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2008年4月

2008年4月28日 (月)

ポール・コリアー『最底辺の10億人』

Paul Collier, The Bottom Billion : Why the Poorest Countries Are Failing and What Can Be Done About It, Oxford University Press, 2007

 前にジェフリー・サックス『貧困の終焉』の記事で触れたように、いまや全世界人口60数億人のうち、6分の5に相当する人々はすでに経済開発の梯子に何らかの形で手をかけている。もちろん程度の差はあるにせよ、ひとたび手をかけることさえできてしまえば、将来の展望は決して暗くはない。

 しかし、経済開発の梯子から完全に切り離され、先の見通しの全く立たない人々が取り残されてしまっている。the bottom billion──最底辺の10億人、つまり全世界人口の6分の1にあたる人々である。ほとんどがアフリカ諸国である。国連のミレニアム・プロジェクトでは貧困撲滅の開発目標が掲げられているが、その目標では対象を広げすぎてかえって効果が少ない。従って、この最底辺の10億人にしぼりこむべきだとポール・コリアーは主張している。

 援助団体に多く見られる左翼志向の人々は、第三世界における貧困の原因を資本主義のグローバリゼーションに求めようとするが、市場経済の構築を通して輸出志向の国づくりを進めることが貧困解消に有効であることをイデオロギー的に否定してしまうのはおかしいと著者は批判する。また、ジェフリー・サックスについては、彼の情熱には共感できるものの、援助に重きを置きすぎていると指摘する。では、市場経済主義が万能かといえば、そうでもない。国内的な条件が整わないうちに経済自由化を進めてしまうと、せっかく投下された資本や訓練を受けた人材が海外に流出してしまう。取るべき手段に関して特定の政治的立場による偏見を持ってはならない。問題の対象はしぼりこみ、解決の手段に関してはあらゆるものを組み合わせるべきだ。

 貧困から脱け出せなくしている足かせをtrap=罠と表現している。紛争の罠、自然資源の罠(後述)、内陸国の罠(being landlocked、サックスも指摘していたが、地政学的に輸送コストが高くつく問題)、腐敗・非効率なガバナンス(bad governance)の罠など。その国が抱えている罠の種類や組み合わせによって、対処すべき方法はそれぞれ異なる。この点ではサックスの臨床経済学の考え方と同じだ。援助、安全保障、法や憲章による国際的な制度枠組みづくり、貿易など、適宜有効な手段を組み合わせること。

 紛争の罠に対しては軍事干渉も有効だ。イラクのように泥沼の交戦状態に入らなくとも、軍事的な威嚇を示して紛争を抑止することは可能である。極端な例だけをピックアップして否定しまうのはそれだけ可能性を狭めてしまうことだ。イラク問題に関しては、戦争によって体制転換を行なおうとした現状と、それ以前に平和的に体制転換を促した場合とでのコスト試算を示し、後者の方法への努力を促す。

 紛争終結直後の援助が一番危険だという。金の臭いをかぎつけた軍部がクーデターを起こしやすいからだ。紛争終結直後の援助では、金をその国には渡さず、スタッフの雇用・派遣によって技術援助を進める方がいい。数年ないし10年くらい経ち、人的・システム的基盤が整ってから、戦略的・集中的に金銭的援助をつぎこむ。そうすれば、現在のようにダラダラと金を渡すよりもはるかに経済的なテイクオフに効果的である。この段階になれば、粗野な軍閥指導者に対抗できるだけのテクノクラート層が育っており、彼らの改革志向の努力を国際社会は応援すべきだと本書は主張する。

 自然資源の罠には経済面・政治面の二つで問題がある。経済的には、自然資源輸出に依存すると、国内産業力に比して通貨価値が上昇してしまい、国際競争力が弱まってしまう(Dutch Disease=オランダ病というらしい)。政治的には、たとえ選挙による民主主義が制度として実施されても、自然資源による収入を握る指導層が利権誘導を行って腐敗が温存されてしまう。現在、中国はアフリカで資源外交を展開しているが(もう一つの理由は、台湾承認国の切り崩し)、これが“最底辺の10億人”の貧困状態を固定化させてしまっている、中国から彼らを守るべきだと警鐘を鳴らす指摘(pp.86-87)が目を引いた。

 ポール・コリアーは世界銀行に勤務した経験があり、現在はオックスフォード大学アフリカ経済研究所の教授。今年、国連の潘基文・事務総長が年頭の記者会見で「2008年を“bottom billion”の年にしよう」と語ったように(→http://www.un.org/News/Press/docs/2008/sgsm11360.doc.htm)、近年、このキーワードは注目を集めている。

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2008年4月26日 (土)

ジェフリー・サックス『貧困の終焉──2025年までに世界を変える』

ジェフリー・サックス(鈴木主税・野中裕子訳)『貧困の終焉──2025年までに世界を変える』(早川書房、2006年)

 世界の全人口60数億人のうち、6分の1が高所得の先進国だとすれば、残りの6分の5を貧困にあえぐ発展途上国として一くくりにしてしまうイメージがかつてはあった。しかし、いわゆるBRICS、とりわけ中国に顕著なように、各国での大きな経済発展の動きは現在では珍しくない。極貧国のパーセンテージは全体としては低くなり、世界人口の6分の5までが経済開発の梯子に、程度はそれぞれ違うにせよ、何らかの形で手をかけている。

 しかし、残りの6分の1、とりわけアフリカ諸国は依然として極度の貧困にあえいだままだ(ポール・コリアーの著作のタイトルでいうと、The Bottom Billion=最底辺の10億人)。また、中国やインドのように一国内で経済格差が極端に開いてしまったケースもある。すべての国が、すべての人々が、経済的にテイク・オフするにはどうすればいいのか? 経済成長は、奪ったり奪われたりのゼロサム・ゲームではない。必ず方法があるはずだ。

 IMF・世界銀行は、経済開発に失敗した国々の問題として、ガバナンスの腐敗・非効率、市場に対する政府の過剰介入、財政赤字、国有企業の多さといった点に注目し、開発計画の条件として政治改革、経済自由化、緊縮財政、民営化を求めた。もちろん、基本的に間違ってはいない。ただし、前提条件がそれぞれ異なる国々に対して一律の対策を押し付けたことで大混乱をきたしてしまったケースは枚挙に遑がない。また、援助にしても、援助国側が拠出する金額が初めにありきで、個々の事情はあまり考慮されていない。

 経済開発の梯子の端っこでもとにかく手をかけることさえできれば、あとは自力で何とかできる。しかし、様々な罠に足を絡めとられてしまって、その梯子に手が届かないというのが極度の貧困にあえぐ国々の問題なのである。何よりも、貧困そのものが泥沼となっている。食うに精一杯、いや食うことすらできない飢餓状態にあっては、貯蓄など問題外。余剰がなければ投資はできない。地理的制約による高い輸送コスト、厳しい気候条件、エイズやマラリアなどの病気。基本条件が全く備わっていないのだから、経済開発のための手段などあるはずもない。こうした基本条件は市場競争の前提であって、市場競争そのものが供給することはできない。

 援助を与えて、食わせて依存状態にさせて現状を固定化させてしまうのではなく、経済開発の梯子に彼らの手が届くように助けることが課題である。戦略的・集中的投資・援助によって、一人あたりの資本蓄積について余剰を貯蓄に回せるレベルまで一挙に押し上げる。戦力の逐次投入は何の結果ももたらさないことは兵法の常識だ。援助国側の負担は一時的に増加するが、それは最貧国が経済開発を自力で行なえるようになる基礎条件を整えるまでのこと。トータルで考えれば現状維持よりも負担額は少なくなる。目的は、彼らが自力脱出できるように極度の貧困をなくすことであって、すべての貧困をなくすことではない。

 急患に対応する臨床医学をヒントに、臨床経済学を提唱しているところに本書の特色がある。国によって抱えている事情は千差万別なのだから、一律の対策を押し付けるのではなく、まず個別に診断する必要がある。一つの問題は別の問題と絡み合っており、その複雑さを解きほぐさねばならない。また、先進国側の貿易障壁によって産品を輸出できない、巨額な負債が重圧となっている、隣国から流入してきた難民が足かせとなっている、など、一国だけでは解決できない問題もあるため、その国の置かれた環境的条件にも注意を払わねばならない。そして、取られた手段がどれだけ有効であったか、臨床治験的に観察と評価を行なうことも欠かせない。

 人口爆発によって、一人あたり資本蓄積が低くなっているという問題がある。しかし、経済開発の進展は出生率の低下につながる。乳児死亡率が改善されれば、子供が死ぬ可能性に備えてたくさん産むという傾向に歯止めがかかる。女性のエンパワーメントが大切だ。女性自身が働いて稼ぐようになれば、子育てに要するコストと比較して、子供を産まないという選択肢も現実的になる。避妊手段も普及する。

