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2008年2月

2008年2月29日 (金)

筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治──軍部大臣現役武官制の虚像と実像』

筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治──軍部大臣現役武官制の虚像と実像』(岩波書店、2007年)

 明治憲法で規定された政軍二元体制の下、昭和初期の軍部、とりわけ陸軍の政治的影響力は極めて強かった。具体的には、軍部大臣現役武官制を伝家の宝刀のように振るい、自分たちの言うことを聞かなければ陸相候補を推薦しないと脅しつけていたというのが定説であり、私自身もずっとそう思っていた。ところが、そうした理解には根拠がないと本書は主張し、個々の内閣の成立・崩壊事情を検証しながら定説を覆していく。眼から鱗が落ちるようにスリリング、とても面白い研究書だ。

 広田弘毅内閣成立時に、陸軍は二・二六事件という不祥事をおこしたにもかかわらず強硬な要求を突きつける。この内閣において現役武官制が復活するのだが、逆に言えばこの制度があろうとなかろうと、陸軍は自分たちの主張を押し付けることができた。現役武官制復活の背景としては、二・二六事件に関わって予備役に入った皇道派の将軍たちの復権阻止という目的があった。つまり、二・二六事件のような不祥事を繰り返さないよう陸軍内部の一元化を目指した粛軍の一環であり、ここでは軍人の“政治化”を苦々しく思っていた陸軍次官・梅津美治郎がイニシアチブを取った。

 宇垣一成内閣構想の流産は現役武官制の威力を発揮した一例とされる。彼はかつて陸相在任中に四個師団削減という大リストラを断行したため、陸軍の大先輩ながらも極めて不人気、陸軍全体から反対の大合唱があった。陸軍上層部は宇垣には特に忌避感はなかったようだが、中級幕僚以下の反対がすさまじく、これでは現役武官制があろうとなかろうと、組閣はできなかった。

 宇垣の組閣失敗を受けて林銑十郎に大命降下、石原莞爾の意向を受けた満洲組の十河信二・浅原健三らが暗躍した。この背景には、林を担いで“国家革新”を目指す陸軍中堅幕僚たちの策動があり、これに対して陸軍上層部は三長官(陸相・参謀総長・教育総監)推薦による陸相選出で彼らの動きを抑え込んだ。ここでもやはり梅津がイニシアチブをとった。石原派は引き下がり、林内閣は無策となって間もなく倒れる。

 近衛文麿は自らの意志で板垣征四郎を陸相にピックアップした。阿部信行内閣では三長官会議で多田駿を陸相候補と決めたにもかかわらず、天皇直々の指名により畑俊六が陸相に就任。この背景には天皇の陸軍への不信感があり、畑は「陸軍は陛下から信用されていない」と訓示して陸軍省内の反発を買ったという。いずれにせよ、陸軍の意志とは別の次元で陸相が決まっている。

 米内光政内閣での畑陸相の辞任も現役武官制が威力を発揮した一例としてよく取り上げられる。しかし実際には、近衛新体制待望論がマスコミの煽りたてによって高まる中、米内は陸軍に責任を押し付ける形で政権を投げ出したと解釈される。生真面目な畑が真っ青な顔をしているのに対し、米内は余裕綽綽だったというのが印象的だ。

 こうした検証を通して、陸軍の政治進出を軍部大臣現役武官制で説明してしまう歴史の見方は一面的に過ぎると著者は言う。もちろん、陸軍の政治責任は免れないものの、こうした歴史観はむしろ宮中関係者(とりわけ近衛文麿)やマスコミの責任を相対的に低くする役割を果してきたのではないかと指摘している。

 首相の座を狙う将軍たちや石原莞爾のような“政治軍人”の異端児が様々な動きを展開する一方、そうした風潮に対して梅津美治郎は「軍人は軍人としての本分を守るべきで政治に野心を持ってはいけない」と考えて粛軍を進めていた。また、武藤章にしても、彼は陸軍の主張を通すべく根回しに動いていたことから“政治軍人”の典型例と考えられているが、彼は政治家や官僚に対しては厳しい態度を取ったものの、一方で中堅以下の将校たちが暴発しかねないのを何とか押さえ込もうと努力していた(二・二六事件があったわけだから実際に可能性はあった)。政治家への厳しい態度は中堅幕僚たちからの突き上げを受けてのことであり、両者の板ばさみになってかなり憔悴していたらしい。陸軍といっても一枚岩ではない。多様な人物群像の交錯を描き出している点でも本書は面白い。

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2008年2月28日 (木)

マルクス・アウレーリウス『自省録』

 マルクス・アウレーリウス(神谷美恵子訳)『自省録』(岩波文庫、1956年)を手に取り、むかし傍線を引いた箇所を拾い読みしながらつらつらと考えたこと。

 “私”なるものが自明であるとみなすのが現在の我々の思考習慣だから、とりあえず、この前提を踏まえて話を進める。“私”なるものの領域を仮定して境界線を引いてみる。一般に“自由意志”と呼ばれるのは、この線の内側に生起する諸々の感情を指すのだろう。しかし、外なるものと同様、この内なるものもまた“私”自身のつくったものではない。与えられたものである。誰がくれたんだか知らないが。内なる必然と外なる必然、両者がぶつかり合ったあわいにかろうじて“私”なるものがぼんやりと浮かび上がっている。

 時折、こうせねばならない、という思いに体が衝き動かされることがある。内なる必然を貫徹させようとして外的な環境にぶつかっていくとき、おそらく“自由”という言葉を使っても違和感はないと思う。外なる脅威にたじろぐと、やましさを感ずる。やるべきことをやっていないのだから。しかし、外なるものの力は圧倒的で、自分の力ではどうにもならないことがある。そんなとき、どうすればいい? 内なる必然と外なる必然とを共に受け入れればいい。つまり、戦って、成り行きに任せ、死ぬべきならば死ねばいい。それだけのこと。

君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。また君を苦しめるものがなにか君自身の心の持ちようの中にあるものならば、自分の考え方を正すのを誰が妨げよう。同様に、もし君が自分に健全だと思われる行動を取らないために苦しんでいるとすれば、そんなに苦しむ代りになぜいっそその行動を取らないのだ。「しかし打ち勝ち難い障碍物が横たわっている。」それなら苦しむな、その行動を取らないのは君のせいではないのだから。「けれどもそれをしないでは生きている甲斐がない。」それならば人生から去って行け。自分のしたいことをやりとげて死ぬ者のように善意にみちた心をもって、また同時に障碍物にたいしてもおだやかな気持をいだいて去って行け。(137~138ページ)

外的な原因によって生ずることにたいしては動ぜぬこと。君の中から来る原因によっておこなわれることにおいては正しくあること。これはとりもなおさず公益的な行為に帰する衝動と行動である。なぜならこれが君にとって自然にかなったことなのだから。(155ページ)

 やるべきと思うことをただやればいいのだから、内なるもの、外なるもの、どんな形を取ろうとも必然を拒絶する必要はない。

自分に起ることのみ、運命の糸が自分に織りなしてくれることのみを愛せよ。それよりも君にふさわしいことがありえようか。(115ページ)

君が自分の義務を果すにあたって寒かろうと熱かろうと意に介すな。またねむかろうと眠が足りていようと、人から悪くいわれようと賞められようと、まさに死に瀕していようとほかのことをしていようとかまうな。なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つである。それゆえにこのことにおいてもやはり「現在やっていることをよくやること」で足りるのである。(81ページ)

 結局、自分に与えられたものにその都度一生懸命取り組んでいくという以上のことは何も言えない。何か具体的な目標を成し遂げる、完成させるというレベルのことではなく、一瞬一瞬の取り組みそのものが自分に与えられた義務なのだから、いつまで生きようが死のうが本質的に関係ない。

 内なる必然に衝き動かされたものがたまたま“私”という形を取るにしても、それをあたかも固定的な実体を備えたものであるかのように思いみなし、その保存を図ろうとするところに近代的な個人主義の倒錯がある。そうやって固執されたものは、所詮、ゴーストに過ぎない。

今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること。(24ページ)

 “真理”という言葉を使って探し求めたくなるものは、どこか違う世界にあるのではない。たったいまここに存在するということ自体に“真理”がある。だから、あとはよく考えるだけ。

哲学するには、君の現在あるがままの生活状態ほど適しているものはほかにないのだ。このことがなんとはっきり思い知らされることか。(184ページ)

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2008年2月27日 (水)

松本健一『近代アジア精神史の試み』

松本健一『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、2008年)

 本書のオリジナル(中央公論新社、1994年)も手もとにあるのだが、加筆補訂があるようなので改めて読んでみた。

 近代日本におけるアジア主義をどう捉えるかというのは極めて難しいテーマである。思想的内実として多義的、曖昧であり、そうしたところから、日本の過去を肯定するにせよ、侵略戦争の正当化に使われたとして論難するにせよ、それぞれの論者の得手勝手なイメージで語られやすい。

 19世紀、帝国主義のパワーゲームが東アジアにまで及び、植民地化の危機に直面した当時の人々は様々に対策をめぐらす。それは同時に、我々の一体何を守るのか?という問いかけをもたらした。アジア主義という思想運動についてできるだけ価値中立的に述べようとするなら、その特徴は西欧文明からの衝撃に対するリアクションとして表われた自己認識の諸相という点に求められるだろうか。

 たとえば、吉田松陰の“国体”論にせよ、朝鮮半島では崔済愚の“東学”にせよ、ヨーロッパという他者を目の当たりにしてはじめて自己認識の契機が生まれた、その努力と言えるだろう。さらには、ガンディーの“非暴力抵抗”にしても、近代=西洋の物質的文明原理に直面して、自らの土着的思想の伝統の中から汲み上げられた抵抗の原理として受け止めることができる。それは、西欧近代思想の文脈で言う(すなわち、我々戦後日本人の言う)ヒューマニズムや平和主義とは全く異質なものだ。ガンディーの思想的意義に日本でいち早く注目したのは大川周明だが、欧化を受け入れつつある日本で伝統の核心は何かを問い続けた彼ならではの慧眼である。

 もちろん、こうした反応は各国各様であって一つにくくってしまうには無理がある。それに、松本さんのお書きになるものを読むたびに思うのだが、テーマがなかなか掘り下げられず、ラフ・スケッチ程度に終わってしまっているという印象も否めない。しかしながら、西欧の衝撃→抵抗→自己認識の契機という反応の取り方で共時的体験を持ったアジア諸国について比較考察する大きな枠組みを叩き台として作ってくれた点で本書は興味深い。

