ポール・A・コーエン『知の帝国主義──オリエンタリズムと中国像』
ポール・A・コーエン(佐藤慎一訳)『知の帝国主義──オリエンタリズムと中国像』(平凡社、1988年)
我々は自身の生まれ育った社会的・文化的環境の中でものの考え方をつくり上げてきたわけで、その是非はともかく、何らかの形での思考上のバイアスは避けられない。学問的探求という客観性の装いの下、学者自身が自明のものとして疑わない枠組みを通して対象を把握しようとしたとき、彼と相手との間に一定の政治的関係性がある場合、その認識という営み自体が、バイアスによって両者の関係性を固定化させてしまい、その意味で権力的な作用を帯びてしまう。西洋対東洋という枠組みにおいて、西洋の優越性を基準に東洋イメージが作り上げられてしまった状況を批判的に検討したエドワード・サイード『オリエンタリズム』は有名だが、本書はその中国バージョンと言える。
本書はアメリカにおける中国近現代史研究の大きな流れをレビュー、その中に西洋中心的な視座が根深くあることをあぶりだす。具体的には次の通り。中国社会は停滞しており、外圧がなければ変化はあり得なかったとする「西洋の衝撃‐中国の反応」アプローチ。西洋的近代を基準として中国社会の進歩の度合いを測ろうとする「伝統‐近代」アプローチ。ヴェトナム戦争によるアメリカの自信喪失によって以上二つの史観は揺らいだ。しかし、かわって登場した「帝国主義」アプローチにしても、西洋自身の抱える問題点を批判する姿勢を示した点で前二者とは異なるが、価値的な判断を逆転させただけで、見取り図そのものは変わらない。
本書は結論として中国自身に即したアプローチを説く。本書が刊行されてから20年以上の年月が経っており、ここで論じられているテーマは何らかの形で学問研究に携わっている人ならばすでに常識になっているはずだ。
ただし、自身のものの見方にどのようなバイアスがかかっているのか、それを見極めるのはなかなかもって難しい。バイアス、とは言っても、何らかの問題意識がないと対象を把握しようという切実な動機がわかないわけだし、その問題意識に駆り立てられているという状態自体が一定のバイアスを醸し出している。視点の枠組みがなければ、意味連関のない“事実”がゴロゴロ転がっているだけで、逆に歴史を把握することができなくなる。自分の頭にあるバイアスを常に自覚し、それを崩すような刺激を投げかけながら“史実”に向き合っていく、その不断のインタラクションを繰り返すしかないのだろうな。まあ、当たり前のことなんだけど。
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