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2008年4月 2日 (水)

ハプスブルク帝国について

 「太陽の雫」(1999年)という映画を観たことがある。あるユダヤ系ハンガリー人一家四代を主軸に第一次世界大戦から共産主義体制までハンガリー現代史を描き出した大河ドラマだ。初めの方、第一次世界大戦で軍医として出征する一家の長男がフランツ=ヨーゼフ1世に拝謁し、感激に打ち震えるシーンがあったのを覚えている。

 オーストリア=ハンガリー帝国は複雑な多民族国家として独特なシステムをとっていた。大津留厚『増補改訂 ハプスブルクの実験──多文化共存を目指して』(春風社、2007年)を読むと、軍事、教育、選挙、言語政策、行政システムなど各面で諸民族の危ういバランスをとろうといかに工夫を重ねていたかが分かる。

 オーストリア・マルクス主義にカウツキーやオットー・バウアーなど民族問題の理論家が多いのもこうした背景がある。ただし、多言語状況と軍隊や行政の効率性とはなかなか両立しがたい。カフカの小説に見られる迷宮構造に帝国の煩瑣な官僚制の影を指摘する論者もいたように記憶している。第一次世界大戦においてオーストリア=ハンガリー帝国の弱体な軍隊はロシア軍相手に大敗し、ドイツ軍部に依存してその言いなりにならざるを得ない立場に追い込まれてしまった。

 様々な問題をはらみつつも、多民族共存、具体的にはヨーロッパ統合の先駆的モデルとしてオーストリア=ハンガリー帝国はしばしば注目されてきた。早くにはクーデンホーフ=カレルギーの汎ヨーロッパ構想が知られているし、ハプスブルク家最後の当主オットー・ハプスブルクも戦後、欧州議会議員(ドイツ選出)としてヨーロッパ統合問題に取り組んでいた。近年はバルカン半島で再び激化した民族紛争を踏まえ(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴビナはオーストリア=ハンガリー帝国領もしくはその勢力範囲にあった)、中東欧史研究では多民族共存が大きなトピックとなっている。

 オーストリア=ハンガリー帝国の多民族共存政策においてハプスブルク家の果した役割は極めて大きい。ハプスブルク家の皇帝はもちろんドイツ人である。ところが、マリア=テレジアはウィーンの窮屈な宮廷を嫌い、ハンガリー人の武骨さを愛したので彼らから慕われた。ヨーゼフ2世はチェコ人に好意を寄せたため、やはり彼らからの支持を得た。つまり、ドイツ人が他民族を支配するという構図ではなく、ドイツ人も含めて各民族が横並びになって、それぞれの民族が直接皇帝に忠誠を誓う。ハプスブルク家が扇の要となる形で帝国は維持されていたのである。

 19世紀、チェコ民族主義の理論的指導者であった歴史家のパラツキーは、チェコ人の民族的権利を要求すると同時に、そのためにこそハプスブルク家の存在が不可欠であり、その下でゆるやかな連合体に組み替えることを主張していた。チェコ人だけで独立すると、西のドイツ、東のロシアに呑みこまれてしまうという懸念があったからだ。実際、第一次世界大戦の結果として独立したチェコスロヴァキアはナチス・ドイツ及びソ連という強権的な帝国の餌食となってしまった。

 フランツ=ヨーゼフ1世という人物には興味がある。1848年、いわゆる三月革命の動乱の中、18歳で即位。第一次世界大戦さなかの1916年に亡くなるまで68年にもわたる在位期間。生真面目な性格で、質素な生活スタイルを貫きながら黙々と執務に専念していた。皇后エリーザベトの暗殺、ナポレオン3世にそそのかされてメキシコ皇帝となり銃殺された弟マクシミリアン、皇太子ルドルフの心中事件(『うたかたの恋』のモデルとなった)と相次ぐ家庭的な不幸。そして、皇位継承者となっていた甥のフランツ=フェルディナントは1914年にサライェヴォで暗殺され、第一次世界大戦が始まる。

 第一次世界大戦後、民族自決論に基づいて中東欧で新しい国々が生まれた。ここにおけるナショナリズムは、具体的には一民族=一国家を目指す国民国家イデオロギーを意味する。中東欧の入り組んだ民族分布状況においてこの原則を適用しようとすれば、国境線の引き方、少数派への同化圧力など様々な軋轢が激しくなるのは明らかであった。チェコ国内ズデーテン地方のドイツ人問題はナチスの膨脹主義の口実となったし、ユーゴ紛争の火種の一因もやはりこの頃にある。第一次世界大戦を契機にオーストリア=ハンガリー、ロシア、オスマンといった帝国が相次いで崩壊したが、これは時代遅れとなった古い体制がほころびたというだけでなく、19世紀以来の国民国家イデオロギー(これは国家内の均質性を求める)が持つ強烈なエネルギーが“帝国”の政治的多元性を否定したという側面があったことも無視できない。

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