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2008年2月26日 (火)

「ラスト、コーション」

「ラスト、コーション」

 1930~40年代の上海、香港。租界ではヨーロッパ風の街並がモダンな雰囲気を醸し出す一方で、日本軍の不穏な影で緊張感がみなぎっている。民族も背景も異なる雑多な人々が入り乱れる中、野望、陰謀、憎悪、その他諸々の思惑が交錯する都市。政治や歴史観の問題はとりあえず抜きにして、ドラマの舞台としてこの上なく魅力的だ。

 香港の大学生クァン(ワン・リーホン)たちは抗日愛国演劇を企画、素人ながらも熱演したチアチー(タン・ウェイ)の大好評もあって観客の反応は良かった。しかし、激しさを増す戦火をどうにもできない彼らの気持ちはジリジリと焦る。そうした時、クァンの同郷人のツテで、日本の傀儡・汪精衛(兆銘)政権の特務機関責任者として辣腕を振るうイー(トニー・レオン)に接近する機会が得られた。イー暗殺のため、大富豪夫人に成りすましたチアチーが送り込まれる。

 原作は張愛玲(アイリーン・チャン)の短編小説「色・戒」(南雲智訳『ラスト・コーション 色・戒』集英社文庫、2007年、所収)。原作では、映画でいうとラスト近く、宝石店のシーンが中心だが、映画ではそこに至るまでのプロセスを大きくふくらませている。濡れ場がかなり際どい。ゴクッと生唾を飲み込む音が隣に聞こえないかと心配しつつ、中国映画も今やここまでやるのかと驚いた。

 猜疑心が強く慎重なイーの懐に入り込むため、チアチーも単に演技というレベルを超えて、自らの心を殺して本気にならねばならない。しかし、イーが心のバリアを外していることに気付いた途端、彼女の感情に一瞬の変化が萌した。それは彼女の破滅であり、同志に対する裏切りをも意味するのだが…。このたった一瞬をリアルに映像に写し取るためと考えれば、延々と続くストーリーも激しいベッドシーンも説得力を持つ。

 これだけストーリーをふくらませるなら、イーの人物造型にもっと奥行きがあってもよかったのではないか。彼はいわゆる“漢奸”である。民族の裏切り者として憎まれている立場をよく自覚している。そうした人物ならではの屈折したニヒリズムが浮き彫りになればチアチーとの絡みにもさらに凄みが出たように思う。トニー・レオンのダンディなシニシストといった趣きはさすがに絵になるものの、彼の甘いマスクはある種のどす黒さをかき消してしまう。

 ワン・リーホンの理知的にすずやかな表情が目を引いた。何かで見たことがあると思っていたら、「真昼ノ星空」(中川陽介監督、2004年)で鈴木京香の相手役となった青年だ。

 以前、中国文学者・藤井省三さんの本を読んでいたら、学生の頃に張愛玲の名前を出したら中国人留学生から笑われて釈然としなかった、というエピソードがあった。彼女は通俗小説で知られるが、中国語圏では根強いファンがいる。先日、台北の書店を回った時にも、「ラスト・コーション」上映に連動させているという理由もあろうが、あちこちの特集コーナーで平積みされていた。張愛玲、汪精衛政権とくると胡蘭成の名前が思い浮かぶが、イーに彼の姿が重ね合わされているかどうかは分からない。

【データ】
英題:Lust, Caution 中文題:色・戒
監督:アン・リー
2007年/アメリカ・中国・台湾・香港/158分
(2008年2月24日、日比谷、シャンテシネにて)

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2008年2月21日 (木)

井上井月という人

 『つげ義春作品集』(日本文芸社、1998年)を読んでいたら、「蒸発」という作品に気持ちがひかれた。

 眼が虚ろで影のうすい古本屋の主人。空気のようにフワフワとした印象。彼は自らを“無用の者”というが、いわゆる“拗ね者”意識とはちょっと違う。この世の無常をどこか悟ってしまい、物事のなりゆくままを淡々と受け入れていくような感じ。「まあ、私はほんの一時的にこっちに、この世に来ているだけですから…」というセリフがある。たまたま生まれて、たまたまここにいるだけのこと。仮寓の自覚。

 彼は、郷里の先人だからといって『漂白俳人 井月全集』という本を語り手(おそらく、つげ本人)に渡す。ページをめくりながら井上井月という人物を思い描き、それがおのずと古本屋の主人の姿に重ね合わされていくという話。

 井月──“せいげつ”と読む。幕末から明治にかけて信州、伊那谷に実在した俳人らしい。伊那谷といえば、今は加島祥造がいる。英文学者だが、最近は老子についての本を書いている。そういうタイプを引きつける土地柄なのか。意図して“仙人”的な雰囲気を出しているところにいびつなコマーシャリズムを感じて私は好きじゃないけどね。

 井月はある日ひょっこりと伊那谷に現われ、そのまま居ついたらしい。素性はよく分からない。風貌は冴えないものの、その深い学識と達筆な書に村人は驚いた。俳句の宗匠として尊敬されたが、酒を呑んでは家々を泊まり歩き、やがて疎んじられるようになる。最後は枯田で糞まみれになって死んだ。

 心ない村人から邪険にされ、子供たちからは「しらみ井月、乞食井月」とはやしたてられ、石をぶつけられても意に介さない。決して怒らず、ニコニコと穏やかな表情ですべてを受け入れる。つげ作品だからじっとりとした暗さがあるのは当然だが、その中でも不思議な清涼感に印象付けられた。

 早速、井月に関する本を書店で探した。俳句鑑賞に重きを置いた内容の本が2冊ばかりあったが、あいにく私は俳句に興味はない。江宮隆之『井上井月伝説』(河出書房新社、2001年)は小説仕立ての評伝で読みやすそうだったので買い求めた。井月と多少関わりのあった人から彼の俳句を教えられた芥川龍之介が興味を持つシーンから説き起こされる。小説なのでかなりイマジネーションでふくらまされているようで、どこまで井月という人物を写したものなのかは分からない。

 井月のようなタイプはいつの時代でも人知れず、いる。人に知られることを望んでいないし、また関心もない。そんな彼が人の気持ちを不思議と引きつけるのはなぜだろう。各自が心中に抱えている妙にこわばったプライドやら何やらを無意味と思いつつ捨てられない、そんな不自然さを薄々自覚しているからだろうか。

 漂泊という点では種田山頭火も思い浮かぶ。彼もまた井月に思い入れがあったらしい。しかし、江宮氏も指摘するように、山頭火の自我への強烈なまでのこだわりは、井月とはまた異質なものだ。

 すべてをかなぐり捨てて純粋に透明になった状態、自他の別が消え去った心境。憧れつつも、難しい。なろうと思ってなれるものではないし、なろうという意図そのものがまた強烈な自意識としてこわばり始める。世間になずんだ生活なら、それもまた受け入れていけばいい。否定するのもまた無意味。すべては今ある自分のあるがままに生きて死ぬだけ。そう考えれば、誰でも井月と同様の心境になれるはず。あえて井月を意識したポーズをとる必要はないし、そんな意識はむしろ間違っていると思う。

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2008年2月20日 (水)

吉野孝雄『文学報国会の時代』

吉野孝雄『文学報国会の時代』(河出書房新社、2008年)

 あの作家は大政翼賛会にいた、この詩人は戦争協力の詩を書いた──うぶな頃の私などもそういった類いのことを知るたびに、怪しからん、と驚いていたものだ。ところが、そのうちこう考えるようになった。当時と今とでは考え方に大きな断絶がある。戦争を絶対悪とするのは必ずしも通時代的に普遍的な価値観とは言えない。もちろん、現代の我々(私自身も含めて)からすれば戦争協力は決して褒められた行為ではない。しかしながら、時代の渦中にあった人々に対して、戦争協力したかしなかったかという点で評価の一線を引いて欠席裁判をするような論調というのは、所詮、後知恵の傲慢に過ぎないのではないか。本書にもそうした嫌味が鼻につく。

 本書は個々の作家たちの振舞いや発言についてはよく拾い上げているものの、では、文学報国会が具体的にどのような役割を果したのかが明確ではない。そもそも、文学報国会にどれほどの影響力があったのか、はなはだ疑問がある。つい最近、杉森久英『大政翼賛会前後』(ちくま文庫、2007年→参照)を読んだばかりだ。杉森が翼賛会文化部に勤めていた頃の回想録である。これを読んでみると、翼賛会の内部はグダグダ、看板倒れで組織としての態をなしておらず、そのだらけた雰囲気が杉森の筆致から伝わってくる。総花的に文学者たちの名前だけをかき集めた文学報国会にしたって、たいしたことも出来なかったのが実情だろう。なお、本書の参考文献に杉森書が含まれていないのが気にかかる。

 とは言いつつも、様々な人物が登場するので、「この人はこんな所にも顔を出していたのか」という感じに、私のような現代史オタクには興味深く読めた。今では忘れられた難読人名にも正確にルビがふってある。大切なことである。編集者の苦労がうかがえる。

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2008年2月19日 (火)

マイケル・イグナティエフ『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』

マイケル・イグナティエフ(中山俊宏訳)『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』(風行社、2003年)

 コソボが独立宣言を出した。セルビアとの協議離婚という形にはならなかったようだ。背景としては、第一に、コソボ内のセルビア系住民が少数派に転落し、かつての大セルビア主義への報復があるのではないかという懸念がある。第二に、14世紀、コソボの戦いでセルビア王国はオスマン帝国に敗北、スルタン・ムラト1世の暗殺に成功したものの、捕虜となっていたセルビア王も報復として処刑された。コソボはセルビア人にとって民族的記憶の土地となっており、そうしたナショナリズム感情が強く働いている。日本は米英仏と共同歩調を取ってコソボを国家承認する見込みらしいが、ロシア・中国をはじめ国内に分離独立運動を抱える国々からの反発も強く、前途多難である。

 内政不干渉、国境不変更などの原則に基づく主権国家をアクターとした国際政治のルールは1648年のウェストファリア条約によって基本的な枠組みが出来上がった。三十年戦争という血みどろの宗教戦争による惨禍の体験を踏まえ、国ごとに異なる宗派を奉ずることを容認して他国の宗教・価値観に対して口を挟まない、すなわち内政不干渉の原則による共存のシステムがそこには含意されていた。