 本書には、ボリビア、ポーランド、ロシア、中国、インド、そしてアフリカ諸国の問題に著者自身が関わったエピソードが盛り込まれており、話題の展開は具体的だ。ジェフリー・サックスは29歳でハーヴァード大学教授となった俊英。もともとは国際金融論を専門としていたが、ボリビア政府の経済アドバイザーとなったときに貧困の問題に目を開かされ、開発経済学へ転身したという。現在はコロンビア大学地球研究所所長。国連のミレニアム開発プロジェクトの取りまとめ役でもある。新刊として、Common Wealth: Economics for a Crowded Planet(Penguin Press, 2008)が刊行されたばかりで、一応入手はしたのだが、来年くらいまでには翻訳が出るのではないか。

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2008年4月24日 (木)

『ラ・ロシュフコー箴言集』

 本棚の手に取りやすいところに、折に触れて目を通す古典を並べてある。『ラ・ロシュフコー箴言集』もそうした一冊だ。邦訳も色々とあるが、私の手もとにあるのは吉川浩訳『ラ・ロシュフコー箴言集 運と気まぐれに支配される人たち』(角川文庫、改訳・1999年)。

 読んだ年齢に応じて注目する箇所が違ってくる。たとえば、「われわれに足りないのは、力よりも意志である。われわれが、物事を不可能と思い込むのも、とかく、自分自身に言い訳するためだ」(22ページ)とか、「われわれは、自分の真価によって、心ある人に認められ、星の回り合わせによって、世間に認められる」(54ページ)とかに赤線を引っ張ってあるのは、壁にぶつかってもがいていた頃だな。古典は、その読み方によって、その時々の自分を映し出す鏡のようにもなるのが面白い。読み方の間口が広いからこそ、時代や地域を超えて読みつがれてきた。それが、古典というもの。

 先日、レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』を読み、人間の虚栄心に着目したホッブズの視点はラ・ロシュフコーとも共通するという趣旨のことが書かれていて、それで思い出して久しぶりにひもといてみた次第。モンテーニュの『エセー』にしてもそうだが、いわゆるモラリスト文学に時折見られるシニカルな寸言は心に結構深くグサッとくる。

 私は、社会科学でも、思想や文学でも、毒気のあるニヒリズムをどこか感じさせる作品でないと、食い足りないという不満が残ってしまう(その反動なのか、あまっちょろい感傷に逃げたくなることもあるが)。

 斜に構えたニヒリストがイヤな奴かと言えば、そんなことはない。彼らは心の奥底では理想主義者でもある。ただ、見たくないと思うものがあっても、目を背けることができない。楽観論を額面通りに信じ込める人は、単に思慮が足りないというだけのこと。その最たるものが虚栄心。耳に心地よい理想論と虚栄心は同類だと思っている。
「他人をだまして気づかれないのは困難だが、自分をだまして、それに気づかないのは簡単だ」(42ページ)
 自分自身をだまくらかすというも、生きていく上での一つの知恵だとは思うが、虚栄心にしても理想論にしても、押し付けがましいので周囲の人間にとっては迷惑この上ない。

 理想論は、言ってしまえば理屈でこねくり上げたもの。他人から与えられたもの。本来の生身の自分を否定して、空想の鋳型にはめこもうとする結果、永遠に埋まることのないギャップに怨嗟の声をあげるのが関の山。プロクルステスのベッド。何か、ニーチェだね。
「人は、自分の持って生まれた性質によって物笑いになるのではない。自分にありもせぬ性質を真似て物笑いになる」(47ページ)
「ありもせぬ自分を見てもらおうとするより、ありのままの自分を見てもらった方が、ずっと自分のためにもなるのだが」(124ページ)

「人間一般を知るのはた易いが、一人の人間を知るのは難しいのだ」(119ページ)
 普段の人付き合いでも、それから社会科学の議論をフォローするときにも、この言葉は忘れないようにしておきたいな。

「人間とは惨めな存在である。なんとかして 情念を満足させようと努めながら、絶えず情念の横暴に苦しんでいる。人間は、情念の暴虐にも、情念の束縛から脱するためなすべきことにも耐えられないのだ。情念もいやだし、それを直す薬もいやなのだ。病気の苦痛も、それを直す努力も辛抱できないのだ。」(145ページ)
 人間の意識領野の深みに自分自身ではコントロールできないエネルギーを措定して、その変容として善悪是非とは違うレベルにおいて人間行動を把握しようというところにフロイトの議論の勘所があるとすれば、精神分析学の知見は特に真新しいものでもなかったことが分かる。ま、よく知られていることですが。

「われわれは、人生のどの年齢にも、全くの新人として到達する。だから、いくら年を取っても、その年齢においては、とかく経験不足、ということになってしまう。」(112ページ)
 年長者と雑談していたときに、この言葉をさり気なく口に出したら、えらく感心されたことがある。ちょっと気の利いた表現を探してストックしておけば、社交術にも役立つかもしれない。

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2008年4月21日 (月)

「ニライカナイからの手紙」

「ニライカナイからの手紙」

 竹富島の明るい陽光が良い感じだ。風希(蒼井優)のもとに、東京の病院に入院している母親(南果歩)から誕生日ごとに手紙が届く。会いに行きたいと言っても、おじい(平良進)は許してくれない。20歳の誕生日になったら理由を説明してくれると母の手紙にはあるが、写真の勉強をしたい風希はおじいの制止を振り切って東京へ行く。

 生まれ故郷の濃密な人間関係があり、何よりも亡き母からの手紙があるからこそ、これらが足場となって風希は東京でも頑張れる。風希がおじいの態度に不満たらたらだったように束縛もあるが、他方で、帰ればいつでも暖かく受け容れてくれる人々がいる安心感。もちろん、現実にはあり得ない美化された“故郷”観ではあろうが、私は嫌いじゃない。私はコミュニタリアニズムにどちらかというと同情的だが、それは理屈としてではなく、こうした良い意味での共同体への憧憬があるからだ。

 以前、宮台真司がラジオ番組で、最近の日本映画ファンは宮崎あおい派と蒼井優派に分かれる、と言っていたように記憶している。宮台は蒼井優派だという。その頃の私は断然、宮崎あおい派だったが、最近は蒼井優派に傾きつつある。実は、蒼井優がそんなにかわいいとは思っていない。ただ、私の興味を引く映画によく出演しているので目に馴染んできた。最初に「リリィ・シュシュのすべて」を観たときは少々がっかりしていた覚えがあるのだが、改めて見直してみると、一体何を観ていたのかと自らの盲を恥じる。「フラガール」での演技で一挙に蒼井優ファンになったし、最近では「人のセックスを笑うな」で見せたのびやかなあどけなさも良かった。顔立ちとしては今でも宮崎あおいの方が好きなのだが、最近は、青山真治作品を除けば、私が観たいと思う作品に出てこないんだよなあ。「篤姫」なんて一度も観たことがない。

【データ】
監督・脚本:熊澤尚人
113分/2005年
(DVDにて)

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雑談と、最近観たDVDの備忘録

 ここ一週間ばかり、頭が疲れていて、書き込みする気力がなかった。とりあえず生きてますよ、ということで適当に。

 この土日には、ジェフリー・サックス『貧困の終焉』、Paul Collier“The Bottom Billion”、フロイト『幻想の未来/文化への不満』『人はなぜ戦争をするのか』、それから小説(宮部みゆき『誰か somebody』、朱川湊人『花まんま』)など読んだが、また機会を改めて。

 数日ぶりに自分のブログを見て、アクセス数がピョンと跳ね上がっているので驚いた。松井冬子でガンガン検索されているらしく、私の過去の記事(→「日本画家、松井冬子」)にも多数のアクセスが続いている。そういえば、昨晩、帰宅が遅くなって、テレビをつけたらNHK教育テレビで松井冬子特集をやっていた。もう終わる間際だったが、松井の対談相手の上野千鶴子が、幸せがどうたらこうたらと間抜けなこと言っており、妙な違和感あり。布施英利や山下裕二とはどんな話をしたのだろうか? 再放送するのかな。

 それはともかく、最近観たDVDの備忘録です。

「レイクサイド・マーダーケース」(青山真治監督、2004年)

 中学お受験のための合宿先で起こった殺人事件をめぐるサスペンス・ドラマ。登場人物のエゴイズムがぶつかり合う心理劇としてもなかなかよく出来ているし、犯人探しの意外な展開にも目をみはる。原作は東野圭吾。

「それでもボクはやってない」(周防正行監督、2007年)

 劇場に観に行こうと思いつつ観そびれていた。電車内で痴漢と間違われて法廷に立つ羽目になってしまった青年(加瀬亮)の話。多様な登場人物それぞれの立場で語られるセリフを通して法律上の論点や制度運営上の問題点がよく整理されているので、刑事事件に限定はされるが法学入門としても面白いのではないか。

