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2008年3月

2008年3月31日 (月)

「犬猫」

「犬猫」

 一緒に暮らしていた古田(西島秀俊)の部屋を飛び出してしまったスズ(藤田陽子)。行くあてもなく、友人のアベチャン(小池栄子)の家に転がり込んだ。居合わせたヨーコ(榎本加奈子)はスズに視線を合わせない。気まずい二人の表情。過去に何やら訳ありな様子。アベチャンは明日から中国に留学してしまうという。スズとヨーコの、ギクシャクしながらも不思議と心を通わす共同生活が始まった。

 ロケ地は東京西郊の住宅街のようだ。その割には、二人の暮らす古びたお家のたたずまいにはなかなか風情がある。二人の日々の淡々とした時間。これといって大きな事件が起こるわけではない。だけど、些細なきっかけからわきおこる友情とも嫉妬とも割り切れない色々な感情が細やかに浮かび上がってくるところが私は好きだ。どこが良いと理屈では言えないが、全体として穏やかに流れる空気が本当に素晴らしい。

 とにかく力を抜いてナチュラルに演技させるという基本方針でつくられたそうだ。そのおかげか、榎本加奈子にはむしろ派手な印象があってあまり好感は持っていなかったのだが、この映画でのメガネをかけて内向的にふてくされた雰囲気は良い意味でアイドルらしくない。藤田陽子の天真爛漫なキャラクターとの組み合わせが生きている。こういうタイプの映画には西島秀俊がやはり欠かせないな。

 先日、「人のセックスを笑うな」を観て井口奈己監督に興味を持ち、このDVDを手に取った。噂には聞いていたのだが、この「犬猫」ももっと早くに観ておけばよかったと後悔。

【データ】
監督・脚本:井口奈己
出演:藤田陽子、榎本加奈子、西島秀俊、忍成修吾、小池栄子
2004年/94分
(2008年3月30日、DVDで)

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2008年3月30日 (日)

「4ヶ月、3週と2日」

「4ヶ月、3週と2日」

 1987年、ブカレスト。チャウシェスクの共産主義政権が崩壊する直前の時期。大学の女子寮の一室から映画は始まる。妊娠してしまったガビツァ(ローラ・バシリウ)。ルームメイトのオティリア(アナマリア・マリンカ)は、うろたえる彼女に代わって中絶の段取りを進めなければならなくなった。ところが、当時のルーマニアでは中絶は違法行為であり、彼女たちは金銭的以上の代償を負うことになってしまう。

 確かにガビツァの中絶はうまくいった。しかし、彼女の人任せの自分勝手な態度を見ていると、どうにも嫌な気分になってしまう。ラストシーン、レストランで食事するガビツァ、向き合うオティリアのすきま風が入ったようなうんざりした表情が私の目には焼きついた。ポスターやちらしでは「独裁政権が中絶を禁じた法律を敢えて破ったヒロイン」という趣旨のキャッチコピーが目につく。しかし、オティリアの表情から受ける印象がかなり違うので気になり、プログラムを買って目を通した。

 チャウシェスク政権においては労働力増強のため出産が奨励され、中絶が禁じられたばかりか、避妊させないようゴムも店頭から消えていたそうだ。捨て子が増えたことも社会問題となっていた。この映画を観ていて、なぜこの人たちはゴムもつけないで無責任なセックスをするんだと違和感があったのだが、政治的な背景があるのが分かって納得。宗教的・生命倫理的には異論もあろうが、中絶という行為そのものが当時のルーマニアでは反体制的な意味合いを持つようになったという。

 ガビツァの人任せな身勝手。中絶を行なう男性医師の欲望。口先では善意だがどこまで信頼できるか分からない恋人。結局、自分ひとりで道を切りひらくしかないと決意を固めた女性の生き方を描いた映画として、決して明るくはないが説得力がある。

 実話をもとにしているらしい。共産主義体制下の日常生活がリアルなカメラワークで映し出されるのも興味深い。日本人にとってやはり縁遠いルーマニア映画についてプログラムは簡潔にまとめてくれており、便利だった。

【データ】
監督・脚本:クリスティアン・ムンジウ
2007年/ルーマニア/113分
(2008年3月28日レイトショー、銀座テアトルシネマにて)

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2008年3月29日 (土)

君塚直隆『女王陛下の外交戦略──エリザベス二世と「三つのサークル」』

君塚直隆『女王陛下の外交戦略──エリザベス二世と「三つのサークル」』(講談社、2008年)

 1979年、ルサカ(ザンビアの首都)、コモンウェルス(イギリス連邦)諸国首脳会議でのエピソードが私には印象的だった。イギリスからは首相になったばかりのサッチャーが出席したが、南ローデシアの人種隔離政策への対応などアフリカ問題に消極的な保守党政権に対して、アフリカ諸国首脳は敵意を露わにしていた。他方、エリザベス女王については「人種的に偏見がない」(colour blind)として彼らは好意的。一人ポツンと孤立していたサッチャーをアジア・アフリカ諸国首脳たちに次々と紹介していったのが、他ならぬ女王陛下その人であった。これをきっかけに、晩餐会ではザンビアのカウンダ大統領がサッチャーにワルツを申し込んで一緒に踊り、会議に漂う空気の流れが一変。南ローデシア問題への結論はまとまり、サッチャーはアフリカ問題に積極的に取り組むようになる。

 二つの世界大戦を通して大国としての地位からすべり落ちたイギリスが戦後の国際政治の中で一定の影響力を維持するために注意を払わねばならないサークル=国家群が三つあった。アメリカ、コモンウェルス、ヨーロッパ──この三つのサークルとの信頼関係構築にイニシアティブを発揮した存在として本書はエリザベス二世に焦点を当てる。

 政治・外交の現場にあっては、一対一の生身の人間関係が意外とものを言う。政治家や外交官は任期に限りがあるし、また世論を意識して成果を焦りやすい。他方、王族にはそうした制約がないため、ゆっくりと時間をかけて政治的に中立の立場から他国の王族・国家元首たちとの人間関係を築くことができる。政府が行なう外交のハードな部分が行き詰ったとき、王室外交のソフトな部分を危機回避に役立たせることができる。

 エリザベス後の国王には誰がよいかという世論調査では、チャールズ皇太子よりもウィリアム王子の人気の方が高いらしい。しかし、長年にわたる経験と人脈の蓄積があってはじめて王室外交は成立する。また、伝統の積み重ねという点を考えても、人気投票的に国王を決めるわけにはいかない。日本の皇室について考える上でも示唆するところは大きい。

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2008年3月27日 (木)

橘孝三郎という人

 岩波書店のシンボルマークにはミレー「種まく人」があしらわれている。岩波茂雄が農家の生まれだったのでこれを選んだらしい。そういえば、『種蒔く人』というプロレタリア文学雑誌もあった。ミレーを日本で積極的に紹介したのは白樺派である。農村、勤勉、教養といった美徳を結びつけようとしたところに大正期教養主義の一つのロマンティシズムがうかがえる。ミレーはそのシンボルだったと言える。

 橘孝三郎が理想としたのもミレー「晩鐘」の世界観であった。黄昏色になずんだ夕刻、教会の鐘の音が聞こえてくる。畑作業を中断し、合掌する農民たちの敬虔な姿──。

 五・一五事件(1932年)について調べる人は、逮捕者の中に橘孝三郎と愛郷塾の門下生たちの名前を見つけ、そのミスマッチに必ず戸惑う。青年将校による犬養毅首相暗殺、クーデター未遂というキナ臭さと、トルストイの人生観に共感し、ミレーの「晩鐘」に理想社会を見出す橘の人物像とが結びつかないのだ。

 実際、橘は暴力には反対であった。青年将校たちからすすめられて北一輝『日本改造法案大綱』を読んだ時にも、軍事クーデター→憲法停止→天皇大権による国家改造という北のプランは軍部独裁につながると不快感を隠さなかった。しかし、彼らの決意は固い。クーデターが行なわれてしまうのならば、何らかの形で参加して農民側の発言権を確保しておかなければならないという計算が働いた。ただし、流血の事態は最小限に抑えたい。そこで、橘の愛郷塾は発電所襲撃という形で参加することにした。ここには、都会を真っ暗闇にすることで反都市文明、反工業文明のデモンストレーションとすることが象徴的な意味合いとして込められていた。

 橘孝三郎は1893年、水戸に生まれた。旧制水戸中学を経て一高に進むも中退。学校ではいつも図書館にこもってばかりいたという。郷里に戻って農作業に従事。近親者が集まって晴耕雨読の生活をしているうちに“兄弟村”と呼ばれるようになる。時期的には白樺派の“新しき村”とほぼ同じ頃だ。噂を聞きつけた人々が橘との交流を求めるようになり、茨城県一円で“愛郷会”として組織化されるようになった。白樺派の柳宗悦と付き合う一方で、霞ヶ浦の海軍航空隊にいた古賀清志や大洗・護国堂の井上日召とも知り合った。

