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2008年2月20日 (水)

吉野孝雄『文学報国会の時代』

吉野孝雄『文学報国会の時代』(河出書房新社、2008年)

 あの作家は大政翼賛会にいた、この詩人は戦争協力の詩を書いた──うぶな頃の私などもそういった類いのことを知るたびに、怪しからん、と驚いていたものだ。ところが、そのうちこう考えるようになった。当時と今とでは考え方に大きな断絶がある。戦争を絶対悪とするのは必ずしも通時代的に普遍的な価値観とは言えない。もちろん、現代の我々(私自身も含めて)からすれば戦争協力は決して褒められた行為ではない。しかしながら、時代の渦中にあった人々に対して、戦争協力したかしなかったかという点で評価の一線を引いて欠席裁判をするような論調というのは、所詮、後知恵の傲慢に過ぎないのではないか。本書にもそうした嫌味が鼻につく。

 本書は個々の作家たちの振舞いや発言についてはよく拾い上げているものの、では、文学報国会が具体的にどのような役割を果したのかが明確ではない。そもそも、文学報国会にどれほどの影響力があったのか、はなはだ疑問がある。つい最近、杉森久英『大政翼賛会前後』(ちくま文庫、2007年→参照)を読んだばかりだ。杉森が翼賛会文化部に勤めていた頃の回想録である。これを読んでみると、翼賛会の内部はグダグダ、看板倒れで組織としての態をなしておらず、そのだらけた雰囲気が杉森の筆致から伝わってくる。総花的に文学者たちの名前だけをかき集めた文学報国会にしたって、たいしたことも出来なかったのが実情だろう。なお、本書の参考文献に杉森書が含まれていないのが気にかかる。

 とは言いつつも、様々な人物が登場するので、「この人はこんな所にも顔を出していたのか」という感じに、私のような現代史オタクには興味深く読めた。今では忘れられた難読人名にも正確にルビがふってある。大切なことである。編集者の苦労がうかがえる。

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