国が伝統的な部族長老たちの合議によって秩序が保たれているケースも紹介されており、決して希望がないわけではない。

 アフリカの内戦では少年・少女たちが拉致されて兵隊に仕立て上げられてしまう問題が報告されている。弾除けに使われ、仮に生きて逃げることができたとしても、精神的に安定していない時期に残酷な体験をさせられてしまったことから難しいリハビリに直面している。なぜ年端のいかぬ少年少女でも兵隊になれるかといえば、カラシニコフ銃のおかげ。構造がシンプルでパーツの組み立てがラク、悪条件でも弾詰まりしない、それに安上がり。松本仁一『カラシニコフ』(Ⅰ・Ⅱ、朝日文庫、2008年)はカラシニコフ銃の世界的な流通に着目して、暴力に翻弄される人々の姿を報告してくれる。
 
 なお、エレナ・ジョリー(山本知子訳)『カラシニコフ自伝──世界一有名な銃を創った男』(朝日新書、2008年)は、この銃を開発した男からの聞き書き。職人技としてこの銃を開発したことへの誇りが見えるだけでなく、彼自身、もともと富農の息子として共産主義体制においては不遇な生い立ちであったこと、ナチス・ドイツ軍を撃退するためにより簡便・高性能の銃を開発したいという熱意があったことなどが語られる。カラシニコフという悪名高い響きとは裏腹に、技術者としての彼が生真面目な老人であることのギャップが印象に残った。

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2008年8月26日 (火)

竹井隆人『集合住宅と日本人──新たな「共同性」を求めて』

竹井隆人『集合住宅と日本人──新たな「共同性」を求めて』(平凡社、2007年)

 人間関係の希薄さによる社会不安に対しての処方箋としてコミュニティの復活を求ようとする議論では、たとえば農村や長屋のような顔の見える関係性がなつかしげに語られることがある。私自身、東京の無味乾燥な郊外住宅地に育ったこともあり、そうした自分自身の経験したことのないウェットな共同体に憧れを持ちやすい。ただし、所詮“憧れ”に過ぎないと自覚はしているが。このようなコミュニティ復活論が単なる精神主義に陥りやすいことは本書の指摘する通りである。そもそも、自発性を基とするコミュニティを政策として作り上げようという発想自体に矛盾をはらんでいることは以前にも触れた(→ジグムント・バウマン『コミュニティ──安全と自由の戦場』の記事参照のこと)。

 安易なコミュニティ復活論に対して、住民自身による一定のルール形成を通したガバナンスによって共同性を構築しようとするところに本書の眼目がある。第一に、都市における見知らぬ他者との共同性を組み立てるために個人対個人ではなく個人対集団社会という関係を保証するルールが必要であり、第二に、妙な住民エゴに陥らないよう自分たちの集団内部で自分たち自身に制限をかけていく必要がある。両方の問題の結節点として、本書は集合住宅における自治に着目している。

 住民自身によるしっかりとした自治的共同体が並立していくというイメージを本書は持っているのだろう。住民全員の参加、熟議、私的政府といった表現を見ていると、ルソーが社会契約論の理想としたスイスのカントンを思わせる。また、いわゆる“ゲーテッド・コミュニティー”の保安機能についての少々異様なまでに積極的な擁護はカントンにおける住民全員による共同防衛も連想させる。ただ、本書で主張されている直接民主主義がどこまで可能なのか私にはよく分からない。そもそも集合住宅という生活形態はたとえその意味内容を広げたとしても果たして一般性を持つものだろうか。何よりも、個人一人一人の共同参画→自治という政治モデルは、結局、民主主義論の永遠の理想に終わってしまうだけではないだろうか。前提とされる自律的な個人主義を如何に根付かせるかという問題意識は分かるが、これもまた別種の“べき”論に終わるだけで、それほど有効な議論とも思えない。

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2008年8月24日 (日)

「胡同の理髪師」

「胡同の理髪師」

 北京、紫禁城裏手の胡同(フートン)、下町の路地裏と言ったらいいのだろうか。いまや近代的な高層ビルの建ち並ぶ北京の中で、エアポケットのように残された古い街並。役人がやって来て、一軒一軒取り壊しの印をつけて回っている。理髪師のチンじいさんは、どうせ自分が火葬場の煙となった後の話だ、と意にも介さないが、息子たちは立ち退き料が気にかかる。テレビでは北京オリンピックを控えた特別番組がうるさい。

 チンじいさんは実在の人物、素人ながらも漂々としたマイペースぶりが実に魅力的だ。じいさんのキャラクターを活かしたドキュメンタリー風の物語となっている。民国2年、1913年の生まれというからすでに90歳を超えている。民国期の軍閥指導者・傅作義や京劇の往年の名優・梅蘭芳などの散髪もしたというから年季の入りようは相当なものである。民国、中共、そして改革開放以降の高度経済成長期と文字通り一身にして三世を経ているわけで、その閲してきた星霜はじいさんの暮らす胡同と分かちがたく溶け込んでいる。