「ギルバート・グレイプ」(ラッセ・ハルストレム監督、1993年)

 アメリカの田舎町、何の変哲もない退屈な毎日。ギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は、知的障害を負った弟(レオナルド・ディカプリオ)、夫の死のショックで過食症になってしまった母など、問題含みの家族を抱えている。そんな彼らの前に現われた、颯爽とした少女・ベッキー(ジュリエット・ルイス)。彼女は祖母と一緒にトレーラーで旅をしていた。

 ギルバートとベッキーが二人で夕焼けを見るシーンが好きだな。あかね色に染まった空の下、自分の家を見て「あんなに小さかったっけ」とつぶやくギルバート。「大きい、なんて言葉は、空を表わすには小さすぎてふさわしくない」というベッキーのセリフに、観ている私もうなずく。家族のしがらみと、それを大きく捉えかえすような空の広がりとの対比に色々と思いをめぐらせてしまう。若き日の、というか幼き頃のレオ君がなかなか熱演している。

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2008年4月16日 (水)

偶感、芸術について。

1.
 世間で大々的に宣伝され、評判となっている美術展に足を運んでみよう。あなたはそこで、ひしめき合う老若男女の群れを見出すことになる。
 群れ、と言っても実に秩序正しい。解説ヘッドホンを頭に装着した人々が、いわゆる“名画”の掛けられた壁の前で一列となり、係員の指示に従ってゆっくりゆっくりと歩を進める光景はどこか異様ですらある。律儀に文句も言わずに列をなす人々は、実物を目にする機会など滅多にない作品がすぐそこにあるというのに、ちらっと一瞥をくれただけで、すぐに行列の進行方向へと姿勢を転じてしまう。そして、前の人の後頭部を再びじっとみつめる。配給の順番待ちをしている途中にたまたま絵を見つけた、という感じだ。
 何しに来たのだろう? 並ぶために来たのだろうか?
 杖をついたおじいさんは、行列の進度に遅れまいと一生懸命ふらついている。
 若いカップルの男性は、仕入れてきたのであろうありったけの知識をここぞとばかりに披露する。連れの女性は「この絵って、やっぱり深いよねえ!」と明るく屈託のない声で相槌を打っていた。「青の時代」のピカソが描いた、陰鬱で痛々しい表情が印象的な女性像の前で。
 一体、どんな深さを感じ取ったのだろう?
 中でもとりわけ目立つのが、暇そうなおばさんのグループだ。静かに見入ろうとする横で騒々しいキンキン声が響き、いやでも彼女たちのしゃべくる感想が私の耳の中へと押し入ってくる。
「へえー、きれいな絵ね。まるで生きてるみたい!」
 生きているものが見たければ、わざわざ美術館まで来なくともよかろうに。色彩の美しさや、特に写実の巧みさにばかり賛嘆の声を上げる。「良い絵」なのだから、どこか褒めなければならないと義務感に駆られているようだ。誰に対して気を使っているのだろうか?
 しかし、おばさんは時々正直な感想をもらす。
「あら、ピカソにしてはきれいな絵ね。」
 思わず笑ってしまった。いや、悪意ある笑いではない。
──わけのわからぬ作品こそ素晴らしい。
──美術史家がお墨付きを出しているのだから、抗弁する奴は粗野な無教養人だ。
 美術館の中にはそんな無言の圧迫が充満している。こうしたいびつな空気に流されず、自分でも分かりそうな作品を探そうとする素直な努力がほほえましいのだ。
 出口付近でそのおばさんグループと再びすれ違ったとき、こんな会話が聞こえてきた。
「あたし、こういう絵って、よく分からないわ。」
「あら、奥様は泰西名画がお好き?」
 泰西名画! レトロな言葉の響きに、ついつい耳をそばだててしまった。
 こういう気取った、いやったらしい言葉を使う人には、ピカソは勿論のこと、ルーベンスもベラスケスもルノワールも決して分かりはしないだろう。“名画”という、他人から与えられた判断枠組みに盲従しながら絵を見ようとして、自分自身にとってどこが良いのかなど一切気にも留めないからだ。何のために絵を見るのか? 「名画の良さが分かる私って、インテリでしょ?」という倣慢な、しかし小市民的なプライドを誇示するため、自分自身の心に響く感情を見つめようとしない。他人の眼を恐れて、自らの正直な感想を出すのをためらっている。
 「ピカソ」という名前ばかりが硬直化し、虚名が暴走を始める。こうして芸術は誤解される。

「拝跪・礼賛は、知るや知らずや態のいい敬遠である。自動的な祀り上げによって、それとの峻烈な対決を回避し、消極的に己れの卑俗な世界を守るのである。神棚に鎮座した形而上学的存在はまた下界を毫も動かし得ない。つまり相互は無縁となり、ともに新しい現実に対してはまったく不毛なのだ。」(岡本太郎『青春ピカソ』) 

 ピカソなんか理解できなくとも一向に構わないではないか。
 分かるものは分かるし、分からないものは分からない。何も難しいことではない。この至極当然なことを素直に認めてこそ、いわゆる芸術の意義が現れる。おそらく、分からないからこそ、なのだろう。分からないものを格好良さそうに考えて、無理やり分かったつもりになろうとするから、倒錯した芸術観が世にはびこるのだ。
 芸術とは、ひとえに我々一人一人が自らの内なる精神の動きを凝視する営みである。他人の精神に立ち入るなんて誰にも出来るはずがない。自身の感覚にフィットするものは、他ならぬ自分の眼を使わなければ探し出すことは出来ない。作品をつくるにしても、鑑賞するにしても、どうして他人の眼を介在させる必要があるのか?
 人は、感じ取った自らの精神の深みを形に表そうと望む。しかし、それは動的であるがゆえに、決して形にまとまることはない。形にまとめたいのだが、どうしてもまとまらない、そうしたもどかしさを自覚しながらも、敢えて形として表出しようとする矛盾した情熱がある。あらゆる表現活動はここに起因する。
 ピカソは絵を描くことで何かをつかみ取った、かのように思った刹那、まさに表現しようとした感覚はスルリとどこかへ流れ出してしまう。繰り返す。絵が生み出されて行く。

「彼にとっては創りつつあるという現在的充実のみが価値なのだ。作品の完成などということを歯牙にもかけていない。だからこそ彼は芸術家なのである」(岡本、同上)。

 ピカソという虚名に眩惑される者には何も分からない。むしろ、ピカソの絵が分からないならば、はっきり分からないと言える人こそ、ピカソの精神に触れることが出来る。
 芸術とは、ただひたすら自らの精神をみつめることなのだから、描く者にとっても、見る者にとっても、絵画はそのための手段に過ぎない。自分の感性に合わない手段ならば、放り棄ててしまってどこが悪い?
 自分自身の感覚をどこか別の場所に置き去った者は、決して何ものも生み出すことは出来ない。

2.
 トリスタン・ツァラの奇妙な詩集。
 詩作を試みる諸君。良い方法を教えよう。新聞とハサミを用意すること。まず、新聞から適当に単語を切り抜く。次に、言葉の切れ端を袋の中に入れる。そして、シェイク。無作為に取り出し、並べる。はい、一丁上がり。
 脈絡のない言葉の群れが、読もうとする者の意図を一切無視してウヨウヨと勝手にうごめく。滅茶苦茶な活版の組み方は、一瞬、印刷者の不手際かと疑われる。無秩序な統一。矛盾そのもの。
 言葉そのものを受け止めよ!
 ダダイズム、それは一発芸。解釈したら、たちまち消える。

 1916年、ニューヨーク。ある美術展の会場の一隅で、小便用便器がさかさまに鎮座していた。題して、「泉」。マルセル・デュシャンの確信犯的なイタズラ。レディメイド(既製品)の芸術。創造なき創造。芸術を否定した芸術。それは、意味に対する揶揄。
 ものそのものを受け止めよ!
 前衛芸術、それは一発芸。解釈したら、たちまち消える。

 ピアニストが入ってきた。ピアノの前に座る。譜面を置いた。手はお行儀よく膝の上にそろえられている。時折、譜面をめくる。鍵盤は微動だにしない。
 ジョン・ケージの新曲「4分33秒」。聴衆はざわめく。あの男は何をしてるんだ、いやもとい、なんで何もしないんだ? 外でささつく雨音がホールの中へもかすかに響きわたる。意図せざる苛立ち声。シトシトと静かな雨音。そして、自らの胸で脈打つ心臓の鼓動。
 音そのものを受け止めよ!
 偶然音楽、それは一発芸。解釈したら、たちまち消える。

