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2008年1月10日 (木)

台北を歩く⑤官庁街を歩く

(承前)

 台北の官庁街にある主だった施設はみな、戦前に日本が建てた建物をそのまま現在でも活用している。ふらふらうろつきながら、そうした建築物を一つ一つチェック。

 総統府の前を通る。かつての台湾総督府である。前回旅行時の総統府についての記事はこちらを参照のこと。小銃を構えた憲兵が眼を光らせており、重々しい。門前の大通りは凱達格蘭(ケタガラン)大道である。かつては蒋介石の長寿を祈って介寿大道と言われていたが、陳水扁が台北市長の時代に改称された。ケタガランとは、昔、台北盆地に住んでいた原住民族のことである。原住民族復権政策であると同時に、蒋介石の記憶を街中から消し去ろうという動きの表われでもある。ただし、大道脇の介寿公園は残っている(写真26)。奥の銅像は戦争中に中華民国総統だった林森。この介寿公園から大道を挟んだ向かい側が二・二八和平公園である。

 総統府前から南へ移動。左手に台北第一女子高等中学校。右手に司法院、つまり最高裁判所である(写真27)。司法院裏手の横丁をのぞくと、日本式家屋がまだ残っていた。また、清朝時代の台北府の役所があったことを示す碑文も立てられている(写真28写真29)。真新しくて鏡のように光っている。

 さらにまっすぐ進むと南門にぶつかる(写真30)。かつての城壁跡の大通りを渡って向かい側にあるのが日本統治時代の専売局(写真31)だ。戦後、政権が変わっても専売局として使われ続けたが、近年になって民営化され、現在は台湾菸酒股份有限公司となっている。

 この近辺には軍事関係機関の役所が多いので警備の空気がものものしい。大通りの南側に面した一画に大きな日本式家屋があった。補修工事が行われているらしく大きなドームに覆われている。歴史的な建築物なのかと気になって近寄ってみると、警官が歩哨に立っていた。門の脇に説明板があって読んでみると、どうやら厳家淦の邸宅らしい。厳家淦といってもその名を知っている人は少ないと思うが、蒋介石の死後、息子の蒋経国が昇格するまでの中継ぎとして総統の地位にあった人物である。蒋家のイエスマンとして仕え続けたご褒美としてこの一等地にある大邸宅をもらったのだろう。監視の視線が厳しくて、写真は撮りづらい雰囲気なのでさっさと立ち去る。この辺りには他にも大きな日本式家屋が並んでいる(写真32)。日本統治時代の高級官僚が住んでいたのかもしれない。日本人が引き揚げた後、こうした家屋は国民党や軍隊の要人に与えられた。

 大通りを渡って再び官庁街に戻る。国防部の横に細い道があったので入っていったら東呉大学のキャンパスにいつの間にか入り込んでいた。学生たちが歩き回る中を横切り、北の方向へと向かう。しばらく行くと、中山堂に出た(写真33)。日本統治時代の台北公会堂である。昭和天皇即位記念で建てられたモダンな建築で、台湾決戦文学会議など様々なイベントが行なわれた。日本の敗戦後、1945年10月25日には台湾省政府主席として派遣された陳儀と台湾総督兼台湾軍司令官・安藤利吉との間で降伏調印式が行なわれたのもここで、その記念として抗日戦勝利記念の碑文が中山堂の前にある(写真34)。なお、台湾では降伏調印式の行なわれた10月25日を以て光復節としている。

 中山堂の裏に行くと中華路という大通りに出た。現在、台北市中心部の台湾縦貫鉄道は地下化されているが、以前はこの通りに沿って線路が敷かれていた。その分もつぶして道路にしているからだろうが、かなり広い。

 台湾はちょうど政治の季節だった。一月十二日には立法院選挙、三月には総統選挙が控えている。大通りを歩くと選挙宣伝カーが頻繁に行きかう。そればかりか、選挙の広告規制は日本よりもゆるやからしく、繁華街にあるビルの商業看板やバスの車体広告にも選挙宣伝が大きく目立つ。

 立法院選挙は今回から選出方法が変わり、小選挙区・比例代表並立制を採用した上、議席数は半減された。比例代表では5%以上という要件が設定されている。投票用紙には候補者・候補政党の名前ではなく番号を記入するらしく、選挙広告には必ず数字が大きく記されている。台湾団結連盟が3、民進党が5、新党が6、国民党が10。街中でもテレビ・コマーシャルでも頻繁に見かけるので覚えてしまった。テレビ・コマーシャルでは民進党と国民党が互いにネガティヴ・キャンペーンをやっていた。

 台湾のテレビ・ニュースで報道されていた世論調査によると、少数政党の台湾団結連盟(李登輝派)と新党(中台統一派)はいずれも3%で議席獲得が難しい情勢のようだ。野党・国民党は50%を越えており、第二野党・親民党(宋楚瑜派)との選挙協力もうまくいっているので、総統選挙までこの勢いが続けば政権交代はほぼ間違いない。与党・民進党は29%で、小選挙区では同じく台湾独立派である台湾団結連盟との選挙協力にも失敗して厳しい情勢だ。

 国民党と民進党との対立では台湾独立問題が一つの焦点となっているのは周知の通りだろう。ただし、実際には、地方に張り巡らされた利権構造を地盤として国民党や親民党の立法委員は当選しており、国民党に投票はしても大陸との統一には反対という人々が多いらしい。たとえば、中台統一派の宋楚瑜までも台湾語を使ってスピーチをする努力をしており、統一問題に触れようとはしない。地元民は身近な経済問題から投票しているため、外交論は争点から外される。従って、立法院選挙と中台問題に直結する総統選挙とで選挙結果が異なることが台湾では珍しくない。陳水扁政権は立法院では少数与党としての運営を強いられていた。国民党が優勢ではあるが、だからといって大陸との統一を求める世論が強まっているわけでもない。今回の総統選では“TAIWAN”名義での国連加盟を求める住民投票が同時に実施されることでも注目されている。

(続く)

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コメント

> この近辺には軍事関係機関の役所が多いので警備の空気がものものしい。

はじめまして。楽しく読ませてもらっています。
台湾のこと、お詳しいですね。

ここには総統官邸があって、それで警備が物々しいんだと思います。

国民党本部、売却されていたとは知りませんでした。
昔は日本赤十字の建物があったところみたいです。

そうそう、中華路は鉄道もありましたが、それより幅を
取っていたのは、中華商場でした。

投稿: maerd | 2009年9月30日 (水) 05時31分

meerd様

コメント公開が遅れてしまいまして、大変失礼しました。迷惑コメント・トラバがたまっていて、放っておいたら、気付くのが遅れてしまいました。

>それより幅を取っていたのは、中華商場でした。
西門町のあたりでしょうか。あの辺は、繁華街としては変わらないものの若者が闊歩する光景が時代の移り変わりを感じさせる一方で、紅楼やなぜか西本願寺(?)も残されていたりと、不思議なところですね。

投稿: トゥルバドゥール | 2009年10月13日 (火) 01時25分

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