 冷戦構造が崩壊した後に世界各地で噴出した民族紛争は、こうした主権国家システムを大きく揺るがした。つまり、一国家内で多数派が少数派に対して大量虐殺、場合によっては民族浄化を行なうという悲劇を目の当たりにしたとき、内政不干渉の原則を盾に取って放任しても構わないのか? 国連のガリ事務総長は積極的平和創造という方針に踏み込んだが、ソマリア問題で失敗した(→ソマリア問題の背景①の記事を参照のこと)。これに懲りた国際社会はルワンダ問題では動くことができなかった(→映画「ホテル・ルワンダ」の記事を参照のこと)。他方、旧ユーゴ紛争については欧米諸国は身近な問題として憂慮を示した。1999年、コソボ問題をめぐってのNATO軍によるセルビア空爆は人道的介入の問題を大きくクローズアップすることになり、たとえばハーバーマスが緊急援助のためには主権国家という枠組みを乗り越える必要があるという論点から空爆を支持したことは論争を巻き起こした。

 前置きが長くなった。本書『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』はコソボ、ボスニア、アフガニスタンと三つの現場を歩いたルポルタージュを踏まえ、国家建設を軌道に乗せるためには実際問題として外部からの強制力が必要だという現実を示す。武力行使を含め、紛争を抑止してその後の支援を行なうにしても、大きな役割を果せるだけの覇権を有しているのはアメリカしかいない。この責任と困難とをアメリカは引き受けるべきだと著者は主張する。ただし、傲慢さ(ヒュブリス)と思慮深さとの間に均衡点を見出す抑制的な態度を取らねばならない。それは人道目的の一過的な覇権であるから“軽い帝国”(empire lite)と呼ぶ。

 現実にはアメリカといえどもフリーハンドではない。たとえばコソボ独立は承認できても、ロシアや中国という大国への配慮からチェチェンやチベットやウイグルの問題に口をはさむことはできない。そうした点を捉えて偽善的と批判し、アメリカのダブルスタンダードによって世界がかき回されていると非難するのが一般に進歩的知識人の常套句となっている。そもそも武力行使には無条件で反対するのが彼らの常である。その点でハーバーマスの議論は驚きをもって受け止められたし、本来、人権問題を専門としていたイグナティエフについても同様の反応があった。

 訳者解説によると、彼は人道目的ならば武力介入を肯定する立場からイラク戦争では渋々ながらもブッシュ政権を支持した。武力行使に無条件で反対するリベラル派とは袂を分かつことになったが、かといって国益よりも人道目的を優先させる点で保守派とも異なる。こうしたアンビヴァレントな立場は“リベラル・ホーク”(リベラルなタカ派)と呼ばれるらしい。政治はいつの時代でもリアリズムとイデアリズムとの葛藤の中で動いてきた。その矛盾を一身に体現している点で興味がひかれる。

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2008年2月18日 (月)

奥那須・北温泉に行った

 2月16日、土曜日。朝、目覚めると、また憂鬱な気分。ねっとりとした虚無感に首がゆるゆるとしめられているような不安が耐え難く、例によって、場所を移して気分を変えることにした。『るるぶ』の東京近郊温泉特集をパラパラめくっていたら、奥那須の北温泉という所に目がとまった。電話をかけると部屋は空いているそうなので予約。とりあえず洗濯と掃除だけして、リュックサックに本を適当につめこんで部屋を飛び出した。

 11:20、東京駅発、東北新幹線なすの255号に乗車。車中で川村湊『温泉文学論』(新潮新書、2007年)を読了。12:30頃、那須塩原駅で下車。観光案内所で北温泉までの行き方を尋ねる。バスは1日2本しか出ておらず、停留所からさらに30分以上は歩くらしい。「なにぶん、秘湯ですので…」という言葉に、歩く面倒よりも、ちょっとワクワクした期待が胸にふくらむ。近くの那須湯本温泉までならバスの本数はもう少しあるらしいので、そこから歩いていけるのかきいてみると、「今は雪が積もっているのでおすすめできません」とのこと。

 駅前はガランとしている。案内所で教えてもらった土産物店兼喫茶店のような店でコーヒーをすすりながら、青木冨美子『731──石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(新潮文庫、2008年)を読んで時間をつぶした。次のバスは13:55発、これを逃すとあとはない。

 バスは黒磯駅に寄ってから、那須高原を北上する。観光客を呼びこむためか、ヨーロッパ・アンティーク風やら、アメリカ・ウェスタン風やら、アジアン風やら、温泉地というにはそぐわない施設が目につく。キッチュ。この一帯を抜けると登り道の勾配が徐々に急になっていく。雪がパラパラと舞い落ち始めた。

 やがて、殺生石の前に出た。九尾の狐伝説は本来、中国のものだが、ここに結び付けられていたのを思い出す。横にある神社の前には、那須与一祈願の社という立て札があった。切り込んだ谷の下には湯本温泉。卵のくさったような臭いが漂っている。この辺りまで来ると、もう福島県境に近い。

 登るにつれて、積雪の厚みが増してくる。スキー場の近くまで来ると、本格的な雪降り。ちょっとした吹雪だ。チェーンがないのか、立ち往生している自動車の脇をバスはすり抜けた。旭温泉・北温泉入口という停留所で下車。もう一人降りたおじさんはジャンパーのフードを頭に引き上げてスタスタ歩いていった。折り畳み傘を持参してきたが、役には立たないだろう。滑って転んだ時に片手がふさがっていると危ないし。私もおじさんにならい、ダッフルコートのフードを引き上げ、雪道に踏み出す。

 降り積もった雪を手ですくってみると、手のひらにしびれるような冷たさだけを残してサラサラとこぼれ落ちた。粉雪はべとつかないので、降りかかっても不快感はない。まっさらで広々とした白い絨毯に足跡を残すのが何だか楽しい。踏みしめるたびに立てる、キュッキュッという音。子供の頃、この音が好きだったなあ。

 ふと立ち止まって、頭からフードをはずした。耳をすます。何も聴こえない。音を立てているのは自分だけ。雪を踏んでいた音や、自分自身がハアハアと息継ぎをする声がさっきまで耳にまとわりついていたので、立ち止まった瞬間にたちまち無音の状態が立ち現れるというのが実に不思議な気分だ。この白い静寂に溶け込んでいけたらどんな気分だろうと他愛ない空想にひたる。

 停留所から道は一つしかないと聞いていたので迷う心配はない。大きく蛇行するように山すそをすり抜けていく。現在は山の一部を切り崩してアスファルトで舗装された車道が通じているが、かつては山道が細々と伝っていただけなのだろう。

 突然、行く手に大きな建物が姿を現した。近寄ってみると、外装が崩れ、骨組みの一部が露出している。廃業したホテルのようだ。廃墟って、だーいすき。デジカメで何枚か撮った。ガラス窓の外れた部屋で、吊り下げられたままのカーテンが雪風にあおられヒラヒラと舞っているところに哀感がわく。

 道路の行き止まりは駐車場。ここからさらに山あいに降りる道が続いている。石段があるのかもしれないが雪が積もって分からない。滑って転びそうになり、オットットッ、と一人よろけ踊りながら、自分の意図とは関係なく勢いづいて駆け下りていったら、ようやく瓦屋根の建物群が視界に入ってきた。

 到着は16:00頃。宿の前には湯気の立つ温泉プールがあった。コートについた雪をはたき落としてから玄関に入る。中では囲炉裏に薪をくべて火が熾されている。暖かさが身にしみた。

 名前を告げて宿泊台帳に記入、部屋に案内してもらった。迷路のように複雑な構造で、祠なんかもある。戦前の地元企業のポスターが額に入れて置かれていたりして面白い。三棟の建物がつながっている。古い順に、安政、明治、昭和の築造。ものは試しと、安政期の部屋にした。確かにぼろいのだが、部屋としての違和感はない。江戸時代のものというのがかえって意外だ。コタツが嬉しい。1泊2食付で7,500円。当然ながら、携帯電話は圏外。

 この宿には何種類かの湯治場がある。基本的には男湯、女湯に分かれているが、家族湯、混浴もある。いや、混浴目当てじゃありませんよ、来るまで知らなかったんですから。それはともかく、さっそく浴衣に着替え、露天風呂、河原の湯に(もちろん、男湯に)入った。脱衣場から外に出ると、雪風が裸体に吹きつけ、思わず「さむー」と低いうなり声をしぼり出してしまう。先客はおじさん、二人。お二方とも缶ビールを持ち込んでほろ酔い加減。向かいには木々の生い茂った山が迫っており、眼前でせき止められた川がちょっとした滝になっている。谷底にはせせらぎ。耳を澄ませばかすかに聞こえそうだが、それをかき消すようにパイプから奔流するお湯の音。そして、ハラハラと舞い落ちる雪。肩までお湯にひたっていると、顔に当たる冷気が際立つ。のぼせることはなさそうだ。

 部屋に戻った。こたつにヌクヌクともぐりこみ、本をめくる。うーん、しあわせ~。一応、お勉強のための本も何冊か持ってきたんだけど、そんな気分になれない。小説を読むだけで終わってしまいそうだ。それもまた、よし。まず、宮本輝の短編集『胸の香り』(文春文庫、1999年)を読了。「道に舞う」という作品が好き。物乞いをしていた少女の凛々しい表情に引付けられた。

 夕食は18:00から大広間で。まあ、宿泊費を考えれば可もなく不可もなく。ご飯の炊き具合が変だったな。40人前後は集まっていたろうか、宿泊客は結構いる。年配の夫婦や家族連れに、若いカップルやグループも多くて、年齢層は幅広い。

 宿泊先の休憩広間にある本棚をチェックするのが私の習慣。なつかしい本がみつかると楽しい。ドラえもんを手に取ったら、台湾発行の中国語(繁体字)版。なぜか他にも中国語のマンガが多かった。私の知らない日本マンガの翻訳ものの間に台湾作家のマンガ作品も混じっていて、絵柄のトーンが同じだけに見分けがつかない。同様に、中国語の絵本シリーズがあった。やはり絵柄が似ているなあと思っていたら、別の場所に日本版のオリジナルも見つけた。アルファベットで表記された日本マンガの翻訳があったのだが、めくっても意味が全く分からない。ジャカルタ発行となっていたからインドネシア語か。

 フィリパ・ピアス(高杉一郎訳)『トムは真夜中の庭で』(岩波書店、1967年)を見つけた。大好きな本だ。なつかしくてなつかしくて、さっそくむさぼり読んだ。おじさん夫婦のアパートに預けられたトム。古時計が13時を打つと、裏庭に出る扉は半世紀以上の時を超える。そこで出会った孤独な少女ハティとの不思議な交流。時間の行き来がジグソーパズルのように緻密に構成されたストーリーが面白いというだけではない。ハティの立場になってみると、孤独をなぐさめてくれた原体験としての思い出、それが時が経ち大人になるにつれて薄れつつも、再び出会えた。時間を超えたつながり合いには、読むたびに涙腺がゆるんでしまう。やはり児童文学の名作だと思う。