 年齢の割にはかくしゃくとしたもので規則正しい生活を送っている。午前は自転車をこいで、すでに足腰の立たなくなったお得意さんのもとを回り、午後は近所の年寄り仲間と麻雀卓を囲む。一人欠け、二人欠けていく知己のことが自ずと話題にのぼる。死顔の不精髭は仕方がないと誰かが言うと、死に際こそ身だしなみはきちんとしておかなければいけないと力説するチンじいさん。

 この人情味のある街並がギスギスとした近代化の波に呑み込まれ、崩されてしまうのは何とも残念なことである。しかし、そうした成り行きを、意志の強そうな、同時に落ち着きのある眼差しで淡々と受け止めているチンじいさんの佇まいには、諦めというのとは対極的な潔さが感じられる。街と共に、こうしたじいさんもいなくなってしまうことの方が寂しい。

 岩波ホールで上映していたのは知っていたがうっかり観そびれてしまい、シネマート六本木で上映されているのを知って慌てて駆け込んだ次第。情感のしっとりとしたなかなか味わい深い映画で、観逃さなくて本当に良かったと思う。

【データ】
監督:哈斯朝魯
2006年/中国/105分
(2008年8月24日、シネマート六本木)

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「この自由な世界で」

「この自由な世界で」

 ポーランドで人材派遣の面接を行なっているシーンから映画は始まる。人材派遣会社で働くアンジーはシングルマザーだが、子供は両親に預け、学歴はあってもコールセンターの仕事に甘んじているローズとルームシェアリングしている。ある日突然解雇されたアンジーはローズを説得して職業紹介の会社を立ち上げた。東欧からの移民労働者を工場に送り込む世話師のような仕事。子供と一緒に暮らすため生活を安定させたいと焦るアンジーは、不法移民の雇い入れに手を染めていく。

 市場原理、雇用の流動化という形でいわゆる新自由主義経済が進む中、働き方の多様性と言ってしまえば聞こえはいいが、社会的底辺に落ち込んでしまった人々が外国人労働者と職を奪い合うという状況がよく指摘される(これは往々にして排外主義に結びつきやすい)。この映画はロンドンの中でも第三世界を形成している移民たちの生活圏を舞台としている。生活を安定させようとなりふり構わず仕事を進めるアンジーが、彼女自身の意図とは別に、結果として移民たちを食い物にしてしまう姿に、そうした新自由主義経済のしわ寄せされている問題が描き込まれている。「この自由な世界で」(原題:It's a free world…)というタイトルには、人間の尊厳としての自由と、それを踏みにじりかねない自由経済という矛盾が二重写しにされている。

 同じくケン・ローチ監督の映画で不法移民というテーマとの関わりでいうと、「レディバード、レディバード」(1994年)も観たことがある。男をとっかえひっかえして他人の目には自堕落に見られてしまう女性が、南米からの亡命者と出会い、精神的に立ち直ろうとした矢先、社会福祉当局から保護者失格の宣告を受けて子供が取り上げられ、出会った男性も国外退去通告を受けてしまうというストーリー。せっかく立ち直ろうとしていたのに、不条理に見舞われてしまうやりきれなさが印象に残っている。

 ただ、ケン・ローチの映画は私にはちょっと肌が合わないという感じもしている。良心的な社会派映画を作り続けていることには敬意を持っているし、問題意識にも共感できる。ただ、図式がはっきりし過ぎて、余韻というか含蓄が感じられないというか。以前、知人から、ケン・ローチは良いよ、と薦められ、レンタルビデオ店で「大地と自由」(1995年)を借り出して観たのが私のケン・ローチ初体験。テーマはスペイン内戦。反ファッショ陣営の中でも内訌が生じて、純粋に自由を求めるアナキストたちが、スターリン主義的なコミュニストによってつぶされていく話。まあ、言いたいことは分かるんだけど、全体主義vs.自由みたいな政治図式がどうにも陳腐に感じられて退屈してしまった。くだんの知人に文句をつけたら、「バカ! 「大地と自由」は駄作だ。「ケス」を観ろ」と言われたのだが、まだ観ていない。最近、「麦の穂を揺らす風」(2006年)がカンヌで賞をとったが、アイルランド独立闘争がテーマとのことで、何となく「大地と自由」のにおいを感じて結局観に行かなかった。初体験の呪縛というのは恐いものです(苦笑)

 とは言っても、これはあくまでも私の感じ方の問題なので、ケン・ローチ作品を全否定するつもりはない。興味のある人は是非観に行けばいいと思う。

【データ】
原題:It's a free world…
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
2007年/イギリス・イタリア・ドイツ・スペイン合作/96分
(2008年8月23日、渋谷、シネアミューズにて)

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「歩いても 歩いても」

「歩いても 歩いても」

 野菜を刻み、鍋がコトコトと煮立つ音。年老いた母(樹木希林)が「あなたはいつまでたっても覚えないわねえ」と言うと、長女(YOU)がまぜっかえす、とりとめないおしゃべりが台所から聞こえてくる。開業医だったがすでに引退した父(原田芳雄)は落ち着かなげに散歩に出かける。夕方、カナカナ…と鳴く蝉の声はもう秋の近づく気配を知らせている。ふんだんに用意される料理は子供や孫たちを待ち受けているが、お盆の帰省というわけではなさそうだ。

