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2008年6月

2008年6月30日 (月)

「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」

「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」

 第三作「最後の聖戦」を観たのは高校一年生の時だった。あれから18年も経つのか。第四作を製作中という噂を聞いて以来、ジリジリと待ちわびていた。

 大学生のとき、ペルシア語の授業をとっていたことがある(もう完全に忘れてしまったが…)。経済系の大学院に留学中のイラン人の先生だった。「あなたの専門は何ですか?」と聞かれて、「アーケオロジー(考古学)」と答えたら、「オー、インディ・ジョーンズ!」と、なぜかアメリカ人的に大げさなジェスチャー。若ハゲに貫禄のあるマジメそうな先生だったのでいまだに印象に残っている。そうか、考古学者といえばインディ・ジョーンズをイメージするのが国際標準なんですね(笑)。

 さて、期待に胸をふくらませて観に行った「クリスタル・スカルの王国」。舞台設定はどうやら1950年代後半らしい。いきなりKGBと格闘を繰り広げたり、核実験に巻き込まれたりと毎度ながらにトンデモなノリ。コミカルなおふざけを絡めつつテンポのいい展開に、ジョン・ウィリアムズの音楽。良い意味で“クラシカル”なハリウッド映画の雰囲気は好きだな。大げさなビジュアル・エフェクトに見慣れた眼には、何となくなつかしさも感じられた。

 インディが諜報員として活動していることが今作では大っぴらに語られている。ナチスやソ連と戦うかどうかはともかく、19世紀の帝国主義の時代以来、考古学者や民族学者というのは最前線に冒険的に飛び込んでいって、それは往々にして政府や軍部のバックアップを受けていたから、そうした事情を「インディ・ジョーンズ」シリーズは踏まえているんだなと改めて思った。

【データ】
監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作:ジョージ・ルーカス
出演:ハリソン・フォード、ケイト・ブランシェット、他
2008年/アメリカ/122分
(2008年6月28日、新宿プラザにて)

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2008年6月28日 (土)

前嶋信次『アラビア学への途──わが人生のシルクロード』

前嶋信次『アラビア学への途──わが人生のシルクロード』(NHKブックス、1982年)

 中学生、いや小学生くらいの頃から私は広い意味での“東洋学”に憧れを持っていた。きっかけは、NHK「シルクロード」でみた砂漠やオアシスの風景(私がみた時点ではすでに再放送だったが、何回も繰り返し放映されていたように思う。それだけ人気があったわけだ)。井上靖の西域ものも好きだった。江上波夫のユーラシア考古学とも言うべきスケールの大きな学問的営為に魅せられた。長じて哲学的テーマで頭が苛まれるようになってからは、井筒俊彦の文明の枠をのりこえていく根源的思索に驚愕した。

 そうしたことを思い起こすきっかけがいくつかあって本書を手に取った。東西交渉史、イスラム史の先駆的権威、『アラビアン・ナイト』の原典訳でも知られる前嶋信次の思い出話である。

 戦前期、日本におけるイスラム研究がまだ形を成していなかった頃、未開拓の領野に乗り出していこうとするロマンティズムと緊張感。時代の空気が徐々にキナ臭くなりつつある頃だけに、そうした情熱がとりわけ純粋なものとして印象付けられる。東洋学草創期の人物群像が垣間見えるほか、イスラム圏との行き来をもった人々の存在も意外で興味深い。タタール独立運動の志士で日本に亡命していたイブラーヒームのことは井筒俊彦も語っていた(司馬遼太郎との対談「二十世紀末の闇と光」)。

 私などは強い思い入れを持ちながら通読したが、他の人にとって興味ある本かどうかは分らない。ただ、前嶋の他の文章には時々叙情的なものもあるので、そうした作品と合わせて読み直してみても面白いかもしれない。

