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2008年2月 2日 (土)

深尾須磨子という人

 健康的だが堅苦しくてとっつきにくい明治、軍国主義が暗い影を落とす昭和初期。大正期はこの二つの時代に挟まれた不思議なエアポケットとして意外と存在感は薄いが、開けっぴろげな明るさがあって独特な魅力のある時代だと思う。この頃、女性たちのはしゃぎぶりも目立った。現在の視点からすると、不自然に無理しすぎというか、力みかえったところがむしろ滑稽にすら感じさせるが、そうしたところもひっくるめて愛嬌を感じさせ、嫌いじゃない。

 深尾須磨子は明治21(1888)年、兵庫県北部の氷上郡に生れた。生家の荻野家は没落士族で、7人目の末っ子。志げのと名づけられた。7歳のときに父を亡くし、母は女手一つで子どもたちを育てようとしたがやはり難しく、翌年、志げのは親戚のもとに養子として預けられた。

 15歳になり、京都師範学校に入学。しかし、派手な服装や奔放な言動が師範学校のかたい校風に合わず、退学処分を受けた。菊花高等女学校に転校し、明治40(1907)年3月に卒業。在学中、演劇に夢中となって女優を志したが、家族から強い反対を受けて断念。理解を示した恩師から、脚本を書いて俳優を動かす方にまわればいいと助言され、この頃から作家になることを意識し始めたという。

 明治44(1911)年、山内家の養女となったが、翌年に離籍。この頃には須磨子と改名している。24歳となった翌年の大正元(1912)年、深尾贇乃丞(ひろのすけ)と結婚した。彼は京都帝国大学出身の鉄道技師で役所勤めをしていたが文学や芸術に造詣が深く、須磨子が音楽や語学を習うことに理解を示した。

 ところが、大正9(1920)年、須磨子32歳の時に贇乃丞は病死。須磨子は彼の遺稿に彼女自身の詩を合わせ、『天の鍵』(アルス)を出版した。これが与謝野晶子に認められ、以後、詩集を立て続けに刊行、詩人として名前が知られるようになった。

 夫と死別後は声楽家の荻野綾子と同棲したが、彼女の結婚により二人の同性愛的な関係は破綻する。また、未来派を日本に紹介した年下の詩人、平戸廉吉へ強い想いを抱いたが、彼もまた夭逝した。

 大正13(1924)~昭和3(1928)年にかけて荻野綾子と一緒に渡欧。夫の遺産を整理して費用を捻出し、主にパリで暮らす。パリでは著名なフルート奏者マルセル・モイーズのレッスンを受けたほか、小説家のコレット(Sidonie-Gabrielle Collette)に私淑し、彼女から短編小説を書いてみたらいいとアドバイスを受けた。

 「マダム・Xの春」をはじめとした短編小説をいくつか読んでみると、貧しい幼少期に親戚のもとへ養子にやられたこと、夫と死別した後にすべてを吹っ切るようにパリへ渡ったことなど、自身の経験をもとに想像をふくらませて、彼女の心中に流れる激しい感情の動きが軽やかにつづられている。叙情的で、暗さはない。また、性の喜びをおおらかに肯定する姿勢から性科学に関心を持って学び、後に『葡萄の葉と科学』(現代文化社)という本を出版した。帰国後、コレットの作品の翻訳に打ち込んで『シェリ』(“Cheri”)を『黄昏の薔薇』(角川書店)というタイトルで世に出した。

 昭和14(1939)年に外務省派遣の文化使節としてヨーロッパへ行く。この時、ムッソリーニと握手して感激し、その気持ちを詩にうたい上げたため宮本百合子からファシストの烙印を押され、絶縁された。戦争中には皇国賛美の詩を書いていたが、そのことを戦後になって悔やみ、平和運動・婦人運動に積極的に関わるようになる。

 詩集『真紅の溜息』『斑猫』『呪詛』『焦燥』『牝鶏の視野』『イヴの笛』『永遠の郷愁』『神話の娘』『哀しき愛』『洋燈と花』『詩は魔術である』『パリ横町』『列島おんなのうた』、小説集『マダム・Xと快走艇』『ホルモン夫人と虚無僧』、翻訳小説集『動物の会話七つ』『母の手』『黄昏の薔薇』『砂漠の息子』、散文集『侯爵の服』『丹波の牧歌』『旅情記』『ローマの泉』『赤道祭』『むらさきの旅情』『君死にたまふことなかれ──人類の母与謝野晶子』など作品多数。

【参考文献】
武田隆子『深尾須磨子の世界』宝文館出版、1986年
紅野敏郎「『学鐙』を読む110 深尾須磨子」『学鐙』第95巻第4号、1998年4月
藤本寿彦「深尾須磨子点描──両性具有の文学性」『昭和文学研究』第40集、2000年3月
川本三郎「深尾須磨子」『文學界』第56巻第2号、2002年2月
森まゆみ「大正快女伝22 深尾須磨子〈ファナティックな魅力の詩人〉」『本の話』97号、2003年6月

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コメント

「忘れな草」という中田喜直作がメロディつけた女声合唱曲の作詞者は、彼女ではないだろうか?
とてもチャーミングな曲なので、ずっと愛聴し続けています。

この作品の載っている詩集は、どれでそしょうか?

投稿: 佐藤好之 | 2008年10月10日 (金) 15時50分

→佐藤様

今日、国会図書館に行く用事があったのでついでに深尾の作品集をいくつか手に取ったのですが、戦後に刊行された選集等には見つかりませんでした。戦前刊行のオリジナルの詩集はみなマイクロフィッシュ化されており、調べるのは面倒です。できれば、ご自身でお願いします。

投稿: トゥルバドゥール | 2008年10月18日 (土) 21時20分

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