 電車で実家へと向かう良多(阿部寛)の表情は憂鬱で、さっさと切り上げて帰っちまおうと妻(夏川結衣)にブツブツ愚痴っている。子連れで再婚した彼女の方がよっぽど緊張しているのだが、そんなことはお構いなしだ。新しい息子とのギクシャクした距離感、そして彼自身の父に対してわだかまった葛藤。

 久しぶりに一堂に会した家族、母はせっせと料理をもてなし、父は所在なげに顔を見せる。他愛ない世間話が交わされる中から、この日は15年前に事故死した長男の命日であることが徐々に窺えてくる。そして、出来の良かった長男と常に比較されてきた良多がコンプレックスを抱えていることも。

 家族といっても、一人一人が別の人格の持ち主であるのは当然のことで、それぞれに他には窺い知れぬトゲも心のうちに秘めている。だが、そうしたわだかまりは日常の中に自然に溶け込んでいるもの。それをことさらに特筆大書すればいっぱしの心理ドラマに仕立て上げることもできるが、この映画はそんな安易なことはしない。一見とぼけて人の良さそうな母が本音まじりにふともらす言葉の毒々しさが印象に残ってしまうが、それは裏表のある性格と解すべきではなく、もっと自然に受け流せるものだろう。わだかまりもひっくるめて家族の付き合いがあり、わだかまりも溶け込みながら家族の歴史がつむがれている。

 何の変哲もないおしゃべりが続くだけでストーリーに起伏はない。しかし、会話の端々から垣間見える感情が襞をなすように奥行きを持ったところにはむしろ濃縮されたドラマを感じさせ、それがこの映画の本当に良いところだ。もともと私は是枝映画のファンではあるが、この作品が一番好きかもしれない。

【データ】
原作・脚本・監督:是枝裕和
出演:阿部寛、夏川結衣、樹木希林、原田芳雄、YOU、高橋和也、寺島進、他
2007年/114分
(2008年8月17日、シネカノン有楽町二丁目にて)

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「百万円と苦虫女」

「百万円と苦虫女」

 短大を出たものの就職できず、アルバイト生活中のスズコ。ひょんな事件がもとで警察の厄介になってしまい、家にも居心地のわるさを感じた彼女は「百万円貯まったら出て行きます」と宣言。とにかく知っている人の誰もいない所へ行こうと、海の家、山間の桃畑農家と百万円貯まるたびに転々と移る。そして、ある地方都市のホームセンターのバイトで自分を理解してくれそうな青年に出会うのだが──。

 スズコは「自分探しなんてむしろしたくない」と言う。色々なしがらみをことごとくリセットして、自分自身も含めてすべてがゼロの状態のまま生きていきたいという願望に突き動かされそうになることは私などにもよくある。しかし、どこへ行ったも人間関係はできる。しがらみ、なんて言ってしまうとマイナスの意味合いになってしまうが、スズコの行く先々で彼女自身の思惑とは別に図らずも良い信頼関係ができていく様子は観ていて安心感がある。

 それこそ苦虫を噛み潰したような感じにスズコはあまり笑顔を見せない。明るくはないが、かと言って陰気でもない、所在なげに佇む姿が自然になじんでいるのは、やはり蒼井優の演技力なのだろう。最初、岩井俊二監督「リリィ・シュシュのすべて」で彼女を観たときにはあまりパッとした印象はなかった。ところが、李相日監督「フラガール」での彼女の表情の取り方を観てハッとして、「リリィ・シュシュ」を観なおし、さらに熊澤尚人監督「ニライカナイからの手紙」、大友克洋監督「蟲師」、井口奈己監督「人のセックスを笑うな」と観た。以前、宮台真司がラジオの番組で、日本映画ファンは宮崎あおい派と蒼井優派に分かれる、と話していた記憶があり、その頃の私は宮崎あおい派だったが、今では完全に蒼井優びいきだ。

【データ】
監督・脚本:タナダユキ
出演:蒼井優、森山未来、ピエール瀧、笹野高史、佐々木すみ江、他
2008年/121分
(2008年8月3日、シネセゾン渋谷にて)

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2008年8月21日 (木)

松岡洋右について

 ちょっと必要があって、松岡洋右に関わる先行研究3冊に目を通した。

 良かれ悪しかれ、国際舞台で絵になる派手なパフォーマンスをやってのけた日本の政治家というのは戦前・戦後を通じてあまり見られないが、松岡洋右などは稀有な一人だろうか。1932年、「十字架上の日本」と呼ばれるようになる大演説をぶって国際連盟総会議場を退席する姿。1940年代初め、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンらと肩を並べる姿。ちょうど映像というメディアが強い政治力を発揮し始めた時代だけに、とりわけ国連総会退場のシーンは当時の鬱屈していた日本国民の溜飲を下げさせ、松岡は英雄として凱旋する。ただし、彼自身は連盟脱退を望んでいなかった。しかし、国際情勢・国内世論、いずれの面においても彼の努力で局面を打開できる余地はなかった。政治的野心満々の松岡は、国連脱退のシーンも自らを演出する舞台に仕立て上げてしまう(当時の日本はすでに大衆社会化していたからこそ、対外硬の世論が盛り上がりやすかったことに留意すべき)。