 読み終えると21:00頃。再び河原の湯につかる。依然として雪はハラハラと舞い落ちており、時折、かすかに冷たい雪片が頬にあたる。雪が降っているのに、薄膜のような雲の後ろで輪郭のぼんやりかすんだ月がほんのりと明るみを見せている。他に人はいない。森閑とした中、ぼんやりと眼前の山を眺めながら、『トムは真夜中の庭で』の読後感を反芻した。

 連想的に、ふと思う。自分にとって、なつかしさを感じさせる原体験とも言うべきものが何かあるのだろうか。ひょっとしたら、“何もない”という空虚感そのものを肯定するという逆説的なスタンスを取らない限り、人生行路の基準点となるべきものが他にはあり得ないのではないか。有機的な人間関係から切り離された郊外住宅地に閉じ込められていたという生育環境は今から振り返ってもどうにもならない。

 暗い山を見ながら思い出す。そういえば、中学三年生の時、柳田國男の『遠野物語』や『山の人生』が好きだった。単に怪異譚というのではなく、怪しのもの、理解不能な現象が、身近な生活を取り囲んでいるという世界観にたぶん魅かれたんだと思う。人為的に構築された息苦しい空間ではなく、人知を超えたものへの想像力とおそれとが織り込まれた生活世界。暗い山を見ながら想像する。たとえば、この静けさの中、突然、「アーーー!」と山姥の声が響き渡ったらどんな気分になるだろうか。『遠野物語』にそんな話があったのが妙に頭に焼き付いていた。たった2行の簡潔な記述だった。それがまた新聞記事のようなリアリティーを感じさせた。そもそも、『遠野物語』は明治の近代化の波が押し寄せて明るみが暗がりを追い払いつつある時代、まだ闇の中の怪異を覚えている人々の語りを記録したものだ。

 しばらく湯につかっていると、頭の上にうっすらと雪が積もってきた。手で髪をかき分けると少し凍ったような強ばりがある。頭からお湯をかぶって溶かし流して、部屋に戻る。コタツにもぐり、次は池永陽『国境のハーモニカ』(角川文庫、2007年)を読了。在日朝鮮人や外国人労働者などエスニシティーの問題を題材としているが、意外とリリカルで嫌いじゃない。

 23:00過ぎ、天狗の湯につかりに行った。大きな天狗の面がかかっており、壁には願い事の書かれた絵馬がたくさん掛かっていた。ここは混浴である。人がいなさそうな頃合を見計らったつもりだったが、若い男性が二人いた。入ってみると、かなり熱い。長くはつかっていられないので10分ほどで退散。再びコタツにもぐり込み、自販機で買ったカップ酒を呑みながら沼田まほかる『九月が永遠に続けば』(新潮文庫、2008年)を読み始める。24:30頃、就寝。

 翌朝、7:00に目が覚めた。夜明けに起きて、露天風呂につかりながら明るみゆく様を見たいと思っていたのだが、仕方ない。7:30から朝食なので、それまでだけでも河原の湯につかることにした。脱衣場で浴場への扉に手をかけたら、素っ裸のおばさんが出てきて驚いた。男湯と女湯とではまた景色が違うらしく、見に来ていたようだ。おおらかである。

 朝食をすませ、しばらくコタツで読みさしの小説を手にヌクヌク。バスの時刻は9:30だが、雪道を歩くので早めに出るほうが良さそうだと判断、8:40頃に精算して、宿に別れを告げた。多分、また来ると思う。停留所まで意外とスムーズに歩けて、9:10頃には着いてしまった。雪がシンシンと降る中、ボーっと突っ立っているしかない。除雪車がフル稼働のようで、何台かが通り過ぎていった。

 バスは時間通りに来た。山を降りると、世界が違ったように雪がない。ふもとのバスターミナルでチェーンを外したバスに乗り換えた。黒磯駅に着き、10:25発の普通列車に乗車。帰りは時間にしばられていないので、在来線を乗り継いで帰る。13:30前に新宿到着。

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2008年2月15日 (金)

スピノザ『エチカ』から

 時折、気分の滅入っているとき手に取る古典がある。スピノザ『エチカ』もその一つ。手もとにあるのは畠中尚志訳の岩波文庫版、上下二巻。文体は古い。改版前のものを古本屋で見かけたことがあるが、旧仮名遣いだった。ラテン語直訳的で日本語としては非常に読みづらいのだが、あちこち線を引っ張ってある。シャーペンで引いたミミズのはったような線。しっかり定規を当てて引いた赤ペンの線。読むたびに違う箇所に傍線を引っ張ってきた。頭が疲れているとき、ページをパラパラめくりながらそうした箇所を拾い読みする。

 定義、定理、証明、Q.E.D.(証明終わり)を繰り返し、倫理の問題についてあたかも幾何学を解くように書き進める、素っ気ない本。その論理展開をいちいちおさえながら読むのは面倒くさい。おそらく私は、スピノザの思索を理解などしていないと思う。自分の思い込みだけで読んできただけなんだと思う。でも、それで安心立命を得てきたんだからいいじゃないか。所詮、オナニーみたいなもんさ。

「物は現に産出されているのと異なったいかなる他の仕方、いかなる他の秩序でも神から産出されることができなかった」(上巻、76頁)。

 私自身のあり様も含め、一切の物事には、今ある状態以外のどんな状態もあり得ないという端的な事実。当たり前のことなんだけどね。他の状態なんて本来的にあり得なかったのだから、クヨクヨしたって仕方ない。

 “スピノザの石”という表現がある。いま、石を投げたとする。もしその石に意識があったなら「自分はいま、自分の自由意志で空を飛んでいる」と考えることだろう──。“自由意思”なんて言い方はするが、単に“私がかく意志している”というその遠因が分からないだけのこと。こんな言い方をすると、運命決定論だとか敗北主義だとかやっきになって反論しようとする人がいるけど、どこか感覚が違う。こうあること、こうあらざるを得ないことをそっくりそのまま認めて引き受けること──“こう”とか、“その”とか、指示代名詞ばかりで雲をつかむような言い方になってしまうのがもどかしい。

 裏返せば、こうすべきと心の奥底でささやく確信を聞き取ることができたら、それもまた一つの真実なのだから、その確信に従って振舞えばいい。たとえば、何か不合理な扱いを受けているとして、それを甘受せよなどと言っているわけではない。導き手は私のうちなる“何か”だけ(良心、と言いたいところだけど、誤解されそうだから使わない)。マニュアルはどこにもない。

「徳とは人間の能力そのものであり、そしてそれは人間の本質にほかならない、言いかえればそれは人間が自己の有に固執しようと努める努力にのみ存する。ゆえに各人は自己の有を維持することにより多く努めかつより多くこれをなしうるに従ってそれだけ有徳であり、したがってまた人は自己の有を維持することを放棄する限りにおいて無力である」(下巻、31頁)。

 “有”といっても何のことやら分かりづらいが、英訳版を参照すると、beingとなっている。つまり、私がかくあることをそのままに出しきればいいということ。もちろん、自己吟味を経た上でのことだが。外的なものがどうであれ、私自身のあるがまま、私自身でしかないもの、それを自己肯定していくという態度は、表現こそ違えどもニーチェを思い起こす。ジル・ドゥルーズもそうしたところでニーチェと共通するようなことをスピノザ論で言っていたように記憶している。

 結果として失敗、もしくは破滅したって構わない。それが私の宿命なのだから、私は進んで死ねばいい。それだけのこと。たいした問題ではない。

「…人間の能力はきわめて制限されていて、外部の原因の力によって無限に凌駕される。したがって我々は、我々の外に在る物を我々の使用に適合させる絶対的な力を持っていない。だがたとえ我々の利益への考慮の要求するものと反するようなできごとに遇っても、我々は自分の義務を果したこと、我々の有する能力はそれを避けうるところまで至りえなかったこと、我々は単に全自然の一部分であってその秩序に従わなければならぬこと、そうしたことを意識する限り、平気でそれに耐えるであろう。もし我々がこのことを明瞭判然と認識するなら、妥当な認識作用を本領とする我々自身のかの部分、すなわち我々自身のよりよき部分はそれにまったく満足し、かつその満足を固執することに努めるであろう。なぜなら、我々は妥当に認識する限りにおいて、必然的なもの以外の何ものにも満足しえないからである。それゆえに、我々がこのことを正しく認識する限り、その限りにおいて、我々自身のよりよき部分の努力〔欲望〕は全自然の秩序と一致する。」(下巻、94~95頁)

 かくあること、その一点だけで、自分のあり様は大きな世界と重なっている。だから、不安に感じてソワソワする必要は本来的にはない。そういえば、パスカル『パンセ』の次の言葉も思い出した。有名な「人間は考える葦である」の一節だが、この言葉の使い方を意外と間違っている人をときどき見かける。続く後段もよく読んでみましょう。

「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は、何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」(前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年、225ページ)

 自分の存在する理由をどこかに“具体的に”求めようとすると必ず間違う。かくある自分というものを、大きな構図の中で、「ああ、そういうことなんだな」と納得できればそれでいい。自分を突き放した視点に立って、生き死にもひっくるめて大きく俯瞰してしまえば、意外と気持ちが楽になる。そうした自身をめぐる世界のありようをリアルにそのまま理解することが、“考える”ってこと。それを小難しい表現で“哲学”って称しているだけ。池田晶子さんが言っていたのも基本的にはそういうことだったと思っている。

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2008年2月14日 (木)

「アドリブ・ナイト」

「アドリブ・ナイト」

 ソウルの雑踏、人待ち顔に携帯電話をいじっている女の子(ハン・ヒョジュ)の姿。突然、二人組みの男から「ひょっとして、ミョンウンじゃないか?」と声をかけられた。人違いだと言ってもなかなか納得してくれず、彼女は戸惑うばかり。事情を聞いてみると、そのミョンウンという娘は家出しているのだが、父親が危篤なので探しているのだという。──君は本当にそっくりだから代役として死ぬ間際に一言声をかけてやってくれないか? 何となく説得されてしまった彼女はしぶしぶながらもついていく。

 目的地に着くと、親類や関係者が集まっている。遺産やら借金やら過去の人間関係やら、色々と大騒ぎ。そうした中で、ミョンウンという女性にまつわる話を聞き、彼女の持ち物に触れ、そして父親の臨終に立ち会ってその手を取る。自分にそっくりだという他人の人生に触れることで、かえって自分自身の抱えているものに思いをいたす。どこか投げやりな気分になっていた彼女の中で確実に何かが変わった。

