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2008年6月23日 (月)

『田中清玄自伝』

田中清玄・大須賀瑞夫『田中清玄自伝』(ちくま文庫、2008年)

 田中清玄の語る大言壮語は確かに面白いが、読み進めているうちに、ウソを言ってはいないのだろうけれども少々食傷気味になってしまう。誰と付き合った、喧嘩した、どんなでかいことをやった、という話からは特に汲み取るべきものもないだろう。私の関心としては共産党からの転向という点にしぼられる。

 大正・昭和初期の生真面目な青年たちは、たとえば“煩悶青年”などと表現される。今風に言うと“自分探し”的に内面世界に沈潜する一方、自分という存在を何かのために役立たせたい、もっと端的に言うなら“大義”のために命を捨てたい、そんな懊悩もあった。その対象が、たとえば当時の流行思想たるマルクス主義に向けられた。

 しかし、それは知識として、観念として身に付けたに過ぎず、皮膚感覚に訴えるような切実な確信に根を張るものではなかった。表層的なものは、時に応じてコロコロとうつろいやすい。誰だってそんなものに命を賭けたくない。だが、観念というのは自分自身を盲目にしやすい。理屈は矛盾をごまかせる。薄々、疑問が心中にわだかまりつつも、マルクス主義という大義のために命を賭けられると彼らは信じていた。

 いわゆる“転向”という現象の一つの特徴は、ある深刻な体験を契機としてそうした遊離しかねない観念と皮膚感覚との矛盾に否応なく直面させられたというところにある(もっとも、中には時局便乗的に軽薄な動きをする人物も多々見受けられたようだが…)。その結果として、理屈ばった観念を拒否するあまり、伝統的・土着的心性への過度のコミットメントが促された。大きな話につなげると、西欧化と土着という近代日本を苛んだ相克が個人レベルにおいて表われた葛藤のドラマがここに見出せる。たいていは投獄・拷問など警察権力による弾圧をきっかけとするが、田中清玄の場合にその深刻な体験とは母親の自死であった。理屈を疑い、“情”に重きを置くのも右翼の特徴である。

 清玄は、宇宙の実存をつかむ、なんて言い方をする。大きな宇宙的広がりの中にあって、“自分”などあってなきがごとし──ふと、井上日召を思い浮かべた。雲をつかむような禅問答だが、理屈以前の直覚を言葉に置き換えようとするとこう言わざるを得ないのだろう。生きるも死ぬも関係ない。清濁併せ呑む。だから、利害では動かない。清玄という人物のすごみはこうした確信にある。彼は自ら右翼を名乗るが、根本的なメンタリティーとして、右・左という政治図式とは次元が全く異なる。要は、確信があって、そのために命を捨てられるか、ということ。右翼だろうと左翼だろうと格好つけは一切通用しない。タイプは異なるが、例えば幸徳秋水などとも通じてくるのではないか。

 …しかし、まあ、こうやって理屈ばって書くこと自体が無意味なんですけどね。

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コメント

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清玄自伝の裏に 入り込めていたら
笑ってください

投稿: くれど | 2008年6月28日 (土) 20時34分

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