 以下、蛇足ながら大川周明について脱線。前嶋は戦前・戦中、満鉄の東亜経済調査局に勤務していた。各自の自主性が尊重され、研究環境としては恵まれていたらしい。ここの元締めが大川周明であった。世間的にはエキセントリックな右翼というイメージが強いようだが、前嶋の本書での語り口にしても、あるいは井筒にしても(東亜経済調査局のイスラム関係資料が自由に読めるよう大川から便宜を図ってもらっていた)、大川についての印象は好意的だ。

 イスラム研究の専門家からは大川の学問的パイオニアとしての評価は高い(例えば、山内昌之「イスラムの本質を衝く大川周明」『AERA Mook 国際関係学がわかる』朝日新聞社、1994年。鈴木規夫『日本人にとってイスラームとは何か』ちくま新書、1998年)。しかし、それが一般的な大川理解とは必ずしも結びついていないように見受けられる。

 もちろん、大川の学問とアジア主義者としての政治行動は密接に絡み合っている。だが、そもそも彼が“政治”に目覚めたきっかけは、神保町の古本屋で見かけた一冊の本(コットン著『新印度』)。彼にとって“哲学”の国として憧憬の的であったインドがイギリスの植民地支配に喘いでいるのを本を通して知って、それがその後の情熱的な行動に結びついているというあたり、ブッキッシュな大川の一面がうかがえる。彼のアジア主義においては学問的=理性的にアジアを認識するということが大前提であって、観念論に偏った右翼運動家とは分けて考える必要がある。“右翼”という政治的バイアスを脱色した形で大川を東洋学の系譜に位置付ける議論がもっと注目されてもいいように思う(ちなみに、『東洋学の系譜』というシリーズが大修館書店から出ており、私も好きな本だが、取り上げられている人物は残念ながら帝国大学関係者に偏っている)。

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2008年6月26日 (木)

工藤幸雄『ワルシャワ物語』

工藤幸雄『ワルシャワ物語』(NHKブックス、1980年)

 都市を描くということは、その街並に刻み込まれた記憶を掘り起こすことにつながる。現在抱えている問題がその掘り起こしに投影され、記憶と現在とが絡み合いながら街の物語がつむがれていく。

 ポーランドにおける社会主義政権の支配は他国に比べればまだ緩やかなものだったのではないかという印象が私などにはあった。しかし、自由は制限され、食糧難のあえぎは絶えなかった。何よりもソ連という重石の存在は、ロシア=ソ連やドイツという東西の大国に翻弄されてきたポーランドの歴史において常に憂鬱なものであった。本書では歌が頻繁に引用される。そこに込められた哀感は、歴史への複雑な思いをヴィヴィッドに喚起させる。

 ワレサたちが連帯を結成した時期の前後に本書は刊行されている。その後の展開は当然ながら反映されていないので、どうしても語りが古く感じてしまう。民主化・経済自由化に伴う混乱、EUへの加盟などその後の展開を踏まえると、また違ったワルシャワの姿を語ることになるのだろう。そこに興味がひかれる。

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2008年6月24日 (火)

ロバート・ケーガン『歴史の回帰と夢想の終わり』

Robert Kagan, The Return of History and the End of Dreams, Alfred A Knopf, 2008

  『歴史の回帰と夢想の終わり』という何だかすごそうなタイトルにひかれて手に取った。

 冷戦が終わり、グローバリゼーションの進展に伴って政治的にも経済的にも協調できる世界秩序が成立する──そんなのは夢想に過ぎないと本書は一刀両断、国家的な威信をかけて影響力の伸長を図るという行動は人間の本性に根ざすもので、パワー・ポリティクスの論理は今後も続くと主張する。とりわけ、中国・ロシアといった独裁国家やイスラム過激派などによって民主主義国は脅威を受けている、各地で紛争の可能性がある以上、アメリカの軍事的プレゼンスは必要だという話につなげてくる。