 ハン・ヒョジュという女優さんは今回初めて知った。訳あり気に憂いを帯びた暗さが浮びつつも清潔感のある顔立ちを見ていると、それがまた胸がドキドキするように美しい。原作は平安寿子らしいが、私は未読。舞台を韓国に移し変えているのだからかなりアレンジされているのだろうが、落ち着いた映像の効果もあって、しっとりと良い感じの作品だ。特にラスト近く、一晩が終わってソウルに戻ってきたときの朝の光景が、何というか、観ている側の中にもしんみりとしたものが湧き起こってきて、彼女が感傷的になるのも自然に納得できる、そんな感じにとても印象的だった。

【データ】
英題:Ad Lib Night
監督・脚本:イ・ユンギ
原作:平安寿子「アドリブ・ナイト」『素晴らしい一日』文春文庫
2006年/韓国/99分
(2008年2月11日、渋谷、アミューズCQNにて)

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2008年2月13日 (水)

「牡牛座──レーニンの肖像」

「牡牛座──レーニンの肖像」

 青みがかった色調で映し出された鮮やかな木々の中、サナトリウムのような大きな邸宅がひっそりとたたずむ。病と痴呆が進行し、やつれた面持ちのレーニンが車椅子にぐったりと深く沈みこんでいる。

 身の回りの世話をしてくれる妻クループスカヤと妹マリアのひそひそ声。医師や衛兵たちの無造作な対応。やがて登場するスターリンは余裕の表情を見せ、のらりくらりと論点をずらしながら慇懃無礼な態度を取る。彼らとの語らいによって、レーニン晩年の独白を引き出す形で話は進行する。セリフ回しは、映画というよりも演劇の雰囲気。随所に思わせぶりな暗喩が散りばめられている上、いかにもレーニンらしいぺダンチックな語り口もあって、観念的で分かりづらい印象を与えるだろう。映画館は満席だったが、明らかに退屈している観客が多かった。

 アレクサンドル・ソクーロフ監督のいわゆる“二十世紀の独裁者”シリーズの一つである。ヒトラーとエヴァ・ブラウンのベルヒデスガーデンでの一夜を描いた「モレク神」(1999年)や、日本の敗戦後、人間宣言を出すに至るまでの昭和天皇を主人公とした「太陽」(2005年)は、いずれも世間から隔絶された“雲の上”で“神”的な存在となった人物が見せる孤独な葛藤を描くという構図を持っていたように思う。その点ではこの「牡牛座」も共通している。

 たとえば、“愚民”を調教するためのムチ打ちに関する文献を延々と読み上げたり、党中央委員会から贈られたステッキを振り回して暴れまわったり、「自分が死んでもこの世界は存在するのかね?」とつぶやいたり、こうしたあたりには、権力の絶対性とその残虐さとの両面をうかがわせる。そして、それを担うのは常人にはとてもじゃないが耐えられるものではない。映画のはじめの方、レーニンは裸で転がっている。彼とても特別な人間ではない。その衰え行く姿からは、権力の重荷とに押しつぶされた孤独なうめきを聞き取ることができるのだろう。

【データ】
英題:Taurus
監督・撮影:アレクサンドル・ソクーロフ
2001年/ロシア/94分
(2008年2月11日、渋谷、ユーロスペースにて)

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2008年2月12日 (火)

「ちーちゃんは悠久の向こう」

「ちーちゃんは悠久の向こう」

 モンちゃん(林遣都)とちーちゃん(仲里依紗)は幼なじみ。高校に入学しても二人はいつでも一緒。モンちゃんは弓道部に、ちーちゃんはオカルト研究会に入るのだが、弓道部の先輩がモンちゃんに接近してきて、ちーちゃんは気が気でない。“高校の七不思議”を制覇すると願いがかなうらしいと知ったちーちゃんは、モンちゃんの家庭の事情も考えて、彼をその探検に連れ出す。

 両親の離婚、幼なじみとの死別──受け入れがたい悲しみに直面して、そこから目をそらそうという逃げの意識とどう向き合うか。ストーリーはジュヴナイル小説にありそうな展開の学園もの。当然、高校生くらいの登場人物が多い。西田尚美と堀部圭亮を除くと、みんな学芸会レベルの演技という難点はあるが、全体的にほのぼの、しみじみという感じで、私は意外と嫌いでもない。仲里依紗のクリクリまなこはこういうタイプの映画の雰囲気にぴったり。

【データ】
監督:兼重淳
出演:仲里依紗、林遣都、堀部圭亮、西田尚美、他
2007年/94分
(2008年2月11日、シアターN渋谷にて)

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2008年2月11日 (月)

最近読んだ雑誌から

 1月の台湾・立法院選挙(総選挙)では国民党が地すべり的な大勝を果した。民進党の陳水扁政権下での①経済失政、②政治腐敗に批判が集まり、それを挽回すべく③陳総統自身のイニシアティブで正名運動(具体的には、蒋介石にまつわる地名の抹消)と台湾独立意識の昂揚(具体的には、台湾名義での国連加盟を求める国民投票の実施)などによって本省人と外省人との対立意識を煽動しようという方針がかえって反発を買ってしまったこと、以上に原因が求められる。小選挙区制を導入したのも敗因の一つだが、これは他ならぬ民進党自身が国民党の内部分裂を誘発しようと画策した結果であり、返り討ちをくらってしまった形だ。

 香港誌『亜洲週刊』1月27日号は台湾総統選特集を組んでいる。3月の総統選についての世論調査では国民党の馬英九候補が圧倒的にリードしている。謝長廷候補を擁する民進党は、陣頭指揮を取っていた陳総統が総選挙大敗を受けて前面から退き、謝候補自身がすべてを取り仕切る態勢に組み替えた。童清峰「台湾総統選挙爆発力大決戦」によると、民進党にも必ずしも目がないわけでもないらしい。民進党の支持率は30~40%前後、これに台湾団結連盟など汎緑派(台湾独立派)を合わせると45%くらいはいくという。あと5%をにぎるのが第一に、李登輝。現在、李登輝と陳水扁の仲は悪く、台湾独立派の選挙協力に失敗したことも民進党敗北の一因となっている。謝は総選挙大敗直後に面会に行ったそうだ。一方、馬も李登輝を敬う姿勢を変えていないが、李自身は馬・謝のどちらを支持するか態度を明らかにしていない。第二に、中間派の票を取り込み必要がある。現在の台湾社会では穏健な台湾独立という考え方が主流となっており、少なくとも経済では大陸との関係を拡大すべきという趨勢にある。それを受けて謝は陳水扁が進めてきた強硬路線を完全に切り替えた。馬にしても中台統一派というイメージが固定化することで票が逃げることを警戒している。従って、謝・馬ともに“穏健台独”という世論の流れに如何に歩み寄るかがカギとなっている。そして、両陣営ともに軸足を中道に寄せていけば、それだけ台湾社会内での対立も弱まっていくとも考えられる。

 ちなみに、童清峰「謝長廷逆中求勝的伝奇」によると、謝長廷のあだ名は“九命怪猫”。民進党内での権力闘争に何度も敗れながらもそのたびに復活し、強い意志力で逆境を踏ん張ってきた経歴で知られているらしい。

 咼中校「一個大陸人看台湾選挙」は、『亜洲週刊』記者自身の選挙見聞記。国民党陣営のプレスルームで開票速報を見ていたら、王金平立法院長(国会議長)というVIPが気軽に入ってきて、「セキュリティーは大丈夫なのか?」と驚いているのが面白い。香港とは違って、台北の人々が候補者の人物像や政策について盛んに話し合っているのを見て、「中山先生(孫文)の説いた“政治即衆人之事”が台湾ではまさに実現している」と記す。本号の冒頭には香港での普通選挙をめぐる不透明な未来についての記事(「怎様普選VS何時普選」)があるだけに、言外の感慨がありそうだ。

 毛峰「華人作家与日本芥川奨邂逅」は、『ワンちゃん』で第138回芥川賞の最終選考まで残った中国人留学生楊逸さんへのインタビュー記事。

 “Foreign Affairs”2008 Jan/Febの特集は‘Changing China’。John L. Thornton‘Long Time Coming : The Prospects for Democracy in China’は長期的に見れば中国の政治過程の民主化は楽観できるという趣旨。G. John Ikenberry‘The Rise of China and the Future of the West : Can the Liberal System Survive?’は、台頭する大国は既存の国際秩序をひっくり返すか、そこに適合するかのどちらかだが、中国にとっては適合する路線が利益にかなうだろう。将来的にアメリカの覇権が相対的に低下することは避けられないが、現在の国際システムの中にアメリカ主導で中国を組み込んでいくことが必要、と主張。Stephanie Kleine-Ahlbrandt and Andrew Small‘China`s New Dictatorship Diplomacy : Is Beijing Parting with Pariahs?’。Pariahというのはつまり北朝鮮、ミャンマー、スーダンなどの“鼻つまみ”国家のこと。こうした“鼻つまみ者”が崩壊の危機にあるという認識を共有することで、ここ数年、米中が共同で対処するシーンがあったことを踏まえ、中国自身の価値観は変わらないにしても、国際問題で歩み寄れる可能性を指摘する。

 Michael McFaul and Kathryn Storner-Weiss‘The Myth of the Authoritarian Model : How Putin`s Crackdown Holds Russia Back’はデータを示しながらプーチン政権について開発独裁モデルで考えることを否定、権威的政権だから経済成長に成功したのではなく、権威的であるにも拘わらず成長したのだと指摘。Vali Nasr and Ray Takeyb‘The Cost of Containing Iran : Washington`s Misguided New Middle East Policy’はアメリカ政府のイラン封じ込め政策を批判、イランも地域的安全保障に組み込むべきだし、そうすればイラク情勢の安定化にもつながると主張する。

 『東京人』2008年2月号は「開通80年 地下鉄がつないだ東京風景」特集。昔のポスターについての記事を見ているとやはり杉浦非水が目を引く。東京の地下鉄の変遷や各路線ごとのエッセイ多数。詳しく書きたいところだけど、長くなってきたのでやめときます。

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2008年2月10日 (日)

「東京少年」

「東京少年」

 解離性同一性障害、いわゆる二重人格の少女ミナト(堀北真希)。彼女にひかれる浪人生のシュウ(石田卓也)がミナトのもう一つの人格ナイトと出会うという話。ナイトが少年という設定からタイトルがつけられているのだろう。

