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2008年2月18日 (月)

奥那須・北温泉に行った

 2月16日、土曜日。朝、目覚めると、また憂鬱な気分。ねっとりとした虚無感に首がゆるゆるとしめられているような不安が耐え難く、例によって、場所を移して気分を変えることにした。『るるぶ』の東京近郊温泉特集をパラパラめくっていたら、奥那須の北温泉という所に目がとまった。電話をかけると部屋は空いているそうなので予約。とりあえず洗濯と掃除だけして、リュックサックに本を適当につめこんで部屋を飛び出した。

 11:20、東京駅発、東北新幹線なすの255号に乗車。車中で川村湊『温泉文学論』(新潮新書、2007年)を読了。12:30頃、那須塩原駅で下車。観光案内所で北温泉までの行き方を尋ねる。バスは1日2本しか出ておらず、停留所からさらに30分以上は歩くらしい。「なにぶん、秘湯ですので…」という言葉に、歩く面倒よりも、ちょっとワクワクした期待が胸にふくらむ。近くの那須湯本温泉までならバスの本数はもう少しあるらしいので、そこから歩いていけるのかきいてみると、「今は雪が積もっているのでおすすめできません」とのこと。

 駅前はガランとしている。案内所で教えてもらった土産物店兼喫茶店のような店でコーヒーをすすりながら、青木冨美子『731──石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(新潮文庫、2008年)を読んで時間をつぶした。次のバスは13:55発、これを逃すとあとはない。

 バスは黒磯駅に寄ってから、那須高原を北上する。観光客を呼びこむためか、ヨーロッパ・アンティーク風やら、アメリカ・ウェスタン風やら、アジアン風やら、温泉地というにはそぐわない施設が目につく。キッチュ。この一帯を抜けると登り道の勾配が徐々に急になっていく。雪がパラパラと舞い落ち始めた。

 やがて、殺生石の前に出た。九尾の狐伝説は本来、中国のものだが、ここに結び付けられていたのを思い出す。横にある神社の前には、那須与一祈願の社という立て札があった。切り込んだ谷の下には湯本温泉。卵のくさったような臭いが漂っている。この辺りまで来ると、もう福島県境に近い。

 登るにつれて、積雪の厚みが増してくる。スキー場の近くまで来ると、本格的な雪降り。ちょっとした吹雪だ。チェーンがないのか、立ち往生している自動車の脇をバスはすり抜けた。旭温泉・北温泉入口という停留所で下車。もう一人降りたおじさんはジャンパーのフードを頭に引き上げてスタスタ歩いていった。折り畳み傘を持参してきたが、役には立たないだろう。滑って転んだ時に片手がふさがっていると危ないし。私もおじさんにならい、ダッフルコートのフードを引き上げ、雪道に踏み出す。

 降り積もった雪を手ですくってみると、手のひらにしびれるような冷たさだけを残してサラサラとこぼれ落ちた。粉雪はべとつかないので、降りかかっても不快感はない。まっさらで広々とした白い絨毯に足跡を残すのが何だか楽しい。踏みしめるたびに立てる、キュッキュッという音。子供の頃、この音が好きだったなあ。

 ふと立ち止まって、頭からフードをはずした。耳をすます。何も聴こえない。音を立てているのは自分だけ。雪を踏んでいた音や、自分自身がハアハアと息継ぎをする声がさっきまで耳にまとわりついていたので、立ち止まった瞬間にたちまち無音の状態が立ち現れるというのが実に不思議な気分だ。この白い静寂に溶け込んでいけたらどんな気分だろうと他愛ない空想にひたる。

 停留所から道は一つしかないと聞いていたので迷う心配はない。大きく蛇行するように山すそをすり抜けていく。現在は山の一部を切り崩してアスファルトで舗装された車道が通じているが、かつては山道が細々と伝っていただけなのだろう。

 突然、行く手に大きな建物が姿を現した。近寄ってみると、外装が崩れ、骨組みの一部が露出している。廃業したホテルのようだ。廃墟って、だーいすき。デジカメで何枚か撮った。ガラス窓の外れた部屋で、吊り下げられたままのカーテンが雪風にあおられヒラヒラと舞っているところに哀感がわく。