 一発芸をマネするアホウども。その滑稽さを自覚していない。彼らは“知識人”、“芸術家”というバッジを胸につけ、誇らしげな顔つきで“芸術”の素晴らしさを吹聴する。
 芸術? 何が? ただの猿マネじゃないか。
 一風変わった“芸術”作品が現れると、その奇抜さに“意味”を見出し、固定化させようとするエピゴーネンが現れる。例えば、デュシャンの「泉」以後、現代美術展はがらくた市となった。転がった丸太棒。折れた電信柱。ペンキを塗りたくった郵便箱。こんがらかった針金…。
 赤瀬川原平と南伸坊が道を歩いていた。
「あそこに電信柱があるぞ。」
「おっ、現代芸術だ!」
 こうした冗談から路上観察学会が始まった。

 私はツァラが、デュシャンが、ケージが好きだ。しかし、彼らを決して理解はしない。彼らは何かを感じ取っていたようだ。しかし、同時に、彼らは私とは違う人間だ。理解できるとか、できないとかいう以前に。ただそれだけのこと。当たり前の話だろう?
 私は、私の考えを、私の想念を、私の衝動を、ただ貫くだけ。他人の、ではない。断じてあり得ない。他に何ができる?
 世界を受け止めよ! 「事象そのものへ!」(フッサール)
 解釈したら、世界はたちまちつまらなくなる。

 ツァラを理解したい? デュシャンを? ピカソを? 岡本を? ケージを? やめときなさい。無駄なことだ。だけど、気になる? なら、仕方ない。読むとしたら『荘子』だな。あるいは仏教書だ。
 間違っても、文学や哲学や美学を講ずる大学教授の御高説など拝聴してはならない。奴らはタチの悪い仲買人だ。正直な仲買人なら、仕入れた商品をきれいなまま顧客に渡す。ところが奴らときたら、商品をズダズダに引き裂いた上に法外な値段をふっかけ、それにも飽きたらず、「売ってやるんだから感謝しろ」と得手勝手な敬意を押し売りする。なんてあつかましいんだ。
 文化の破壊者は誰か? 他ならぬ知識人だ。

~ ~ ~ ~ ~

 本棚をかき分けていたら、トリスタン・ツァラ(小海永二・鈴村和成訳)『ダダ宣言』(竹内書店新社、1970年)が出てきた。私の手元にあるのは1981年、第6刷。古本屋で入手したものだ。別の本を探していたのだが、なつかしくてパラパラめくる。あちこち書込みしたり、線を引っ張ったり。メモ書きした紙片も挟まっており、上に書き写したのがそれ。8年くらい前になるだろうか、これを書いたときのことは覚えている。定職にありつけず、イラついていた時期だ。表現は青くさいけど、基本的な考え方は今でも変わっていない。

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2008年4月13日 (日)

カール・シュミット『政治神学』

カール・シュミット(田中浩・原田武雄訳)『政治神学』(未来社、1971年)

 「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう」(11ページ)

 本書冒頭に置かれた、カール・シュミットの有名なテーゼである。

 主権とは国家の最高権力であるという教科書的な説明は抽象的なトートロジー(同義反復)にすぎず、意味をなさない。「自然法的な確実さで機能し、さからうことの不可能な、最高の、すなわち最大の権力などというものは、政治的現実のなかには存在しないのである」(26ページ)。たとえば、国民主権という。しかし、これはあくまでも“民主主義”というフィクショナルな体制に正統性を仮構するための用語法であって、政治的現象のリアルなあり様を説明したことにはならない。

 既存の法体系が全く想定していない緊急事態に直面したとき、当然ながら、法の枠外からのすみやかな決定が迫られる。この時点にあって、何らかの決断を下した具体的な誰か、その者こそが主権者だと言える。「法生活の現実にとって肝要なのは、だれが決定するか、である。内容の正しさを問うのとは別に決定権の所在を問う必要がある」(23ページ)。

 粛々と物事が進む日常の中では問題の核心は自覚されず、そもそも考えるべき必要すら誰も感じない。例外状況という日常の破綻にこそ根源的な問題意識を突きつけられると喝破したところにシュミットの慧眼がある。「例外は通常の事例よりも興味深い。常態はなにひとつ説明せず、例外がすべてを説明する。例外は通例を裏づけるばかりか、通例はそもそも例外によってのみ生きる。例外においてこそ、現実生活の力が、くり返しとして硬直した習慣的なものの殻を突き破るのである」(23ページ)。

 こうした例外状況に際しての主権者による決定は、あたかも神学における神の“奇蹟”に似ているとシュミットは言う。

「現代国家理論の重要概念は、すべて世俗化された神学概念である」(49ページ)。

 ところが、ハンス・ケルゼンをはじめとする規範主義的な法律学は、この“奇蹟”を排除しようとしていると彼は批判する。ケルゼンの議論は、人的な恣意性を徹底的に取り払うことによって自然科学のように純粋な統一性・整合性を持つものとして法的現象を把握しようとするところに特徴がある(純粋法学)。シュミットの見地からすると、それは、構築された体系と矛盾するものはすべて無視することでかろうじて成り立っているにすぎず、本来の難問と向き合おうとはしない安易な態度だということになる。

 「およそ政治理念はすべて、人間の「本性」についてなんらかの態度決定をするものであって、人間が「生まれつき善」なるものか、「生まれつき悪」なるものかのいずれかを前提とする」(73ページ)。

 ルソーにしても、あるいは無政府主義者たちも、性善説を前提として予定調和的な理想社会を思い描く。そうした人間の本来の性質を国家権力がゆがめているのだと批判する。他方、カトリシズムに立脚するドノソ・コルテスやドゥ・メーストルたちは、原罪を負った人間が為し得る悪に恐れおののき、それを防げるのは神の“奇蹟”だけだと考える。具体的には、無謬性を本質とされる教会的秩序における命令という形で人間の悪を抑え込むことを求める。

 しかしながら、このように人間観において対極的な両者は、秩序を生み出す契機としての決定者に何らかの権威者を想定している点で実は同じ構図をとっている。すなわち、「バブーフからはじまって、バクーニン、クロポトキン、オットー・グロースにいたる無政府主義教説はすべて「民衆は正しく、そして当局は腐敗するもの」という公理を中心に展開される。これに対し、ドゥ・メーストルは、まさに逆に、「当局は、それが存続しさえすれば、それ自体善である」と言明する」(72ページ)。つまり、前者にあっては“民衆”が、後者にあっては神の権威が絶対なのである。

 そしてまた、両者は共にブルジョワ的自由主義を否定する。なぜならば、「自由主義なるものは、政治的問題の一つ一つをすべて討論し、交渉材料にすると同様に、形而上学的真理をも討論に解消してしまおうとする。その本質は交渉であり、決定的対決、血の流れる決戦を、なんとか議会の討論へと変容させ、永遠の討論によって永遠に停滞」させてしまうからである。「討論の対極は、独裁である。いかなるばあいにも極端な事例を想定し、最後の審判を期待する、ということが、コルテスのような精神での決定主義には含まれている。それゆえ、コルテスは、一方で自由主義者を軽蔑すると同時に、他方、無政府主義的社会主義は、不倶戴天の敵としてではあるがこれを尊敬し、それに悪魔的偉大さを認めるのである」(82~83ページ)。

 例外状況という具体的にリアルな局面における決断は絶対である。果てしない議論によって問題を先送りしたり、利害対立者の条件を出し合って妥協したりする余地は一切ない。ドノソ・コルテスは神の奇蹟を願ったが、時代はすでに変わった。神の権威も、王権神授説的な君主制の持つ正統性もすでに崩れ去り、民衆の意志が王座にはい上がろうとしている。決断を正当化すべき根拠はどこにもない。どうすればいいのか? 無から作り出される絶対的決断、すなわち独裁しかない──そのようにシュミットは結論付ける。

 本書に併録されているカール・レヴィット「シュミットの機会原因論的決定主義」という論文では、シュミットは決定という形式に焦点を合わせてはいても、決定される政治的内容については無関心だと指摘されている(121ページ)。決定という作用の結果として現われる政治体制は、ファシズムでも、あるいは自由主義や民主主義でも、どちらでもあり得る。いずれであっても代替可能、すなわち価値的な優劣を剥ぎ取ったレベルでシュミットは政治現象を見つめているとも考えられる。はっきり言ってしまえば、ニヒリズムだ。私自身は別にファシストでも独裁礼賛者でも何でもないが(一応、自己規定としてはシニカルなリベラリストだと思っている)、こうしたニヒリズムには非常に興味がひかれる。

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2008年4月12日 (土)

マイケル・ウォルツァー『寛容について』

マイケル・ウォルツァー(大川正彦訳)『寛容について』(みすず書房、2003年)

 民族、宗教的共同体、地域共同体、その規模や性質は様々であれ、人は何らかの具体的な人間関係の中に生れ落ちる。その中で育まれることは、生きていく上での足場をつくりあげることができるだろうし、他方、束縛に嫌気がさすかもしれない。プラス・マイナスいずれにせよ、共同体的な価値意識から純粋に自立した個人モデルは現実にはあり得ない。コミュニタリアニズムは別に個人の自由を否定しているわけではなく、リバタリアニズムの内包する空想的な観念性が人間の生身の関係性を無視しているところに矛先を向けていると考えるべきだろう。