 堀北真希の演技はなかなか悪くない。小づくりな顔立ちに大きくつぶらな瞳、人格が変化する瞬間にギョロッと見開き、それまでの楚々とした表情が一転してさも相手を軽蔑しきったような目つきにかわる。無造作にリンゴをかじる時のアゴの動きも堂に入っている。堀北ファンにはたまらないだろうが、ストーリーは陳腐で退屈、あくびが出た。おそらく、堀北を主演に映画をつくるから何か一本適当にでっちあげろという程度の企画なんだろうな。

 続けて夏帆の主演で「東京少女」というのも上映されるらしい。予告編を見ると、明治時代の青年と現代の少女が時を超えて携帯電話でわずかな間だけどつながり合うという筋立てのようだ。「東京少年」は内なる自分と会いたくても会えないという話だった。相手の存在は分かってはいて気持ちはつながっているのに会えないもどかしさをテーマとしてシリーズ化しているのだろう。夏帆は気になるが、たぶん観には行かないな。て言うか、この程度の内容ならダラダラしたつくり方しないで、もっと簡潔に切り詰めて二本立てにすれば良かったんじゃないか。

【データ】
監督:平野俊一
出演:堀北真希、石田卓也、草村礼子、平田満
2008年/95分
(2008年2月9日、新宿トーアにて)

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2008年2月 9日 (土)

「人のセックスを笑うな」

「人のセックスを笑うな」

 原作は山崎ナオコーラのデビュー作(河出文庫、2006年。どうでもいいが、高橋源一郎の解説は力みかえりすぎて、うざい…)。文体は至ってシンプル。無駄な描写を省いたところに透明感があって、たとえばセックスのシーンでも妙ないやらしさを感じさせない。

 マイペースで一風変わった美術学校教師ユリちゃん(永作博美)に生徒の純情な青年ミルメ(松山ケンイチ)が振り回されるという構図では小説も映画も共通する。映画では学校をドロップアウトするエンちゃん(蒼井優)のエピソードが大きくふくらまされ、ミルメを軸にユリちゃんとエンちゃんがシーソーゲームをするような展開になっている。

 短編とは言わないまでもせいぜい中編程度に短いこの小説をどうやって二時間を超える映画に仕立て上げたのか気になっていた。小説には小説なりの、映画には映画なりの媒体としての持ち味がある。原作を忠実になぞっただけの映画というのはたいていつまらないものだが、かといってアレンジし過ぎてチンチクリンな出来上がりの作品もあって難しい。この映画の場合、原作の雰囲気を生かしつつ映画版なりに独自の物語が成立しており、よく出来ていると思う。

 四捨五入すれば40歳になるのに子供っぽい雰囲気を出せる女優といえば、やはり永作博美しかいないだろう。はまり役だ。蒼井優も自然にあどけない感じがとても良い。

 何よりも、心にくいまでにディテールにこだわった描写が私は好きだ。小説の舞台は東京だったが、映画では北関東の小都市に移されている。つかず離れずの微妙な男女関係を描いているわけだが、たとえば東京のマンションだと冷たく突き放す雰囲気になってしまう。この映画では、古びた木造家屋のぬくもり、石油ストーブ(なつかしい)、こたつにみかん──。ミルメやエンちゃんのグダグダした想いを包み込んでくれる落ち着いたイメージが浮かび上がってくる。さり気ないけど、決め手となるとても良い演出になっていると思う。

 評判は良いらしく、映画館は満席だった。

【データ】
監督:井口奈己
脚本:井口奈己・本調有香
出演:永作博美、蒼井優、松山ケンイチ、忍成修吾、温水洋一、あがた森魚、桂春團治、他
2007年/137分
(2008年2月8日レイトショー、銀座テアトルシネマにて)

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2008年2月 8日 (金)

経済的合理性についてメモ

(2,3年くらい前に書いたメモです。あくまでも自分の考えを整理するためのものだったのでかなり大雑把ですが、看過しがたい誤解がありましたらご指摘ください。)

 経済についての議論が論壇で主流となっていること自体に、現代という時代の一つの精神史的特徴が表われているようにも思える。そこにおいては、①経済的合理性を持った人間が、②多様な選択肢が与えられる中で、③主体的な責任を持って選び取る、こうした条件を以て“自由”とみなす考え方が前提とされている。これを純粋に抽象化した思想的立場を政治哲学ではリバタリアニズム(libertarianism=自由至上主義)という。

 ①に対しては、そもそも人間に合理性などあり得るのか?という疑問が出てくる。ホモ=エコノミクス(homo economicus)という人間モデルは、現実の人間像を写し取ったものではなく、あくまでも経済動向を分析・予測するための方法的仮設に過ぎない。現実の人間の予測不可能で複雑な行動の襞を読み込むのはほとんど不可能に近いわけだが、それでも、(a)マスのレベルでは一定の傾向性が見られる、(b)それを大雑把にでも措定することで計算可能性→予測可能性を擬制する、というのが経済学の基本的な考え方である。
 しかし、経済学に重きを置いた議論が主流となるにつれ、プロクルステスのベッドとも言うべき次のような倒錯が生じた。複雑な人間像を描くと収拾がつかなくなるから次善の策としてホモ=エコノミクスが措定されたという学的成立の経緯をひっくり返してしまい、むしろ経済活動をスムーズにするためにこそ、人間は論理化できない感情的な襞を捨てて合理的であらねばならないという独特な社会風潮が表われてきた。それは、かつては封建的な因習を打破せねばならないという進歩主義の主張であったが、近年は経済的な新保守主義が取って代わり、進歩派・左派はその行き過ぎを批判するというスタンスに回っている。これは日本国内の問題というだけでなく、アメリカ発のグローバライゼーションと密接に連動しており、そこに内包されている経済的人間観の世界一律な押し付けに対する反発として世界各地で摩擦を引き起こしている。
 なお、藤原正彦『国家の品格』は、こうした極端なまでの論理合理性が人間の情緒における奥行きを損なってしまうことへの危機意識をテーマの一つとしている。本書には感情的な決め付けが目立って説得力に乏しいという欠点があるにしても、これがベストセラーとなった背景としては、合理的人間モデルを当然視する考え方への、一般の人々からの潜在的な反発が伏流しているものと考えられる。

 ②に対しては、次の疑問がある。ホモ=エコノミクスに込められたニュアンスとして、すべての人間に選択肢の可能性=情報が均一に与えられているはずだ、という前提がある。しかし、情報に接する機会それ自体が非対称的なのだから、均衡を軸とした経済モデルは実際には成立していないという指摘がある(たとえば、ジョゼフ・スティグリッツ)。
 情報があまりに多すぎても、人間の思考の処理能力を考えると、事実上選択はできないという問題がある。結局、経験則として積み重ねられた先入見に基づいて取捨選択しながら、つまり選択肢の広がりを自ら狭めることでようやく判断を可能とする条件が整えられると言える(西部邁、金子勝という対極的な二人が指摘していた)。そうした先入見を社会思想史的な文脈で言うと、世代を超えた試行錯誤により文化規範として各人に染み渡った行動習慣、すなわちイギリス経験論・保守主義における“伝統”概念である。この意味での“伝統”を破壊するものとしてグローバライゼーションへの反発は強い。

 ③に対しては、そもそも“主体性”なるものがどのようにして形成されるのか、という問題がある。たとえば、最近の社会格差論でもここが問題となっている。つまり、“主体性”は放っておけば自然と備わるものではなく、その人の置かれた生育環境に応じて、意欲の持ち方自体が大きく影響を受けてしまうことが指摘されている。その生育環境の基礎は家庭にある。ところで、近年、社会学者の研究により、社会的ステータスが親から子へと世代間再生産され、社会的階層の固定化傾向が見られることが指摘されている(佐藤俊樹、苅谷剛彦、本田由紀などの議論を参照)。
 つまり、生育環境の階層分化→“主体性”や“創造性”、“意欲”等の情緒面も含めた全人的形成環境における格差が固定化→たまたまどの家庭に生れたかにより、その後の人生経路における格差が出てくる、こうした悪循環に陥ってしまう。
 問題の立て方は二つあり得る。第一に、格差固定化を防ぐために機会の均等を保証するための対策を考えること。これはほとんど不可能であるが、各論は別として原則論としてはあらゆる人々から同意を得られるだろう。
 第二に、格差はやむを得ないとみなし、その納得のシステムを考えること。問題なのは、“実力主義”や“自己責任”というフィルターを通すことで、質的な格差が、あたかも本人の努力によって得られたかのような虚構が当然とみなされてしまうことである。それによって、失敗したのは自分の責任なのだから仕方ないとされて弱者切捨てが正当化されてしまうし、またノブレス・オブリージュ(高貴な者には責任がある)の感覚も失われてしまう。
 “実力主義”や“自己責任”論において、実力を発揮し、選択の責任を取る“主体”はどのようにして形成されるのか、という問いが発せられることはない。自明の前提とされているため、突き詰めると精神論で終るだけである。やる気になればすべての人間にあらゆる機会が保証されているというというのはあくまでもフィクションに過ぎない。現実の良くも悪くも多様な人間性と、“自由”や“平等”という本来ならばあり得ない近代的理念=フィクションとの整合性は、その矛盾を留保しているからこそ成り立っているのである。そこを暴き出してしまうと、“自由”概念は事実上無意味なものとなってしまう。
 フィクションが悪いわけではない。かつてハンス・ファイヒンガーが指摘したように、“かのように”という前提を疑わずに共有することで我々の社会は成り立っているとも言えるのだから。しかし、そうしたフィクションが破れたとき、社会的な様々な取り決めごとを正当化する根拠は何もなくなってしまう。その破綻の一端が、社会格差論を通して浮かび上がっているのかもしれない。

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2008年2月 7日 (木)

「テラビシアにかける橋」

「テラビシアにかける橋」

 ジェス(ジョシュ・ハッチャーソン)の特技は絵を描くこと。でも、家は貧しいのでいつまでも夢なんか見ているなとお父さんからよく叱られる。学校にはいじめっ子。慕ってくれるのは妹のメイベルくらいだけど、ついつい邪険にしてしまう。そうそう、特技がもう一つ、駆けっこがはやいのも自慢だったのに、転校生の女の子に負けてしまった。

 その子の名前はレスリー(アナソフィア・ロブ)。隣に引っ越してきたばかり。スポーツも勉強もよくできるけど変わっているので彼女もクラスで浮いている。意気投合した二人は放課後、森の中へと分け入った。レスリーはイマジネーションを豊かにふくらませ、一つの王国をつくり上げる。名付けて、テラビシア──。

