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2008年2月13日 (水)

「牡牛座──レーニンの肖像」

「牡牛座──レーニンの肖像」

 青みがかった色調で映し出された鮮やかな木々の中、サナトリウムのような大きな邸宅がひっそりとたたずむ。病と痴呆が進行し、やつれた面持ちのレーニンが車椅子にぐったりと深く沈みこんでいる。

 身の回りの世話をしてくれる妻クループスカヤと妹マリアのひそひそ声。医師や衛兵たちの無造作な対応。やがて登場するスターリンは余裕の表情を見せ、のらりくらりと論点をずらしながら慇懃無礼な態度を取る。彼らとの語らいによって、レーニン晩年の独白を引き出す形で話は進行する。セリフ回しは、映画というよりも演劇の雰囲気。随所に思わせぶりな暗喩が散りばめられている上、いかにもレーニンらしいぺダンチックな語り口もあって、観念的で分かりづらい印象を与えるだろう。映画館は満席だったが、明らかに退屈している観客が多かった。

 アレクサンドル・ソクーロフ監督のいわゆる“二十世紀の独裁者”シリーズの一つである。ヒトラーとエヴァ・ブラウンのベルヒデスガーデンでの一夜を描いた「モレク神」(1999年)や、日本の敗戦後、人間宣言を出すに至るまでの昭和天皇を主人公とした「太陽」(2005年)は、いずれも世間から隔絶された“雲の上”で“神”的な存在となった人物が見せる孤独な葛藤を描くという構図を持っていたように思う。その点ではこの「牡牛座」も共通している。

 たとえば、“愚民”を調教するためのムチ打ちに関する文献を延々と読み上げたり、党中央委員会から贈られたステッキを振り回して暴れまわったり、「自分が死んでもこの世界は存在するのかね?」とつぶやいたり、こうしたあたりには、権力の絶対性とその残虐さとの両面をうかがわせる。そして、それを担うのは常人にはとてもじゃないが耐えられるものではない。映画のはじめの方、レーニンは裸で転がっている。彼とても特別な人間ではない。その衰え行く姿からは、権力の重荷とに押しつぶされた孤独なうめきを聞き取ることができるのだろう。

【データ】
英題:Taurus
監督・撮影:アレクサンドル・ソクーロフ
2001年/ロシア/94分
(2008年2月11日、渋谷、ユーロスペースにて)

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