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2008年3月11日 (火)

都市景観やら建築やら

 隈研吾・清野由美『新・都市論TOKYO』(集英社新書、2008年)は、変容しつつある東京を歩きながら語り合う。専門家としての隈の発言に対して清野が意外と食い下がるのが小気味よい。近年、東京でも大規模な再開発プロジェクトが立て続けにお目にかかる。産業構造の変化に伴って第二次産業が確保していた敷地が不要となったため、この広大な空地をどうにかしようという理由で再開発が行なわれたらしい(たとえば、新橋の操車場→汐留シオサイト)。二人が東京郊外の町田に注目しているのが面白い。私鉄(小田急線)の都市的にフィクショナルな空間の中、泥臭いJR(横浜線)が交差して、両者が混在しているところに都市としてのリアリティを感じるという。

 住環境としての景観の質が下っていると批判する議論を最近よく見かける。郊外の均質的な空間構成を“ファスト風土化”というネーミングで論点として浮上させたのは三浦展だ(『ファスト風土化する日本』洋泉社新書y、2004年)。経済学者の松原隆一郎は、たとえば電線によって視界が遮られて空も見えないなど、住環境としての都市の質が荒廃しているのは、経済発展のために産業化を優先させてきたせいだと論じている(『失われた景観』PHP新書、2002年)。私自身、こうした議論にシンパシーを感じている。

 その一方で、こうした議論に対して五十嵐太郎は、“美”という観点を押し付ける形で景観を規制しようという発想はおかしい、荒廃しているとか醜いとかいわれているところにも積極的な意味を見出せるのではないかと批判する(『美しい都市・醜い都市』中公新書ラクレ、2006年)。確かにそれもそうなんだよなあ。といわけで、私自身の意見は保留。押井守監督「イノセンス」をはじめ「攻殻機動隊」シリーズや岩井俊二監督「スワロウテイル」などに見られるゴタまぜ的な都市イメージを取り上げており、こういうのは私も好き。

 壮麗な建築物というのはやはり理屈抜きで人の眼を引きつける。で、それを実現できるのは特殊な権力を持った方々。井上章一『夢と魅惑の全体主義』(文春新書、2006年)はファシズムや共産主義の建築プロジェクトを、五十嵐太郎『新宗教と巨大建築』(ちくま学芸文庫、2007年)は宗教建築を取り上げる。両方とも正統な建築論では敢えて取り上げられてこなかったわけだが、建築の背景にある様々なものが見えてきて興味深い。

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