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2008年3月24日 (月)

チベット問題について

 今月、チベットで起こった暴動は、中国における人権問題に改めて世界中の目を集めた。北京オリンピックという国威をかけたイベントを控えているため中国政府の発言は慎重だが、強硬姿勢は基本的に維持されている。共産党独裁体制というだけでなく、“中華ナショナリズム”の抱える問題も窺える。

 暴動はチベット自治区を越えて青海省、四川省、甘粛省にも広がっている。この「広がっている」という表現も本当は適切ではない。チベット人居住地域は行政区分上、分割・縮小されており、世界史地図帳などをめくってみると、かつて吐蕃の版図は中国王朝に匹敵するくらいの広さを持っていたことが分かる。

 東アジア地域におけるダライ・ラマの地位は独特で説明が難しい。モンゴル人などの遊牧民族はチベット人を通して仏教を受け容れた。モンゴル人の元朝、満洲人の清朝の皇帝たちがダライ・ラマに対して師父としての敬意を示していたこともあり、チベットは中国王朝の保護国であったとは単純には言えない。ただし、チベット内部の権力闘争や高官たちの腐敗・無策のため、国家としてのまとまりは切り崩されてしまっていた。1912年の中華民国の成立により清朝が崩壊したのを受けて翌1913年にダライ・ラマ13世が独立宣言を出したが、中華民国及び中華人民共和国は清朝の版図を基本的に受け継いだという立場をとっている。中国国内の内戦状態のためしばらくはやり過ごせたものの、1949年に共産党が国民党を台湾に追い出すと、次いでチベットへ人民解放軍を進駐した(1951年)。

 チベットの人々は抵抗したものの、組織化されておらず、人民解放軍の圧倒的な軍事力には太刀打ちできない。チベットは長らく鎖国状態にあったため、通信機など国外への発信手段がなかった。人民解放軍による進駐・占領の過程でいかにひどいことがあってもそれを世界中に知らせることはできなかった。国連からは見放され、インドは中国との緊張を避けるため黙認した。

 ジル・ヴァン・グラスドルフ(鈴木敏弘訳)『ダライ・ラマ──その知られざる真実』(河出書房新社、2004年)はダライ・ラマの伝記という形式をとってチベット現代史を描く。ピエール=アントワーヌ・ドネ(山本一郎訳)『チベット=受難と希望──「雪の国」の民族主義』(サイマル出版会、1991年)、マイケル・ダナム(山際素男訳)『中国はいかにチベットを侵略したか』(講談社インターナショナル、2006年。ちょっと際物的なタイトルだが、原題は“Buddha’s Warriors”、きちんとしたノンフィクションだ)は中国政府によるチベット人への残酷な弾圧を告発する。労働キャンプに入れられて飢餓状態に追い込まれたり、反攻する者は公開処刑されたり、とりわけひどいのは宗教弾圧だ。寺院の大半を破壊、僧侶に還俗を強要、殺戮、尼僧への性的虐待も頻繁に行なわれた。女性としてのプライドを傷つけるだけでなく、不姦淫の戒律を破らせることで身を以て宗教を否定させようということだ。いびつな唯物論イデオロギーの狂気。女性の不妊手術も行なわれたというから、もし事実ならば民族そのものの抹消を意図していたとすら言える。

 こうした迫害は文化大革命で頂点に達した。チベット人の若者にも紅衛兵として“造反有理”をやったのがいたらしい。現代ではこれほど明らさまな破壊・迫害はさすがに行なわれてはいないだろうが、ダライ・ラマの言う文化的虐殺は継続中である。

 1959年、ダライ・ラマが拉致されるという噂が流れた。徹底的な宗教弾圧を受けてきたのだから真実味はあるわけで、ラサ市内は騒然となる。人民解放軍が出動し、情勢は緊張。こうした中、ダライ・ラマはインドへの亡命を決意し、3月17日深夜に脱出。19日、人民解放軍は爆撃機まで動員して総攻撃を開始、23日にはポタラ宮殿が占領された。今月起こった暴動は、このダライ・ラマ亡命の日付が意識されている。

 中国共産党の指導者の中では唯一、胡耀邦だけがチベット人の窮状に同情を示したとドネ書は評価しているが、彼はやがて失脚する。鄧小平の改革開放では、漢人のチベット入植が奨励された。1950年代、まだ友好を装っていた頃、中国政府はチベット人のためのインフラ整備だと言って道路をつくった。ところが完成するやいなや、軍隊を送り込んだ。近年、青蔵鉄道が開通し、これは観光客誘致に役立つと宣伝されているが、実際には漢人入植者と兵隊を送り込んでいる。先日、NHKスペシャルの番組で、チベットの民俗的・宗教的伝統を見世物とするホテル経営に乗り出した漢人実業家を取り上げていた。中国政府による検閲を気にしているからだろうかこの番組での歯切れは悪かったが、民族間の経済格差と人種差別意識の結びつきが見えてきたのが印象に強かった。

 フィリップ・ブルサール、ダニエル・ラン(今枝由郎訳)『囚われのチベットの少女』(トランスビュー、2002年)は、「チベット自由万歳」と叫んで1990年に逮捕され現在も収監中の女性の苦難を描く。捕まったとき、まだ11歳だった。こうした人権抑圧状況は依然として続いている。

 ダライ・ラマはあくまでも非暴力主義を堅持しており、独立要求は取り下げて自治を求めている。中国政府の「ダライ集団による陰謀」というプロパガンダの見当違いな空回りがかえって目立つ。ただし、急進独立派の不満もくすぶっているらしい。現時点で考えられる落としどころは、チベットの自治を認めてゆるやかな連邦制に持っていくというあたりだろうが、中共はそれすらも認めない。あくまでも同化政策という、彼ら自身が常々批判している帝国主義そのものを続けるつもりだろう。この点では、漢人の民主化運動家も、領土不可分というナショナリスティックな強硬姿勢では共産党と立場が同じなので(当面は共産党独裁批判という点で共同歩調をとる可能性はあるにしても)、問題解決の方向は全く見えない。

 台湾総統選挙でもチベット問題が大きなテーマとして浮上し、中台融和派の国民党・馬英九にとって逆風と見られていたが、下馬評通り、民進党の謝長廷を大差で下した。馬もまたチベット問題で中共を厳しく批判したこと、外交問題よりも内政重視の世論があったからだろう。チベット問題が騒がれているだけに、台湾でスムーズに政権交代が行なわれたことは、韓国と同様に台湾もまた民主主義国家としてすでに成熟していることが示され、世界中に好印象を与えたのではないだろうか。

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