 松岡についての伝記研究としては三輪公忠『松岡洋右──その人間と外交』(中公新書、1971年)とデービッド・J・ルー(長谷川進一訳)『松岡洋右とその時代』(TBSブリタニカ、1981年)の2冊がある。両書とも、若き日の松岡がアメリカで苦学した体験から導き出された対米観に、彼の外交姿勢の原点を見出す。すなわち、「アメリカ人に対する行動の仕方としては、たとえ嚇されたからといって、自分の立場が正しい場合に道を譲ったりしてはならない。そのためにもし殴られたら、すぐその場で殴り返さなければいけない。一度屈服すれば二度と頭を上げることができないからだ。対等の待遇を欲するものは、対等な行動でのぞまなければならない」(三輪書、36ページ)。

 松岡は日独伊ソ四国協商を目指して外交構想を練り、日独伊三国同盟(1940年)及び日ソ中立条約(1941年)を結んだ。同じく枢軸派と目される革新派外交官・白鳥敏夫が観念的な対米決戦論を高唱していたのとは異なり、松岡はむしろ対米戦争回避を目的としていたことはよく指摘される(細谷千博「三国同盟と日ソ中立条約」(『太平洋戦争への道・第五巻』朝日新聞社、1963年、所収)がこうした議論の嚆矢とされるが、私は未読)。この外交上のグランドデザインには松岡の対米観に基づくパワーポリティクスの論理が働いていたと言える。

 ただし、松岡の目論見はあっさりと外れてしまう。三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日選書、2007年)はヒトラーやスターリンという独裁者によって日本外交が翻弄される様子を活写しているが、松岡構想にとって致命的だったのはドイツ外交の二層性を見抜けなかったこと。交渉相手のリッベントロップ外相は反英親ソ路線で松岡構想にのるつもりだったが、肝心のヒトラーが親英反ソ路線、ソ連軍がフィンランド相手に苦戦しているのを見て独ソ戦を決めてしまう。熱烈なヒトラー心酔者であったリッベントロップはボスの命令に従うしかない。ユーラシア同盟をバックに対米交渉を打開しようとした松岡の外交路線は破綻してしまい、それどころか三国同盟はかえってアメリカの態度を硬化させてしまった。

 なお、三宅書では、日ソ中立条約には松岡が満鉄時代に薫陶を受けた後藤新平の新旧大陸対峙論の影響もあるのではないかとほのめかされている。

 松岡という人物の強烈なパーソナリティーのため、当時の外交政策における彼のイニシアティブという側面に目が奪われやすい。もちろん、彼の役割も重要だが、同時に当時の多角的な政治・経済・外交構造の中で松岡を位置づけ、彼の失敗の問題点を洗いなおす研究も最近は現われていることを付記しておく。

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2008年8月19日 (火)

「青春のロシア・アヴァンギャルド」展

「青春のロシア・アヴァンギャルド」

 ロシア帝政末期から1930年代にかけて、モスクワ市立近代美術館の所蔵品による展覧会。“ロシア・アヴァンギャルド”と一言でいっても、フォービスムやキュビスムから未来派、構成主義etc.と様々な潮流が入り乱れている。それぞれの作風の中である種の情念を噴出させている様が革命前後の時期を彷彿とさせて面白い。

 マレーヴィチが純粋な抽象を追求したコンポジション、「スプレマティスム」なんて見ても、私にはちょっとピンと来ない。ただ、スプレマティスム=至高性は無対象絵画を目指していたということを解説で知ってみると、同時代の詩人トリスタン・ツァラによるダダの試みなども思い浮かぶ。そういえば、この頃のロシアには“ザーウミ”という超言語を目指した詩人たちもいた。手垢にまみれていない純粋な何かを求めて、一切の“意味”を剥ぎ取ろうとした試み。また、この頃のロシアには未来派の影響も強い。やはり同時代、未来派宣言を出したマリネッティは機械文明におけるスピードを礼賛、それは効率性というのではなく、瞬間の激しさ、瞬間の恍惚を求めていた。手垢にまみれていない純粋さにせよ、瞬間の激しさにせよ、既存体制への叛逆という政治志向と密接に結びつき、芸術家たちはボルシェヴィズムと同盟関係を組むことになる。

 しかし、かりそめの蜜月が終わった後は悲惨である。ボルシェヴィズムが着々と権力の再構築を図ると、芸術家たちも統制に服するよう命じられる。マヤコフスキーの詩からは生命が失われて言葉が空回り、単なるアジテーション・プロパガンダに成り下がり、彼は酒におぼれ、果てはピストル自殺を遂げてしまう(亀山郁夫『破滅のマヤコフスキー』筑摩書房、1998年)。シャガールやカンディンスキーのように西欧に逃れることができれば幸いで、残ってスターリン時代の大粛清で命を落とした人も多いことは周知の通り。

