「マンデラの名もなき看守」
「マンデラの名もなき看守」
陸地から隔絶した監獄・ロベン島に赴任した看守のジェームズ・グレゴリー(ジョゼフ・ファインズ)。家計は貧しく、妻からは早く昇進するようせがまれている。赴任早々、特務機関の少佐から呼び出された。コーサ語ができるのを見込まれ、ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバート)担当の検閲官に抜擢されたのだ。最初は他の白人と同様に強硬な人種差別主義者だったグレゴリーだが、マンデラの人柄に触れるうち、徐々に考え方が変わっていく。
休暇に家族でケープタウンの街に行っても、物々しい警察車輌が走り回り、白人警官が黒人を警棒で容赦なく殴りつける有り様には、ほとんど戒厳令下と言ってもいいくらいにキナ臭い緊張感が漂っていた。アパルトヘイトも末期症状。マンデラを殺すことで南アフリカ全体が暴動の渦に巻き込まれてしまうのを恐れた政府は、彼の隔離・懐柔に腐心していた。
グレゴリーの、白人社会の中で“クロびいき”となじられる孤独感、そして自分が特務機関に伝えた情報によってマンデラの息子が殺されてしまったのではないかという後悔。他方、何があっても動じないマンデラの毅然とした態度。二人の姿を抑え気味のタッチで描き出しており、それがかえって静かに胸をうつ。
原題“Goodbye Bafana”のBafanaとは、グレゴリーがまだ差別意識を植え込まれていなかった幼い頃に一緒に遊んでいた黒人少年の名前。白人の大人たちが「黒人はみんなテロリスト」と当たり前のように言い放つ一方で、黒人が殴られるのを見たグレゴリーの娘が悲しそうにおびえる姿には、人種差別意識は刷り込みで構築されたものに過ぎないという主張が込められているのだろう。
アパルトヘイト後の南アフリカは、これまで対立しあってきた人種間の憎悪をいかに和解させるかというテーマに直面している。この映画で描かれた二人の交流はそのうまくいったケースを示していると言えるが、実際にはプラス面でもマイナス面でも複雑な要因が絡まりあっているようだ(阿部利洋『真実委員会という選択──紛争後社会の再生のために』岩波書店、2008年を参照)。
なお、些細なことだが、劇場で買ったプログラムに社民党の福島瑞穂が寄稿して、マンデラ及びANC(アフリカ民族会議)の気高さの例として核兵器を廃絶したことを挙げているが、事実関係の認識が間違っている。確かに南アフリカは一度核兵器を保有したにもかかわらず廃棄をした唯一の例であるが、それは白人政権の時代に実行された。アパルトヘイト政策による国際的孤立感、周辺黒人国家との紛争可能性に極端なまでに敏感になっていた南アフリカ政府は秘かに核兵器を開発・保有していたが、アパルトヘイト廃止が決定され(1991年)、黒人政権の誕生がほぼ間違いない情勢となっていた1993年に核兵器を廃棄した(マンデラの大統領当選は1994年)。理由は、ANCと関係のあったリビアなどへの核拡散の懸念があったこと、そしておそらくは黒人なんかに核は渡せないという人種差別的な感情。
【データ】
原題:Goodbye Bafana
監督:ビレ・アウグスト
2007年/フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・南アフリカ/117分
(2008年5月25日、シネカノン有楽町1丁目にて)
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