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2008年7月17日 (木)

吉川卓郎『イスラーム政治と国民国家──エジプト・ヨルダンにおけるムスリム同胞団の戦略』

吉川卓郎『イスラーム政治と国民国家──エジプト・ヨルダンにおけるムスリム同胞団の戦略』(ナカニシヤ出版、2007年)

 第一次世界大戦後、民族自決を求める世界的動向の中で、エジプトは1922年に独立、民族主義的なワフド党が政権の座についたものの、イギリスの圧力に翻弄されていた。近代主義的なワフド党に対し、イスラームの理念に基づいて反植民地主義的思想を主張したハサン・アル=バンナーがムスリム同胞団を設立、その後、各地に支部が設けられて中東各国に広がった。以上、マイナーな話と思うかもしれませんが、一応、受験世界史レベルの知識です。

 本書はエジプト・ヨルダンそれぞれにおけるムスリム同胞団が、①選挙等においてどのような政治過程をたどったか、②湾岸戦争に際してどのような反応を示したか、以上の比較分析を通してイスラーム主義運動の一側面を明らかにしようとする。その際、イスラーム主義運動を、文化的・伝統拘束的な前近代性として考えるのではなく、むしろ近代化の産物として把握するアプローチをとる。

 エジプトのムスリム同胞団は政府から公認されず弾圧されてきたものの、無所属という形で多くの国会議員を当選させている。それは第一に社会奉仕活動の実績が人々から評価されているということもあるが、第二に、政権側がさらに過激な勢力へ人々の支持が集まらないよう代替的な受け皿とみなしているという背景もある。他方、ヨルダンのムスリム同胞団は当初より王家と親しい関係を築いてきたが、政治上の野心はない。エジプト・ヨルダン双方のムスリム同胞団とも、倫理・教育・福祉分野には熱心であっても、外交や経済など国家的方針については漠然とした理念しか示せないことも指摘されている。

 湾岸戦争に際してのエジプト・ムスリム同胞団の論説が分析されているが、イスラーム的な理念をはいでしまえば、基本的に世俗的左派とあまり変わらない主張であったという。ヨルダン・ムスリム同胞団の場合、イスラーム主義は本来、イラク・バース党のアラブ社会主義とは相容れないにもかかわらず、ヨルダン国内の親イラク世論に合わせる形でフセイン大統領支持の方向で主張を変えている。

 イスラーム主義といえば、宗教至上的な主張によって近代化による不満を抱いた人々の支持を集め、国境を越えて広がる性質があり、その先駆的存在がムスリム同胞団だという印象を私などは持っていた。ところが本書におけるムスリム同胞団の分析によると、①国境で区切られた政治領域内での合法性を求める傾向があり、その意味で国際性よりも地域性が強いこと、②そうした政治環境に適応していく現実性・柔軟性も持っている、その意味で宗教至上性だけで彼らの運動を理解するわけにはいかないこと、以上の点が示されているのが興味深い。

 もちろん、本書はあくまでも事例分析で、これだけでイスラーム主義運動の一般的性格をつかめるとは言えない。しかし、この思想運動の多様性を大雑把に断定してしまう傾向も見受けられる中、一面的なイメージ理解をしてしまうのではなく、個別に見ていくなら視点の切り替えが必要なことを痛感させられた。

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