 こうやって政治の影に目がいってしまうのは私の悪い癖だが、そんな中、ニコ・ピロスマニの素朴な絵を目にしてホッとした。このグルジア人画家の名前は今回の展覧会で初めて知った。彼は専門の美術教育など受けたことはなく、居酒屋や商店の看板絵描きを生業としてグルジア各地を放浪する生活を送っていたらしい。グルジアの首都チフリス(現トビリシ)にやって来たロシア・アヴァンギャルドの画家や作家たちによって見出された。一つには、ロシアにとって辺境たるグルジアに対してオリエンタルな夢想の眼差しもあったらしいが、それ以上に、彼の素朴な色彩と筆致から手垢にまみれていない純粋さを見出したようにも思われる。絵画というだけでなく、世俗から離れた恬淡とした彼の人生態度もひっくるめて。ピロスマニという人の生涯については分からないことが多くて半ば伝説化すらされているようだが、非常に興味がひかれる。
(渋谷、Bunkamuraザ・ミュージアムにて、~8月17日まで)

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2008年8月15日 (金)

岡田恵美子『イラン人の心』

岡田恵美子『イラン人の心』(NHKブックス、1981年)

 先日、あるイラン料理店に行く機会があった。とても居心地の良いお店で、何よりもマスターの奏でる音楽が素晴らしい。生粋のイラン人だが、日本に帰化したそうで、お名前をヒロシさん(!)とおっしゃる。気さくに楽器の説明をしてくれた。サントゥールは船の形を模した一種の打弦楽器で、鍵盤を撥で弾いて音を出す。「大きな古時計」なども弾いてくれたが、どこかもの悲しい響きが心地よい。ネイという笛はリードがなく、笛を歯に直接合わせて吹くようで、見るからに難しそう。ダーフというタンバリンのような太鼓を絶妙な手さばきで叩きながら朗々と歌い上げる声には思わず聞きほれてしまった。サービス精神旺盛で、「涙酒~」なんて歌ってくれたが、それなりにサマになるから面白いものだ。

 帰ってから思い立ち、本書を読み返した。まだイスラム革命の起こる前の王政期、日本人の姿など皆無だったテヘランに女子学生一人で留学した体験記。イラン人のアクの強さに四苦八苦する奮闘ぶりが率直に書かれているが、読んでいて嫌な感じは全くしない。そういう文化なんだな、と自然に納得させてしまうのは、やはり著者自身がイラン文化に深く愛着を持っていることが行間の端々からうかがえるからだろう。イランといえば、“原理主義”政権や核査察問題などがすぐ頭をよぎる。本書はイスラム革命前の話という点では古いのかもしれない。しかし、生活光景や文学作品から垣間見えるメンタリティーというのは、個々の政治的事件とはまた別に、長いタイムスパンの中では一貫したものがあるはずで、それが実感を込めて描かれている点ではとても良い本だと思う。

 以前に本書を読んだときに一番印象に残っていたのが、大学での古典文学の授業風景。壇上に立った教授は、講釈をたれるのではなく、古典作品を朗々と歌い上げる。学生たちはうっとりと聞きほれ、朗誦が終わるやいなや、口々に賛嘆の声を上げる。コンサート会場で熱狂するファンという形容がぴったり。イランといえば詩と歌の国なのか、とヒロシさんの歌声を聞きながら思い返していた次第。

 イランの文学といって、オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』を思い浮かべるのは安直に過ぎるかもしれないが、この四行詩そのものが私は好きなので勘弁されたい。私はもともと厭世的な気質が極めて濃厚な人間なので、『ルバイヤート』にみえる虚無の雰囲気にひかれていた。ただし、“東洋的無”みたいな妙な一般論に結び付けてしまおうとするのが私のいけないところなのだと思う。翻訳を通して理屈で読もうとすると、どうしても独りよがりになってしまう。ヒロシさんの歌声を聞きながら、たとえばこんな感じに歌い上げていけば、『ルバイヤート』の虚無感も、それと表裏一体をなすおおらかな現世肯定の明るさも同時に醸し出されてくるのだろうか、そんなこともとりとめなく考えていた。

 なお、私の手もとにある『ルバイヤート』は古くからある小川亮作訳の岩波文庫版。確か、陳舜臣さんが若き日に訳したものが最近、集英社から出たはずだが、こちらは未見。

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2008年8月11日 (月)

「敵こそ、我が友──戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」

「敵こそ、我が友──戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」

 フランス占領地域でゲシュタポとしてユダヤ人移送、レジスタンス摘発に辣腕を振るい、“リヨンの虐殺者”と呼ばれたクラウス・バルビー。彼が捕らえられ、“人道に対する罪”で裁判が行なわれたのはようやく1987年になってからのこと。戦後40年以上もの間、彼はなぜ逃げおおせることができたのか。アメリカ情報部門の協力者、ボリビア軍事政権の顧問(ボリビア潜入中のゲバラ捕殺にも関わったらしい)として第二、第三の人生を歩んだバルビーの軌跡をたどるドキュメンタリー。

