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2008年2月27日 (水)

松本健一『近代アジア精神史の試み』

松本健一『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、2008年)

 本書のオリジナル(中央公論新社、1994年)も手もとにあるのだが、加筆補訂があるようなので改めて読んでみた。

 近代日本におけるアジア主義をどう捉えるかというのは極めて難しいテーマである。思想的内実として多義的、曖昧であり、そうしたところから、日本の過去を肯定するにせよ、侵略戦争の正当化に使われたとして論難するにせよ、それぞれの論者の得手勝手なイメージで語られやすい。

 19世紀、帝国主義のパワーゲームが東アジアにまで及び、植民地化の危機に直面した当時の人々は様々に対策をめぐらす。それは同時に、我々の一体何を守るのか?という問いかけをもたらした。アジア主義という思想運動についてできるだけ価値中立的に述べようとするなら、その特徴は西欧文明からの衝撃に対するリアクションとして表われた自己認識の諸相という点に求められるだろうか。

 たとえば、吉田松陰の“国体”論にせよ、朝鮮半島では崔済愚の“東学”にせよ、ヨーロッパという他者を目の当たりにしてはじめて自己認識の契機が生まれた、その努力と言えるだろう。さらには、ガンディーの“非暴力抵抗”にしても、近代=西洋の物質的文明原理に直面して、自らの土着的思想の伝統の中から汲み上げられた抵抗の原理として受け止めることができる。それは、西欧近代思想の文脈で言う(すなわち、我々戦後日本人の言う)ヒューマニズムや平和主義とは全く異質なものだ。ガンディーの思想的意義に日本でいち早く注目したのは大川周明だが、欧化を受け入れつつある日本で伝統の核心は何かを問い続けた彼ならではの慧眼である。

 もちろん、こうした反応は各国各様であって一つにくくってしまうには無理がある。それに、松本さんのお書きになるものを読むたびに思うのだが、テーマがなかなか掘り下げられず、ラフ・スケッチ程度に終わってしまっているという印象も否めない。しかしながら、西欧の衝撃→抵抗→自己認識の契機という反応の取り方で共時的体験を持ったアジア諸国について比較考察する大きな枠組みを叩き台として作ってくれた点で本書は興味深い。

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