 農村という自ら汗して働く現場において、自らの個性を確保しつつ、同時に他者の個性をも認め合う。そうした協働関係を通して自治的な共同体を形成、下から積み上げて国家、世界へとつなげていくというのが農本主義の基本的な社会観である。しかし、資本主義によってそうした共同体的関係が崩されつつあるというところに彼らの危機意識があった。“農本ファシスト”なんて言うとおどろおどろしいが、橘孝三郎にしても、あるいは権藤成卿(→参照)にしても、反権力主義という点でむしろアナキズムに近い。

 親戚筋にあたる立花隆は晩年の橘孝三郎に会ったことがあるというが、もの静かな老人で五・一五事件に関わったという雰囲気は全く感じさせなかったらしい(『東大と天皇』)。保阪正康『五・一五事件──橘孝三郎と愛郷塾の軌跡』(草思社、1974年)も五・一五事件と橘のパーソナリティーとの大きなギャップへの関心から書かれている。保阪書が五・一五事件の前後に関心対象を絞っているのに対し、松沢哲成『橘孝三郎──日本ファシズム原始回帰論派』(三一書房、1972年)は晩年の橘や関係者への聞き取りをもとにまとめられた伝記研究として橘の人物像を知る上で欠かせない。

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2008年3月26日 (水)

魚喃キリコの作品

 ミニシアターでかかるタイプの映画をよく観る。日々の生活の中でふとゆらめく感情の動きをすくい取った感じの日本映画が好きだ。最近は、マンガを原作とした作品が結構多い。

 魚喃(なななん)キリコの名前を最初に意識するようになった作品は『strawberry shortcakes』(祥伝社、2002年)だ。矢崎仁司監督による同名映画(2006年)を観たのがきっかけだった。映画版のストーリーはだいぶアレンジされていたが、キャラクターの性格付けは基本的には変わらない。イラストレーターとして売り出し中だが過食症に苦しむ塔子(岩瀬塔子=魚喃キリコ自身)、塔子とルームシェアリングをしているOLのちひろ(中越典子)、昔からの友人への想いを秘めながらデリヘル嬢の仕事をしている秋代(中村優子)、前向きに妄想癖のある里子(池脇千鶴)──四人の女性の姿を通して、気持ちのすれ違い、行き詰った息苦しさ、人と人とが関わり合う中での微妙な心の揺れを繊細かつリアルに描き出している。ちひろの抱える自分の空虚の自覚→周囲に合わせて取り繕っていることへの自己嫌悪、秋代が醸し出す死のイメージなどに私はひかれる。

 『blue』(祥伝社、復刊2007年)を安藤尋監督が映画化した作品(2002年)も以前に観たことがあったのだが、改めて原作を読み直してみた。田舎の女子高が舞台。どこか大人びた雰囲気を持つ同級生、彼女に寄せる友情とも恋愛ともつかぬ想い。進路決定を目の前にした戸惑い。互いにピュアであるがゆえに気持ちが過敏になってしまうあたり、矛盾した言い方だけど、さわやかに痛々しい。映画では市川実日子と小西真奈美が主演していた。

 魚喃キリコの絵柄は、マンガというよりも、デザイン風のカットを並べているという感じでクール。そのおかげで、ストーリーの感傷的なものを引き締めてくれるというか、ベタベタしない形で感情移入できる。

 『痛々しいラヴ』(マガジンハウス、1997年)、『Water.』(マガジンハウス、1998年)、『短編集』(飛鳥新社、2003年)、『キャンディーの色は赤』(祥伝社、2007年)はいずれも短編集。若い男女の人間模様を描く。バイトしたり、同棲したりというシチュエーションが多い。いわゆるベタな意味での恋愛ものではない。微妙な感情の動きまで拾い上げているのには本当に感心する。なかなか毒っ気もあるが、建前とは違ったところでの純情さがほの見えたりもする。

 『南瓜とマヨネーズ』(祥伝社、復刊2004年)が一番好きだ。日常となった同棲生活、互いの気持ちがぶつかったり、すれ違ったりの描写はリアルで説得的。先の見えない漠然とした不安の中、とにかく何かやらなくちゃ、という焦りがすけて見えてくるあたりに色々と感じさせられた。

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2008年3月25日 (火)

田月仙『禁じられた歌──朝鮮半島 音楽百年史』

田月仙(チョン・ウォルソン)『禁じられた歌──朝鮮半島 音楽百年史』(中公新書ラクレ、2008年)

 むかし、イム・グォンテク監督「風の丘を越えて──西便制」(1993年)という映画を観たことがある。パンソリ歌いの旅芸人父娘の愛憎を描いていた。私が「アリラン」を初めて聴いたのはこの映画だったように思う。先週観たばかりの「黒い土の少女」でも炭鉱夫たちが歌っていた。韓国文化を考える上で「恨」(ハン)というキーワードが必ず取り上げられるが、この定義しがたい言葉のイメージを、私は「アリラン」のメロディーに流れる強い感情と哀愁とから受け止めている。「アリラン」の発祥はよく分かっていないらしいが、日本の植民地支配、南北分断、軍事政権、様々な苦難の中で歌い継がれてきたことが本書からもうかがえる。

 都節とかヨナ抜きとか楽理的なことはよく分からないが、植民地時代を通して韓国には日本歌謡の影響が強く残っていた。民族主義の見地から「倭色」のある曲は禁じられたが、他方で朴正熙大統領自身は日本の歌を好んで歌っていたらしい。皮膚感覚になじんだ音楽とナショナリズムという政治的正統性との葛藤が興味深い。植民地支配時代に無理やり日本に協力させられた音楽家が、戦後になって一律に「親日派」として指弾されてしまうあたりにも歴史の悲哀を感じさせる。

 著者は日本、朝鮮半島、両方で活躍するソプラノ歌手。当事者へのインタビューを通し、音楽という側面から見る朝鮮半島現代史として興味深く読んだ。

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2008年3月24日 (月)

チベット問題について

 今月、チベットで起こった暴動は、中国における人権問題に改めて世界中の目を集めた。北京オリンピックという国威をかけたイベントを控えているため中国政府の発言は慎重だが、強硬姿勢は基本的に維持されている。共産党独裁体制というだけでなく、“中華ナショナリズム”の抱える問題も窺える。

 暴動はチベット自治区を越えて青海省、四川省、甘粛省にも広がっている。この「広がっている」という表現も本当は適切ではない。チベット人居住地域は行政区分上、分割・縮小されており、世界史地図帳などをめくってみると、かつて吐蕃の版図は中国王朝に匹敵するくらいの広さを持っていたことが分かる。

 東アジア地域におけるダライ・ラマの地位は独特で説明が難しい。モンゴル人などの遊牧民族はチベット人を通して仏教を受け容れた。モンゴル人の元朝、満洲人の清朝の皇帝たちがダライ・ラマに対して師父としての敬意を示していたこともあり、チベットは中国王朝の保護国であったとは単純には言えない。ただし、チベット内部の権力闘争や高官たちの腐敗・無策のため、国家としてのまとまりは切り崩されてしまっていた。1912年の中華民国の成立により清朝が崩壊したのを受けて翌1913年にダライ・ラマ13世が独立宣言を出したが、中華民国及び中華人民共和国は清朝の版図を基本的に受け継いだという立場をとっている。中国国内の内戦状態のためしばらくはやり過ごせたものの、1949年に共産党が国民党を台湾に追い出すと、次いでチベットへ人民解放軍を進駐した(1951年)。

 チベットの人々は抵抗したものの、組織化されておらず、人民解放軍の圧倒的な軍事力には太刀打ちできない。チベットは長らく鎖国状態にあったため、通信機など国外への発信手段がなかった。人民解放軍による進駐・占領の過程でいかにひどいことがあってもそれを世界中に知らせることはできなかった。国連からは見放され、インドは中国との緊張を避けるため黙認した。

 ジル・ヴァン・グラスドルフ(鈴木敏弘訳)『ダライ・ラマ──その知られざる真実』(河出書房新社、2004年)はダライ・ラマの伝記という形式をとってチベット現代史を描く。ピエール=アントワーヌ・ドネ(山本一郎訳)『チベット=受難と希望──「雪の国」の民族主義』(サイマル出版会、1991年)、マイケル・ダナム(山際素男訳)『中国はいかにチベットを侵略したか』(講談社インターナショナル、2006年。ちょっと際物的なタイトルだが、原題は“Buddha’s Warriors”、きちんとしたノンフィクションだ)は中国政府によるチベット人への残酷な弾圧を告発する。労働キャンプに入れられて飢餓状態に追い込まれたり、反攻する者は公開処刑されたり、とりわけひどいのは宗教弾圧だ。寺院の大半を破壊、僧侶に還俗を強要、殺戮、尼僧への性的虐待も頻繁に行なわれた。女性としてのプライドを傷つけるだけでなく、不姦淫の戒律を破らせることで身を以て宗教を否定させようということだ。いびつな唯物論イデオロギーの狂気。女性の不妊手術も行なわれたというから、もし事実ならば民族そのものの抹消を意図していたとすら言える。

 こうした迫害は文化大革命で頂点に達した。チベット人の若者にも紅衛兵として“造反有理”をやったのがいたらしい。現代ではこれほど明らさまな破壊・迫害はさすがに行なわれてはいないだろうが、ダライ・ラマの言う文化的虐殺は継続中である。