 バルビー裁判をめぐって取りあえず指摘できるポイントは、第一に、フランス国内における戦争の“記憶”の問題。いわゆる“レジスタンス神話”は戦後フランスにおける国民統合の基柱をなしていたが、他方でヴィシー政権についてはタブーであったことは周知の通り。バルビー裁判の弁護人は、ヴィシー政権もまた積極的にナチスに協力していたこと、その意味でバルビー個人だけでなくフランス国家も免罪されてはならないと主張。

 第二点。終身刑の判決が出た後、バルビーがもらした「みんなが私を必要としたのに、なぜ私一人だけに責任が負わされるのか」という発言をどう捉えるか。もちろん、バルビーの犯した残酷な所業は憎むべきものである。ただ、ここで考えるべきは、ナチスという政治システムの中で彼は自らを“尋問のプロフェッショナル”として磨き上げ、その技術的ノウハウを必要とする政治体制が戦後においても存在していたこと。需要があって供給がある。従って、バルビーがいなくとも別の人間がこうした犯罪に必ず手を染めたであろうことを考えれば、彼個人の犯罪として断罪して終わらせてしまっても意味がない。

 バルビーの娘は、父は優しい人でした、と言う。普通の常識人としてのパーソナリティーと政治システムに組み込まれた犯罪行為とが残念ながら両立し得ることは、ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン』で“悪の陳腐さ”という表現で指摘されていた通りだ。また、やはりアイヒマン裁判をテーマとしたドキュメンタリー映画「スペシャリスト」のサブタイトルが“自覚なき殺戮者”となっていたことも思い返される。

【データ】
原題:Mon Meilleur Ennemi
監督:ケヴィン・マクドナルド
フランス/2007年/90分
(2008年8月10日、銀座テアトルシネマにて)

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「スカイ・クロラ」

「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」

 この世界から戦争がなくならないのは、いわば人間の本性として考えるしかないのだろうか。戦争があって、はじめて平和のありがたみが実感される。“平和”な社会──この地球のどこかに悲惨な現実があるからこそ、それをニュースとして見る人々は“平和”の価値を謳いあげる。他者の痛みによって担保された逆説的な“平和”。

 戦争請負会社によってショーとして仕組まれた代理戦争。戦闘は“プロジェクト”と呼ばれる。戦闘機に乗るのは“キルドレ”──大人になることのできない、つまり戦死するまで永遠に生き続けることを宿命付けられた子供たち。映画全体の詳密にリアルな映像とは裏腹に、彼ら彼女らの表情はのっぺりと無機的な感じ。終わらない日常。生きることそのものの倦怠感。永劫回帰の実存的意味は想像するだけでも恐ろしい。

 映像が実に素晴らしい。広々とした空を後景にした奥行きのある立体感は人間の小ささを否が応でも際立たせる。大編隊の航空シーンなど圧巻ではあるが、いわゆる手に汗にぎるタイプの戦争アニメとは全く異質だ。この美しく雄大な空のイメージは、映画全体に漂っているかわいた透明感、空虚感を感傷的にまで強めてくる。

 原作は森博嗣の『スカイ・クロラ』シリーズ(中央公論新社)だが、私は未読。“平和”の虚構性というテーマへのこだわりが押井守にはあるのか、東京が事実上の戒厳令状態に置かれるシミュレーションを行なった「機動警察パトレイバー2 the movie」(1993年)なども思い出した。

【データ】
監督:押井守
原作:森博嗣
脚本:伊藤ちひろ
声の出演:加瀬亮、菊地凛子、谷原章介、栗山千明、竹中直人、他
2008年/121分
(2008年8月10日、新宿バルト9にて)

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2008年8月 8日 (金)

原爆をめぐって

 今週、ある寝つけない夜、テレビをつけたらスティーヴン・オカザキ監督「ヒロシマナガサキ」を放映していた。去年のちょうどこの時期、岩波ホールで観た(→記事参照)。ある被爆女性が語るシーンにさしかかったところだった。その方は姉妹ともに被爆、明言はされなかったが心身共に人知れぬ苦しみを抱え続けなければならなかったのだろう、妹は自殺してしまったという。「人間には、生きる勇気と死ぬ勇気と二つの勇気があるのだと思います。妹は死ぬ勇気を選び、私は生きる勇気を選びました。」この言葉は去年観た時からずっと頭に刻みつけられていた。

 何で読んだのか記憶が曖昧なのだが、ある進歩的とされる知識人がこんなことを書いていたように思う。被爆体験者から話を聞いていた修学旅行生から「それでもやはり日本は侵略戦争を反省しなければいけないから仕方ないことだと思います」というセリフが出てきて、さすがの彼も唖然としたという。しかし、かく言う私だって笑えない。非核地帯構想をテーマに国際法を専攻する友人がいるのだが、彼と会うたびに、そんなの国際政治のリアリズムからはただの空論に過ぎないと議論をふっかける。その時、被爆者のことは念頭にない。もちろん、極論をぶつけることで議論を深めようという意図があるにせよ、ときどき我に返り、「自分はいま知的ゲームとして議論を弄んでいるだけだな」と上滑りした自分の言葉に嫌悪感を覚えることがある。