 道路の行き止まりは駐車場。ここからさらに山あいに降りる道が続いている。石段があるのかもしれないが雪が積もって分からない。滑って転びそうになり、オットットッ、と一人よろけ踊りながら、自分の意図とは関係なく勢いづいて駆け下りていったら、ようやく瓦屋根の建物群が視界に入ってきた。

 到着は16:00頃。宿の前には湯気の立つ温泉プールがあった。コートについた雪をはたき落としてから玄関に入る。中では囲炉裏に薪をくべて火が熾されている。暖かさが身にしみた。

 名前を告げて宿泊台帳に記入、部屋に案内してもらった。迷路のように複雑な構造で、祠なんかもある。戦前の地元企業のポスターが額に入れて置かれていたりして面白い。三棟の建物がつながっている。古い順に、安政、明治、昭和の築造。ものは試しと、安政期の部屋にした。確かにぼろいのだが、部屋としての違和感はない。江戸時代のものというのがかえって意外だ。コタツが嬉しい。1泊2食付で7,500円。当然ながら、携帯電話は圏外。

 この宿には何種類かの湯治場がある。基本的には男湯、女湯に分かれているが、家族湯、混浴もある。いや、混浴目当てじゃありませんよ、来るまで知らなかったんですから。それはともかく、さっそく浴衣に着替え、露天風呂、河原の湯に(もちろん、男湯に)入った。脱衣場から外に出ると、雪風が裸体に吹きつけ、思わず「さむー」と低いうなり声をしぼり出してしまう。先客はおじさん、二人。お二方とも缶ビールを持ち込んでほろ酔い加減。向かいには木々の生い茂った山が迫っており、眼前でせき止められた川がちょっとした滝になっている。谷底にはせせらぎ。耳を澄ませばかすかに聞こえそうだが、それをかき消すようにパイプから奔流するお湯の音。そして、ハラハラと舞い落ちる雪。肩までお湯にひたっていると、顔に当たる冷気が際立つ。のぼせることはなさそうだ。

 部屋に戻った。こたつにヌクヌクともぐりこみ、本をめくる。うーん、しあわせ~。一応、お勉強のための本も何冊か持ってきたんだけど、そんな気分になれない。小説を読むだけで終わってしまいそうだ。それもまた、よし。まず、宮本輝の短編集『胸の香り』(文春文庫、1999年)を読了。「道に舞う」という作品が好き。物乞いをしていた少女の凛々しい表情に引付けられた。

 夕食は18:00から大広間で。まあ、宿泊費を考えれば可もなく不可もなく。ご飯の炊き具合が変だったな。40人前後は集まっていたろうか、宿泊客は結構いる。年配の夫婦や家族連れに、若いカップルやグループも多くて、年齢層は幅広い。

 宿泊先の休憩広間にある本棚をチェックするのが私の習慣。なつかしい本がみつかると楽しい。ドラえもんを手に取ったら、台湾発行の中国語(繁体字)版。なぜか他にも中国語のマンガが多かった。私の知らない日本マンガの翻訳ものの間に台湾作家のマンガ作品も混じっていて、絵柄のトーンが同じだけに見分けがつかない。同様に、中国語の絵本シリーズがあった。やはり絵柄が似ているなあと思っていたら、別の場所に日本版のオリジナルも見つけた。アルファベットで表記された日本マンガの翻訳があったのだが、めくっても意味が全く分からない。ジャカルタ発行となっていたからインドネシア語か。

 フィリパ・ピアス(高杉一郎訳)『トムは真夜中の庭で』(岩波書店、1967年)を見つけた。大好きな本だ。なつかしくてなつかしくて、さっそくむさぼり読んだ。おじさん夫婦のアパートに預けられたトム。古時計が13時を打つと、裏庭に出る扉は半世紀以上の時を超える。そこで出会った孤独な少女ハティとの不思議な交流。時間の行き来がジグソーパズルのように緻密に構成されたストーリーが面白いというだけではない。ハティの立場になってみると、孤独をなぐさめてくれた原体験としての思い出、それが時が経ち大人になるにつれて薄れつつも、再び出会えた。時間を超えたつながり合いには、読むたびに涙腺がゆるんでしまう。やはり児童文学の名作だと思う。