 1959年、ダライ・ラマが拉致されるという噂が流れた。徹底的な宗教弾圧を受けてきたのだから真実味はあるわけで、ラサ市内は騒然となる。人民解放軍が出動し、情勢は緊張。こうした中、ダライ・ラマはインドへの亡命を決意し、3月17日深夜に脱出。19日、人民解放軍は爆撃機まで動員して総攻撃を開始、23日にはポタラ宮殿が占領された。今月起こった暴動は、このダライ・ラマ亡命の日付が意識されている。

 中国共産党の指導者の中では唯一、胡耀邦だけがチベット人の窮状に同情を示したとドネ書は評価しているが、彼はやがて失脚する。鄧小平の改革開放では、漢人のチベット入植が奨励された。1950年代、まだ友好を装っていた頃、中国政府はチベット人のためのインフラ整備だと言って道路をつくった。ところが完成するやいなや、軍隊を送り込んだ。近年、青蔵鉄道が開通し、これは観光客誘致に役立つと宣伝されているが、実際には漢人入植者と兵隊を送り込んでいる。先日、NHKスペシャルの番組で、チベットの民俗的・宗教的伝統を見世物とするホテル経営に乗り出した漢人実業家を取り上げていた。中国政府による検閲を気にしているからだろうかこの番組での歯切れは悪かったが、民族間の経済格差と人種差別意識の結びつきが見えてきたのが印象に強かった。

 フィリップ・ブルサール、ダニエル・ラン(今枝由郎訳)『囚われのチベットの少女』(トランスビュー、2002年)は、「チベット自由万歳」と叫んで1990年に逮捕され現在も収監中の女性の苦難を描く。捕まったとき、まだ11歳だった。こうした人権抑圧状況は依然として続いている。

 ダライ・ラマはあくまでも非暴力主義を堅持しており、独立要求は取り下げて自治を求めている。中国政府の「ダライ集団による陰謀」というプロパガンダの見当違いな空回りがかえって目立つ。ただし、急進独立派の不満もくすぶっているらしい。現時点で考えられる落としどころは、チベットの自治を認めてゆるやかな連邦制に持っていくというあたりだろうが、中共はそれすらも認めない。あくまでも同化政策という、彼ら自身が常々批判している帝国主義そのものを続けるつもりだろう。この点では、漢人の民主化運動家も、領土不可分というナショナリスティックな強硬姿勢では共産党と立場が同じなので(当面は共産党独裁批判という点で共同歩調をとる可能性はあるにしても)、問題解決の方向は全く見えない。

 台湾総統選挙でもチベット問題が大きなテーマとして浮上し、中台融和派の国民党・馬英九にとって逆風と見られていたが、下馬評通り、民進党の謝長廷を大差で下した。馬もまたチベット問題で中共を厳しく批判したこと、外交問題よりも内政重視の世論があったからだろう。チベット問題が騒がれているだけに、台湾でスムーズに政権交代が行なわれたことは、韓国と同様に台湾もまた民主主義国家としてすでに成熟していることが示され、世界中に好印象を与えたのではないだろうか。

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2008年3月23日 (日)

竹内洋『大学という病──東大紛擾と教授群像』

竹内洋『大学という病──東大紛擾と教授群像』(中公文庫、2007年)

 大学や学会での人事抗争の不毛な激しさについては時折漏れ聞くことがある。本書は東京帝国大学経済学部を舞台に、“大学版忠臣蔵”とも言うべき人間模様を社会学的な分析タームを用いながら描き出す。マルクス主義の大内兵衛グループ、国家主義=革新派の土方成美グループ、自由主義の河合栄治郎グループ、それぞれの派閥が互いに足を引っ張り合う合従連衡、登場人物の思惑や葛藤も活写されて非常に面白い。立花隆『天皇と東大』(下巻)でも“経済学部三国志”としてこの騒動について3章ほど割かれており興味を持ったのだが、何のことはない、本書の引き写しであった。

 河合栄治郎の基本的な考え方は理想的人格主義にあり、反マルクス主義の立場をとっていた。大正から昭和の初めにかけての論壇はマルクス主義の全盛期で、河合の理想主義的リベラリズムは学生には物足りなかった。ところが軍国主義の風潮が強まり、マルクス主義の知識人たちが次々と崩れていく中、果敢に軍部批判を行なった河合を見て、常識的で新鮮味には欠けてはいても芯のすわっている人はやはり強いものだと見直されたらしい。このエピソードを学生の頃に何かで読んで、河合の『学生に与う』(現代教養文庫)を古本屋で探し求めたことがある。河合が大学を追われたのも、このリベラリズムが睨まれたからだと思っていた。

 もちろん、蓑田胸喜をはじめとする右翼からの攻撃が最大の原因であったのは確かだが、本書によると事情はそんなに単純ではない。国家主義の土方派と自由主義の河合派とが反マルクス主義の立場から大内派を追い落としたかと思うと、学部長となった河合が独断専行の人事を行なおうとして土方派と大内派が共闘したりと泥仕合が繰り広げられていたため、経済学部は事実上機能していなかった。感情的なしこりが尾を引いているのだから、河合を守れるわけがない。河合は休職処分となるが、大学自治という建前を取り繕うため、右翼を引っ張り込んだ土方もまた喧嘩両成敗として休職処分を受けた。昭和14年、いわゆる平賀粛学である。この時にそれぞれの子分筋が連袂辞職騒ぎを起こすが、裏切りもあって感情的なもつれをさらに深めてしまう。実は法学部の田中耕太郎、末弘厳太郎、横田喜三郎、宮沢俊義なども蓑田から猛攻撃を受けていたのだが、こちらは犠牲者を出していない。経済学部をスケープゴートにして法学部は生き残ったのではないかと著者はうがった見方を示す。この間、大学に昇格した東京高商(現在の一橋大学)から追い上げを受ける。経営学・商業学・会計学など実学経済系の学会では東大系が意外と弱いという印象を以前から持っていたのだが、遠因はこのあたりにありそうだ。

 栄華をほこった革新派は日本の敗戦と共に公職追放。河合は戦争中に病死している。昭和13年の第二次人民戦線事件で壊滅していた大内派が復帰して、東大経済学部はマルクス経済学が主流となる。

 竹内洋や立花隆と同様に、河合がもし戦後も生きていたら、というイフに私も思いをめぐらせてしまう。河合にも色々と問題はあったにせよ、軍国主義の犠牲になったという勲章をもとに、戦後の論壇で一世風靡したマルクス主義に対して着実な批判をすることができたはずだ。彼の活動力からすれば政治にも積極的に関与しただろうし、思想的には社会民主主義に近かったから社会党右派の理論的主柱として野党の現実路線化も可能だったかもしれない。浅沼稲次郎や河上丈太郎など社会党右派の指導者たちには戦争協力をしたという負い目があったため、彼らは左派の看板を使わざるを得なかった。

 学問エリートに対する大衆運動的攻撃という点で、戦前の蓑田たち右翼と戦後の全共闘と同じ構図が見えてくるのも興味深い。 

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2008年3月22日 (土)

坂本慎一『ラジオの戦争責任』

坂本慎一『ラジオの戦争責任』(PHP新書、2008年)

 日本が太平洋戦争に至る一連の戦争へと突き進んでいった原因については様々な議論が重ねられているものの、なかなか結論は出ない。本書は、なぜ国民は戦争を支持したのか?という問いを立てる。その上で、仏教講話のラジオ放送で人気上位にあった高嶋米峰と友松圓諦、ラジオ受信機の普及に熱意を注いだ松下幸之助、独特な雄弁で“大東亜共栄圏”を鼓吹した松岡洋右、そして玉音放送を仕掛けて終戦につなげた下村宏(海南)の五人を取り上げ、戦争においてラジオの果たした役割を検証する。

 欧米ではラジオは個室内でひっそりと聞くものであったのに対し、日本では家屋の構造上、音が漏れても平気、店先で流すのも普通であったため、従来考えられてきた以上にラジオによる影響は大きかったという。書き言葉に比べて、話し言葉は言葉の定義が曖昧になりやすい。ラジオという声の文化の拡大により、たとえば“大東亜共栄圏”というような曖昧な内容の言葉を国民が感情的に連呼しやすい事態が生じたと本書は指摘する。

 真空管ラジオは高音は鮮明に出るが、低音だとはっきりと聞こえない。当時、ラジオの講演者で人気のあった人々はみな声のトーンが比較的高く、またトーンを高くしようとして絶叫調になったそうだ。ヒトラーの演説を思い浮かべると納得。

 終戦工作を進める鈴木貫太郎内閣は、“一億総玉砕”を叫び続ける国民を恐れていた。阿南惟幾陸相の戦争継続論でも、国民をなだめる手段がないという理由があげられていた。ラジオが国民を熱狂させたならば、ラジオを使って国民をなだめよう──そうした発想で玉音放送というアイデアを出したのが当時の情報局総裁・下村宏であった。本書では下村が高く評価されている。軍部への非妥協的態度を貫き通した人々は、そのこと自体が戦後になって勲章となった(極端な例では、宮本顕治“獄中十二年”神話の絶対性!)。もちろん、それも一つの見識ではあるが、他方、下村のように軍部と妥協しつつも政権内に留まり続けたからこそ陰ながらも終戦に貢献できた人々のことも忘れてはなるまい。