 国際政治上のアクター=国家それぞれの内在的性格の描写が弱いという印象を受けた。簡潔と言えば聞こえはいいけれど、果たしてどこまで説得力を持つものやら。むしろ、パワー・ポリティクスへの回帰という前提ありきで、そこに合わせて個々の国々の性格付けを行っているという恣意性の疑いも排除できない。国際政治学上のリアリズムとは、いわゆる性悪説に立って勢力均衡を図る点に特徴がある。ただし、個々の国の描写があまりにも雑に単純化されてしまうと、理論としてはリアリズムであっても、認識というレベルにおいては必ずしも“リアル”とは言いがたい、そんな矛盾が読みながら気になってしまった。

 パワー・ポリティクスという一つの観点から現状はこう整理できるという見取り図を提示してくれている点では参考になる。だけど、鵜呑みにしてはいかんでしょうな。アメリカ政権内部でのネオコンの影響力低下は見る影もないわけで、ケーガンの前著Of Paradise and Power刊行時とは違って、アメリカの出方を占う上での参考にもならんだろうし。

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2008年6月23日 (月)

『田中清玄自伝』

田中清玄・大須賀瑞夫『田中清玄自伝』(ちくま文庫、2008年)

 田中清玄の語る大言壮語は確かに面白いが、読み進めているうちに、ウソを言ってはいないのだろうけれども少々食傷気味になってしまう。誰と付き合った、喧嘩した、どんなでかいことをやった、という話からは特に汲み取るべきものもないだろう。私の関心としては共産党からの転向という点にしぼられる。

 大正・昭和初期の生真面目な青年たちは、たとえば“煩悶青年”などと表現される。今風に言うと“自分探し”的に内面世界に沈潜する一方、自分という存在を何かのために役立たせたい、もっと端的に言うなら“大義”のために命を捨てたい、そんな懊悩もあった。その対象が、たとえば当時の流行思想たるマルクス主義に向けられた。

 しかし、それは知識として、観念として身に付けたに過ぎず、皮膚感覚に訴えるような切実な確信に根を張るものではなかった。表層的なものは、時に応じてコロコロとうつろいやすい。誰だってそんなものに命を賭けたくない。だが、観念というのは自分自身を盲目にしやすい。理屈は矛盾をごまかせる。薄々、疑問が心中にわだかまりつつも、マルクス主義という大義のために命を賭けられると彼らは信じていた。

 いわゆる“転向”という現象の一つの特徴は、ある深刻な体験を契機としてそうした遊離しかねない観念と皮膚感覚との矛盾に否応なく直面させられたというところにある(もっとも、中には時局便乗的に軽薄な動きをする人物も多々見受けられたようだが…)。その結果として、理屈ばった観念を拒否するあまり、伝統的・土着的心性への過度のコミットメントが促された。大きな話につなげると、西欧化と土着という近代日本を苛んだ相克が個人レベルにおいて表われた葛藤のドラマがここに見出せる。たいていは投獄・拷問など警察権力による弾圧をきっかけとするが、田中清玄の場合にその深刻な体験とは母親の自死であった。理屈を疑い、“情”に重きを置くのも右翼の特徴である。

 清玄は、宇宙の実存をつかむ、なんて言い方をする。大きな宇宙的広がりの中にあって、“自分”などあってなきがごとし──ふと、井上日召を思い浮かべた。雲をつかむような禅問答だが、理屈以前の直覚を言葉に置き換えようとするとこう言わざるを得ないのだろう。生きるも死ぬも関係ない。清濁併せ呑む。だから、利害では動かない。清玄という人物のすごみはこうした確信にある。彼は自ら右翼を名乗るが、根本的なメンタリティーとして、右・左という政治図式とは次元が全く異なる。要は、確信があって、そのために命を捨てられるか、ということ。右翼だろうと左翼だろうと格好つけは一切通用しない。タイプは異なるが、例えば幸徳秋水などとも通じてくるのではないか。

