小松久男『革命の中央アジア──あるジャディードの肖像』
小松久男『革命の中央アジア──あるジャディードの肖像』(東京大学出版会、1996年)
十九世紀末頃から、ロシアの支配下、旧来的なイスラム解釈による教育では発展の見込みがないと危機意識を抱いたトルコ系の人々の間で教育改革運動が始まった。具体的には、近代文明を受容できる“共通トルコ語”の創出を目指す形を取った。彼らを改革派=“ジャディード”という。とりわけ有名なのはクリミア・タタール人のガスプリンスキーである。
こうしたジャディードの改革運動は中央アジアにも波及、ブハラでも新方式の学校が開かれた。ブハラの知識人たちは、オスマン帝国での青年トルコ革命を意識して、自分たちを“青年ブハラ人”と呼んだ。彼らの前には二つの勢力が立ちはだかった。一つは、保守的なウラマー。もう一つが、彼らの動きに汎イスラム主義や汎トルコ主義の危険を察知したロシア当局であった。こうした情勢の中、イスタンブール留学を契機に青年ブハラ人左派の指導者として頭角を現していくのが本書の主人公、フィトラトである。
彼の思想をみていくと、イギリスをはじめとする欧米帝国主義と対抗するため、東方勢力が一つにならねばならない、そこで日本に着目する点で、イスタンブール留学時に出会ったアブデュルレシト・イブラヒム(彼はその後、日本で客死する)の大構想が想起される。また、帝国主義と戦うにしても自分たちだけでは力不足である、反帝国主義という点で汎イスラム主義はソビエト・ロシアと手を組めるという。反英主義と同時にソ連への信頼感を持つあたり、同時代、日本の大川周明が『復興亜細亜の諸問題』で示したのと同じ主張だという本書の指摘が興味深い。
彼らは言語改革を目指してチャガタイ協会を設立。かつてティムールの時代、チャガタイ=トルコ語がこの地域で文語として用いられていたことに由来する。科学や教育に適した正書法や文字改革を行なったほか、トルコ語文語にあったアラビア語やペルシア語の語彙を締め出してトルコ語の純化を図った点で言語ナショナリズムの側面もうかがえる。文語として用いられていたペルシア語とかつてのブハラの旧体制とを同一視する発想もあったらしい。いずれにせよ、“チャガタイ”というシンボルの活用によってブハラのトルコ人=“ウズベク”国民創出を目指した活動と見ることができる。
青年ブハラ人は赤軍と手を組み、反ソビエトの抵抗運動(バスマチ)を押さえ込もうとする。ブハラも“革命”によりソビエト連邦に組み込まれていくが、「これは革命なのか、それとも征服されたのか」という戸惑いがあった。また、民族的境界画定により五共和国が成立したが、この際、タジク共和国の領土が不当に狭められた。もともとトルコ系のウズベクもペルシア系のタジクも、それぞれ話し言葉は違うにせよ、歴史的に文化や生活習慣を共有しており、互いに排他的な意識はなかった。しかし、領土紛争をきっかけとした反ウズベク意識をもとにタジク人意識が高められたという。
汎イスラム主義、汎トルコ主義、そしてウズベク国民意識──フィトラトはどこに軸足を置いていたのか、本書を通読しただけではなかなか把握しづらいのだが、それだけ近代化へ向けて人々を動員するシンボル・イデオロギーの綱渡りのような難しさがあったと言えるのだろうか。
1938年、スターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れる中、フィトラトもまた“反革命罪”に問われて処刑された。
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