 本書では触れられていないが、ルワンダでもラジオ放送による煽動がごく普通の人々を大虐殺に駆り立てたことを連想的に思い出した。ラジオも含め、メディアといわれるものは、それが空気のようにごく自然に享受されているからこそ大きな威力を持ち得ることを改めて思い知らされる。

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2008年3月21日 (金)

「黒い土の少女」

「黒い土の少女」

(以下、内容に触れている箇所があります。)
 雪が薄っすらと積もり、木々に葉っぱはない。韓国・江原道の炭鉱町、寒々としたボタ山の風景。いまや石炭の需要などあまりないわけで、人影のまばらな街並みは時代から取り残されたような印象を与える。

 セリフはかなり抑え気味で音楽もなく、全体的に静かなトーン。退屈して寝てしまうかもしれない、などとふと思ったりもしたのだが、この寂しげな風景や人物を捉える映像になかなか美しい情感があって最後まで見入っていた。

 ヨンリムは九歳の女の子。お父さんと知的障害を持つお兄さんとの三人家族。幼いながらも家族の面倒をせっせとみるしっかり者だ。お父さんは塵肺症で炭鉱夫をやめざるを得なくなるが、それでも転職先で前向きに頑張る。仕事用のトラックでドライブする三人の楽しげな表情──。しかし、仕事先でだまされていたことに気付き抗議したが、逆に殴られて失職、酒におぼれてしまう。住み慣れた家には再開発のための立ち退き要求が来ている。

 お金がないので仕方なく万引きをしたヨンリム、逃げ込んだ部屋で見せる思いつめた表情が印象的だ。三人とも、それぞれ限界はあっても、お互いのことを心の底から気づかっている。しかし、昔の楽しかった頃のままでは現実の壁に押しつぶされてしまう。ラストをどう捉えるか? お父さんを殺して現実から逃げるというのではなく、危険な賭けであってもお父さんを入院させるためのやむを得ない手段だったと考えたい。そうであればこそ、バスが来ても乗らず、真っ直ぐに前を向ける眼差しには、現実を直視して他ならぬ自分の手で引き受けようという覚悟が表われている、その意味で大人になる一歩を踏み出したのだと肯定的に受け止められる。

 二人の子役が本当に見事だ。一見したところ静かな映画だが、人物の表情や風景の捉え方など、言外のところで様々な感情の動きを観客に伝えてくれる。意外と掘り出し物だった。

【データ】
英題:With a Girl of Black Soil
監督・原案・脚本:チョン・スイル
2007年/韓国/89分
(2008年3月20日、渋谷、シアター・イメージフォーラムにて)

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2008年3月20日 (木)

松本清張『小説東京帝国大学』、立花隆『天皇と東大』、他

 久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』(岩波新書、1956年)という本があった。私は古本屋でみつけて読んだことがあるが、今でも入手できるのだろうか。いわゆる“顕教”と“密教”という比喩で戦前期天皇制の特徴を整理した指摘でよく知られている。つまり、一般国民に対しては天皇の神聖さをたたき込む(顕教)一方で、統治エリート(主に帝国大学出身者)がくぐる高等文官試験では天皇機関説を踏まえた出題がされる(密教)という二元構造があったが、顕教による密教征伐によって“天皇制ファシズム”へ突き進んだという枠組みを提示している。こうした説明が一定の説得力を持つことから窺われるように、天皇制というタブーと近代日本の諸問題との緊張感をはらんだ結節点の一つは最高学府たる帝国大学に見ることができる。

 松本清張『小説東京帝国大学』(上下、ちくま文庫、2008年)は、いわゆる哲学館事件から説き起こされる。ある生徒の書いた答案中に「弑逆」という言葉があったのを文部省の視学官がみつけ、これは不敬であるとの口実をもとに哲学館(現在の東洋大学)から中等教員無試験資格を取り消してしまう。この背景には、政府に従わない可能性のある私学を排除して、官学だけで教育システムを独占しようという思惑があったという。天皇制というタブーと、これを利用して統治の効率化を意図する官の動きとがほのめかされる。

 かつて久米邦武は「神道は祭天の古俗」という論文で帝国大学教授の地位を追われたが、教授陣で擁護する人は誰もいなかった。しかし、対露強硬論を吐いて政府批判をした戸水寛人教授及びその監督責任者の山川健次郎総長の進退問題に発展したとき、教授陣は連袂辞職の姿勢を見せて抵抗したのは天皇というタブーが絡まなかったからだという。他にも、南北朝正閏論争や大逆事件なども取り上げられる。

 小説の題材として無味乾燥になりがちな学者の世界を読み物として読みやすく仕立て上げているのは感心するが、清張現代史論にありがちな陰謀史観が鼻につくので、ここは注意して読むほうがいいだろう。

 立花隆『天皇と東大』(上下、文藝春秋、2005年)は明治における東大の設立から敗戦に至るまで、学者たちの動向に主軸を置きながら日本の近現代史を彩る諸問題を通観する。膨大な史料にあたって詳細な事実関係を積み重ねる書き方なので安心して読めるし、私のような現代史オタクには実に面白い本だ。参考文献一覧は資料集としても役に立つ。

 大きな焦点の一つはやはり天皇機関説問題だろう。よく知られているように、他ならぬ昭和天皇自身が機関説論者で、立憲君主として振舞うべく自らを厳しく律していた。二・二六事件の青年将校も天皇機関説問題で騒ぎ立てた論者も、その点で実は聖上のご意志に背いていたという根本的な矛盾があったということは現在から振り返ってみると非常に不可思議な現象である(付け加えると、青年将校たちがイデオロギー的に依拠した北一輝もまた機関説論者であったことにも奇妙な矛盾がある)。美濃部達吉への処分は、天皇機関説そのものが不敬であるということではなく、「社会の安寧秩序妨害」、つまり世の中をお騒がせした、という理由で下された。実際に機関説的な考え方で制度運用されているのだから美濃部の処分は本来的に無理だということを行政側もよく承知していたのである。

 なぜこんな辻褄合わせをしなければならなかったのか? もっと言えば、議会や行政に対して蓑田胸喜(むねき→きょうき!)の粗雑な議論がなぜあれほどの威力を発揮したのか? 理屈ではなく感情論による煽り立てにより、下から、すなわち一般国民レベルから政治を突き上げていくという構造がすでに現われていた。その意味では、没論理的=権威主義的=前近代的な“天皇制ファシズム”という旧来的な捉え方ではなく、没論理的=大衆社会的=極めて近代的な社会に当時の日本はすでに移行していたと考える方が私などには説得的に思える。アジテーターとしての役割を果したのが蓑田胸喜である。

 近年、蓑田を再検討しようという動きがあり興味を持っている。立花書でもキーパーソンの一人として大きく取り上げられているし、教育社会学の竹内洋・メディア史の佐藤卓己たちによって『蓑田胸喜全集』(柏書房)が編集されているほか、それこそ大衆社会的で没論理的なバッシングを実際に受けた経験を持つ佐藤優も蓑田に関心を寄せている(たとえば、『ナショナリズムという迷宮』朝日新聞社、2007年)。

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2008年3月19日 (水)

雑談、音楽

 ここのところ、通勤電車の中でサラ・ブライトマン“Symphony”をよく聴いている。彼女の音域の広い歌声にリズミカルなオーケストラや合唱、絢爛たる響きにしばし身をゆだねる。

 いくつかクラシックの名曲の聞き覚えのあるメロディーが聴こえてくる。ホルスト「惑星」のジュピターはアレンジの定番だ。平原綾香のバラード風に抑えた歌声も好きだけど、ブライトマンの華やかさも捨てがたい。

 マーラー交響曲第五番第四楽章のどこかけだるくも美しいメロディーが聴こえてくると、ヴィスコンティ監督「ヴェニスに死す」をやはり思い浮かべる。あの映画の黄昏を思わせる雰囲気にはこれ以外にはあり得ないくらいにぴったりな選曲だろう。渡辺裕『マーラーと世紀末ウィーン』(岩波現代文庫、2004年)では、そもそもヴィスコンティは最初からマーラーをイメージしていたのではないかと指摘されていたように記憶しているが、さもありなん。

 私は中学生の頃からマーラーが好きだった。一つのきっかけは、その頃放映されていたサントリーのテレビ・コマーシャル。仙人のいそうな深山幽谷が映る。李白「山中與幽人対酌」が中国語で朗読され、「一杯一杯、復一杯」(イーペイ、イーペイ、プーイーペイ)というフレーズはいまだに耳に残っている。バックに流れていたのがマーラーの交響曲「大地の歌」第三楽章「青春について」だった。映像、ナレーション、音楽の組み合わせが印象に強く、オリエンタル趣味も手伝って「大地の歌」のCDを買った。

 全六曲、連作歌曲形式。よく知られているように、マーラーは“交響曲第九番のジンクス”におびえて「大地の歌」にナンバーをふらなかった。第三楽章は穏やかだが、第六楽章「告別」など、どんよりと暗い。この曲を聴いて自殺する人がいても私は責任をもてない、とマーラーは書いていたらしい。いずれにせよ、マーラーの憂鬱な暗さもその頃の私の気分に合っていた。

