大庭柯公『露国及び露人研究』
通りすがりの古本屋に立ち寄り、棚を見たら大庭柯公『露国及び露人研究』(中公文庫、1984年)と古島一雄『一老政治家の回想』(中公文庫、1975年)の二冊が何となく目に入り、何となく買ってしまった。両方とも、品切れもしくは絶版。
大庭柯公──本名は景秋、柯公は号。続けて読むと、おおばかこう→大馬鹿公。いや、ウソじゃないって。ちなみにロシア通つながりで言うと、柯公も付き合いのあった二葉亭四迷、本名・長谷川辰之助も、文学をやりたいと言って父親から怒鳴られ、「お前みたいなヤクザな奴は、くたばってしまえ!」→ふたばってしめえ→二葉亭四迷。これは結構有名な話です。明治生まれの知識人はなかなか洒落の分かる人(?)が多くて好きですね。
二葉亭もそうだけど、柯公にしても、国権主義的な気分からスパイになりたいという政治性と同時に、未知の世界へ飛び出したいという冒険心との両方からロシアへの関心が芽生えたようだ。ただし、二人とも軍人にはなれず、文筆へ。柯公の場合には徐々にリベラルな方へ傾いていき、吉野作造や福田徳三らの黎明会に加入したり、1920年、日本社会主義同盟設立の発起人名簿にも名前が見える。柯公は国権主義的な前半生と社会主義的な後半生とで知友のタイプが全く違うから、中途半端な自分が柯公全集の序文を引き受けた、と言うのは長谷川如是閑翁。
さて、『露国及び露人研究』。ジャーナリストとしてあちこちの媒体に書いた文章を集めている。一つ一つはエッセー風に軽妙な筆致だが、政治・経済・国際情勢から歴史・地誌・文化・生活習慣まであらゆる角度からロシアを眺めつくしており、いわば地域研究のハシリという趣がある。反ユダヤ主義がちょっと気になるものの、ロシアへの愛着はよく感じられるし、同時に、ポーランドの独立運動にも同情を示すなど割合とバランスはとれている。シベリア・中央アジア・コーカサスの旅行記としても興味深い。
1921年、柯公は読売新聞社を退職してロシアへ渡る。ちょうど日本のシベリア出兵でキナ臭い空気が漂っていた頃だ。本書の最後に収録されている極東共和国についてのチタ発レポートを最後に彼は消息を絶った。柯公自身の思惑はともかく、ソ連側は日本人に対して猜疑心を働かせており、彼は逮捕されてしまったのだ。その後の行方は不明だが、シベリアで処刑されたともいわれている。本書に収録されている「杜翁と露国革命」ではトルストイの理想はレーニンによって実行されていると書いていただけに、柯公がロシアに求めていた夢と身を以て直面した現実とのギャップが痛々しい。その後も、岡田嘉子と一緒にソ連へ行った杉本良吉とか、あるいは医学者の国崎定洞(加藤哲郎『モスクワで粛清された日本人』青木書店、1994年)とか、社会主義に何らかの理想を求めてソ連へ行った日本人が消息を絶ってしまう事件が続くことになる。
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