 …しかし、まあ、こうやって理屈ばって書くこと自体が無意味なんですけどね。

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2008年6月20日 (金)

文京洙『済州島四・三事件──「島のくに」の死と再生の物語』

文京洙『済州島四・三事件──「島のくに」の死と再生の物語』(平凡社、2008年)

 先日、NHK教育テレビで四・三事件についての番組を見た。シネカノンの李鳳宇さんが済州島に残る四・三事件の傷跡を訪ねるという内容。済州国際空港、虐殺された島民の遺骸の発掘現場に、『火山島』をライフワークとしてきた金石範さんがたたずむ姿が印象的だった。

 日本の敗戦後、朝鮮半島は米ソによって分割占領され、東西対立の激化を受けて、1948年には南部単独で選挙が行なわれることになった。統一を主張する民族派の金九から左翼の南朝鮮労働党まで様々な異論が噴き出す。済州島でも南労党系の武装組織が浸透し、反対運動が盛り上がっていた。もともと済州島が流刑地であったことなどから朝鮮半島本土から差別されてきたという背景もある。米軍のバックアップを受けた治安当局や、とりわけ北から逃げてきた反共団体「西北青年団」によるアカ狩りは苛烈を極め、追い詰められた組織は1948年4月3日に武装蜂起。治安当局や右翼団体は、“アカ”の容疑者ばかりでなく、全く関係のない老人から子供まで島民を手当たり次第に処刑し、当時28万人いた島民のうち約3万人が殺害されたという。

 むかし、イム・グォンテク監督「太白山脈」という映画を観たことがある。昼は政府軍がやって来てアカ狩りを行ない、夜になると共産ゲリラがやって来て政府への内通者をリンチする、そうした政治に翻弄される山村の悲劇を描いていた。こうした政治対立が、もともと済州島が朝鮮半島本土から差別されてきたという立場な弱さがあって、極端にまで増幅された事件と考えられるのだろうか。

 四・三事件は韓国の公定史観において共産主義者による反乱事件とみなされた。戦後、反共イデオロギーを国是としてきた韓国社会において、事件の遺族は、討伐隊によって親族が殺されたというまさにその事実によって日陰者扱いを受けた。二重の哀しみを抱えねばならなかった。引け目の意識が反転して政府に対し過剰忠誠を示し、朝鮮戦争で戦死した済州島出身者が多いというのも何とも言えず複雑だ。在日韓国人社会には、事件によって日本に逃げてきて、その記憶のあまりのつらさや社会的差別のために済州島に戻れなかった人々も多いという。

 四・三事件を語ることはしばらくタブーであった。事件の掘り起こし・検証が公にも進められるようになったのはようやく近年になってのことである。四・三事件の位置づけ通して、韓国国内における記憶と政治の交錯が見えてくる。

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2008年6月19日 (木)

林泉忠『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス──沖縄・台湾・香港』

林泉忠『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス──沖縄・台湾・香港』(明石書店、2005年)

 民族でも共同体でも、ある集団に自分は帰属しているという自覚──政治学的な意味合いでのアイデンティティ──、これを明確に定義づけるのは極めて難しい。自発的に参加したのか? 同化を強制されたのか? たまたまそこに生れ落ちた運命的なものなのか? その時々に自分たちの直面している死活問題や、自分たちの前に立ちはだかる“敵”は誰なのかという認識に応じても、“自分たち”と“彼ら”との線引きは違ってくる。

 そうした流動的なアイデンティティのあり方が端的にうかがえる舞台として、本書は「辺境東アジア」という地域概念を設定する。具体的には、沖縄、台湾、香港という三つの事例が取り上げられる(できるならばマカオや済州島にも論及したかったようだ)。共通するキーワードは「帰属変更」である。