 歌詞はハンス・べートゲ(Hans Bethge)の『中国の笛』から採られている。李白、杜甫、孟浩然、王維など唐代の詩人たちを自由にアレンジした詩集である。その後、大学生になって多少なりともドイツ語をかじるようになってからこの『中国の笛』を探したのだが、見つけられなかった。

 ショスタコーヴィチが若き日に作曲した「日本の詩人の詩による六つの歌曲」も、どうやらその一部はべートゲによるらしい。確か第六曲「死」は大津皇子の辞世の句だったように思う。この曲もやはり暗い。

 べートゲという人は19世紀末から20世紀にかけて東洋趣味で知られた詩人のようだが、人物像がよく分からない。今でも気になっている。

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2008年3月18日 (火)

「悲しき天使」

「悲しき天使」

 時間がたまたま合ったので何気なく映画館に飛び込んだのだが、公開初日ということで上映前に大森一樹監督と岸部一徳のあいさつがあった。去年だったか、チラシで見かけた記憶がうっすらとあってデジャヴュかと思っていたのだが、やはり再上映とのこと。

 やむを得ない事情があって義理の父親(峰岸徹)を殺してしまった女性(山本未来)が消息を絶った。彼女は昔の恋人(筒井道隆)を頼って別府温泉に行くのではないかと勘を働かせた二人の刑事(岸部一徳、高岡早紀)が張り込みをするという話。サスペンス・ドラマというよりも、事件の成り行きを通して、追う側、追われる側、かくまう人、それぞれの人間模様が浮き上がってくるという仕立て方になっている。

 私は小説でも映画でも、自分とは違う人生を垣間見て、そこに何がしかのきっかけをつかんで感情移入していければ素直に面白いと感じる。この映画も地味ではあるが、そういう点で見ごたえはあった。良い意味で古いタイプの見やすい映画だという趣旨のことを岸部さんがおっしゃっていたが、このような正攻法の映画もたまにはいいね。

【データ】
監督・脚本:大森一樹
出演:高岡早紀、岸部一徳、筒井道隆、山本未来、河合美智子、峰岸徹、他。
2005年/113分
(2008年3月15日レイトショー、渋谷、シネ・アミューズにて)

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2008年3月17日 (月)

「アメリカを売った男」

「アメリカを売った男」

 FBIで下積み中のエリック・オニール(ライアン・フィリップ)は何とか捜査官になりたい、認められたいと焦っていた。ある日曜日、上司から突然呼び出され、新設された情報管理部の責任者ロバート・ハンセン(クリス・クーパー)のアシスタントとなるよう命じられる。ハンセンには性的倒錯者としての不品行があるため、彼の言動を逐一記録してレポートせよとのこと。

 出世につながらないと不満タラタラのオニール。ハンセンのとっつきにくさに辟易しながらも、彼の生真面目な態度を見ているうちに徐々に敬意が芽生えてきた。ハンセンは誤解されている──そう思ったオニールが上司に抗議したところ、彼はソ連・ロシアに国家機密を売り渡している二重スパイなのだと知らされる。

 相手を試すように一つ一つの言動や表情を巧みに操るハンセンの複雑なパーソナリティー。演ずるクリス・クーパーの存在感が圧倒的だ。サスペンス・ドラマとしての緊張感が全編に張りつめているが、それ以上に、誰も信じることのできないスパイの孤独を浮き彫りにしているところに興味がひかれる。

 彼が国を売ったのはなぜなのか? 金のため、と言ってしまえれば話は簡単だが、そういうわけではない。仕事のモチベーションには、誰かから認められたいという側面が意外と大きい。そのためには、横の人的つながりが必要だが、スパイはそれを絶たなければならない。自己価値確認の意識が誇大妄想的に暴走して、自分が大国を手玉に取っているという全能感に一つの拠り所を求めていたと言えるだろうか。しかしながら、それも所詮は想像に過ぎず、映画中で彼自身がつぶやくように、動機など言葉でまとめても無意味なのかもしれない。

【データ】
原題:BREACH
監督・脚本:ビリー・レイ
2007年/アメリカ/110分
(2008年3月15日、日比谷、シャンテ・シネにて)

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2008年3月16日 (日)

秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』シリーズ

 我々が何気なく暮らしている東京の街に実はもう一つ裏の顔があった──そんな設定の物語が私は結構好きだ。荒俣宏『帝都物語』シリーズは中学生の頃に読みふけった覚えがある(そういえば、『新帝都物語 維新国生み篇』(角川書店、2007年)が出るやいなや買ったけど、まだ読んでないや)。他にも、海野十三(うんの・じゅうざ、と読みます)『深夜の市長』(講談社・大衆文学館、1997年)、久生十蘭『魔都』(朝日文庫、1995年)、小野不由美『東亰異聞』(新潮文庫、1999年)…、と思いつくままに挙げ始めたらキリがない。江戸川乱歩の描く大正期の東京も、そのレトロにどことなく幻想的な雰囲気が私にとっては“もう一つの東京”として興味が尽きない。

 ところでところで──、東京には本当に裏の顔があるとしたら? 秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』(新潮文庫、2006年)、『帝都東京・隠された地下網の秘密[2]──地下の誕生から「1-8」計画まで』(新潮文庫、2006年)、『新説 東京地下要塞──隠された巨大地下ネットワークの真実』(講談社+α文庫、2007年)といった“東京地下”ものは実に面白い。要するに、東京の地下鉄・地下街には公式には明かされていない軍事的・政治的思惑の痕跡が見え隠れするという話。地図上の記載の微妙な矛盾をきっかけに取材・検証を進めるプロセスそのものがスリリングでなかなか読ませる。日本の近現代史と密接に結び付いているあたりも興味深い。

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2008年3月13日 (木)

伊藤千尋『反米大陸』

伊藤千尋『反米大陸』(集英社新書、2007年)

 20世紀初頭、セオドア・ローズヴェルト大統領の“棍棒政策”以来、ラテンアメリカ諸国はその勢力圏下に入り、“アメリカの裏庭”と呼ばれた。アメリカと結びついた特権階層に対する不満から下層階級は反米意識をたぎらせており、アルゼンチンのペロンのように民族主義という形を取るにせよ、キューバのカストロやチリのアジェンデのように社会主義という形を取るにせよ、いずれも反米大衆運動のヴァリエーションとして考えることができる。

 こうした趨勢が最近再び顕著となっている。筆頭格と言うべきベネズエラのチャべス大統領にはペロン的な民族社会主義の雰囲気がある。エクアドルのコレア大統領、ボリビアのモラレス大統領もチャべスと共同歩調を取る。老舗のキューバではカストロが引退したとはいえ権力は弟のラウルに継承された。ニカラグアではサンディニスタ民族解放戦線のオルテガ大統領が復活している。ブラジルのルラ大統領、アルゼンチンのキルチネル大統領、チリのバチェレ大統領、ペルーのガルシア大統領などはむしろ中道左派というべき穏健な立場だが反米意識では共通する。親米派はコロンビアくらいのものか。

 本書は中南米に広がる反米意識の波の歴史的背景を紹介してくれる。反政府ゲリラ支援、経済封鎖、クーデター支援、場合によっては軍事介入などアメリカはあらゆる手段を取って中南米諸国の政治に介入してきた。アメリカは自らの正義を誇張するとき「リメンバー○○」というスローガンを掲げるが、テキサス併合時の「アラモ砦を忘れるな」にしても、米西戦争時の「メイン号を忘れるな」にしても、立場が異なれば侵略の正当化に過ぎなかったという指摘が興味深い。「9・11を忘れるな」と言っても、チリにとってこの日はアメリカのテコ入れを受けたピノチェト将軍のクーデターによってアジェンデ政権が倒された日にあたるというのも皮肉なものだ。

 アメリカによるラテンアメリカ諸国への干渉のやり口が具体的に分かる点で本書は有益ではある。ただし、「アメリカはこんな悪いことをしてきた」という感じに並べ立てるだけ。これといった分析視角が見えてこないので、下手するとアメリカの陰謀という話で終わりかねない。これでは建設的な内容とは言いがたい。

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2008年3月12日 (水)

日本画家、松井冬子

 昼休みによく行く書店の美術書コーナーに寄ったら、平台に松井冬子という人の画集が積んであった。初めて見る名前だ。何気なく手に取ってみた。

 日本画である。第一印象、グロい。人物の皮膚の引き裂かれた様が痛々しい。

 幽霊画の暗くぼんやりとした感じが基本的なトーン。とは言っても色々とアレンジされていて、ルネサンス期の女性像を思わせる横顔も見えたりする。繊細で緻密な描写は日本画らしいが、そこには収まりきれない激しい情念の放つオーラが何とも言えない。気持ちをグイと荒々しくつかまれたように目が離せない。

 画集はさすがに値段がはるのでおいそれとは買えない。横に松井冬子特集が組まれた『美術手帖』2008年1月号も置いてあったので、こちらを購入。

 辻惟雄、松井みどりとの対談で語る松井冬子のコメントがまた一筋縄ではいかず、興味をかきたてられる。映画女優とかファッション・モデルとか言っても全然違和感がないくらいに相当な美人だ。しかし、孤高というか、どこか狂的なものがあって人を寄せつけない雰囲気も漂う。

