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2008年4月 5日 (土)

「リリィ・シュシュのすべて」

「リリィ・シュシュのすべて」

 ひところ、14歳という年齢に注目の集まったことがある。神戸の「酒鬼薔薇」事件の少年は14歳であった。登場人物の精神的葛藤に踏み込み社会現象ともなったアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の少年少女も14歳。池田晶子さんの大ベストセラーも『14歳からの哲学』。

 私自身、中学生の頃を振り返ると、毎日が暗かった。健康面でも生活面でも特に問題はなかったし、むしろ恵まれていたと思う。しかし、表には出さなかったが、何か足場のないもどかしさにいつもイラついていた。子供の頃の純粋な感受性、それは無邪気でもあり同時に残酷でもあるが、大人になろうと背伸びをするとき、人によっては自らのアンバランスに戸惑ってしまう。戸惑いは、幼い頭では論理化=自覚化されず、自分自身でもとらえどころのない漠然としたわだかまりに身もだえし、苛立つ。しかも、そのことを周囲には理解してもらえないという絶望感、被抑圧的意識がそうした苛立ちをいっそうつのらせてしまう。「最近の子供は理解できない」という言説が普通にまかり通る。しかし、本人にすら分からないものを、「理解できる/理解できない」という無意味な基準を立ててカテゴライズしようという発想自体が本来的におかしい。「理解できる」とカテゴライズされるものは、実はとんでもない偽善なのではないか、人間が不可避的に抱え込まざるを得ないこのわだかまった何かを汲み取ったことにはならないのではないか──あの頃の私自身の心象風景を現在の時点で振り返ってまとめるとそんな感じだったように思う。

 この映画で、いじめられっ子からいじめっ子へと立場を変える星野(忍成修吾)を観ながら、こんなややこしいことを考えていた。

 蓮見(市原隼人)は中学生になって星野と出会った。優等生で家は裕福、お母さん(稲森いずみ)は若くてきれい、そんな星野に蓮見はあこがれる。夏休み、彼らは仲間と一緒に沖縄へ行った。南国の楽園イメージとは異なり、過酷な生存競争の激しい自然の生態系に驚き、そして、親しくなったバックパッカー(大沢たかお)が交通事故で血まみれになった姿を目の当たりにする。人間はいつでも死に得る──。夏休みが終わり、二学期が始まった。性格の一変した星野の存在は、クラスの空気を変えてしまう。

 音楽に何かを感じるということは、理屈というウソが混じらないだけに純粋でリアルだ。しかし、リリィ・シュシュの歌声に魅せられた者同士、つまり互いに分かり合えたはずの者同士が、実際には傷つき、傷つけられるということがあり得る。共感し合い、かつ傷つけ合う、一見矛盾ではあるが、この残酷さも現実である。良い悪いという話ではない。

 初夏の緑、晩秋の黄昏色、いずれも鮮やかな色合いに染まった田んぼが広々とひろがる光景は胸がすくように美しい。その中で、少年少女たちが、忍成、市原、蒼井優それぞれがヘッドホンに耳を当てている姿が、とりわけ忍成が叫ぶ痛々しい姿が印象に強く残る。

 私がこの映画を観たとき、すでに二十代も半ばになっていた。私よりも少し下の世代にこの映画が好きだという人が多いように思う。いじめ、援助交際、少年犯罪など時事性を感じさせるモチーフでストーリーは進むが、そうした表面的なものではなく、映像に浮かび上がってくるもっと切なくて痛々しい感性的なものがリアルに感じられたのではないか。

【データ】
監督・脚本:岩井俊二
音楽:小林武史
出演:市原隼人、忍成修吾、蒼井優、伊藤歩、稲森いずみ、大沢たかお、市川実和子、田中要二、吉岡真由子、他
2001年/146分

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