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2008年1月27日 (日)

覚書③安楽死と尊厳死について

(さらに続いて、安楽死と尊厳死の問題についてです。)

 ALS患者は人工呼吸器を装着するかどうかの決断をいつかは下さねばならない。その際に、①装着をしないで尊厳死を迎えることの是非、②いったん装着した後で取り外すことの是非が問題となる。ここを考える上で、安楽死・尊厳死についてどのような議論が進められてきたのか確認しておく必要がある。

◆定義
 安楽死と尊厳死、この二つの言葉は人によって使い方が異なり、どこで意味上の線引きをしているのか曖昧なことが多い。
 一つの考え方として次のように分類されるだろう。
①純粋安楽死
 死を迎えるにあたって麻酔等で苦痛を緩和・除去し、しかも生命短縮の危険を伴わない安楽死。この場合には何の問題も生じない。
②間接的安楽死
 生命短縮の危険を伴う安楽死で、治療型安楽死とも言われる。つまり、苦痛を緩和するために使用した薬剤の副作用として死期が早まった場合である。意図的な行為の結果として死に至らせてしまう点で殺人行為とみなされかねないが、医学的正当性、患者の同意がある場合には治療行為として違法性は阻却される。
③消極的安楽死
 苦痛を長引かせないように、生命延長のための積極的措置をとらないことによって死期を早める安楽死。狭義で尊厳死という言葉を使う時はこのケースを指すことが多い。
④積極的安楽死
 苦痛の除去を目的として、意図的な手段を以って生命を終わらせることである。殺人罪、嘱託殺人罪等として刑法上の責任が問われる。

 安楽死をめぐる議論では、第一に苦痛からの解放、第二に本人の意思を尊重、以上の2点が共通しているが、具体的には以下のポイントを挙げることができる。
①現代の医学知識や医療技術では治癒が不可能であり、なおかつ極めて近い将来に確実に死が訪れる。
②患者は激しい苦痛を訴え、症状が確実に進行しており、その様子が傍目にも分かる。
③回復不能にもかかわらず行われる治療行為に対して、あらかじめ患者自らの意思として拒否の姿勢が示されている。
④その意思を再確認し、さらに患者本人の同意を得て、医師はその苦痛を除去することを目的とした治療を行う。
⑤その治療とは結果として患者の死期を早める医学的処置である。

 宮川俊行は『安楽死の論理と倫理』(東京大学出版会)の中で安楽死を他者との関わりから次のように分類している。
①非理性的、非人間的生命のあり方を拒否する尊厳死的安楽死
②厭苦死→鎮痛の可能性のない身体的苦痛に伴われた生命の拒否
③放棄死→人間は共同体の他者との関わりをもって生きるが、苦痛を伴う患者のために共同体が崩壊し、放棄されていく中での死
④淘汰死→共同体存続のために患者の生命が淘汰された状態に追い込まれた死

◆日本での経緯
 安楽死に類した行為は歴史上様々な場面で行われてきた。日本で安楽死というテーマを明確にした最初の例は森鴎外『高瀬舟』であろう。
 法律上の議論として安楽死に焦点が当てられた最初のケースは、昭和24年におこった母親殺害事件である。被告となったのは在日朝鮮人の青年。母親が脳溢血で倒れて全身不随となってしまった。当時、在日の人々の間では北朝鮮への帰国運動が盛り上がりつつある時期だったが、この母親も帰国を希望していた。しかし、身体的に不自由になったばかりでなく、法的手続きもうまくいかず、帰国できない状況となってしまった。身体的苦痛に加えて絶望感が深まり、「こんな状態なら死んでしまいたい」「殺してほしい」と息子に向かって訴える。青年は親孝行と考え、青酸カリを飲ませて死に至らしめた。当初は尊属殺人で起訴されたが、検察は事情聴取しながら嘱託殺人へと切り替えた。安楽死とする場合には死期が切迫しているかどうかを確認する必要があり、この点で青年の行為は軽率であったとして、一定の情状酌量をしつつも懲役1年、執行猶予2年の判決が下された。
 この裁判を通して、安楽死を論ずる枠組みとして以下の点が明確になった。
①現行の法律では安楽死の判断ができない。
②安楽死の医療処置ができるのは医師のみである。
③疾病上の苦痛が対象であって、精神的苦痛は安楽死の対象外とする。