 「この疾患を治癒させるために破壊する」(2004年)は、暗闇の中、千鳥が淵の水面に映った桜を詳密に描写。渦巻き的な構図に魅入られてそのままこちらも巻き込まれてしまいそうな不思議な感覚。

 「浄相の持続」(2004年)。花が咲き乱れる中、横たわった女性の切り裂かれた腹から子宮がむき出しになっている。最初にグロいと思ったのはこれだ。この女性は殺されたというのではなく、自ら腹を切り裂くという行為がまず頭に浮かんで描かれたそうだ。自傷行為には自己確認という意味もあり、それによって、自分は立派な子宮を持っているのを見せびらかす自己顕示にもつながるという。言われてみて改めて見直すと、確かに女性の表情は穏やかで、むしろ誇らしげですらある。

 痛みがあって、はじめて“私”なるものが捉えられる。創作的な動機もそこに芽生える。極めて私的な感情であっても、それが今という時代において切実なものであれば、他の人にも訴えかけるものがあるはずというスタンスを彼女は取っている。パッションをそのまま無責任に描き散らすのではなく、日本画の技術的制約があるからこそ、描きたい感情を表現できるという発言に説得力がある。

 松井が芸大に提出した博士論文「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」を寄稿者や対談者はみな絶賛しているのだが、私も読んでみたい。

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2008年3月11日 (火)

都市景観やら建築やら

 隈研吾・清野由美『新・都市論TOKYO』(集英社新書、2008年)は、変容しつつある東京を歩きながら語り合う。専門家としての隈の発言に対して清野が意外と食い下がるのが小気味よい。近年、東京でも大規模な再開発プロジェクトが立て続けにお目にかかる。産業構造の変化に伴って第二次産業が確保していた敷地が不要となったため、この広大な空地をどうにかしようという理由で再開発が行なわれたらしい(たとえば、新橋の操車場→汐留シオサイト)。二人が東京郊外の町田に注目しているのが面白い。私鉄(小田急線)の都市的にフィクショナルな空間の中、泥臭いJR(横浜線)が交差して、両者が混在しているところに都市としてのリアリティを感じるという。

 住環境としての景観の質が下っていると批判する議論を最近よく見かける。郊外の均質的な空間構成を“ファスト風土化”というネーミングで論点として浮上させたのは三浦展だ(『ファスト風土化する日本』洋泉社新書y、2004年)。経済学者の松原隆一郎は、たとえば電線によって視界が遮られて空も見えないなど、住環境としての都市の質が荒廃しているのは、経済発展のために産業化を優先させてきたせいだと論じている(『失われた景観』PHP新書、2002年)。私自身、こうした議論にシンパシーを感じている。

 その一方で、こうした議論に対して五十嵐太郎は、“美”という観点を押し付ける形で景観を規制しようという発想はおかしい、荒廃しているとか醜いとかいわれているところにも積極的な意味を見出せるのではないかと批判する(『美しい都市・醜い都市』中公新書ラクレ、2006年)。確かにそれもそうなんだよなあ。といわけで、私自身の意見は保留。押井守監督「イノセンス」をはじめ「攻殻機動隊」シリーズや岩井俊二監督「スワロウテイル」などに見られるゴタまぜ的な都市イメージを取り上げており、こういうのは私も好き。

 壮麗な建築物というのはやはり理屈抜きで人の眼を引きつける。で、それを実現できるのは特殊な権力を持った方々。井上章一『夢と魅惑の全体主義』(文春新書、2006年)はファシズムや共産主義の建築プロジェクトを、五十嵐太郎『新宗教と巨大建築』(ちくま学芸文庫、2007年)は宗教建築を取り上げる。両方とも正統な建築論では敢えて取り上げられてこなかったわけだが、建築の背景にある様々なものが見えてきて興味深い。

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2008年3月 9日 (日)

木村幹『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』

木村幹『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』(名古屋大学出版会、2008年)

 軍事クーデターによって政権を掌握した朴正熙が、その実質については疑問符がつけられるにしても曲がりなりにも民政移管を行なったのはなぜなのか。戦後においてはやはり“民主主義”への要請が国際世論として非常に強く、何よりも北朝鮮との対抗上、西側陣営に属する“民主主義”国家としての原則を崩すわけにはいかなかった。民主主義と民族主義──韓国政治において統治の正統性を支えるこの二本柱をめぐって朴正熙政権と野党勢力はどのように向き合ったのかを本書は検証する。

 知識人たちは朴正熙政権に対して意外と協力的だった。韓国人は民主主義体制をうまく運営できておらず、国民一人一人の近代化を進める、つまり民族改造をしなければならない──こうした主張において、実はクーデター勢力と知識人グループとでは考え方が一致していたからだ。この論点は日本統治期における李光洙や崔南善らの主張と重なるのも興味深い。ただし、クーデター勢力が居座りの姿勢を見せたことで“民主主義”という点での正統性は失墜する。

 大韓民国は、上海にあった亡命政権・大韓民国臨時政府や抗日運動との連続性という法的擬制によって正統性が担保されている。しかしながら、朴正熙政権は経済援助を受けるため植民地支配の責任追及を事実上放棄する形で日本との国交正常化交渉を始めた。条約反対の学生運動が盛り上がり、その中から朴政権退陣要求が急進化する。これは“民族主義”という点でも正統性を失うことにつながった。野党側も戒厳令には反対しつつ、日本との国交正常化は必要と考える穏健派も多かったため、朴政権の“敵失”に乗ずることができず混迷。もちろん学生に政権担当能力はない。朴政権は正統性を失いつつも維持された。

 韓国の紆余曲折した歴史の中、政治家としての利点・制約は世代によって特徴づけられる。第一世代(1975年以前の生まれ)は科挙の世代。李承晩はこの最末期にあたる。科挙が廃止されたものの近代的教育制度も未整備だった第二世代(1875~1895年頃の生まれ)及び大韓帝国末期から日本統治期初期の第三世代は教育を受ける機会が限られていたため、一部の富裕層が海外留学できるだけだった。第四世代は“文化統治”期にあたり、この頃には京城帝国大学を頂点として高等教育が拡充されていたため、近代的教育を受ける機会は格段に広がった。その分、日本統治システムに深く組み込まれることになり、対日協力という脛に傷ある意識を引きずってしまう。朴正熙が典型例だろう。第五世代(1925年以降生まれ)は成人期に社会的活動はしていないので“親日”という点ではセーフ。金大中・金泳三たちがここに属する。1940年代以降生まれが第六世代。学生運動の世代である。

 日本人の総撤退後、人材不足となったため、日本統治期に高等教育を受けた世代が実務家として枢要な地位を占めたが、李承晩という正統性が必要だった。朴正熙たちは彼らを“旧政治人”として批判してクーデター正当化のロジックとした。その後、金大中ら第五世代が世代交代を唱えたとき、やはり第四世代を“日本帝国主義との連関”という点で批判する。日本軍士官であった経歴が周知の朴とは違い、こちらには説得力があった。民主主義と民族主義という二つの正統性を背景にした彼らによって野党陣営も一挙に世代交代が進む。

 戦後韓国政治史の見取り図として筋の通ったストーリーが組まれているので読みごたえがあった。尹潽善、柳珍山、兪鎮午など野党政治家たちのプロフィールを通して日本統治期に育った世代の抱えざるを得なかった制約が描かれているのも興味深い。

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2008年3月 8日 (土)

廣瀬陽子『旧ソ連地域と紛争──石油・民族・テロをめぐる地政学』

廣瀬陽子『旧ソ連地域と紛争──石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会、2005年)

 旧ソ連解体後に成立したCIS(Commonwealth of Independent States::独立国家共同体。旧ソ連構成15共和国のうち、バルト三国及び永世中立国を宣言したトルクメニスタンを除く11ヶ国が加盟)内の情勢はなかなか複雑だ。本書は、CIS諸国における政治的パワー・バランス、カスピ海資源をめぐるエネルギー・ポリティクス、ナゴルノ・カラバフ紛争の経緯、権威主義体制と民主化の問題など、この地域をめぐる問題を整理・分析、その上で地域安定化のために行なわれている試みや提案を紹介し、その条件を検討する。ロシア以外の旧ソ連地域についての詳細な類書は少ないので興味深く読んだ。

 ロシアは旧ソ連諸国再統合の動きを強めているが、この地域には重層的な相互不信があり、様々なきしみを見せている。グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドヴァ、一時的にウズベキスタン(頭文字をとってGUUAM)はロシアの影響力を排除しながら経済協力を進める枠組みを形成し、欧米からのバックアップも受けたが、ロシアへの対応をめぐって各国の足並みはそろわないようだ。9・11後は“テロとの戦い”を理由にロシアの積極的介入を正当化するロジックも生まれた。アゼルバイジャン内のナゴルノ・カラバフ、グルジア内のアブハジア、南オセチア、モルドヴァ内の沿ドニエストルなどの未承認国家にロシアは事実上の支援をしており、民族紛争もテコとして巧みに利用しながら影響力を着実に拡大させている。

