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2008年3月 9日 (日)

木村幹『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』

木村幹『民主化の韓国政治──朴正熙と野党政治家たち 1961~1979』(名古屋大学出版会、2008年)

 軍事クーデターによって政権を掌握した朴正熙が、その実質については疑問符がつけられるにしても曲がりなりにも民政移管を行なったのはなぜなのか。戦後においてはやはり“民主主義”への要請が国際世論として非常に強く、何よりも北朝鮮との対抗上、西側陣営に属する“民主主義”国家としての原則を崩すわけにはいかなかった。民主主義と民族主義──韓国政治において統治の正統性を支えるこの二本柱をめぐって朴正熙政権と野党勢力はどのように向き合ったのかを本書は検証する。

 知識人たちは朴正熙政権に対して意外と協力的だった。韓国人は民主主義体制をうまく運営できておらず、国民一人一人の近代化を進める、つまり民族改造をしなければならない──こうした主張において、実はクーデター勢力と知識人グループとでは考え方が一致していたからだ。この論点は日本統治期における李光洙や崔南善らの主張と重なるのも興味深い。ただし、クーデター勢力が居座りの姿勢を見せたことで“民主主義”という点での正統性は失墜する。

 大韓民国は、上海にあった亡命政権・大韓民国臨時政府や抗日運動との連続性という法的擬制によって正統性が担保されている。しかしながら、朴正熙政権は経済援助を受けるため植民地支配の責任追及を事実上放棄する形で日本との国交正常化交渉を始めた。条約反対の学生運動が盛り上がり、その中から朴政権退陣要求が急進化する。これは“民族主義”という点でも正統性を失うことにつながった。野党側も戒厳令には反対しつつ、日本との国交正常化は必要と考える穏健派も多かったため、朴政権の“敵失”に乗ずることができず混迷。もちろん学生に政権担当能力はない。朴政権は正統性を失いつつも維持された。

 韓国の紆余曲折した歴史の中、政治家としての利点・制約は世代によって特徴づけられる。第一世代(1975年以前の生まれ)は科挙の世代。李承晩はこの最末期にあたる。科挙が廃止されたものの近代的教育制度も未整備だった第二世代(1875~1895年頃の生まれ)及び大韓帝国末期から日本統治期初期の第三世代は教育を受ける機会が限られていたため、一部の富裕層が海外留学できるだけだった。第四世代は“文化統治”期にあたり、この頃には京城帝国大学を頂点として高等教育が拡充されていたため、近代的教育を受ける機会は格段に広がった。その分、日本統治システムに深く組み込まれることになり、対日協力という脛に傷ある意識を引きずってしまう。朴正熙が典型例だろう。第五世代(1925年以降生まれ)は成人期に社会的活動はしていないので“親日”という点ではセーフ。金大中・金泳三たちがここに属する。1940年代以降生まれが第六世代。学生運動の世代である。

 日本人の総撤退後、人材不足となったため、日本統治期に高等教育を受けた世代が実務家として枢要な地位を占めたが、李承晩という正統性が必要だった。朴正熙たちは彼らを“旧政治人”として批判してクーデター正当化のロジックとした。その後、金大中ら第五世代が世代交代を唱えたとき、やはり第四世代を“日本帝国主義との連関”という点で批判する。日本軍士官であった経歴が周知の朴とは違い、こちらには説得力があった。民主主義と民族主義という二つの正統性を背景にした彼らによって野党陣営も一挙に世代交代が進む。

 戦後韓国政治史の見取り図として筋の通ったストーリーが組まれているので読みごたえがあった。尹潽善、柳珍山、兪鎮午など野党政治家たちのプロフィールを通して日本統治期に育った世代の抱えざるを得なかった制約が描かれているのも興味深い。

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