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2008年2月19日 (火)

マイケル・イグナティエフ『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』

マイケル・イグナティエフ(中山俊宏訳)『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』(風行社、2003年)

 コソボが独立宣言を出した。セルビアとの協議離婚という形にはならなかったようだ。背景としては、第一に、コソボ内のセルビア系住民が少数派に転落し、かつての大セルビア主義への報復があるのではないかという懸念がある。第二に、14世紀、コソボの戦いでセルビア王国はオスマン帝国に敗北、スルタン・ムラト1世の暗殺に成功したものの、捕虜となっていたセルビア王も報復として処刑された。コソボはセルビア人にとって民族的記憶の土地となっており、そうしたナショナリズム感情が強く働いている。日本は米英仏と共同歩調を取ってコソボを国家承認する見込みらしいが、ロシア・中国をはじめ国内に分離独立運動を抱える国々からの反発も強く、前途多難である。

 内政不干渉、国境不変更などの原則に基づく主権国家をアクターとした国際政治のルールは1648年のウェストファリア条約によって基本的な枠組みが出来上がった。三十年戦争という血みどろの宗教戦争による惨禍の体験を踏まえ、国ごとに異なる宗派を奉ずることを容認して他国の宗教・価値観に対して口を挟まない、すなわち内政不干渉の原則による共存のシステムがそこには含意されていた。

 冷戦構造が崩壊した後に世界各地で噴出した民族紛争は、こうした主権国家システムを大きく揺るがした。つまり、一国家内で多数派が少数派に対して大量虐殺、場合によっては民族浄化を行なうという悲劇を目の当たりにしたとき、内政不干渉の原則を盾に取って放任しても構わないのか? 国連のガリ事務総長は積極的平和創造という方針に踏み込んだが、ソマリア問題で失敗した(→ソマリア問題の背景①の記事を参照のこと)。これに懲りた国際社会はルワンダ問題では動くことができなかった(→映画「ホテル・ルワンダ」の記事を参照のこと)。他方、旧ユーゴ紛争については欧米諸国は身近な問題として憂慮を示した。1999年、コソボ問題をめぐってのNATO軍によるセルビア空爆は人道的介入の問題を大きくクローズアップすることになり、たとえばハーバーマスが緊急援助のためには主権国家という枠組みを乗り越える必要があるという論点から空爆を支持したことは論争を巻き起こした。

 前置きが長くなった。本書『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』はコソボ、ボスニア、アフガニスタンと三つの現場を歩いたルポルタージュを踏まえ、国家建設を軌道に乗せるためには実際問題として外部からの強制力が必要だという現実を示す。武力行使を含め、紛争を抑止してその後の支援を行なうにしても、大きな役割を果せるだけの覇権を有しているのはアメリカしかいない。この責任と困難とをアメリカは引き受けるべきだと著者は主張する。ただし、傲慢さ(ヒュブリス)と思慮深さとの間に均衡点を見出す抑制的な態度を取らねばならない。それは人道目的の一過的な覇権であるから“軽い帝国”(empire lite)と呼ぶ。

 現実にはアメリカといえどもフリーハンドではない。たとえばコソボ独立は承認できても、ロシアや中国という大国への配慮からチェチェンやチベットやウイグルの問題に口をはさむことはできない。そうした点を捉えて偽善的と批判し、アメリカのダブルスタンダードによって世界がかき回されていると非難するのが一般に進歩的知識人の常套句となっている。そもそも武力行使には無条件で反対するのが彼らの常である。その点でハーバーマスの議論は驚きをもって受け止められたし、本来、人権問題を専門としていたイグナティエフについても同様の反応があった。

 訳者解説によると、彼は人道目的ならば武力介入を肯定する立場からイラク戦争では渋々ながらもブッシュ政権を支持した。武力行使に無条件で反対するリベラル派とは袂を分かつことになったが、かといって国益よりも人道目的を優先させる点で保守派とも異なる。こうしたアンビヴァレントな立場は“リベラル・ホーク”(リベラルなタカ派)と呼ばれるらしい。政治はいつの時代でもリアリズムとイデアリズムとの葛藤の中で動いてきた。その矛盾を一身に体現している点で興味がひかれる。

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