 ナゴルノ・カラバフ紛争の背景は単純ではない。アルメニア人は301年にすでにキリスト教を国教としており(ローマ帝国によるキリスト教国教化よりも古い!)、早くから民族意識が確立していた。対して、アゼルバイジャン人のナショナリズムの歴史は浅く、そもそもこの“アゼルバイジャン”という国名が初めて用いられたのは1918年のこと。この年、アゼルバイジャンの首都バクーでアルメニア人とロシア人によるアゼルバイジャン人虐殺事件が起こっており、反アルメニア人意識としてアゼルバイジャン・ナショナリズムは形成されているという。他方、アルメニア人にはオスマン帝国による虐殺事件の記憶が強く、アゼルバイジャン人に対しては同じテュルク語族として同一視して憎しみを持っている。

 ナゴルノ・カラバフは両民族にとって歴史的・文化的シンボルとしての意味を持つ。アルメニア人には本来ならば黒海からカスピ海にいたる領土があるはずなのに不当に狭められているという思いがあり、他方、アゼルバイジャン人もアルメニア・ロシア・イランと三方から領土を奪われていると考えている。双方共に被害者意識を持っているため、妥協は難しい。

 この紛争にキリスト教vs.イスラームという宗教的対立の要素はない。たとえば、イランは国内に抱えるアゼルバイジャン人(イラン人口の約1/4)の動向に敏感になっているため、同じシーア派のアゼルバイジャンではなくアルメニアを支持している。逆に、イスラエルはアゼルバイジャンを支持。旧ソ連時代に迫害されたユダヤ人をアゼルバイジャンは優遇してくれたからだという。

 当事国でのインタビュー調査を踏まえ、アルメニア・アゼルバイジャン、相互のパーセプション・ギャップが浮き彫りにされているあたりに関心を持った。

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2008年3月 6日 (木)

最上敏樹『人道的介入──正義の武力行使はあるか』

最上敏樹『人道的介入──正義の武力行使はあるか』(岩波新書、2001年)

 私自身は別に理想主義の立場に立つわけではないが、大きな枠組みとしての戦争観は戦争を非とする趨勢にあると受け止めている。政治的・道徳的に正当であるならば戦争は認められるという考え方を、国際法や国際政治学の方では正戦論という。19世紀の帝国主義のパワーゲームが展開される中でこれは事実上崩れ、何でもありの無差別戦争観が現われて二つの世界大戦に至ったわけだが、こうした経験を踏まえて制定された国連憲章では、正・不正の判定が難しいならば戦争は正当化できないと考えられるようになった。

 ただし、それでも戦争は起こる。国連中心の安全保障体制は、これが無い状態に比べればはるかにましではあるものの、決して十分とは言えない。冷戦構造の下で大きな戦争はなかったにせよ小規模戦争は頻発したし、いまや民族紛争の激しさを目の当たりにしている。何よりも次の問題が問われる。ある国家の内部でジェノサイドなど極度の人権侵害状況が起こり、当該政府に事態を収拾する能力がない、もしくは政府自身がそうした行為を行なっているとき、国際社会はどうすればいいのか。国際慣習法としての内政不干渉の原則と国連憲章で謳われる武力不行使の原則とを厳密に守って傍観するしかないのか。実際に、ソマリア、ルワンダ、旧ユーゴスラビアなどで起こった悲劇を我々は知っている。

 こうしたアポリアの中から浮かび上がってくるテーマが人道的介入である。この場合、以下の要件が必要とされる。
①極度の人権侵害状況が見られること。
②他の平和的手段を尽くした上で、最後の手段としての武力行使であること。
③人権抑圧の停止が目的で、国益追求など他の政治目的を含めないこと。
④状況の深刻さに比例した手段を取り、期間も最小限にすること。
⑤相応の結果が期待できること。
⑥国連安全保障理事会の承認があること。
⑦個別の国よりも地域的国際機関が、地域的国際機関よりも国連が主導するものを優先させること。

 国連憲章では武力不行使が原則とされるが、例外が二つある。第一に自衛権。第二に、国連自身が強制執行する際に武力行使も含まれる。ただし、現時点において国連軍は存在しないため、加盟国に委任する形で人道的介入は行なわれることになる。

 とは言え、人道的介入の原則が確立しているわけではない。歴史的にみても他の政治目的が絡む場合が大半で、純粋な人道目的はまれである。それこそ、ヒトラーはズデーテン地方併合に際してドイツ人が迫害されているという口実をもとにしたように、人道目的・平和目的を建前としつつ国益追求の戦争をふっかける可能性は常にある。教条的な平和主義はもちろん論外であるが、他方で武力介入はじめにありきの議論も避けなければならない。

 本書では、“市民的介入”にも一章を割いている。たとえば、ビアフラ戦争を目の当たりにして結成された“国境なき医師団”のように、国家とは違う次元で活動を行なうNGOも人道的介入の一つのパターンと言える。だからといって軍事力が不要なわけではない。“国境なき医師団”がルワンダ紛争において軍事介入を求めたように(現実には行なわれなかったが)、軍事力を選ばなければさらに悲惨な事態が生じるケースも実際にある。原則のない中、武力介入も含めてあらゆるアプローチを組み合わせてケースバイケースで対応するしかないわけで、人道的介入をめぐる議論に決着をつけるのは難しい。

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2008年3月 5日 (水)

廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア──旧ソ連諸国から見た「光と影」』

廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア──旧ソ連諸国から見た「光と影」』(光文社新書、2008年)

 プーチン後継の大統領にメドヴェージェフが当選した。当面、プーチンは首相として政権中枢に居座り、その後再び大統領に立つつもりだと見込まれること、対立候補の出馬を許さず事実上の信任投票に終わったことなど、ある種の権威主義的体制が続いているところにロシアの特殊事情がうかがわれる。

 こうしたロシアの権威的性格による影響は内政問題には限らない。本書は、ソ連解体後に成立した周辺独立諸国に投げかけられているロシアからの様々な影を読み解くことで、いわば外の視点からロシアという超大国の姿を見据えていく。各国にはソ連解体後の経済的混乱を受けて昔の方がまだ良かったというノスタルジーがあるし、またかつての共通語であったロシア語使用人口が多いという点でも親ロ感情を一方には持っている。他方、言うことを聞かなければ資源供給停止という手段を取ったり、民族対立を巧みに利用して勢力圏の確保に努めたりと高圧的な態度を取るロシアへの反発もあって色々と微妙なようだ。

 旧ソ連から分離した国々には意外と親日感情が強いらしい。①非西欧国の西欧化モデルとしての明治維新、②日露戦争でロシアを破ったこと、③敗戦後の高度成長への関心が理由として挙げられるが、それ以外にも、たとえばウズベキスタンのタシュケントにソ連抑留中の日本兵が建てたナヴォイー劇場の頑丈さや、アゼルバイジャンに派遣された日本企業の技術指導に感心したことも背景にあるらしい。草の根的な交流が意外とものを言う。旧ソ連圏でも村上春樹がよく読まれているというのも面白い。

 著者の専門はコーカサス地域でアゼルバイジャンに留学した経験があるほか、とにかく各地を歩き回っており、なかなかうかがい知る機会のない旧ソ連地域事情の見聞記録として読み応えがある。トラブル続きの体験談も興味深い。モルドヴァ共和国内にある未承認国家“沿ドニエストル共和国”の内部事情など初めて知った。

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2008年3月 4日 (火)

「ライラの冒険──黄金の羅針盤」

「ライラの冒険──黄金の羅針盤」

 我々が暮らす世界と似てはいるが、どこか違うパラレル・ワールド。マジェスティー(教権)が支配する世界。人々は、動物の形を取った守護精霊“ダイモン”を連れ、彼と語り合い行動を共にしながら日々の生活を送っている。

 親友が何者かにさらわれたライラは探しに出かけるが、彼女もまた“教権”のコールター夫人(二コール・キッドマン)に追われる。導き手は黄金の羅針盤。旅の途中で出会った仲間たちと共に北の国へと向かい、ライラはそこで自分自身にまつわる秘密を知る──。

 今作は三部作中の第一部らしい。原作のことは知らないのだが、多くのエピソードがつまっているのだろう。駆け足でまとめた感じで、事態がどこまで進行しているのか、頭を追いつかせるのに精一杯。ただし、ファンタジー映画というのは世界観の広がりに魅力があるわけで、その点では十分に楽しめた。

 意味深な箇所も散りばめられている。たとえば、人々は“自由”に耐えられないから“教権”を求めているのだというコールター夫人の話などカラマーゾフの大審問官を想い起こさせるし、なぜ“教権”は“ダイモン”切り離しの人体実験をやろうとしていたのかも気にかかる。そもそも“ダイモン”なんて、ソクラテスを連想させる。

 なかなか豪華キャストで、目立たない所でも、たとえばよろいグマ・イオレクの声はイアン・マッケランがやっているし、“教権”最高首脳部の面々の中にクリストファー・リーの姿が一瞬だけ映ったり。第二部以降で重要な役回りを果すのだろうか。

