ジェフリー・サックス『貧困の終焉──2025年までに世界を変える』
ジェフリー・サックス(鈴木主税・野中裕子訳)『貧困の終焉──2025年までに世界を変える』(早川書房、2006年)
世界の全人口60数億人のうち、6分の1が高所得の先進国だとすれば、残りの6分の5を貧困にあえぐ発展途上国として一くくりにしてしまうイメージがかつてはあった。しかし、いわゆるBRICS、とりわけ中国に顕著なように、各国での大きな経済発展の動きは現在では珍しくない。極貧国のパーセンテージは全体としては低くなり、世界人口の6分の5までが経済開発の梯子に、程度はそれぞれ違うにせよ、何らかの形で手をかけている。
しかし、残りの6分の1、とりわけアフリカ諸国は依然として極度の貧困にあえいだままだ(ポール・コリアーの著作のタイトルでいうと、The Bottom Billion=最底辺の10億人)。また、中国やインドのように一国内で経済格差が極端に開いてしまったケースもある。すべての国が、すべての人々が、経済的にテイク・オフするにはどうすればいいのか? 経済成長は、奪ったり奪われたりのゼロサム・ゲームではない。必ず方法があるはずだ。
IMF・世界銀行は、経済開発に失敗した国々の問題として、ガバナンスの腐敗・非効率、市場に対する政府の過剰介入、財政赤字、国有企業の多さといった点に注目し、開発計画の条件として政治改革、経済自由化、緊縮財政、民営化を求めた。もちろん、基本的に間違ってはいない。ただし、前提条件がそれぞれ異なる国々に対して一律の対策を押し付けたことで大混乱をきたしてしまったケースは枚挙に遑がない。また、援助にしても、援助国側が拠出する金額が初めにありきで、個々の事情はあまり考慮されていない。
経済開発の梯子の端っこでもとにかく手をかけることさえできれば、あとは自力で何とかできる。しかし、様々な罠に足を絡めとられてしまって、その梯子に手が届かないというのが極度の貧困にあえぐ国々の問題なのである。何よりも、貧困そのものが泥沼となっている。食うに精一杯、いや食うことすらできない飢餓状態にあっては、貯蓄など問題外。余剰がなければ投資はできない。地理的制約による高い輸送コスト、厳しい気候条件、エイズやマラリアなどの病気。基本条件が全く備わっていないのだから、経済開発のための手段などあるはずもない。こうした基本条件は市場競争の前提であって、市場競争そのものが供給することはできない。
援助を与えて、食わせて依存状態にさせて現状を固定化させてしまうのではなく、経済開発の梯子に彼らの手が届くように助けることが課題である。戦略的・集中的投資・援助によって、一人あたりの資本蓄積について余剰を貯蓄に回せるレベルまで一挙に押し上げる。戦力の逐次投入は何の結果ももたらさないことは兵法の常識だ。援助国側の負担は一時的に増加するが、それは最貧国が経済開発を自力で行なえるようになる基礎条件を整えるまでのこと。トータルで考えれば現状維持よりも負担額は少なくなる。目的は、彼らが自力脱出できるように極度の貧困をなくすことであって、すべての貧困をなくすことではない。
急患に対応する臨床医学をヒントに、臨床経済学を提唱しているところに本書の特色がある。国によって抱えている事情は千差万別なのだから、一律の対策を押し付けるのではなく、まず個別に診断する必要がある。一つの問題は別の問題と絡み合っており、その複雑さを解きほぐさねばならない。また、先進国側の貿易障壁によって産品を輸出できない、巨額な負債が重圧となっている、隣国から流入してきた難民が足かせとなっている、など、一国だけでは解決できない問題もあるため、その国の置かれた環境的条件にも注意を払わねばならない。そして、取られた手段がどれだけ有効であったか、臨床治験的に観察と評価を行なうことも欠かせない。
人口爆発によって、一人あたり資本蓄積が低くなっているという問題がある。しかし、経済開発の進展は出生率の低下につながる。乳児死亡率が改善されれば、子供が死ぬ可能性に備えてたくさん産むという傾向に歯止めがかかる。女性のエンパワーメントが大切だ。女性自身が働いて稼ぐようになれば、子育てに要するコストと比較して、子供を産まないという選択肢も現実的になる。避妊手段も普及する。
本書には、ボリビア、ポーランド、ロシア、中国、インド、そしてアフリカ諸国の問題に著者自身が関わったエピソードが盛り込まれており、話題の展開は具体的だ。ジェフリー・サックスは29歳でハーヴァード大学教授となった俊英。もともとは国際金融論を専門としていたが、ボリビア政府の経済アドバイザーとなったときに貧困の問題に目を開かされ、開発経済学へ転身したという。現在はコロンビア大学地球研究所所長。国連のミレニアム開発プロジェクトの取りまとめ役でもある。新刊として、Common Wealth: Economics for a Crowded Planet(Penguin Press, 2008)が刊行されたばかりで、一応入手はしたのだが、来年くらいまでには翻訳が出るのではないか。
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投稿: つき指 | 2008年4月26日 (土) 20時01分