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2008年1月19日 (土)

シベリウスはお好き?

 いや、何となくこんなフレーズが思い浮かんだだけで、サガンの小説と絡ませようとかいう意図はございません。あしからず。

 NHK交響楽団1611回定期演奏会に行った。NHKホールにて。考えてみると、NHKホールは本当に久しぶりだ。高校生のとき、大野和士指揮によるショスタコーヴィチ交響曲第十番を聴きに来て以来だから、もう15年も経つのか。意外と変わってないな。

 当日券で自由席、1,500円。さすがにN響でほぼ満席。15:00開演だが、その前にロビーで楽団員による室内楽演奏をやっていた。P・ガベイという人の曲「レクリエーション」。ホルン、トランペット、トロンボーン、ピアノの四重奏という変わった編成。軽快で、なかなか楽しい曲だった。

 今回のプログラムはシベリウスの交響詩「四つの伝説」から「トゥオネラの白鳥」、交響詩「タピオラ」、そして交響曲第二番。N響の名誉指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮。N響アワーをみていればおなじみだ。穏やかでやさしそうな笑顔にいつも好感を持っているのだが、今回、3階の奥まった席なので、遠くてお顔はよく見えず。

 私はクラシックを聴くようになった中学生の頃からシベリウスの交響曲第二番は大好きで、繰り返し聴いている。とりわけ第四楽章、弦楽のメロディーがなめらかに、かつ高らかに響きわたるあたり、胸の奥にじんわりとしみこんでくる感じで何とも言えず素晴らしい。大好きなメロディーを聴いていると体が我慢できず、かすかながらも手でリズムをとってしまう。斜め前に座っていたおじさんもやはり自然と手が動き出していて、連帯感を覚えた。

 シベリウスはフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に題材をとった交響詩を多く作曲している。中高生の頃、カラヤン指揮のCDで「トゥオネラの白鳥」や「タピオラ」を聴いて、そうした神話的ファンタジーの音楽的表現に興味を持った。もっと聴きたいと思ったものの、その頃はシベリウスの曲でもマイナーなCDは入手が難しかったように思う。「トゥオネラの白鳥」はよく単独で演奏されるが、これを第二曲とする連作交響詩「四つの伝説」の全体は、FM放送でのネーメ・ヤルヴィ指揮による演奏をテープに録音して、これを繰り返し聴いていた。第一曲「レミンカイネンと島の乙女たち」の出だしが好きだった。北方の森林や沼沢が広がる風景を脳裏にイメージして、清潔感を湛えた静寂に憧れを抱いた。

 「トゥオネラの白鳥」でのイングリッシュ・ホルンの響きが実に良い。ホルンとは言っても、見た目は大きめのオーボエといったところか。交響曲第七番でもイングリッシュ・ホルンのソロとオーケストラとの掛け合いが胸がすくように美しく、イングリッシュ・ホルンと言うと私はシベリウスを思い浮かべる。〔追記:確かめてみると、第七番のソロはトロンボーンでしたね(苦笑)。オーケストラの音がたゆたう中で管楽器の音色が孤高に響く感じが良い、と言い換えておきます。〕

 N響の広報誌『Philharmony』2008年1月号でシベリウス特集が組まれていたので、休憩時間に買い求めた。神部智「幻の《交響曲第8番》とシベリウス晩年の美学」でシベリウスに交響曲第八番の構想があったことを初めて知った。十九~二十世紀にかけてのヨーロッパは中小国でナショナリズムが大きく盛り上がった時代だが、リョンロートによる『カレワラ』採集と共に音楽がそのシンボルを果たした背景を新田ゆり「祖国と自然への想いを今につないで」は簡潔に教えてくれる。池田和秀「シベリウスの国は小さな音楽教育大国」によると、そうした音楽のシンボリックな位置付けから、弱小国としての立国の道として音楽も一つの柱となっているそうで、人口に比した音楽の活況ぶりに驚いた。

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