【データ】
英題:The Golden Compass
監督:クリス・ワイツ
2007年/アメリカ/113分
(2008年3月2日、新宿ミラノにて)

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2008年3月 3日 (月)

「明日への遺言」

「明日への遺言」

 1945年3月、アメリカ軍による名古屋への無差別空襲で市民に多くの犠牲者が出た。撃墜された爆撃機の搭乗員が捕虜となったが、ただちに処刑された。戦後、正規の手順を踏まずに米兵を処刑したことが戦争犯罪とみなされ、東海軍司令官・岡田資(たすく)陸軍中将及び彼の部下たちが横浜のBC級戦犯裁判で法廷に立たされることになる。無差別爆撃は明らかに国際法違反であったにもかかわらず、敗戦国だからという理由で日本は一方的に責められる。岡田は、この裁判闘争を“法戦”と呼び、部下の責任はすべて自身が一身に引き受ける覚悟で臨む。

 映画冒頭でも示されるように、都市への無差別爆撃は1936年、ドイツ軍によるゲルニカ爆撃、日本軍による重慶爆撃に始まり、第二次世界大戦が激化するにつれて枢軸国・連合国双方がやり合うようになって、ドレスデン空襲、東京大空襲、そして広島・長崎で極点に至る。非戦闘員を巻き込んだ無差別爆撃の責任判定はなかなか難しい。まず、指揮命令系統で誰に責任を負わせるかという問題がある。それ以上に、国際法違反という点で考えると、日本ばかりではなく米軍側の違反も明白であるものの、戦勝国が自らの戦争犯罪を裁くはずもない。結果、日本側の非ばかりがクローズアップされ、戦勝国側の問題は不問に付される。

 公平を期すために記しておくと、アメリカ人弁護人の奮闘振りはやはり敬意に価する。もちろん、“正義”を演出すること自体がアメリカ側の戦略にかなうことであったとしても、東京裁判のある被告も漏らしていたように、立場が逆だったら日本人弁護人はアメリカ人被告のためにここまで熱心に弁護をしたかどうかは分からない。

 この映画の主眼は戦争責任問題ではなく、戦後の混乱で日本人が右往左往している中、あくまでも毅然とした態度を取った一人の男の姿を静かに描くところにある。裁判に関わったアメリカ人たちも含め、それぞれに立場を超えて共感し合ったヒューマン・ドラマと捉えるべきだろう。演出はちょっと古くさい感じもするが、まあ、これはこれでよし。

【データ】
監督:小泉尭史
原作:大岡昇平『ながい旅』
出演:藤田まこと、富司純子、西村雅彦、蒼井優、他。
2007年/110分
(2008年3月2日、新宿ミラノ2にて)

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2008年3月 2日 (日)

最近読んだ小説で雑談

 最近読んだ小説の備忘録がわりに。気分が鬱屈してくると、ついつい小説に逃げてしまう。自分とは違う人生のありように思いをめぐらし、喜怒哀楽を追体験することで、振り返って自分自身を考える…こともたまにあります。

 吉村昭は丹念な資料調査と取材を通した緻密な筆致による歴史小説で知られ、たとえば山内昌之の書評集にもよく取り上げられているように、歴史家からの評価も高い。私も吉村の歴史小説はよく読んだが、実は現代小説も好きだ。人生にどこか引け目、負い目を抱えている人間の屈折した心理を描き出した作品が多く、そういったものに私は気持ちがひかれる。たとえば、出獄者の社会復帰、駆け落ちした男女、吉村自身の若い頃の心境を映し出しているのか療養生活で人に頼らざるを得ない境遇、等々。『仮出獄』(新潮文庫、H3年)、『秋の街』(文春文庫、1988年)、『蛍』(中公文庫、1989年)、『遅れた時計』(中公文庫、1990年)、『遠い幻影』(文藝春秋、1998年)、『見えない橋』(文藝春秋、2002年)、そして遺作となった『死顔』(新潮社、2006年)などを立て続けに読んだ。

 山本周五郎『深川安楽亭』(新潮文庫、1973年)を久しぶりに読み返した。初めて読んだのは確か中学生の頃だったと思うが、それ以来のこと。ところどころ、意外とストーリーは覚えていた。江戸期人情ものでも、藤沢周平の生真面目さや、最近だと山本一力の前向きなひたむきさもそれなりに良いとは思うけれど、山本周五郎のどこか哀感をもって突き刺さってくるトゲのようなものも捨てがたい。連想的にふと思ったが、池波正太郎は、食い物や散歩のエッセーは少しばかりは読んだことがあるが、小説は全く読んだことがないな。『真田太平記』とか『雲霧仁左衛門』とか、どうも手に取る気にならない。

 先日、台北に行ったとき、安呢宝貝(アニー・ベイビー)『蓮花』(台北:遠流出版、2008年)が誠品書店のベストセラー1位になっていたので買った。中国語の復習がなかなか進まず、まだ読んでませんが…(外国語で論文を読むのは面倒ではあっても苦にならないが、辞書をひきながら小説を読むとつまらなくなって途中で投げ出しちゃうんだよなあ)。大陸・台湾も含めた中国語圏で大ベストセラーとなった『さよなら、ビビアン』(泉京鹿訳、小学館、2007年)のさらりとしたタッチは嫌いじゃない。中国語復習のためにと思い、中国語原本の『告別薇安』(南海出版公司、2002年)を神保町の内山書店で買い求めたところ、売場のおばさんから「この本、最近よく売れるのよ。何かあったんですか?」ときかれた。私も思い当たるところはなかったので「さあ…」と生返事で終わってしまったのだが、ひょっとしたら日本語訳が出たから、私のように対訳的に勉強しようという人がいるのだろうか。『蓮花』の台湾版と大陸版とを比べると、前者の方が装丁も造本もきれいだ。台湾版には著者デビュー当時の近影が載っている。ちょっときつめだけど今風に清楚な美人という感じで、結構好きです。今はだいぶおばさんになってますが…。

 衛慧(ウェイ・ホェイ)『上海ベイビー』(桑島道夫訳、文春文庫、2001年)は生々しいセックスやドラッグの描写で中国では発禁処分を受けたらしい。その一方で哲学や文学からの衒学的な引用も混ぜ合わされており、理屈ではないレベルで、直接的に何かを、他ならぬ自分自身を感じ取ろうというもがきのようなものを受け止めながら読んだ。王文華『蛋白質ガール』(納村公子訳、バジリコ、2004年)は台北を舞台として現代若者風俗を描く。ブランド名を並べ立てる描写が田中康夫の『なんとなくクリスタル』みたいな感じだが、全然面白くなかった。台湾ではベストセラーになって続編も出たらしいが、今では台北の書店でも棚ざしで1、2冊あればいいという程度。映画上映に合わせてアイリーン・チャン『ラスト、コーション 色・戒』(南雲智訳、集英社文庫、2007年)が刊行された。表題作を含む短編集。通俗ラブストーリーという噂を聞いていたけれど、封建的家族制度と近代的男女関係の葛藤というテーマが見える作品もあったりして意外と読みではある。

 台北の書店を歩きまわったとき山本文緒の翻訳本を割合と見かけたので、帰国してからいくつか読んだ。『プラナリア』(文春文庫、2005年)だけは読んだことがある。人生上の戸惑いをクールに描く感じが結構嫌いじゃないという印象があった。『ブルーもしくはブルー』(角川文庫、1996年)、『ブラック・ティー』(角川文庫、1997年)の2冊を手に取ったけど、意外とシニカルな毒もあって読ませる。『群青の夜の羽毛布』は、原作は読んでいないが、映画は主演の本上まなみ目当てで観に行った覚えがある。

 明日は休みだという日の会社帰り、書店に寄って普段は読まない作家の新刊や文庫本を物色するのが大好き。帰って、布団にくるまりながらページをめくり、夜更かしするのが至福の時間である。

 打海文三『裸者と裸者』(上巻・孤児部隊の世界永久戦争、下巻・邪悪な許しがたい異端の、角川文庫、2007年)は、異民族も入り乱れて内戦状態となった日本を舞台にした少年少女たちの成長譚。と言えば聞こえはいいが、暴力もセックスも何でもありのアナーキーな世界でしぶとく戦い抜く姿がなかなか爽快。池永陽『国境のハーモニカ』(角川文庫、2007年)は在日朝鮮人や外国人労働者などエスニシティーの問題を題材としているが、意外とリリカルで嫌いじゃない。矢口敦子『償い』(幻冬舎文庫、2003年)は人の心にささった痛みをめぐって連続殺人事件がおこるというミステリ。天童荒太『永遠の仔』にしてもそうだけど、幻冬舎は心理的トラウマをテーマとした小説が多いな。売れるからだろうな。ありがちなパターンだなあと思いつつ読んじゃうんだけどね。沼田まほかる『九月が永遠に続けば』(新潮文庫、2008年)もサイコ・ミステリーという感じ。伊坂幸太郎『死神の精度』(文春文庫、2008年)は、対象者の身辺を調査する“死神”を主人公とした連作短編集。金城武主演で映画化されたらしい。伊坂幸太郎の小説はそんなに好きというわけではないんだけど、ストーリーテラーとしてはやはりうまいよね。

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