 フランス革命以来、近代的な国民国家は均質性への強迫観念を特徴とする。日本も中国も(台湾の中華民国も含む)、正統的な「中心」へと彼ら「辺境」を同化しようと圧力を強めてきた。他方、「辺境」側はもう一つの近代的イデオロギーたるリベラリズム(これは多元性を求める)をたてにとり、自分たちの独自性を強調して「中心」へと異議を申し立てる。「帰属変更」という政治的イベントによって様々な軋轢が顕在化したが、それを契機に繰り広げられるアイデンティティ・ポリティクスの諸相について大きく見取り図を描き出そうとしている点で本書は意欲的だ。

 血縁・言語・文化面での親近性は“同胞”としての情緒的アイデンティティ形成を強くしそうにも思えるが、実際には必ずしもそうではない。もちろん、こうした親近性も一つの要因ではある。しかし、ではどこに“同胞”とみなす根拠を求めるのか、そうした判断自体が事情に応じて変わってくるし、その意味で選択的に構築されたものだと言える(本書では、ホブズボームたちによる「創られた伝統」の議論を援用している)。日本による琉球処分以来の沖縄同化政策(伊波普猷の日琉同祖論も大きな影響を与えた)、その後の台湾における植民地支配、また国民党による台湾での「中国人」意識創出(これは日本による皇民化運動と同様の形を取った)など、人為的・政策的な手段によってもアイデンティティは変容し得る。人種・言語・文化などの素材もありつつ、同時にその時代における政治情勢、さらには「どっちにつくのが得策か」という功利的判断も含めて、様々な要因があざなえる縄のごとく絡みあっており、一面的な断定はできない。そうしたアイデンティティ形成プロセスの可視化しがたい複雑さを本書は具体例を通してつきつけてくれる。

 以前、台北の二二八紀念館で日本語世代のおじいさんから話をうかがう機会があった(→詳細はこちらの記事を参照のこと)。1947年、二二八事件における国民党軍による台湾人虐殺について語り、中国人への憎しみと日本への親しみとを語ってくれた。ただし、日本人としてこれを素朴に喜んでしまうのは浅慮だと私は思っている。

 当初、台湾の人々は中国への「復帰」を歓迎していた。ところが国民党は期待を裏切って弾圧を始めた。おじいさんたちの「中国人は残虐だ」という語り口には、一般論としてそうだということではなく、事件をきっかけに「中国人」を他者とみなし、事件の記憶の共有を通して「台湾人」意識が強められた、そうした形でのアイデンティティ・ポリティクスの一面がうかがえる。よく台湾人は親日的だと言われる。しかし、おじいさんの話を注意深く聞いていると、植民地支配を必ずしも肯定してはいなかった。やはり差別はあったのだから、決して気持ちの良いことではなかったと語っていた。ただ、国民党の蛮行に比べれば、日本の方がまだマシだった。あくまでも比較の問題として、国民党=中国人への憎しみが反転して親日感情が強まったという感情面での力学が働いたと言える。

 「親日」にせよ「反日」にせよ、こうした感情面におけるロジックにはアイデンティティ・ポリティクスというべき背景が見て取れる。断定的な議論で矮小化してしまうのではなく、このように輻輳する機微を一つ一つ丁寧に解きほぐしていかなければ、東アジア全体における“感情”の政治を冷静に受け止めることはできないだろう。

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2008年6月16日 (月)

東京都写真美術館「世界報道写真展~2008~」

 しばらく人知れず精神的に疲れていたので書き込みをさぼっていましたが、2週間ぶりに再開します。

東京都写真美術館「世界報道写真展~2008~」

 オランダに本部が置かれている世界報道写真財団に世界中から寄せられた写真の展示。さり気ない写真、凄惨な写真。たった一枚の写真でも、その背景に注意をこらすと、複雑な問題が絡み合っていることが芋づる式に見えてくる。