 ファンタジーは決して現実逃避ではない。学校でのいじめ、家の貧しさ、そして親友との死別…。耐え難い現実に直面したとき、どうしても視野が狭くなって立ちすくんでしまう。しかし、別のストーリーに置き換えてみることで、困難と闘う勇気や悲しみを受け入れ、乗り越える力を得られる。ラストのあたりでは不覚にも涙腺がゆるみ、何となくストーリー的には宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を、映像のイメージとしては去年観た「パンズ・ラビリンス」を思い浮かべた。子役二人がよくはまっている。特にレスリー役・アナソフィア・ロブのボーイッシュにのびやかな感じがとても良い。

 余韻をかみしめたくてキャサリン・パターソン(岡本浜江訳)『テラビシアにかける橋』(偕成社文庫、2007年。単行本は1981年)を手に取った。訳者解説によると、著者自身の息子の親友が死んでしまったのをきっかけにこの物語を書き上げたらしい。児童文学は大人になってもその年齢なりの読み方ができる。なかなかバカにはできない。

【データ】
原題:Bridge to Terabithia
監督:ガボア・クスポ
2007年/アメリカ/95分
(2008年2月3日、新宿ミラノにて)

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2008年2月 6日 (水)

「ヒトラーの贋札」

「ヒトラーの贋札」

 戦争に勝つためなりふり構わず手段を模索するのは当然だが、その中から突飛な奇策が採用されることがある。ナチスが実行したベルンハルト作戦もそうした一つ。イギリス・ポンドやアメリカ・ドルを偽造してばらまき、相手国に経済的混乱を引き起こして軍事的劣勢を挽回しようというのが目的だ。作戦名は、責任者に任命されたSS将校ベルンハルト・クルーガーにちなむ。

 強制収容所のユダヤ人たちの中から技術者を集めて偽造が行なわれた。目的を達成したらいつでも口封じできるというわけだ。ローレンス・マルキン(徳川家広訳)『ヒトラー・マネー』(講談社、2008年)は贋札作戦をめぐってドイツと連合国とが火花を散らす攻防戦を題材としたなかなか面白いノンフィクションだが、これによると、彼らの作った贋札の精度は極めて高く、イングランド銀行にかなりのダメージを与えたという。「ヒトラーの贋札」は実話をもとに脚色しながらこのベルンハルト作戦に従事させられたユダヤ人たちの強制収容所内での生活を描いている。

 ザクセンハウゼン強制収容所へ移送されると伝えられたソロモン・ソロヴィッチ(カール・マルコヴィックス)の表情に不安の影がよぎる。ところが、出迎えたSS将校ヘルツォーク(デーヴィト・シュトリーゾフ)の言葉遣いは親しげだ。ソロヴィッチの国際指名手配されたほどの贋金づくりの腕前が買われ、ベルンハルト作戦に招かれたのである。

 協力しなければ殺される。だが、成功したところで自分たちに未来はない。妻をアウシュヴィッツで殺された印刷工のアドルフ・ブルガー(アウグスト・ディール)はサボタージュを主張。しかし、ブルガーの巻き添えをくって殺されるのはいやだと所内の仲間たちから反感を買う。悪に対抗するにはやはり悪知恵が一番、仲間はみんな助けると決意したソロヴィッチは巧みに難題を切り抜けるのだが…。

 ベルンハルト作戦に動員されたユダヤ人たちは優遇された。強制収容所の中でも印刷工場は全くの別世界で、目を背けたくなるような残酷なシーンは意外とない。しかし、塀の内と外とを分けたのはほんの偶然に過ぎない。塀の外で銃声が聞こえる。ガス室に震えおののく男と偶然出くわす。自分の意志ではどうにもならないにしても、日常茶飯事となっている殺戮をただ傍観するしかなかった。映画の始めと終わり、カジノで大金を賭けるソロヴィッチの虚ろな目には生き残った者ならではの哀しみを感じさせる。

【データ】
原題:Die Fälscher
監督・脚本:ステファン・ルツォヴィツキー
2007年/ドイツ・オーストリア/96分
(2008年2月2日、日比谷、シャンテシネにて)

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2008年2月 5日 (火)

「音符と昆布」

「音符と昆布」

 モモ(市川由衣)は作曲家の父(宇崎竜童)と二人暮らし。父が海外に行って不在のある日、突如やって来たカリン(池脇千鶴)。姉だというが、モモは自分に姉がいるなんて知らなかった。カリンは椅子に座るやいなや昆布茶づけを所望、干し椎茸について滔滔と薀蓄を語り出す。一方通行でコミュニケーションの取りづらい彼女にモモは唖然とするばかり。

 カリンはアスペルガー症候群という設定。その特徴としては、社会的ルーティンに適応できないこと、言葉遣いが独特で他人とのコミュニケーションに問題があること、想像力が欠如しており相手の感情が読めないので悪意はないのだがズケズケとした物言いをしてしまうことなどが挙げられる。そのため、“変な奴”と孤立してしまうことが多い。先天的なものだが、知的障害ではない。ある特定の対象に執着したり、極端なまでに潔癖・秩序好きなところが、一面においてトラブルのきっかけとなる一方、高度な専門性を発揮することもあり得るという(磯部潮『発達障害かもしれない』光文社新書、2005年を参照)。

 コミュニケーション不全のカリンとも共感し合えるきっかけを見出すというのがこの映画の筋立てだ。嗅覚障害だがフードコーディネーターを目指すというモモの設定も考え合わせると、スタンダードから外れてはいても何とかなるというメッセージが込められているのだろうか。池脇千鶴は、「ジョゼと虎と魚たち」(2003年)でもそうだったが、あどけない顔をしてエキセントリックな役柄をよくこなしている。市川由衣は普通にかわいい。

 前掲書によると自閉症─アスペルガー症候群─正常という形で連続しているらしいが(自閉症スペクトラム)、症候群という言葉を使っていることから窺えるように幅は広く、あいまいだ。もちろん、一定の特徴を捉えて区分する方が対処する上で便利ではある。ただ、逆にレッテル貼りしてしまうことで差異性を強調→ある種の偏見を増幅してしまうという悪循環もあり得るのが難しいところだ。この映画では決して悪意ある描き方はされてはいないのだが、それでも一定の類型化は否めない。アスペルガー症候群をテーマとして打ち出してしまうのはちょっと微妙な違和感がある。

【データ】
監督・脚本:井上春生
出演:池脇千鶴、市川由衣、石川伸一郎、宇崎竜童、他
2008年/75分
(2008年2月2日、シネマート六本木にて)

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2008年2月 4日 (月)

日暮吉延『東京裁判』

日暮吉延『東京裁判』(講談社現代新書、2008年)

 私は中学・高校生くらいの頃から東京裁判マニアで、折に触れて関連書を読み漁ってきた。という言い方をすると妙に誤解されるかもしれないが、いわゆる歴史観をめぐる不毛な論争からはできるだけ距離を置こうと努力してきたつもりだ。なぜ興味を持ったのか。第一に、肯定するにせよ、否定するにせよ、日本の現代史を総括する一つのたたき台となったこと。第二に、歴史的・政治的論争そのものという点でも、そして何よりも人物群像という点でも、様々なドラマが凝縮されていて面白いと感じた。小林正樹監督「東京裁判」はバランスのよくとれたドキュメンタリー映画で、私は繰り返し観たものだ。

 本書は、東京裁判の根拠となる枠組みの成立過程から裁判終了後における戦犯釈放問題まで、東京裁判の全体像を要領よくまとめてくれている。著者のスタンスは、いわゆる“勝者の裁き”論、“文明の裁き”論、いずれからも距離を置き、裁判のプロセスそのものをとにかくリアルに把握しようというところにある。国際関係における政策論としての位置づけを探り、連合国側にとっては、敗者に屈辱感・怨恨感情を残してしまった点で失敗だったと捉え、日本側にとっては対米協調の安全保障政策として有効だったと評価する。

 裁判を構成する検事団・弁護団・判事団それぞれの内部における厳しい対立を描き出しているところが面白く、またこれだけ複雑な要因が絡み合っているのだから一元的な理解など不可能なことを改めて実感させる。検事団の中ではキーナンのスタンド・プレーへの不満が強く、弁護団は国家弁護か、個人弁護かをめぐって完全に二分されていた。

 何よりも微妙だったのは判事団である。戦争そのものを裁く根拠が国際法になかったにもかかわらず(パリ不戦条約(1928年)には罰則規定なし)、事後法で日本を裁けるのかという疑問を複数の判事が持っていた。結局、裁判そのものが崩壊しかねない中、イギリスのパトリック判事による多数派形成工作によって辛うじてニュルンベルク・ドクトリン(侵略戦争を犯罪と規定)に基づく判決が出される。判決作成過程から排除されたウェッブ裁判長(オーストラリア)、レーリンク判事(オランダ)、ベルナール判事(フランス)、パル判事(インド)はそれぞれ個別意見を出すという異例の結果となった(このせめぎ合いについては、昨夏のNHKスペシャル「パール判事は何を問い掛けたか──東京裁判 知られざる攻防」で取り上げられた)。

 パル判事については、第一に、“勝者の裁き”批判の論理には「国家主権の平等」に基づき「力の行使」を容認する国際関係のリアリズム論と重なるところがあるという指摘、第二に、法実証主義に立って事後法批判をする一方で、パル個人の“反西欧帝国主義批判”という強い政治性が色濃く滲んでいるという極端な二面性があるという指摘に興味を持った。

 日本もそうだし、天皇の扱いをめぐってはアメリカもそうだったが、東京裁判に対しては各国各様に両面的な対応を迫られた。インド政府は連合国と共同歩調を取る方針だったのでパル判決には驚いたらしい。しかし、インド国内の世論はパルを支持した。インド政府もまた対外的な顔と対内的な顔とを使い分けざるを得なくなった。それだけ、東京裁判というイベントの複雑な様相が浮かび上がってくる。

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2008年2月 3日 (日)

「アース」

「アース」(日本語吹替版)

 北極から南極まで縦断しながら地球上に息づく様々な動物たちの姿を見せてくれる。ただし、単に自然の雄大な光景を映し出しただけのドキュメンタリーと考えたら大間違いだ。

 たとえば、アフリカのサバンナ、水を求めてはちあわせたゾウの群れとライオンの群れ。小ゾウを狙って襲いかかるライオンに対し、親ゾウたちが張る鉄壁の防御陣。海中では、クジラやカジキマグロに狙われた小魚の群れが変幻自在に陣形を組み替えて攻撃をかわすスピード感の鮮やかさ。生存をかけて、そして子供を守るため、熾烈な闘いを繰り広げる動物たちの姿には濃厚なドラマがあって息を呑む。