 共同体的関係は現実としてあるし、否定するべきでもない。しかし、民族紛争にせよ宗教対立にせよ、一定の価値観にそってグループ分けされた人々が互いの誤解や無理解から争い合ってきた事例は歴史上枚挙に遑がない。異なる来歴を持つ集団がいかに平和的に共存できるのか。本書は“寛容”(toleration)というキーワードを軸に概括的な考察を行なう。無関心的・排他的な共存というよりも、互いに積極的に関わり合いながら調整を進めていくという点に著者の主眼は置かれている。

 五つの類型が挙げられる。①多民族帝国。古代ペルシアやローマから、オスマン帝国、ソ連など。本書では例示されていないが、ハプスブルク帝国も好例だろう(→「ハプスブルク帝国について」の記事を参照のこと)。②国際社会。内政不干渉を原則とする主権国家の共存。③多極共存・連合。ベルギー、スイス、キプロス、レバノンなど、いくつかの民族が対等な立場で一つの国家を形成している場合。④国民国家。内部に自立的な共同体を形成することは許されないが、個人のライフスタイルの違いを守る権利として価値観の多元性は擁護される。⑤移民社会。具体的にはアメリカ。

 “共同体”の線引きは多様なレベルであり得るし、また“寛容”の対象を個人に置くのか、集団に置くのかに応じて議論のあり方も大きく変わってくる。“共同体”と“寛容”というキーワードで考えるとき、大きな論点は二つ出てくる。第一に、共同体同士の争い。この場合、上記で示された共存のための調整に工夫をこらすことになる。第二に、ある共同体が内部の構成員に対して圧迫を加えた場合、それこそ、ジェノサイドのような看過しがたい人権抑圧が行なわれたとき、外部の者はどうすればいいのか? 上記②の内政不干渉原則に立つ場合、放っておくという態度も、これはこれで広い意味での“寛容”の原則内に収まってしまう。

 マイケル・ウォルツァーはアメリカの代表的なコミュニタリアン(共同体論者)。マイノリティーとの多元的共存を訴え、彼らの立場の弱さと経済的格差とが結びついてしまわないよう再配分政策を主張するなど、もともとリベラル左派の知識人として知られていた。ところが、イラク戦争に際しては、ためらいながらもブッシュ政権を支持した。彼の関心は人権擁護にあり、国益重視の保守派とは一線を画す。その点では、マイケル・イグナティエフのような“リベラル・ホーク”(リベラルなタカ派)に近い(→マイケル・イグナティエフ『軽い帝国』の記事を参照のこと)。私自身はブッシュ・ドクトリンを支持するつもりなど毛頭ない。ただし、人権抑圧阻止のための軍事力行使という逆説をはらんだ議論にも真摯な問題意識があることには留意しておかねばならない(→映画「ホテル・ルワンダ」ソマリア問題についての記事を参照のこと)。

 先日、ダライ・ラマ14世来日時の記者会見の模様をテレビで見た。あくまでも非暴力主義堅持、北京オリンピック支持を表明することで、中国政府の強硬策と同じ土俵にはのらず、むしろ彼らの非難がいかに見当違いであるかを際立たせたことは非常に賢明で、感銘を受けた。「私は悪魔ではない。中国政府の言うことを真に受けたイノセントな人々から誤解されているのが悲しい」という発言には、共産党支配の体制下、言論統制の行なわれている社会の問題を考えさせられる。チベット問題ひとつを見ても、中華人民共和国は決して寛容な社会とは言いがたい。実利重視の日本の財界人が上記②の立場からチベット問題を無視するのは理解できる。しかし、常々人権の普遍性を根拠に論陣を張ってきた進歩派の人々から中国政府に対する強硬な非難の声が聞こえてこないことには奇妙な矛盾と胡散臭さを感じてしまう(もちろんアピールは出しているようだが、所詮申し訳程度に過ぎない)。

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2008年4月11日 (金)

剣持久木『記憶の中のファシズム──「火の十字団」とフランス現代史』

剣持久木『記憶の中のファシズム──「火の十字団」とフランス現代史』(講談社選書メチエ、2008年)

 フランス共産党内部の主導権争いに敗れた後、一挙に対独協力へと突き進んだジャック・ドリオのフランス人民党。王党派右翼シャルル・モーラスのアクシオン・フランセーズ。これらと共に「火の十字団」という名称にもおどろおどろしいイメージを私は持っていた。もし1940年に予定通り総選挙が行なわれていたら、この「火の十字団」に基盤を置く「フランス社会党」(現在のフランス社会党とは関係ない)が第一党になったかもしれないという。フランスにもファッショ独裁の気運があったのか、と早合点してしまいそうだが、本書によると事情はだいぶ違うらしい。

 「火の十字団」はもともと退役軍人の親睦団体として生まれた。この名称は、戦場(feu=火)で戦功章(croix de guerre=戦場の十字勲章)を授けられたからということに由来し、それ以上の深い意味はない。政策綱領は穏健保守的で、ヨーロッパ右翼に特徴的な反ユダヤ主義などの過激な主張は見られない。そもそも、指導者のラロック大佐は右翼陣営から非難を受けていた。その後、ヴィシー政権下ではペタン元帥と関係を持ちつつも対独協力はせず、ドイツ軍によって逮捕された。収容所内で体をこわし、解放後も、今度はフランス政府によって“保護拘束”を受けたためさらに体調を悪化させてしまい、1946年に死去。

 なぜ穏健保守派に過ぎないラロックにファシストというイメージがつきまとったのか? 1930年代のヨーロッパはイタリア・ドイツの全体主義に脅かされていた。そうした情勢下、フランスで成立した人民戦線は総選挙で票を集めるため、フランス国内にも明確な敵を必要としていた。そこで目をつけられたのが、保守層の支持を集めつつあったラロックである。マスメディアを通じてラロック=ファシストのプロパガンダ攻勢をかけた結果、この実態にそぐわないイメージが定着してしまった。

 一度定着してしまったイメージというのは恐ろしいもので、それがすなわち事実とみなされ、歴史に記載されていく。戦後におけるラロックの遺族による名誉回復を求めた孤独な奮闘にも本書はたびたび触れる。ラロックという人物を主人公としたフランス現代史として興味深いだけでなく、歴史認識において根拠のないイメージがいかにすり替わり得るかという実例としても考えさせられる。

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2008年4月10日 (木)

カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』

カール・シュミット(稲葉素之訳)『現代議会主義の精神史的地位』(みすず書房、1972年)

 議会が必要とされる論拠としてはおおまかに言って次の二点が挙げられる。第一に、あらゆる人間が同意できるような普遍的な“真理”=法の定立を目指して開かれた討論を行なう場。議員は自らの良識だけに従い、精神的にも実際活動的にも独立した立場にあらねばならない(不逮捕特権の根拠)。第二に、利害調整のための交渉と妥協の場。この場合、目指すべきは多数派を形成することで、“真理”なんてまどろっこしいものはどうでもいい。

 議会政治の現実態はおそらく後者であろうが、利害調整の技術的な問題だけが必要ならば、極論すれば議会制度でなければならないという格段の理由はない。「実用的ならびに技術的な理由から人民の代りに人民の信頼する人たちが決定を行うとすれば、唯一人の信頼される人でも人民の名において決定を行うことができるのである」(本書、46ページ)。

 議会政治において“真理”の探究などという言い分がすでにフィクショナルな建前にすぎないことを我々はよく知っている。政治の場面では具体的、現実的な決定の積み重ねがあるだけで、我々の頭上はるか高みにあって従うべき基準などもはや存在しない。

 代って個々の人々の要求が基準になる、と言えばいかにも民主主義らしくて聞こえはいいが、それは、その場しのぎに移ろう感情的な代物にすぎない。だが、束になれば抗い難い強烈な力となる。善悪是非の問題ではなく、声高に強力であるがゆえに政治的運営の基準となる──大衆民主主義の内包するこうしたニヒリズムの現実をカール・シュミットは冷厳に見据えた上で議論を組み立てる。理想論ではどうにもならないドロドロした局面を暴き立てるかのような舌鋒に彼の妖しい魅力がある。

 ルソーの『社会契約論』では、政治的運営を行う者=統治者と統治を受ける者とが完全に一体となった直接民主主義の政治モデルが語られる。ここに牧歌的な理想社会を見出す人は昔から多い。しかしながら、私自身、それを否定はしないまでも、どうしてもストンと腑に落ちない点がわだかまっていた。“一般意志”の問題である。少数意見者の扱いはどうなるのか? ルソーの答えはこうである。