 暗闇の中、有刺鉄線に女の子用の白いドレスがひっかかっている。意味ありげな構図だ。キャプションを見ると、場所はエジプト・イスラエル国境。パレスチナ紛争がらみかと思ったが、違う。スーダンのダルフール難民が監視の眼をくぐってエジプト、さらにはイスラエルへと逃げ込み、その際にひっかかって残されたものだという。

 あるいは、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、マウンテンゴリラを引きずる人々の姿。マウンテンゴリラの生息頭数は著しく少なく、国際条約上、保護の対象となっている。密猟者を捉えた写真かと思ったらそうではなく、殺害されたマウンテンゴリラを発見し、運んでいる最中。下手人は、ルワンダからコンゴの密林に逃げ込んできたフツ族系武装勢力。ルワンダ大虐殺の実行犯として追われている。彼らによる森林伐採などの行動によって生態系は崩されてしまっているという。マウンテンゴリラ殺害の手口には、ルワンダ虐殺と同じものも見られるらしい。民族紛争と環境破壊の問題がこんなところで絡み合っている。

 最近は報道での扱いは小さくなってきているが、アフガンで展開するアメリカの軍事作戦は継続中である。パキスタンのベナジル・ブット元首相暗殺の瞬間をはじめ、ケニヤ、コンゴ民主共和国など選挙がらみの暴動の写真も目立つ。あからさまな暴力ではなくとも、児童虐待を受けたことをカミングアウトする人やレイプされた女性のポートレートは痛々しい。ポーランドのうらぶれたサーカス団、ウクライナのさびれた炭鉱町の風景には、旧共産圏の荒廃した様子がうかがえる。上海のコスプレ少女のなまめかしくも白い肌に眼を奪われる一方で、トルコ東部の山村、ようやく学校に通えるようになった少女たちの眼の輝きが凛々しく映る。

 ビルマ(ミャンマー)の軍事政権によって射殺された長井健司さん追悼のため、彼の手になる映像ドキュメンタリーが上映されていた。エイズにかかったタイの孤児たちの話。長井さんが亡くなった直後の報道番組で見たことがあったが、改めて見てやはり胸がつかれる。
(2008年6月15日、東京都写真美術館にて。8月10日まで開催)

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2008年6月 2日 (月)

レドモンド・オハンロン『コンゴ・ジャーニー』

レドモンド・オハンロン(土屋政雄訳)『コンゴ・ジャーニー』(上下、新潮社、2008年)

 西欧近代特有のロジックが全く通用しない異世界──そんなイメージでアフリカ大陸を捉え、その中に放り込まれた人間が、虚飾の剥ぎ取られた己自身をみつめていくというタイプの小説がある。たとえば、セリーヌ『夜の果てへの旅』とか、コンラッド『闇の奥』(ちなみに、この小説を翻案して舞台をベトナム戦争に置き換えた映画がコッポラ『地獄の黙示録』)なんかがそうだろう。

 本書もそんなタイプという印象を受けたが、雰囲気としてこれらとは全く正反対に陽性だ。著者のオハンロンはイギリスの紀行作家。子供の頃、長い尾羽を垂らして飛ぶ鳥の姿を図鑑で見て以来、アフリカの動物に憧れを持っていた。コンゴの奥地の湖に恐竜が生き残っているという話を聞き、アメリカ人の生物学者ラリーと一緒に、現地の科学者マルセランの案内で密林の中へと分け入る。

 冒頭、予言者の婆さんに占ってもらうシーンから、読者は超現実的な異世界へとたちまち取り込まれてしまう。虫やら疫病やら現地の不可解な慣習やらで、二人の白人は疲労困憊。彼らが目の当たりにしているものが夢かうつつか分からなくなってくる。写真も挿入されているから実体験に基づくノンフィクションなのだろう。しかし、何となくマジック・リアリズムっぽい、と言うのが適切かどうかは分からないが、現実世界の境界線が崩れてくるような不思議な感じがとても魅力的で一気に読み進んでしまった。

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