内藤正典『ヨーロッパとイスラーム──共生は可能か』
内藤正典『ヨーロッパとイスラーム──共生は可能か』(岩波新書、2004年)
ドイツ・オランダ・フランスそれぞれの社会におけるムスリム移民の状況の考察を通して本書はイスラーム的規範と西洋文明的規範との考え方のズレを浮き彫りにする。
ドイツの社会習慣を理解してビジネスを成功させてもドイツ人にはなれないと述懐するトルコ人実業家が紹介されている。移民はいつまでたってもガストアルバイター扱いで、同じ社会の一員とみなす発想は希薄だという。疎外感からムスリムとしての覚醒をする動きが現れる。衛星放送のパラボラアンテナが林立しているのを見て、母国トルコとの距離は近づいたものの、トルコ系移民とドイツ社会との心理的・文化的距離は逆に遠くなってしまったという指摘が印象に残った。去年、ベネディクト・アンダーソンの講演を聴きに行った折、彼が示した“ポータブル・ナショナリズム”というキーワードを思い出した(→こちらの記事を参照のこと)。
ドイツでは政治への参加資格として国家への帰属を求めるのに対し、もともと商業国家として成立してきたオランダの場合、納税を重視する。スペイン・ハプスブルク家によるカトリック押し付け政策に対して独立戦争を戦ったという歴史的経緯があるためなのか、文化的多元主義をとり、宗教面でも列柱的共存が図られている。それは他者の権利を認めるが、同時に相手への無関心をも意味する。男女関係の乱れ、伝統的家族像の崩壊、麻薬に寛容な社会風潮などへの違和感から、保守的なムスリムとキリスト教政党が道徳感情のレベルで近いというのが興味深い。
フランスでの政治参加の要件はフランス語である。また、周知の通り、フランスは国家と宗教とを厳格に分離する世俗主義(ライシテ、laïcité)を徹底させている(その背景については、工藤庸子『宗教vs.国家──フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社現代新書、2007年、を参照のこと)。それは公的領域と私的領域とを分け、宗教はあくまでも個人の心の問題として認められ、パブリックな場面では一切表に出してはいけないとされる。しかし、イスラームには聖俗分離という発想そのものがない。つまり、内面において信仰心を持つだけでなく、教えに定められた行為を日々の生活の中で実践し、その積み重ねがあってはじめてムスリムといえる。この点で摩擦が起こってしまう。社会的同化を求める右派がイスラームに不寛容なのは理解しやすいにしても、リベラリズムに立脚する左派もまた、イスラームは人権抑圧的・反民主的・女性蔑視的として批判的なのは難しい問題だ。フランスの世俗主義・啓蒙主義の“普遍性”に疑問を向けることすらしない点を本書は批判する。また、これはキリスト教とイスラームとの対立というよりも、キリスト教と決別した世俗主義とイスラームとの衝突として把握する視点に関心を持った。
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