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2008年3月19日 (水)

雑談、音楽

 ここのところ、通勤電車の中でサラ・ブライトマン“Symphony”をよく聴いている。彼女の音域の広い歌声にリズミカルなオーケストラや合唱、絢爛たる響きにしばし身をゆだねる。

 いくつかクラシックの名曲の聞き覚えのあるメロディーが聴こえてくる。ホルスト「惑星」のジュピターはアレンジの定番だ。平原綾香のバラード風に抑えた歌声も好きだけど、ブライトマンの華やかさも捨てがたい。

 マーラー交響曲第五番第四楽章のどこかけだるくも美しいメロディーが聴こえてくると、ヴィスコンティ監督「ヴェニスに死す」をやはり思い浮かべる。あの映画の黄昏を思わせる雰囲気にはこれ以外にはあり得ないくらいにぴったりな選曲だろう。渡辺裕『マーラーと世紀末ウィーン』(岩波現代文庫、2004年)では、そもそもヴィスコンティは最初からマーラーをイメージしていたのではないかと指摘されていたように記憶しているが、さもありなん。

 私は中学生の頃からマーラーが好きだった。一つのきっかけは、その頃放映されていたサントリーのテレビ・コマーシャル。仙人のいそうな深山幽谷が映る。李白「山中與幽人対酌」が中国語で朗読され、「一杯一杯、復一杯」(イーペイ、イーペイ、プーイーペイ)というフレーズはいまだに耳に残っている。バックに流れていたのがマーラーの交響曲「大地の歌」第三楽章「青春について」だった。映像、ナレーション、音楽の組み合わせが印象に強く、オリエンタル趣味も手伝って「大地の歌」のCDを買った。

 全六曲、連作歌曲形式。よく知られているように、マーラーは“交響曲第九番のジンクス”におびえて「大地の歌」にナンバーをふらなかった。第三楽章は穏やかだが、第六楽章「告別」など、どんよりと暗い。この曲を聴いて自殺する人がいても私は責任をもてない、とマーラーは書いていたらしい。いずれにせよ、マーラーの憂鬱な暗さもその頃の私の気分に合っていた。

 歌詞はハンス・べートゲ(Hans Bethge)の『中国の笛』から採られている。李白、杜甫、孟浩然、王維など唐代の詩人たちを自由にアレンジした詩集である。その後、大学生になって多少なりともドイツ語をかじるようになってからこの『中国の笛』を探したのだが、見つけられなかった。

 ショスタコーヴィチが若き日に作曲した「日本の詩人の詩による六つの歌曲」も、どうやらその一部はべートゲによるらしい。確か第六曲「死」は大津皇子の辞世の句だったように思う。この曲もやはり暗い。

 べートゲという人は19世紀末から20世紀にかけて東洋趣味で知られた詩人のようだが、人物像がよく分からない。今でも気になっている。

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