「ある法が人民の集会に提出されるとき、人民に問われていることは、正確には、彼らが提案を可決するか、否決するかということではなくて、それが人民の意志、すなわち、一般意志に一致しているかいなか、ということである。各人は投票によって、それについてのみずからの意見をのべる。だから投票の数を計算すれば、一般意志が表明されるわけである。従って、わたしの意見に反対の意見がかつ時には、それは、わたしが間違っていたこと、わたしが一般意志だと思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているにすぎない。」(ルソー『社会契約論』桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫、1954年、149~150ページ)

 つまり、少数意見はそのこと自体が間違っているのだから一般意志に従え、ということだ。統治者=被治者の完全な同質性を前提としたルソーの政治モデルにおいて、異質なものは存在が許されない。ルソーの“一般意志”論こそがファシズムを生み出したという議論にはそれなりの根拠がある。そもそも、ロベスピエールにしても、ポル・ポトにしても、彼らがルソーの心酔者であったがゆえに大粛清・大虐殺が引き起こされたことが想起されよう。

 民主主義は、直接的に表現された、誰にも抗い難い“人民の意志”のみを唯一の基準とすべきことを要求する。シュミットは、こうしたルソー思想の危うい逆説を踏まえた上で次のように記す。

「民主制においては、平等な者たちの平等性と平等な者たちに属する者の意志とがあるだけである。これ以外のすべての制度は、何らかの形において表現された人民の意志に、その固有の価値と原理とを対置させ得ないところの、本質のない社会的=技術的補助手段に転化してしまう。」「技術的な意味にとどまらず、また本質的な意味においても直接的な民主主義の前には、自由主義的思想の脈絡から発生した議会は、人工的な機械として現われるのに反して、独裁的およびシーザー主義的方法は、人民の喝采によって支持されるのみならず、民主主義的実質および力の直接的表現であり得るのである。」(本書、24~25ページ)。

 “人民の意志”は直接的・本能的なものであって、議会での討論などというまどろっこしい手続きは、彼らにとってうそ臭く感じられる。ファシズムもボルシェヴィズムも、言論の自由や価値観の多元的共存を否定する点において反自由主義であるが、自らを“人民の意志”の代弁者と自負する点においては必ずしも反民主主義ではない。

 シュミットはロシア革命に触れてこう言う。その原因は、「暴力行使の新たな、非合理主義的な動機が共に働いていたということ、すなわち極端なるものから反対のものに転換するところの、ユートピアを夢みる合理主義ではなく、合理的な思考一般に対する新たな評価、討論に対するあらゆる信念を排除するとともにまた教育独裁によって人間を討論に習熟せしめようとすることをも拒否するところの、本能と直感に対する新たな信念が共に働いていたということに存するのである」(89ページ)。

 さらにジョルジュ・ソレルやバクーニンを引き合いに出しながらシュミットは次のように述べる。

「偉大なる熱狂、偉大なる道徳的決断および偉大なる神話は、推理や合目的的考量から生まれるのではなく、純粋な生の本能の深みから生まれるのである。熱狂した大衆は直接的な直感によって神話的イメージを創造する。このイメージこそは彼らの活力を推進せしめ、殉教への力ならびに暴力行使への勇気を彼らに与えるのである。ただこうしてのみ、一民族ないし一階級は世界史の動力となる。こういうものを欠く場合には、いかなる社会的、政治的な権力といえども維持され得ず、またいかなる機械的な装置も、歴史的生の新たな潮流が解き放たれるときにはその防波堤となることができないのである。したがってすべては、今日どこに神話に対するこの能力とこの生命力とが実際に活きているかを、正しく見ることにかかっている。これらの能力は、近代のブルジョワジー、すなわち金銭と所有についての不安のために堕落し、懐疑主義、相対主義、議会主義によって精神的に損なわれている社会層においては、もちろん発見されないであろう。」(本書、91ページ)

 本書が刊行されたのは1923年。ワイマール共和政の行き詰まりを予見するかのようなシュミットの議論はしばしばナチズムを正当化したとして論難され、その評価の振幅は激しい。シュミットの研究者があとがきなどで「彼は反動思想家であり、反面教師として学ばねばならない」と言い訳めいたことを記しているのをよく見かける。

 議会制度にしても、民主主義にしても、建前としての表面的なロジックだけで自己完結しているわけではない。形式面では見えてこないリアルな局面においては、もっと別のファクターが働いているのではないか。そうした可能性に思考をめぐらせてくれる点で、シュミットのポレミカルな論点は私には非常に刺戟的で興味が尽きない。

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2008年4月 8日 (火)

「百年恋歌」

「百年恋歌」

 二人の男女、三つの時代──男役に張震(チャン・チェン)、女役に舒淇(スー・チー)を配し、オムニバス形式で時代それぞれの愛し合う男女の姿を描く。

 第一話、恋愛の夢。1966年、台湾南部の港町・高雄。知人を訪ねてきた青年がビリヤード場で働く女と出会う。これから兵役に就くのだが手紙を書く、と彼は言い残して立ち去った。その後、休暇で高雄を再訪した彼は、すでに彼女が別の職場に移ってしまったことを知る。後を追うものの、タッチの差で重なるすれ違い、なかなか会えないもどかしさ──。

 第二話、自由の夢。1911年、台北、当時の繁華街・大稲埕。富裕な知識人青年と酒楼の妓女。辮髪を結った青年が、戊戌の政変で日本に亡命した革命家・梁啓超に心酔して封建制度批判を語る姿に、当時の社会的雰囲気がうかがわれる。彼は優しい。しかし、女の気持ちを知ってか、知らでか…。辛亥革命の一報に接するやいなや、彼は上海に渡った。女の残された酒楼ではいつも通りに灯がともる。

 第三話、青春の夢。2005年、現代の台北。写真家の男と歌手の女とが激しく愛し合う姿。しかし、男には別に恋人がおり、女にも同性愛的な関係で同棲する女がいる。二人に足かせとしてかかる愛情の束縛。高速道路をバイクで疾走する二人の表情には悲痛なかげりが見える。

 ストーリーがどうこういうよりも、侯孝賢の静かにウェットな映像にはしみじみ感じ入る。特に第一話にはノスタルジックにあわい感傷があって私は好きだな。

【データ】
原題:最好的時光 英題:Three Times
監督:侯孝賢(ホウ・シャオシエン)
脚本:朱天文(ジュー・ティエンウェン)
出演:張震(チャン・チェン)、舒淇(スー・チー)、他
2005年/台湾/131分

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2008年4月 7日 (月)

レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』

レオ・シュトラウス(添谷育志・谷喬夫・飯島昇蔵訳)『ホッブズの政治学』(みすず書房、1990年)

 本書を読んで私が興味を持ったのは次の二点。

 一つ目。「万人の万人に対する闘争」という自然状態において死の恐怖にさらされる中、自己保存を図るため各自の自然権を統治者にあずけて社会契約が行なわれたとするのが一般的なホッブズ思想の説明であろう。

 しかし、それは単に功利的・打算的な動機によるものではない。シュトラウスによると、ホッブズは人間を駆り立てる様々な情念の中でも、虚栄心に着目したのだという(「かれはすべての情念を虚栄心のもろもろの変様として把握し、そして理性を恐怖と同一視するのである」183ページ)。

 つまり、人間は虚栄心にとらわれ、虚栄心が暴走して理不尽な行動を取ることがある。そうした虚栄心を解きほぐし、理性的な振る舞いへと立ち返らせるきっかけとなるのが死の恐怖なのである。「現実世界の抵抗を自分自身の肉体に感知することによって人間はかろうじてこの夢想の世界から覚醒し、正気に帰ることができる。要するに、『損傷経験』を通して人間は理性的になるのである」(24ページ)。

 情念は人間を行動へと駆り立てる動因ではあるが、同時に、自分は死ぬかもしれないとはたと気づく瞬間がなければ、己の弱さに向き合うことはない。情念からいったん離れた立場に立つことで、自らの置かれた状況を冷静に客観的に認識するきっかけをつかむことができる。「虚栄心は人間を盲目にする力であり、恐怖は人間を啓蒙する力」である(162ページ)。人間の行動の対自的把握を通して政策立案につなげるのが政治であるとするなら、虚栄心→死の恐怖→理性的認識というホッブズの示した視点に近代的政治学の原点は求められる。この場合の虚栄心には、現代的観点からするならいわゆる政治的イデオロギーを含めて考えるべきであろう。

 二つ目。シュトラウスは「ホッブズにとって基準となる信念は、近代に特有なものである──いやむしろわれわれとしてはこういいたい。その信念こそが近代的意識の最下、最深の層にほかならない」(7ページ)と言う。近代的意識の最深層とは何を指すのか? 訳者解説によると、シュトラウスは「前進」という人間の「自己意識」をホッブズの中に見出したのだと指摘される。「最も愉快なものは、さらにはるか遠くの目標へ向かっての前進であること、享受それ自体には本質的に不満足が内在していること、そして不満足の激痛なしにはいかなる快適なものも存在しないこと」、「ホッブズは『より激しい』ものをより善いものとして特徴づけるのである」。つまり、他人との優劣の比較を通して、さらに前へ、さらに前へと進もうとする意識である(166~167ページ)。こうした進歩の幻想もまたひとつの虚栄心だと考えるならば、これを相対化し解体することが政治哲学の役割だと言える。

