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2008年7月24日 (木)

アブデュルレシト・イブラヒム『ジャポンヤ──イスラム系ロシア人の見た明治日本』

アブデュルレシト・イブラヒム(小松香織・小松久男訳)『ジャポンヤ──イスラム系ロシア人の見た明治日本』(第三書館、1991年)

 井筒俊彦は司馬遼太郎との対談で、あるタタール人亡命者の老ウラマーからアラビア語を学んだことを語っている(「二十世紀末の闇と光」)。コーランをはじめあらゆる典籍を完全に暗証していることに驚き、彼から学問の何たるかを教えられたと尊崇の気持ちが篤い。やはり井筒と一緒にこの人物に会った前嶋信次も、彼の重厚な存在感に圧倒されたことを回想している(『アラビア学への途──わが人生のシルクロード』)。

 井筒や前嶋の会った老ウラマー、その名をアブデュルレシト・イブラヒムという。ロシア支配下、ムスリム社会を変革すべく新方式の教育改革を目指したいわゆるジャディード(革新派)だが、伝統墨守の頑迷な聖職者たちとロシア政府の両方からにらまれてイスタンブールへ亡命。その後、イスラム圏を中心に世界中を回り、旅行記『イスラム世界』のうち日本の章を訳出されたのが本書である。

 イブラヒムはロシア領トルキスタン、シベリアを経由して、1909年、敦賀に上陸。米原、横浜とやって来るが、途中で出会った日本人について正直、清潔と印象はすこぶる良好。

 日本語は外国語をそのまま借用せず、たとえばポストは郵便、フォトグラフは写真といった具合に自分たちの言葉にできるだけ言い換えようとしていることに彼は注目。また、どんな貧しい家でも新聞を買っていることに感心する。教育改革、言語改革を通した近代化を目指したジャディードらしい関心の持ち方である。他方、大学の図書館へ行くとみんな和服姿で勉強しているのを見て、教育に服装の改革までは必要なし、と記す。知識的・技術的な部分は西欧から学びつつも文化的伝統は失わせないという“和魂洋才”的な志向が窺える。

 イブラヒムは欧米列強に対抗するため、汎イスラム主義を軸とした諸民族の団結を目指しており、世界旅行もそうした熱意を動機としている。この構想の中で日本のイスラム化に期待を寄せているのが面白い。彼の言うところでは、日本人の清潔さ、礼儀正しさ、正直、道徳心、これらはヨーロッパ人(おそらく、ロシア人を念頭に置いているのだろう)にはないもので、その点で日本人は「我々イスラム教徒にふさわしいほど高貴である」とのこと。同時に、日本人は自分たちの民族精神を捨ててはならず、それはイスラムによってこそ支えられると言う。また、イスラムに改宗すれば、中国やインドネシアへの政治的・経済的進出が容易になるはず、と日本の利益にもかなうことを説く(彼はそれこそ無邪気なほどに日本と中国との合邦を主張している)。

 彼は伊藤博文、大隈重信、河野広中、犬養毅、頭山満などの要人をはじめ様々な人物と会見している。中野常太郎という人物に日本でのイスラム布教について期待を寄せるほか、日本人として最初にイスラムに改宗したという大原武慶なる人物も登場する。彼は後に東亜同文会に参画、辛亥革命にも関わったらしい。日本のアジア主義者の方も積極的にイブラヒムへの接触を図っていたようだ。

 イブラヒムが出会った人々を見ていると、当時すでにイスラム圏出身者が日本にも結構いたらしいことが興味深い。アフマド・ファズリーはカイロ出身、スーダンの戦いにも参加したというからマフディー運動と関わりがあったのだろうか。インド出身のマウラヴィー・バラカトッラーとは日本にモスクを建てる計画について相談。アデン出身のアラブ人水夫たちとの邂逅では、国境を越えたイスラムの一体感に少々感傷的だ。また、佐々木蒙古王(安五郎)の紹介で、中国領トルキスタン出身、トルグート(モンゴル系、チベット仏教徒)の王子バルタ・トッラにも会った。彼は振武学校(中国留学生のための士官学校の予備校)に留学中で、イブラヒムは、故郷に戻っても東洋統一の思想を広めるようにと諭す。

 イブラヒムは五~六ヶ月ほどの滞在で日本を後にする。本書もここで終わる。その後、彼はどうしたか? 第一次世界大戦ではドイツに渡ってロシア軍捕虜中のムスリム兵士を集めてオスマン軍に編入させる。ロシア革命後は中央アジアに潜入し、ムスリムの独立運動を進めたが、失敗(旧ソ連時代の中央アジアではイブラヒムの名はほとんど抹殺されたも同然だったという)。そして、1933年、再来日。1938年には東京のモスク(代々木の東京ジャーミィ)のイマームとなり、戦争中の1944年に客死(以上、杉田英明『日本人の中東発見──逆遠近法のなかの比較文化史』東京大学出版会、1995年、225~232ページを参照)。井筒や前嶋が会ったのはこの晩年の頃である。イブラヒムの、敵の敵は味方というロジックで世界中を飛び回る行動力を見ると、何となくインドのラシュ・ビハリ・ボースやスバス・チャンドラ・ボースなんかも想起させる。

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