森まり子『シオニズムとアラブ──ジャボティンスキーとイスラエル右派 一八八○~二○○五年』
森まり子『シオニズムとアラブ──ジャボティンスキーとイスラエル右派 一八八○~二○○五年』(講談社選書メチエ、2008年)
十九世紀の末、ユダヤ人の民族的郷土の確保を目指してテオドール・ヘルツルの立ち上げたシオニズム運動には労働運動との結びつきも強かった。これを本書の主人公ジャボティンスキーは、シオニズムの究極目標であるユダヤ人国家の至上性を曖昧にしてしまうと批判。主流派であった社会主義シオニズムとは違うという意味で彼の立場は修正主義と呼ばれた。どのような社会にするかというイデオロギー的“混合物”が入ってしまうのを警戒し、何よりもまず“国家”という枠組みの形成を最優先させようという意図が彼にはあった。
パレスチナという土地をめぐりシオニズム運動とパレスチナ・アラブ人との衝突が不可避である以上、軍事的手段を使わざるを得ない。アラブ人との共存を拒否するわけではない。ただし、彼らとの対決を通して、ユダヤ人の存在を認めさせた上で、あくまでもユダヤ人国家内部におけるマイノリティーとして彼らアラブ人の市民的権利を保障するというのがジャボティンスキーの考え方であった。こうした彼の思想が、その後のベギン、シャミル、シャロン、ネタニヤフなどリクードの右派政治家たちにどのように継承され、どこに違いがあるのかを本書は検討していく。
ジャボティンスキーには少なくとも理念的には理性や交渉に基づく“開かれたナショナリズム”を求めようとしていた形跡もあったらしく、それが民族の至上性や対アラブ問題の武力的解決という強硬論と彼自身の中にあっては危ういバランスをとっていたという。しかし、彼の修正主義シオニズムがベギンたちへ継承されるにあたり、強硬論への単純化が避けられなかった。社会主義シオニズム運動には入植活動の道義性への葛藤があったが、それとは対照的にベギンの単純思考には、アラブ人との人間的な接触の欠如という問題があったとも指摘される。
イスラエルのともすると過剰とも言える強硬な鎮圧活動を見るにつけ、私などは常々首肯しがたいものを感じている。そうしたイスラエル国家自身の内在的ロジックを把握できるという点で本書は有益である。
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