 シュトラウスは序文でこう記す。「わたくしは、近代的思惟が、前近代的思惟に対して決定的に進歩を成し遂げたという、その自信ないしは確信を喪失してしまったことを確認した。またわたくしは、近代的思惟がニヒリズムか、あるいは実際上それと同じことだが、狂信的な蒙昧主義かに転化するさまを目の当たりにしたのである」。本書が1930年代、ナチス台頭を目の当たりにしながら亡命ユダヤ人の手によって書かれたことを考え合わせると、ホッブズという古典の研究にも奥深い含蓄が感じられる。

 レオ・シュトラウスは1899年、正統派ユダヤ人家庭に生まれた。ヤーコビの認識論に関する研究でハンブルク大学より哲学博士号を授与され、1922年にはフライブルク大学でフッサールやハイデガーから影響を受ける。1932年までベルリンのユダヤ主義研究所に在籍する一方で、コジェーヴ、レーヴィト、ガダマーなどと交流。ナチスの台頭と共にイギリスへ渡り、ホッブズ研究に取り組む。その後はアメリカのシカゴ大学で政治哲学の講義を行ない、いわゆる“シュトラウス学派”を形成した。この流れには『アメリカン・マインドの終焉』で知られるアラン・ブルームがいる他、ポール・ウォルフォヴィッツなどネオコンにも一定の影響を与えたと指摘する人もいる。

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2008年4月 6日 (日)

「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」

「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」

 1961年、台北。戦車の隊列が轟々と地響きを立てて進み、演習場での銃砲音はあたりをやかましく騒ぎ立てる。“大陸反攻”を呼号する国民党軍事政権の影が日常の市民生活にまで落ちる殺伐とした雰囲気。

 スー(チャン・チェン)は中学生。父親は大陸出身の知識人、融通に欠けるが生真面目な好人物だ。接収された日本式家屋に暮らす。隣の八百屋からは日本語の歌謡曲が聞こえてくる。店のオヤジさんは「前は鉄道局に勤めていたがクビにされたんだ」と言うから、蒋介石と共に台湾に流れ込んだ外省人に職を奪われたのだろう。スーの父親は公務員とはいえ生活が苦しく、しかも秘密警察の査問を受けてしまった。日々の生活につきまとう不安。親たちの困惑を目の当たりにしているせいか、少年たちは徒党を組んで抗争に明け暮れている。

 映画の初めと終わりではラジオの大学合格者発表放送が流され、受験競争の厳しさもほのめかされる。殺伐と暗い社会、不安定な生活、学校の管理教育、そして様々な不安に押しつぶされそうになりながら揺れ動く多感な少年期。

 同じ学校に通う美少女ミン(リサ・ヤン)に振り回されるスーの戸惑いは、純情であるだけに痛々しい。男をとっかえひっかえするミンの振る舞いは一見すると裏切りなのかもしれない。しかし、男というものを見切ってしまった、14歳にしてはアンバランスな彼女の態度には、スーの幼い純情に他の人とは違う何かを期待していたふしもうかがえる。

 実話に基づく。14歳の少年がガールフレンドを殺してしまったという事件は当時としてはセンセーショナルだったらしく、強く印象付けられたエドワード・ヤンはいつか映画化したいと考えていたそうだ。軍事政権の暗い影、日本統治時代の名残りを留める街並、アメリカ文化への憧れなど、1960年前後という台湾の一時代を映像で描き出しているところも興味深い。

【データ】
英題:A Brighter Summer Day
監督・脚本:エドワード・ヤン(楊徳昌)
1991年/台湾/188分

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2008年4月 5日 (土)

「リリィ・シュシュのすべて」

「リリィ・シュシュのすべて」

 ひところ、14歳という年齢に注目の集まったことがある。神戸の「酒鬼薔薇」事件の少年は14歳であった。登場人物の精神的葛藤に踏み込み社会現象ともなったアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の少年少女も14歳。池田晶子さんの大ベストセラーも『14歳からの哲学』。

 私自身、中学生の頃を振り返ると、毎日が暗かった。健康面でも生活面でも特に問題はなかったし、むしろ恵まれていたと思う。しかし、表には出さなかったが、何か足場のないもどかしさにいつもイラついていた。子供の頃の純粋な感受性、それは無邪気でもあり同時に残酷でもあるが、大人になろうと背伸びをするとき、人によっては自らのアンバランスに戸惑ってしまう。戸惑いは、幼い頭では論理化=自覚化されず、自分自身でもとらえどころのない漠然としたわだかまりに身もだえし、苛立つ。しかも、そのことを周囲には理解してもらえないという絶望感、被抑圧的意識がそうした苛立ちをいっそうつのらせてしまう。「最近の子供は理解できない」という言説が普通にまかり通る。しかし、本人にすら分からないものを、「理解できる/理解できない」という無意味な基準を立ててカテゴライズしようという発想自体が本来的におかしい。「理解できる」とカテゴライズされるものは、実はとんでもない偽善なのではないか、人間が不可避的に抱え込まざるを得ないこのわだかまった何かを汲み取ったことにはならないのではないか──あの頃の私自身の心象風景を現在の時点で振り返ってまとめるとそんな感じだったように思う。

 この映画で、いじめられっ子からいじめっ子へと立場を変える星野(忍成修吾)を観ながら、こんなややこしいことを考えていた。

 蓮見(市原隼人)は中学生になって星野と出会った。優等生で家は裕福、お母さん(稲森いずみ)は若くてきれい、そんな星野に蓮見はあこがれる。夏休み、彼らは仲間と一緒に沖縄へ行った。南国の楽園イメージとは異なり、過酷な生存競争の激しい自然の生態系に驚き、そして、親しくなったバックパッカー(大沢たかお)が交通事故で血まみれになった姿を目の当たりにする。人間はいつでも死に得る──。夏休みが終わり、二学期が始まった。性格の一変した星野の存在は、クラスの空気を変えてしまう。

 音楽に何かを感じるということは、理屈というウソが混じらないだけに純粋でリアルだ。しかし、リリィ・シュシュの歌声に魅せられた者同士、つまり互いに分かり合えたはずの者同士が、実際には傷つき、傷つけられるということがあり得る。共感し合い、かつ傷つけ合う、一見矛盾ではあるが、この残酷さも現実である。良い悪いという話ではない。

 初夏の緑、晩秋の黄昏色、いずれも鮮やかな色合いに染まった田んぼが広々とひろがる光景は胸がすくように美しい。その中で、少年少女たちが、忍成、市原、蒼井優それぞれがヘッドホンに耳を当てている姿が、とりわけ忍成が叫ぶ痛々しい姿が印象に強く残る。

 私がこの映画を観たとき、すでに二十代も半ばになっていた。私よりも少し下の世代にこの映画が好きだという人が多いように思う。いじめ、援助交際、少年犯罪など時事性を感じさせるモチーフでストーリーは進むが、そうした表面的なものではなく、映像に浮かび上がってくるもっと切なくて痛々しい感性的なものがリアルに感じられたのではないか。

【データ】
監督・脚本:岩井俊二
音楽:小林武史
出演:市原隼人、忍成修吾、蒼井優、伊藤歩、稲森いずみ、大沢たかお、市川実和子、田中要二、吉岡真由子、他
2001年/146分

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2008年4月 4日 (金)

「四月物語」

「四月物語」

 会社帰りの夜、近所の桜並木を通った。花びらがハラリと落ちるのを見て、街灯に照らされたその淡いピンク色にしんみりと感じ入る。

 岩井俊二監督作品の中で私が一番好きなのは「四月物語」かもしれない。主役の楡野卯月(松たか子)は北海道から東京の大学に進学する。引越の場面から物語は始まるのだが、桜の花が舞い落ちるシーンが印象的だ。演出は少々大げさではあるが、岩井独特の映像美学で映し出されるとやさしくおだやかに目になじむ。

 入居直前の空っぽの部屋。戸惑いを抱えつつ歩く大学のキャンパスの喧騒。自転車に乗ってめぐる、これから住む街のたたずまい。淡い光の差し込む本屋さんの風情がなかなか良い。新生活が始まるときの不安と期待の入り混じった新鮮な感覚が一つ一つのシーンから浮かび上がってきて、あたたかく感傷的な気分についついひたってしまう。

 あこがれの先輩に出会うという青春小説的なストーリーや、汚さを全く排除してあまりに整いすぎた映像構成がかえって嫌味に感じられる人もいるかもしれない。それでも、初々しさの理念型(かたい言い方だな…)みたいのが描かれているところが私は好きで、時折思い出しては観ている。

