マイケル・ウォルツァー『寛容について』
マイケル・ウォルツァー(大川正彦訳)『寛容について』(みすず書房、2003年)
民族、宗教的共同体、地域共同体、その規模や性質は様々であれ、人は何らかの具体的な人間関係の中に生れ落ちる。その中で育まれることは、生きていく上での足場をつくりあげることができるだろうし、他方、束縛に嫌気がさすかもしれない。プラス・マイナスいずれにせよ、共同体的な価値意識から純粋に自立した個人モデルは現実にはあり得ない。コミュニタリアニズムは別に個人の自由を否定しているわけではなく、リバタリアニズムの内包する空想的な観念性が人間の生身の関係性を無視しているところに矛先を向けていると考えるべきだろう。
共同体的関係は現実としてあるし、否定するべきでもない。しかし、民族紛争にせよ宗教対立にせよ、一定の価値観にそってグループ分けされた人々が互いの誤解や無理解から争い合ってきた事例は歴史上枚挙に遑がない。異なる来歴を持つ集団がいかに平和的に共存できるのか。本書は“寛容”(toleration)というキーワードを軸に概括的な考察を行なう。無関心的・排他的な共存というよりも、互いに積極的に関わり合いながら調整を進めていくという点に著者の主眼は置かれている。
五つの類型が挙げられる。①多民族帝国。古代ペルシアやローマから、オスマン帝国、ソ連など。本書では例示されていないが、ハプスブルク帝国も好例だろう(→「ハプスブルク帝国について」の記事を参照のこと)。②国際社会。内政不干渉を原則とする主権国家の共存。③多極共存・連合。ベルギー、スイス、キプロス、レバノンなど、いくつかの民族が対等な立場で一つの国家を形成している場合。④国民国家。内部に自立的な共同体を形成することは許されないが、個人のライフスタイルの違いを守る権利として価値観の多元性は擁護される。⑤移民社会。具体的にはアメリカ。
“共同体”の線引きは多様なレベルであり得るし、また“寛容”の対象を個人に置くのか、集団に置くのかに応じて議論のあり方も大きく変わってくる。“共同体”と“寛容”というキーワードで考えるとき、大きな論点は二つ出てくる。第一に、共同体同士の争い。この場合、上記で示された共存のための調整に工夫をこらすことになる。第二に、ある共同体が内部の構成員に対して圧迫を加えた場合、それこそ、ジェノサイドのような看過しがたい人権抑圧が行なわれたとき、外部の者はどうすればいいのか? 上記②の内政不干渉原則に立つ場合、放っておくという態度も、これはこれで広い意味での“寛容”の原則内に収まってしまう。
マイケル・ウォルツァーはアメリカの代表的なコミュニタリアン(共同体論者)。マイノリティーとの多元的共存を訴え、彼らの立場の弱さと経済的格差とが結びついてしまわないよう再配分政策を主張するなど、もともとリベラル左派の知識人として知られていた。ところが、イラク戦争に際しては、ためらいながらもブッシュ政権を支持した。彼の関心は人権擁護にあり、国益重視の保守派とは一線を画す。その点では、マイケル・イグナティエフのような“リベラル・ホーク”(リベラルなタカ派)に近い(→マイケル・イグナティエフ『軽い帝国』の記事を参照のこと)。私自身はブッシュ・ドクトリンを支持するつもりなど毛頭ない。ただし、人権抑圧阻止のための軍事力行使という逆説をはらんだ議論にも真摯な問題意識があることには留意しておかねばならない(→映画「ホテル・ルワンダ」、ソマリア問題についての記事を参照のこと)。
先日、ダライ・ラマ14世来日時の記者会見の模様をテレビで見た。あくまでも非暴力主義堅持、北京オリンピック支持を表明することで、中国政府の強硬策と同じ土俵にはのらず、むしろ彼らの非難がいかに見当違いであるかを際立たせたことは非常に賢明で、感銘を受けた。「私は悪魔ではない。中国政府の言うことを真に受けたイノセントな人々から誤解されているのが悲しい」という発言には、共産党支配の体制下、言論統制の行なわれている社会の問題を考えさせられる。チベット問題ひとつを見ても、中華人民共和国は決して寛容な社会とは言いがたい。実利重視の日本の財界人が上記②の立場からチベット問題を無視するのは理解できる。しかし、常々人権の普遍性を根拠に論陣を張ってきた進歩派の人々から中国政府に対する強硬な非難の声が聞こえてこないことには奇妙な矛盾と胡散臭さを感じてしまう(もちろんアピールは出しているようだが、所詮申し訳程度に過ぎない)。
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