 何と言ったらいいのか難しいけれど、型にはまった政治図式が私の頭の中にこびりついていて、それがざわつくというか妙な理屈を介在させてしまって、被爆者の抱えたつらさを素直に受け止めることができない。そうした不自然な自分自身に冷たさを感じ、もどかしく苛立ちがある。去年の夏、広島へ行き、原爆にまつわる場所を汗だくになりながら3日間かけて歩き回った。単に現場を見るという以上に、巡礼なんて言い方をするのはおこがましいが、ひたすら歩きながらこの妙なこわばりを振り捨てたいという気持ちがあった。

 被爆者も高齢化しつつあるが、被爆体験の語り継ぎはやはり大切だと思う。かつては被爆体験を語ること自体が難しかった。GHQによるプレスコードがあったし(堀場清子『原爆 表現と検閲』朝日選書、1995年)、名乗り出ることで社会的差別の視線にさらされるおそれもあった。何よりも、語ること自体が、その時の悲惨な光景をまざまざと思い返すことになり、耐え難い苦痛を強いることになる。原爆をテーマとした作品では、なぜ自分だけ生き残ったのかと自責の念にかられる姿がしばしば描かれている。

 「ヒロシマナガサキ」で女性が語っていた“生きる勇気”と“死ぬ勇気”。自殺を逃げだなんて言うことは絶対にできないし、生き続けるだけでも様々な苦痛があったであろうことは余人には何とも言い難い。そして、語ることには、そのこと自体に勇気が要る。十重二十重の苦しみを通してにじみ出た言葉はやはりないがしろにはできない。

 核による悲劇の語り継ぎは、日本国内におけるタテの時系列だけに限定されるものではない。日本以外、いわばヨコの軸にも目を向けなければならない。例えば、中国の核実験。この場合、“語る”ことには政治的リスクを賭けた、また別の意味での勇気が必要となる。

 ウイグル人医師アニワル・トフティさんの講演会を聞きに行った。中国の新疆ウイグル自治区、ロプノールの近くでは1964年から1996年にかけて46回の核実験が行なわれた。住民の深刻な健康被害に気付いたアニワルさんは調査を始めたが、イギリスの報道番組「シルクロードの死神」の取材に協力したため、政治亡命せざるを得なくなってしまった。

 講演内容は主催者・日本政策研究センター発行『明日への選択』に掲載されるそうなのでそちらを参照されたい。水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年)にもアニワルさんの話は紹介されている。また、新疆ウイグル自治区での健康被害の具体的な状況について中国政府は情報公開をしていないが、高田純『中国の核実験──シルクロードで発生した地表核爆発災害』(医療科学社、2008年)が外部で入手可能なデータ(特に隣国カザフスタンでの測定値)を最大限に駆使しながら放射線医科学の立場から推計を行なっている。

 アニワルさんは8月6日の広島での式典参加のため来日された。8月8日は北京オリンピックの開幕式だが、1964年、東京オリンピックの開幕式のすぐ後に中国は初の核実験を行なったことにアニワルさんは注意を喚起する。東トルキスタンの人々が漢人によって圧迫されているという政治的現実があるが、ウイグル人ばかりでなく漢人にだって被害は出ている。中国政府は核汚染はないという立場を崩さないので、こうした人々は放置されたままだ。国家的威信を誇示するために人命が軽視されている。政治問題以前に、明らかに人道問題である。情報統制の厳しさのため、放射能被害にあえぐ人々の声はなかなか外に出てこない。もし日本が“唯一の被爆国”であることを国是としているならば、政治という厚い壁に閉ざされている中でともすればかき消されかねない声を伝えようとするアニワルさんの勇気にも耳を傾けなければならないと思う。

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2008年8月 6日 (水)

岡茂雄『本屋風情』

岡茂雄『本屋風情』(中公文庫、改版、2008年)

 柳田國男、南方熊楠、内田魯庵、濱田青陵、新村出、金田一京助、折口信夫、渋沢敬三、等々…、こうした名前にピンとくる人ならこの本はおすすめだ。岡書院、なんて言っても今では知る人も少ないだろうが、かつて民俗(族)学、考古学、人類学を中心とした学術書を精力的に出版し、姉妹店の梓書院は山岳もので知られた。店主、岡茂雄の回想録。

 文壇関係者の回想録というのはたくさんあるし、どれも読み物として面白いものだが、学会関連でそうした類いの本というのはあまり見かけない。作家たちにはそもそも変なのが多いし、自意識過剰で演出たっぷりにネタを提供もしてくれる。では、学者たちがつまらないかと言えば、そんなことは全然ない。あるテーマにとりつかれるタイプというのはどこかバランスを失してしまうものなのか、良くも悪くも個性的、“濃い”人物群像では文壇ものにひけを取らない。

 たとえば柳田國男という人。私自身、柳田の作品は好きだが、その一方で、性狷介、芳しからぬパーソナリティーのこともよく聞く。『雪国の春』刊行の経緯や『民族学・人類学講座』流産の顛末を読んでごらんなさい。このクソじじい、マジでムカつく。岡と柳田の板ばさみになってしまった折口信夫がオロオロする姿も何だかかわいらしい。怒りをグッとこらえる岡さんに、よくぞ耐えた!と心の中で拍手喝采。