 松たか子の地味に華のある表情(矛盾しているが)はこの映画の雰囲気によくはまっている。ピアノがメインの音楽は映像と密接にリンクしてミュージック・ビデオといった趣きで、これがまた良い感じ。

【データ】
監督・脚本:岩井俊二
出演:松たか子、田辺誠一、他
1998年/68分
(2008年4月1日、DVDで)

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2008年4月 3日 (木)

「春夏秋冬そして春」

「春夏秋冬そして春」

 ゆたかに茂った木々は季節に応じて鮮やかな色合いを見せる。山あいの湖上、朝もやの中に浮かぶ堂宇。ところどころ唐突に立っている扉は俗界との境を表わしているのだろうか。

 世捨て人同然の日々を送っている老師と少年。子供らしい残酷な好奇心で魚、蛙、蛇に石をくくりつけて殺してしまうのを少年は見咎められてしまう。心に刻み込まれた罪の意識。長じては、心の病で療養に訪れた少女と過ちを犯してしまう。「愛欲は執着を生み、執着はついには殺意を生む」──老師の言葉を背に受けながら彼は少女のあとを追って山をおりていく。

 春夏秋冬、季節の移り変わりを人生の転変になぞらえながら描き出した、叙情詩とも言うべき本当に美しい映画だ。ある意味で逃れられないサイクルの中で繰り返される人間の罪と贖罪。その一切を引き受け、石を引きずるように生きるしかない。ふと、永劫回帰なんて言葉も思い浮かべた。

 キム・ギドクの映像には、清潔な緊張感がピンと張りつめた厳しさがある。それがまた哀しみ、切なさといった感情を浮かびあがらせるのにぴったりとはまるように美しい。私が初めて観たのは「魚と寝る女」(2000年)だったと思う。まだ韓流ブームのおこる前だった。グロテスクな感じもしたが、寓話的なストーリーと独特な映像構成はいまでもよく覚えている。「サマリア」(2004年)、「うつせみ」(2004年)でようやくキム・ギドクの名声が高いことを知った。とりわけ、「サマリア」の哀しい美しさに印象は深く、とても好きな映画だ。

【データ】
監督・脚本:キム・ギドク
2003年/韓国・ドイツ/102分
(2008年3月31日、ビデオにて)

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2008年4月 2日 (水)

ハプスブルク帝国について

 「太陽の雫」(1999年)という映画を観たことがある。あるユダヤ系ハンガリー人一家四代を主軸に第一次世界大戦から共産主義体制までハンガリー現代史を描き出した大河ドラマだ。初めの方、第一次世界大戦で軍医として出征する一家の長男がフランツ=ヨーゼフ1世に拝謁し、感激に打ち震えるシーンがあったのを覚えている。

 オーストリア=ハンガリー帝国は複雑な多民族国家として独特なシステムをとっていた。大津留厚『増補改訂 ハプスブルクの実験──多文化共存を目指して』(春風社、2007年)を読むと、軍事、教育、選挙、言語政策、行政システムなど各面で諸民族の危ういバランスをとろうといかに工夫を重ねていたかが分かる。

 オーストリア・マルクス主義にカウツキーやオットー・バウアーなど民族問題の理論家が多いのもこうした背景がある。ただし、多言語状況と軍隊や行政の効率性とはなかなか両立しがたい。カフカの小説に見られる迷宮構造に帝国の煩瑣な官僚制の影を指摘する論者もいたように記憶している。第一次世界大戦においてオーストリア=ハンガリー帝国の弱体な軍隊はロシア軍相手に大敗し、ドイツ軍部に依存してその言いなりにならざるを得ない立場に追い込まれてしまった。

 様々な問題をはらみつつも、多民族共存、具体的にはヨーロッパ統合の先駆的モデルとしてオーストリア=ハンガリー帝国はしばしば注目されてきた。早くにはクーデンホーフ=カレルギーの汎ヨーロッパ構想が知られているし、ハプスブルク家最後の当主オットー・ハプスブルクも戦後、欧州議会議員(ドイツ選出)としてヨーロッパ統合問題に取り組んでいた。近年はバルカン半島で再び激化した民族紛争を踏まえ(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴビナはオーストリア=ハンガリー帝国領もしくはその勢力範囲にあった)、中東欧史研究では多民族共存が大きなトピックとなっている。

 オーストリア=ハンガリー帝国の多民族共存政策においてハプスブルク家の果した役割は極めて大きい。ハプスブルク家の皇帝はもちろんドイツ人である。ところが、マリア=テレジアはウィーンの窮屈な宮廷を嫌い、ハンガリー人の武骨さを愛したので彼らから慕われた。ヨーゼフ2世はチェコ人に好意を寄せたため、やはり彼らからの支持を得た。つまり、ドイツ人が他民族を支配するという構図ではなく、ドイツ人も含めて各民族が横並びになって、それぞれの民族が直接皇帝に忠誠を誓う。ハプスブルク家が扇の要となる形で帝国は維持されていたのである。

 19世紀、チェコ民族主義の理論的指導者であった歴史家のパラツキーは、チェコ人の民族的権利を要求すると同時に、そのためにこそハプスブルク家の存在が不可欠であり、その下でゆるやかな連合体に組み替えることを主張していた。チェコ人だけで独立すると、西のドイツ、東のロシアに呑みこまれてしまうという懸念があったからだ。実際、第一次世界大戦の結果として独立したチェコスロヴァキアはナチス・ドイツ及びソ連という強権的な帝国の餌食となってしまった。

 フランツ=ヨーゼフ1世という人物には興味がある。1848年、いわゆる三月革命の動乱の中、18歳で即位。第一次世界大戦さなかの1916年に亡くなるまで68年にもわたる在位期間。生真面目な性格で、質素な生活スタイルを貫きながら黙々と執務に専念していた。皇后エリーザベトの暗殺、ナポレオン3世にそそのかされてメキシコ皇帝となり銃殺された弟マクシミリアン、皇太子ルドルフの心中事件(『うたかたの恋』のモデルとなった)と相次ぐ家庭的な不幸。そして、皇位継承者となっていた甥のフランツ=フェルディナントは1914年にサライェヴォで暗殺され、第一次世界大戦が始まる。

 第一次世界大戦後、民族自決論に基づいて中東欧で新しい国々が生まれた。ここにおけるナショナリズムは、具体的には一民族=一国家を目指す国民国家イデオロギーを意味する。中東欧の入り組んだ民族分布状況においてこの原則を適用しようとすれば、国境線の引き方、少数派への同化圧力など様々な軋轢が激しくなるのは明らかであった。チェコ国内ズデーテン地方のドイツ人問題はナチスの膨脹主義の口実となったし、ユーゴ紛争の火種の一因もやはりこの頃にある。第一次世界大戦を契機にオーストリア=ハンガリー、ロシア、オスマンといった帝国が相次いで崩壊したが、これは時代遅れとなった古い体制がほころびたというだけでなく、19世紀以来の国民国家イデオロギー(これは国家内の均質性を求める)が持つ強烈なエネルギーが“帝国”の政治的多元性を否定したという側面があったことも無視できない。

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2008年4月 1日 (火)

「PiCNiC」

「PiCNiC」

 前時代がかった精神病院の光景がいきなり目を奪う。カラスの羽を全身にまとったココ(Chara)は、いつも本を読んでいる無口な青年ツムジ(浅野忠信)、彼を慕うサトル(橋爪浩一)と出会った。
 もらった聖書を読んでいたツムジは言う。
「おい、世界は滅亡するぜ。この本に書いてある」
「じゃあ、見に行こうよ」
「何をだよ」
「世界の終わりを見に行くの!」

 塀の上を歩いて旅をするという設定がおもしろい。この映画を観たとき、私自身がある種の行き詰まりがあってかなり暗い気分を抱えている時期だった。そうした自身の感情を投影したせいか、三人が病院の塀から外を眺めるときの街の風景に新鮮な解放感が感じられた。映画のラスト、海辺の夕景をバックにココが崩れ落ち、黒い羽が舞い上がるシーンが何とも言えず美しい。

 岩井俊二の映画を私が初めて観たのは出世作「Love Letter」ではなく、この「PiCNiC」だったと思う。暗いストーリーだが、凝りに凝った映像の美しさと叙情的なピアノのメロディーでこの映画に引き込まれ、そのまま岩井映画ファンになってしまった。観たのは確かシネセゾン渋谷、「Fried Dragon Fish」と併映されていた。「Love Letter」はその後、池袋の(昔の)文芸坐で観た。ちなみに、この「PiCNiC」がきっかけとなって浅野忠信とCharaが結婚したのではなかったか。

【データ】
監督・脚本:岩井俊二
出演:浅野忠信、Chara、橋爪浩一、伊藤かずえ、鈴木慶一、他
1994年/68分
(2008年3月30日、ビデオで)

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