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2008年4月 7日 (月)

レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』

レオ・シュトラウス(添谷育志・谷喬夫・飯島昇蔵訳)『ホッブズの政治学』(みすず書房、1990年)

 本書を読んで私が興味を持ったのは次の二点。

 一つ目。「万人の万人に対する闘争」という自然状態において死の恐怖にさらされる中、自己保存を図るため各自の自然権を統治者にあずけて社会契約が行なわれたとするのが一般的なホッブズ思想の説明であろう。

 しかし、それは単に功利的・打算的な動機によるものではない。シュトラウスによると、ホッブズは人間を駆り立てる様々な情念の中でも、虚栄心に着目したのだという(「かれはすべての情念を虚栄心のもろもろの変様として把握し、そして理性を恐怖と同一視するのである」183ページ)。

 つまり、人間は虚栄心にとらわれ、虚栄心が暴走して理不尽な行動を取ることがある。そうした虚栄心を解きほぐし、理性的な振る舞いへと立ち返らせるきっかけとなるのが死の恐怖なのである。「現実世界の抵抗を自分自身の肉体に感知することによって人間はかろうじてこの夢想の世界から覚醒し、正気に帰ることができる。要するに、『損傷経験』を通して人間は理性的になるのである」(24ページ)。

 情念は人間を行動へと駆り立てる動因ではあるが、同時に、自分は死ぬかもしれないとはたと気づく瞬間がなければ、己の弱さに向き合うことはない。情念からいったん離れた立場に立つことで、自らの置かれた状況を冷静に客観的に認識するきっかけをつかむことができる。「虚栄心は人間を盲目にする力であり、恐怖は人間を啓蒙する力」である(162ページ)。人間の行動の対自的把握を通して政策立案につなげるのが政治であるとするなら、虚栄心→死の恐怖→理性的認識というホッブズの示した視点に近代的政治学の原点は求められる。この場合の虚栄心には、現代的観点からするならいわゆる政治的イデオロギーを含めて考えるべきであろう。

 二つ目。シュトラウスは「ホッブズにとって基準となる信念は、近代に特有なものである──いやむしろわれわれとしてはこういいたい。その信念こそが近代的意識の最下、最深の層にほかならない」(7ページ)と言う。近代的意識の最深層とは何を指すのか? 訳者解説によると、シュトラウスは「前進」という人間の「自己意識」をホッブズの中に見出したのだと指摘される。「最も愉快なものは、さらにはるか遠くの目標へ向かっての前進であること、享受それ自体には本質的に不満足が内在していること、そして不満足の激痛なしにはいかなる快適なものも存在しないこと」、「ホッブズは『より激しい』ものをより善いものとして特徴づけるのである」。つまり、他人との優劣の比較を通して、さらに前へ、さらに前へと進もうとする意識である(166~167ページ)。こうした進歩の幻想もまたひとつの虚栄心だと考えるならば、これを相対化し解体することが政治哲学の役割だと言える。

 シュトラウスは序文でこう記す。「わたくしは、近代的思惟が、前近代的思惟に対して決定的に進歩を成し遂げたという、その自信ないしは確信を喪失してしまったことを確認した。またわたくしは、近代的思惟がニヒリズムか、あるいは実際上それと同じことだが、狂信的な蒙昧主義かに転化するさまを目の当たりにしたのである」。本書が1930年代、ナチス台頭を目の当たりにしながら亡命ユダヤ人の手によって書かれたことを考え合わせると、ホッブズという古典の研究にも奥深い含蓄が感じられる。

 レオ・シュトラウスは1899年、正統派ユダヤ人家庭に生まれた。ヤーコビの認識論に関する研究でハンブルク大学より哲学博士号を授与され、1922年にはフライブルク大学でフッサールやハイデガーから影響を受ける。1932年までベルリンのユダヤ主義研究所に在籍する一方で、コジェーヴ、レーヴィト、ガダマーなどと交流。ナチスの台頭と共にイギリスへ渡り、ホッブズ研究に取り組む。その後はアメリカのシカゴ大学で政治哲学の講義を行ない、いわゆる“シュトラウス学派”を形成した。この流れには『アメリカン・マインドの終焉』で知られるアラン・ブルームがいる他、ポール・ウォルフォヴィッツなどネオコンにも一定の影響を与えたと指摘する人もいる。

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