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2008年7月 6日 (日)

平野聡『大清帝国と中華の混迷』

平野聡『興亡の世界史17 大清帝国と中華の混迷』(講談社、2007年)

 私などにしてもそうだが、中国史を通観しようとするとき、殷周から現代に至るまでを一本の直線として把握してしまうような教科書的な理解が癖となってしまっている。だが、現在、大雑把に“中国”と言われている範囲にはチベット、モンゴル、ウイグルなど漢民族文明とは異質な民族も含み込まれている。それは清代の版図を中華民国が継承したと主張しているからだが、両者の性格の違いを無視してこの主張を額面通りに受け入れてしまうことには問題がある。

 “華夷の別”にナーバスにこだわる儒学的統治原理において、いわゆる“中華”と“夷狄”とを同じ範囲に括ってしまうことなど本来あり得ないことだった。ただし、満洲人という“夷狄”による支配が既成事実化した清朝において状況は変わってくる。清は一方では科挙官僚を採用し、その意味で儒学的な統治原理を自らの支配を正当化するのに利用している。他方で清の皇帝は、チベット人やモンゴル人に対してはチベット仏教の保護者として、トルコ系ムスリムに対してはイスラム教の保護者としての顔を見せた。

 例えば、朝鮮の朝貢使節として北京に来訪した朴趾源が乾隆帝からチベット仏教のパンチェン・ラマに拝礼せよと言われて憤慨したエピソードが本書で紹介されている。朱子学的原理主義の立場から内心では清への軽侮の気持ちを秘め、チベットなど夷狄に過ぎないと軽蔑する朴たちの思惑と、「礼の方法は〈教〉の違いによって複数ある」という多元性を許容する乾隆帝の発想との食い違いがうかがえる。

 見方を変えれば、清の版図において漢人、チベット人、モンゴル人、ウイグル人等々が並立し、その上に皇帝が立つという多元的な帝国モデルとして整理できるのかもしれない。この点では、同時代のハプスブルク帝国(→「ハプスブルク帝国について」の記事を参照のこと)やオスマン帝国との比較の可能性すら感じさせる。

 19世紀、高まる外圧の中でこうした清の多元性は大きく変容していく。“中華”文明の恩恵に浴した国々が儒学的な礼に則って朝貢関係を求め、“中華”を頂点として一定のヒエラルキーを形成するのが従来の東アジアにおける国際関係だった。しかし、西洋列強の出現、もともと朝貢関係の希薄だった日本の近代化により、主権国家の対等を基本原理とする近代国際法のロジックが東アジアに持ち込まれた。それは当然ながら儒学的な国際秩序のロジックと真っ向からぶつかる。具体的には、日本による台湾出兵→琉球処分、清仏戦争の敗北によるヴェトナムへの宗主権の喪失といった事態が相次ぎ、清自身が近代国際法による秩序へ適応することが迫られた。

 こうした中、曾国藩の息子で外交官として活躍した曾紀沢の議論が本書で紹介されている。清は当初、朝鮮・琉球など儒学的ロジックによって朝貢する国に対しては礼部が対応し、儒学的ロジックにはよらないモンゴル・チベット・新疆など藩部については理藩院が管轄して大臣を派遣していた。いずれも基本的には自主的な政治運営を認めていた点では変わらない。しかし、清を真ん中に置いて同心円状に広がる東アジア独特な国際システムにおいて、どこまでが独立国でどこまでが属国なのかという判断基準は曖昧だったし、そもそもそうした画然とした線引きをしようという発想自体がなかった。自主的な政治運営=近代的主権国家という西洋列強や日本からのロジックを無制限に受け入れてしまうと、清は瓦解してしまう。そこで、朝貢国に関しては各自の主権を認めるのはやむを得ないにしても、北京から大臣を派遣している藩部に関しては清の主権を主張して版図として維持していこう。こうした考え方によって、清は近代的領域主権国家へと転換する。

 イギリスはすでに清をChinaと呼んで外交交渉を行なっていた。間もなく大清帝国は崩壊するが、このようにして用意されたロジックを中華民国は踏襲する。そして、チベット・モンゴル・ウイグルも含めて“中国”の不可分な一部だというナショナリズムの旗印の下、近代的主権国家=国民国家として対内的な同質化が図られることになる。

 これは中華人民共和国になって大義名分は“社会主義”と変わっても基本的な路線は変わらず、同質化政策に残忍な暴力をも伴っていることは周知の通りである。

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