 読み終えると21:00頃。再び河原の湯につかる。依然として雪はハラハラと舞い落ちており、時折、かすかに冷たい雪片が頬にあたる。雪が降っているのに、薄膜のような雲の後ろで輪郭のぼんやりかすんだ月がほんのりと明るみを見せている。他に人はいない。森閑とした中、ぼんやりと眼前の山を眺めながら、『トムは真夜中の庭で』の読後感を反芻した。

 連想的に、ふと思う。自分にとって、なつかしさを感じさせる原体験とも言うべきものが何かあるのだろうか。ひょっとしたら、“何もない”という空虚感そのものを肯定するという逆説的なスタンスを取らない限り、人生行路の基準点となるべきものが他にはあり得ないのではないか。有機的な人間関係から切り離された郊外住宅地に閉じ込められていたという生育環境は今から振り返ってもどうにもならない。

 暗い山を見ながら思い出す。そういえば、中学三年生の時、柳田國男の『遠野物語』や『山の人生』が好きだった。単に怪異譚というのではなく、怪しのもの、理解不能な現象が、身近な生活を取り囲んでいるという世界観にたぶん魅かれたんだと思う。人為的に構築された息苦しい空間ではなく、人知を超えたものへの想像力とおそれとが織り込まれた生活世界。暗い山を見ながら想像する。たとえば、この静けさの中、突然、「アーーー!」と山姥の声が響き渡ったらどんな気分になるだろうか。『遠野物語』にそんな話があったのが妙に頭に焼き付いていた。たった2行の簡潔な記述だった。それがまた新聞記事のようなリアリティーを感じさせた。そもそも、『遠野物語』は明治の近代化の波が押し寄せて明るみが暗がりを追い払いつつある時代、まだ闇の中の怪異を覚えている人々の語りを記録したものだ。

 しばらく湯につかっていると、頭の上にうっすらと雪が積もってきた。手で髪をかき分けると少し凍ったような強ばりがある。頭からお湯をかぶって溶かし流して、部屋に戻る。コタツにもぐり、次は池永陽『国境のハーモニカ』(角川文庫、2007年)を読了。在日朝鮮人や外国人労働者などエスニシティーの問題を題材としているが、意外とリリカルで嫌いじゃない。

 23:00過ぎ、天狗の湯につかりに行った。大きな天狗の面がかかっており、壁には願い事の書かれた絵馬がたくさん掛かっていた。ここは混浴である。人がいなさそうな頃合を見計らったつもりだったが、若い男性が二人いた。入ってみると、かなり熱い。長くはつかっていられないので10分ほどで退散。再びコタツにもぐり込み、自販機で買ったカップ酒を呑みながら沼田まほかる『九月が永遠に続けば』(新潮文庫、2008年)を読み始める。24:30頃、就寝。

 翌朝、7:00に目が覚めた。夜明けに起きて、露天風呂につかりながら明るみゆく様を見たいと思っていたのだが、仕方ない。7:30から朝食なので、それまでだけでも河原の湯につかることにした。脱衣場で浴場への扉に手をかけたら、素っ裸のおばさんが出てきて驚いた。男湯と女湯とではまた景色が違うらしく、見に来ていたようだ。おおらかである。

 朝食をすませ、しばらくコタツで読みさしの小説を手にヌクヌク。バスの時刻は9:30だが、雪道を歩くので早めに出るほうが良さそうだと判断、8:40頃に精算して、宿に別れを告げた。多分、また来ると思う。停留所まで意外とスムーズに歩けて、9:10頃には着いてしまった。雪がシンシンと降る中、ボーっと突っ立っているしかない。除雪車がフル稼働のようで、何台かが通り過ぎていった。

 バスは時間通りに来た。山を降りると、世界が違ったように雪がない。ふもとのバスターミナルでチェーンを外したバスに乗り換えた。黒磯駅に着き、10:25発の普通列車に乗車。帰りは時間にしばられていないので、在来線を乗り継いで帰る。13:30前に新宿到着。

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