 安楽死についての法的基準を初めて明示したのは昭和37年に出された名古屋高裁判決、いわゆる山内判決である。本件では、脳溢血で倒れて半身不随となった父親を殺したとしてその息子が起訴された。父親は「苦しい」「殺して欲しい」と訴え続けており、主治医からは余命は7日から10日くらいだと聞かされていたので、被告は牛乳に有機リン殺虫剤を混入させて死に至らしめた。
 判決では安楽死が認められる場合の基準として以下の要件を示し、本件では⑤と⑥を満たしていないとして懲役1年、執行猶予3年が宣告された。安楽死について法的な基準が明示されたのはこの判決が初めてであり、その後の論争の画期点となった。
①病者が、現代医学の知識と技術から見て不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること。
②病者の苦痛が甚だしく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること。
③もっぱら、病者の死苦の緩和の目的でなされたこと。
④病者の意識が、なお明瞭であって、意思を表明できる場合には本人の真摯な嘱託、または承諾のあること。
⑤医師の手によることを本則とし、これによりえない場合には、医師によりえないと首肯するに足る特別な事情があること。
⑥その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。

 次いで東海大学付属病院事件について平成7年に横浜地裁判決が下された。本件は名古屋の事件とは異なり、家族ではなく医師が起訴されていた。死亡した患者本人にガンの告知はされておらず、なおかつすでに意識がなかったため、本人の自発的な意思は示されていない。それにもかかわらず、家族から「楽にしてやって欲しい」と繰り返し迫られた医師が塩化カリウムを注射して死亡させたことの是非が問われた。以下の要件を示した上で、懲役2年、執行猶予2年の有罪判決が下された。
①耐え難い肉体的苦痛があること。
②死が避けられずその死期が迫っていること。
③肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がないこと。
④生命の短縮を承諾する明示の意思表示があること。

◆海外の事例
・カレン・アン・クインラン事件→個人が死を選ぶ権利が認められた。意思表示ができない場合には父親に認められた。回復不能の判断が医師と倫理委員会の二重のチェック。
・契約社会のアメリカでは、医師の説明不足や一方的な裁量で行われた医療に対して患者側から自らの権利を侵害されたとして法的な対抗措置。
・キヴォキアン医師の自殺装置。
・オランダの安楽死法。

◆問題点
 仮に安楽死が社会的に容認されて何らかの形で法制化された場合、様々な問題があり得ると指摘されている。
①コスト面で社会的弱者切捨ての懸念
 長期療養が必要となる難病では、医療費ばかりでなく、生活面での影響が深刻となる。特に家族のメンバーが少ないとき、稼ぎ手本人が倒れたケースは当然だが、パートナーが倒れたときにも仕事を辞めてつきっきりで介護をせねばならない事態が考えられ、いずれにせよ生活費をどのように確保するかで頭を悩ませることになる。そうした場合、患者本人はもう少し生きたいという意思を持っていたとしても、コスト上の問題を理由として安楽死を選ばざるを得ない状況に追い込まれてしまう。
②家族が本人の意思を代位することへの懸念
 家族が信用できないということではない。患者が死を迎えるにあたっては、家族もまた動揺が激しい。患者本人の意思をあらかじめ確認しないまま意識不明の状態に陥ってしまい、かつ苦悶の表情を浮かべていると、家族としてはやはり正視に堪えない。「かわいそう」というその場の雰囲気で、本人は安楽死を望んでいるものと家族は安易に受け止め、延命打ち切りの判断を下してしまうおそれがある。
③「自ら意思決定する能力」とは何か
 ②とつながる問題だが、物事の判断能力をどこに求めるかという問題。
④高齢化社会で悪用されることへの懸念
⑤優生学上の見地から不必要とみなされた者への適用。ナチスの安楽死政策。
 以上は、自分の意思とは全く関わりのない理由によって死を強制されてしまうことへの不安が見られる点で共通している。
⑥安楽死は患者本人だけの問題ではない
 仮にリビングウィルが用意され、患者本人の安楽死へ向けての態度が明らかにされていたとする。しかし、実際に安楽死の手続きを進めるのは医師である。患者本人は自分が死ぬことを納得しているのかもしれないが、医師が自らの価値観と相違して不本意な形で安楽死を手伝わねばならない立場に置かれてしまうことも考えられる。それは医師ばかりでなく、患者の周囲に集う家族や友人たちにも同様の精神的な葛藤を強いることになる。自分の死はあくまで自分一人の出来事だと思い込みがちだが、実は周囲の様々な人々を巻き込んでしまっていることについてどのように考えるのか。

(参考文献)
ハーバート・ヘンディン(大沼安史・小笠原信之訳)『操られる死─「安楽死」がもたらすもの』時事通信社、2000
保阪正康『安楽死と尊厳死』講談社現代新書、1993
宮川俊行『安楽死の論理と倫理』東京大学出版会、1979
三井美奈『安楽死のできる国』新潮新書、2003
ジャネット・あかね・シャボット『自ら死を選ぶ権利─オランダ安楽死のすべて』徳間書店、1995
入江吉正『死への扉──東海大安楽死殺人』新潮社、1996年

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投稿: 匿名 | 2013年7月19日 (金) 02時03分

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