 その一方で、どことなくユーモラスな表情をとらえたシーンではおのずと頬がゆるむ。アマゾンのゴクラクチョウがあんなに巧みにダンスをするのは初めて知った。しかも、事前にきちんと舞台を整えているなんて。滅多にない洪水に出くわし、川を渡るサルたちの仕草も、当人(当サル?)たちは真剣なのだが、いかにもおっかなびっくりという感じで笑ってしまった。子育てのシーンが多く取り上げられており、子供たちの覚束ない足取り、羽ばたきがほほ笑ましい。だが、そうした未熟さが外敵に狙われることになるのだが…。

 数千頭、数万羽もの群れが移動する様子、巨大なジャングルや滝、上空から俯瞰するように撮影された映像が圧巻だ。そこにベルリン・フィルの奏でるメロディーがかぶさり、地球を舞台にとった壮大な映像叙事詩として見ごたえがある。映画館の大スクリーンで観るとやはり迫力が違う。

 映像はBBCによる。木々の葉の色合いを一瞬のうちに変化させる映像手法など、昨年にNHKで放映された「プラネット・アース」でも似たようなシーンを見かけた。この番組はBBCとNHKとの共同制作だったし、今回の「アース」のエンドロールでThanks to NHKという文言を見かけたから、「プラネット・アース」と同じ映像も使われているのだろうか。

【データ】
原題:EARTH
監督・脚本:アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド、デビッド・アッテンボロー他
音楽:ジョージ・フェントン
ナレーション:渡辺謙
2007年/ドイツ・イギリス/98分
(2008年2月1日レイトショー、新宿バルト9にて)

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2008年2月 2日 (土)

深尾須磨子という人

 健康的だが堅苦しくてとっつきにくい明治、軍国主義が暗い影を落とす昭和初期。大正期はこの二つの時代に挟まれた不思議なエアポケットとして意外と存在感は薄いが、開けっぴろげな明るさがあって独特な魅力のある時代だと思う。この頃、女性たちのはしゃぎぶりも目立った。現在の視点からすると、不自然に無理しすぎというか、力みかえったところがむしろ滑稽にすら感じさせるが、そうしたところもひっくるめて愛嬌を感じさせ、嫌いじゃない。

 深尾須磨子は明治21(1888)年、兵庫県北部の氷上郡に生れた。生家の荻野家は没落士族で、7人目の末っ子。志げのと名づけられた。7歳のときに父を亡くし、母は女手一つで子どもたちを育てようとしたがやはり難しく、翌年、志げのは親戚のもとに養子として預けられた。

 15歳になり、京都師範学校に入学。しかし、派手な服装や奔放な言動が師範学校のかたい校風に合わず、退学処分を受けた。菊花高等女学校に転校し、明治40(1907)年3月に卒業。在学中、演劇に夢中となって女優を志したが、家族から強い反対を受けて断念。理解を示した恩師から、脚本を書いて俳優を動かす方にまわればいいと助言され、この頃から作家になることを意識し始めたという。

 明治44(1911)年、山内家の養女となったが、翌年に離籍。この頃には須磨子と改名している。24歳となった翌年の大正元(1912)年、深尾贇乃丞(ひろのすけ)と結婚した。彼は京都帝国大学出身の鉄道技師で役所勤めをしていたが文学や芸術に造詣が深く、須磨子が音楽や語学を習うことに理解を示した。

 ところが、大正9(1920)年、須磨子32歳の時に贇乃丞は病死。須磨子は彼の遺稿に彼女自身の詩を合わせ、『天の鍵』(アルス)を出版した。これが与謝野晶子に認められ、以後、詩集を立て続けに刊行、詩人として名前が知られるようになった。

 夫と死別後は声楽家の荻野綾子と同棲したが、彼女の結婚により二人の同性愛的な関係は破綻する。また、未来派を日本に紹介した年下の詩人、平戸廉吉へ強い想いを抱いたが、彼もまた夭逝した。

 大正13(1924)~昭和3(1928)年にかけて荻野綾子と一緒に渡欧。夫の遺産を整理して費用を捻出し、主にパリで暮らす。パリでは著名なフルート奏者マルセル・モイーズのレッスンを受けたほか、小説家のコレット(Sidonie-Gabrielle Collette)に私淑し、彼女から短編小説を書いてみたらいいとアドバイスを受けた。

 「マダム・Xの春」をはじめとした短編小説をいくつか読んでみると、貧しい幼少期に親戚のもとへ養子にやられたこと、夫と死別した後にすべてを吹っ切るようにパリへ渡ったことなど、自身の経験をもとに想像をふくらませて、彼女の心中に流れる激しい感情の動きが軽やかにつづられている。叙情的で、暗さはない。また、性の喜びをおおらかに肯定する姿勢から性科学に関心を持って学び、後に『葡萄の葉と科学』(現代文化社)という本を出版した。帰国後、コレットの作品の翻訳に打ち込んで『シェリ』(“Cheri”)を『黄昏の薔薇』(角川書店)というタイトルで世に出した。

 昭和14(1939)年に外務省派遣の文化使節としてヨーロッパへ行く。この時、ムッソリーニと握手して感激し、その気持ちを詩にうたい上げたため宮本百合子からファシストの烙印を押され、絶縁された。戦争中には皇国賛美の詩を書いていたが、そのことを戦後になって悔やみ、平和運動・婦人運動に積極的に関わるようになる。

 詩集『真紅の溜息』『斑猫』『呪詛』『焦燥』『牝鶏の視野』『イヴの笛』『永遠の郷愁』『神話の娘』『哀しき愛』『洋燈と花』『詩は魔術である』『パリ横町』『列島おんなのうた』、小説集『マダム・Xと快走艇』『ホルモン夫人と虚無僧』、翻訳小説集『動物の会話七つ』『母の手』『黄昏の薔薇』『砂漠の息子』、散文集『侯爵の服』『丹波の牧歌』『旅情記』『ローマの泉』『赤道祭』『むらさきの旅情』『君死にたまふことなかれ──人類の母与謝野晶子』など作品多数。

【参考文献】
武田隆子『深尾須磨子の世界』宝文館出版、1986年
紅野敏郎「『学鐙』を読む110 深尾須磨子」『学鐙』第95巻第4号、1998年4月
藤本寿彦「深尾須磨子点描──両性具有の文学性」『昭和文学研究』第40集、2000年3月
川本三郎「深尾須磨子」『文學界』第56巻第2号、2002年2月
森まゆみ「大正快女伝22 深尾須磨子〈ファナティックな魅力の詩人〉」『本の話』97号、2003年6月

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2008年2月 1日 (金)

中河與一について

 いつだったか、友人から薦められて中河與一『天の夕顔』(新潮文庫、1954年)を読んだことがある。年上の女性への秘めたる憧れを描いた、ストイックに美しい純愛小説だ。その友人のがさつな風貌を思い浮かべ、こういうロマンティシズムが分かる奴なのかとそのギャップが意外だったが、それはさておき。永井荷風はゲーテの『若きウェルテルの悩み』に比較して絶賛し、後に海外にも紹介されてアルベール・カミュから賛嘆の手紙が寄せられるなど大きな反響があったという。荷風はともかく、カミュが関心を持ったというのはどういうわけだろう。その女性とは結ばれないと分かってはいても、それを虚しいこととは思わず、敢えて自らの想いを貫こうというところに、実存主義的な何かを読み取ったのだろうか?

 中河與一は明治30(1897)年、香川県坂出で代々医者を営んできた家系の長男として生れた。旧制中学に通っていた頃から、船乗りに憧れたり、画家を志したりと夢見がちな性格であったという。北原白秋の主宰する『ザンボワ』に短歌を投稿しており、早くから文学的な関心が強く芽生えていたことが分かる。

 22歳の時、画家になろうと上京。岡田三郎助の絵画研究所に通ったが、やがて挫折。早稲田大学の英文科に入学した。在学中に同郷出身で女子英学塾(現・津田塾大学)に通う幹子夫人と結婚(彼女もまた歌人として活躍し、戦後は共立女子大学教授)。

 そうした中、中河は初の歌集『光る波』を出版して早熟な才能を示す。しかし、狂的な潔癖症や幻覚に悩まされ、「埃っぽい教室がいやでたまらない」と言って大学を中退。この潔癖症は生涯にわたって続いた。対人関係にも支障を来たし、人から色々と誤解されて文壇の中で孤立してしまう原因となる。

 大正10(1921)年、『新公論』に掲載された「悩ましき妄想」(後に「赤い薔薇」と改題)で文壇デビュー。大正13(1924)年に金星堂から『文芸時代』が創刊され、稲垣足穂、川端康成、片岡鉄平、横光利一、今東光、岸田国士、佐々木茂索らと共に同人として加わった。彼らは、私小説的なリアリズムを追求するあまり物語としての魅力を失った旧来型の自然主義文学とは訣別し、その一方で勃興しつつあるプロレタリア文学のような階級闘争という図式の中に人間を押し込めて描こうとするかたくなな態度とも一線を画し、「新感覚派」と呼ばれた。

 中河はその後も『早稲田文学』『文芸春秋』『新思潮』『新潮』『中央公論』『太陽』『キング』など様々な誌面に作品を発表、小説集も続々と刊行された。また、評論にも健筆をふるい、偶然文学論を提唱して議論を巻き起こした。昭和13(1938)年に代表作『天の夕顔』を発表。

 昭和10年代には保田與重郎たち日本浪漫派の後見人的な立場となっていた。中河の伝統文化論の中には国家主義と結び付きやすい側面があるとみなされ、また戦時下にあって戦意鼓吹の政治的言動を展開したこともあって、敗戦後は公職追放の対象となった。『天の夕顔』が映画化された際に原作者名が削られたり、戦争協力の過去を理由にいくつかの雑誌から執筆を断られるなど不遇をかこつ中でもコツコツと筆を執り、昭和41(1966)年には角川書店より『中河与一全集』全十二巻が刊行された。平成6(1994)年に永眠。

【参考文献】
中河与一『天の夕顔』新潮文庫、1954年(保田与重郎による解説)
笹淵友一編『中河與一研究』右文書院、1970年
森下節『ひとりぽっちの戦い──中河与一の光と影』金剛出版、1981年
『近代浪漫派文庫30 中河与一・横光利一』新学社、2006年

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