 とは言っても、柳田だってイヤな奴一辺倒でもない。岡は、柳田が色々と便宜を図ってくれたこと、送った朴の木を喜んでくれたことなども思い出して記す。何よりも、こうした様々な人間的な軋轢がありながらも、岡も含めてみんな学問に本当にのめり込んでいる姿が見えてきて、うらやましくもほほえましい。

 岡書院併設の書店にもそうしたアカデミックな雰囲気に誘われて多くの人々が足を運んだらしい。本書の最後、ある学生から「考古学をやるにはどんな本がいいでしょうか」と尋ねられるシーンがある。前にも見た顔なので名前をきくと、「江上です」。私は昔、江上波夫にあこがれて考古学者になりたいと思っていた時期があったので、私的な思い入れとしても感慨深い。

 意外な人的つながりが垣間見えるのもこうした回想録を読む醍醐味。雑学マニアにはたまらない。山階宮家の第三王子藤麿王が岡書院の造本のファンで、東大の卒業論文(『日唐通交と其影響』)の装幀を引き受けて欲しいと頼まれたそうだ。後に臣籍降下した筑波藤麿。戦後、靖国神社の宮司となったが、A級戦犯合祀に慎重な態度を取った人である(次の松平永芳宮司が合祀を強引に進め、昭和天皇が不快感を漏らしていたことは周知の通り)。筑波がもともと歴史学者だったこと、山階鳥類研究所の山階芳麿の弟にあたることは初めて知った。なお、山階も岡の梓書院から『日本の鳥類と其の生態』を出している。

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2008年8月 3日 (日)

大森荘蔵『流れとよどみ──哲学断章』

大森荘蔵『流れとよどみ──哲学断章』(産業図書、1981年)

 人生で一番の愛読書を挙げろと言われたら、私は躊躇なく『荘子』を挙げる。この『荘子』で寓話としてほのめかされる、かたくなな“ことわり”を取り払った感覚、これをたとえば科学哲学という分野で表現しようとしたら、それが大森さんの文章になるのではないか。強引かもしれないが、そんな気がしている。『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫、1994年)などで展開されていた“自然の死物化”の議論など、読みながら『荘子』にある「渾沌の死」のエピソードを思い浮かべていた。

 デカルト以来の「主観-客観」二元論を科学哲学という枠組みにおいて克服する──なんて言うと、たいそうなことに聞こえるかもしれないが、何のことはない、我々が日常に普通に感じ取っているありのままの感覚を、そのあるがままに受け止めればいいではないか、ただそれだけのこと。

 “学問”として定立された“哲学”は、今まさにここで感じ取っている生身の感覚をことさらに切り離し、対象化し、構図化していく。本来、あたりまえのことを、不自然な手間を介在させることで、ことさらにあたりまえでなくしてしまった。世界の狭い一点に“私”なるエアポケットがあって、そこに鎮座した主観的主体が無機的な世界に対して感情やら何やらを投影しているのではない。そうした一見我々が馴染んでいるかのような「主観-客観」の構図を大森さんは突き崩し、“私”=主観も、“世界”=客観も同一地平にあるというあたりまえのことを説く。「消えたのはただひどく粗大な哲学的構図だけであって、山川草木、日々の出来事、それは一木一草、一飯一茶にいたるまで元のままである。だからあとに残ったのはのっぺらぼうの顔ではなくて、哲学的汚れを落とした素顔なのである」(162ページ)。

 この世界の描き方は多様にあり得る。科学的描写もあれば日常的描写もある。前者の厳密さが正しくて後者の感性的曖昧さが錯覚だというのではなく、両者とも描写の仕方として優劣はない。大森さんの表現を使えば“重ね描き”されている。科学的描写を特権化し、日常的描写を追放しがちなところに近代的世界観のいびつさを大森さんは嗅ぎ取っている。

 “哲学”といえば、何やら難しそうで、難しそうだからこそありがたそうな、そんな倒錯した印象を抱かれやすい。本来、生きるためにこそ哲学を切実に必要としているのに、その難しそうな印象から遠ざかってしまう人がいる。他方で、哲学が特に必要でなくても、難しい=偉い、みたいな妙な錯覚からファッションとして哲学を勉強し、なおさら複雑怪奇な議論を進めて道に迷ってしまう人もいる。上の大森さんの表現を使えば“哲学的汚れ”だ。そのあたりの錯覚を何とか振り払おうとしていたのが昨年お亡くなりになった池田晶子さんだろう(→池田晶子・大峯顕『君自身に還れ──知と信を巡る対話』の記事を参照のこと)。

 大森さんの論文は割合と読みやすい。それに、どことなく詩的な感興がわきおこってくるから不思議だ。読んだからといって特に真新しい知見が得られるわけではないが、視点の取り方は変わってくるのではないか。科学哲学に興味がなくても一読してみると面白いと思う。

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