マルクス・アウレーリウス『自省録』
マルクス・アウレーリウス(神谷美恵子訳)『自省録』(岩波文庫、1956年)を手に取り、むかし傍線を引いた箇所を拾い読みしながらつらつらと考えたこと。
“私”なるものが自明であるとみなすのが現在の我々の思考習慣だから、とりあえず、この前提を踏まえて話を進める。“私”なるものの領域を仮定して境界線を引いてみる。一般に“自由意志”と呼ばれるのは、この線の内側に生起する諸々の感情を指すのだろう。しかし、外なるものと同様、この内なるものもまた“私”自身のつくったものではない。与えられたものである。誰がくれたんだか知らないが。内なる必然と外なる必然、両者がぶつかり合ったあわいにかろうじて“私”なるものがぼんやりと浮かび上がっている。
時折、こうせねばならない、という思いに体が衝き動かされることがある。内なる必然を貫徹させようとして外的な環境にぶつかっていくとき、おそらく“自由”という言葉を使っても違和感はないと思う。外なる脅威にたじろぐと、やましさを感ずる。やるべきことをやっていないのだから。しかし、外なるものの力は圧倒的で、自分の力ではどうにもならないことがある。そんなとき、どうすればいい? 内なる必然と外なる必然とを共に受け入れればいい。つまり、戦って、成り行きに任せ、死ぬべきならば死ねばいい。それだけのこと。
君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。また君を苦しめるものがなにか君自身の心の持ちようの中にあるものならば、自分の考え方を正すのを誰が妨げよう。同様に、もし君が自分に健全だと思われる行動を取らないために苦しんでいるとすれば、そんなに苦しむ代りになぜいっそその行動を取らないのだ。「しかし打ち勝ち難い障碍物が横たわっている。」それなら苦しむな、その行動を取らないのは君のせいではないのだから。「けれどもそれをしないでは生きている甲斐がない。」それならば人生から去って行け。自分のしたいことをやりとげて死ぬ者のように善意にみちた心をもって、また同時に障碍物にたいしてもおだやかな気持をいだいて去って行け。(137~138ページ)
外的な原因によって生ずることにたいしては動ぜぬこと。君の中から来る原因によっておこなわれることにおいては正しくあること。これはとりもなおさず公益的な行為に帰する衝動と行動である。なぜならこれが君にとって自然にかなったことなのだから。(155ページ)
やるべきと思うことをただやればいいのだから、内なるもの、外なるもの、どんな形を取ろうとも必然を拒絶する必要はない。
自分に起ることのみ、運命の糸が自分に織りなしてくれることのみを愛せよ。それよりも君にふさわしいことがありえようか。(115ページ)
君が自分の義務を果すにあたって寒かろうと熱かろうと意に介すな。またねむかろうと眠が足りていようと、人から悪くいわれようと賞められようと、まさに死に瀕していようとほかのことをしていようとかまうな。なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つである。それゆえにこのことにおいてもやはり「現在やっていることをよくやること」で足りるのである。(81ページ)
結局、自分に与えられたものにその都度一生懸命取り組んでいくという以上のことは何も言えない。何か具体的な目標を成し遂げる、完成させるというレベルのことではなく、一瞬一瞬の取り組みそのものが自分に与えられた義務なのだから、いつまで生きようが死のうが本質的に関係ない。
内なる必然に衝き動かされたものがたまたま“私”という形を取るにしても、それをあたかも固定的な実体を備えたものであるかのように思いみなし、その保存を図ろうとするところに近代的な個人主義の倒錯がある。そうやって固執されたものは、所詮、ゴーストに過ぎない。
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること。(24ページ)
“真理”という言葉を使って探し求めたくなるものは、どこか違う世界にあるのではない。たったいまここに存在するということ自体に“真理”がある。だから、あとはよく考えるだけ。
哲学するには、君の現在あるがままの生活状態ほど適しているものはほかにないのだ。このことがなんとはっきり思い知らされることか。(184ページ)
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