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2008年6月20日 (金)

文京洙『済州島四・三事件──「島のくに」の死と再生の物語』

文京洙『済州島四・三事件──「島のくに」の死と再生の物語』(平凡社、2008年)

 先日、NHK教育テレビで四・三事件についての番組を見た。シネカノンの李鳳宇さんが済州島に残る四・三事件の傷跡を訪ねるという内容。済州国際空港、虐殺された島民の遺骸の発掘現場に、『火山島』をライフワークとしてきた金石範さんがたたずむ姿が印象的だった。

 日本の敗戦後、朝鮮半島は米ソによって分割占領され、東西対立の激化を受けて、1948年には南部単独で選挙が行なわれることになった。統一を主張する民族派の金九から左翼の南朝鮮労働党まで様々な異論が噴き出す。済州島でも南労党系の武装組織が浸透し、反対運動が盛り上がっていた。もともと済州島が流刑地であったことなどから朝鮮半島本土から差別されてきたという背景もある。米軍のバックアップを受けた治安当局や、とりわけ北から逃げてきた反共団体「西北青年団」によるアカ狩りは苛烈を極め、追い詰められた組織は1948年4月3日に武装蜂起。治安当局や右翼団体は、“アカ”の容疑者ばかりでなく、全く関係のない老人から子供まで島民を手当たり次第に処刑し、当時28万人いた島民のうち約3万人が殺害されたという。

 むかし、イム・グォンテク監督「太白山脈」という映画を観たことがある。昼は政府軍がやって来てアカ狩りを行ない、夜になると共産ゲリラがやって来て政府への内通者をリンチする、そうした政治に翻弄される山村の悲劇を描いていた。こうした政治対立が、もともと済州島が朝鮮半島本土から差別されてきたという立場な弱さがあって、極端にまで増幅された事件と考えられるのだろうか。

 四・三事件は韓国の公定史観において共産主義者による反乱事件とみなされた。戦後、反共イデオロギーを国是としてきた韓国社会において、事件の遺族は、討伐隊によって親族が殺されたというまさにその事実によって日陰者扱いを受けた。二重の哀しみを抱えねばならなかった。引け目の意識が反転して政府に対し過剰忠誠を示し、朝鮮戦争で戦死した済州島出身者が多いというのも何とも言えず複雑だ。在日韓国人社会には、事件によって日本に逃げてきて、その記憶のあまりのつらさや社会的差別のために済州島に戻れなかった人々も多いという。

 四・三事件を語ることはしばらくタブーであった。事件の掘り起こし・検証が公にも進められるようになったのはようやく近年になってのことである。四・三事件の位置づけ通して、韓国国内における記憶と政治の交錯が見えてくる。

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