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2008年1月 8日 (火)

台北を歩く③台北歩きはじめ

(承前)

 台北市内のおおまかな位置関係は、東西に走る忠孝路を横軸、南北に走る中山路を縦軸にとって、四つの象限に分けてみると把握しやすい。この二つの大通りの交点を境にして、忠孝路は東路・西路、中山路は南路・北路と呼び分けられている。なお、中山とは孫文の号である。座標軸の西南ブロック、忠孝西路沿いにある台北駅の南側には総統府をはじめ行政機能が集中している。ここは19世紀の終わり頃、清朝統治時代には台北府として正方形に城壁で囲われていた。日本統治時代に入って城壁は崩されたが、城門の跡は現在でもロータリーとして名残りを留めている。

 西南ブロックのうちでも旧台北府の西側、淡水河とに挟まれた地区は萬華という。かつては艋舺(もうか)と呼ばれ、台北盆地で最も古くから栄えていたのはこの辺りである。その後、淡水河沿いに北側に移住する人々が増え、それにつれて商業の中心も北に移った。こちらが大稲埕(だいとうてい)で、現在の行政区分では大同区となっている。座標軸の西北ブロックにあたる。以上、旧台北府、旧艋舺、旧大稲埕をコアとして、時代をくだるにつれて東側へと市域が広がることで現在の台北市が形成されている。

 私の宿泊先は座標軸でいうと東北ブロックにある。台北歩きの二日目は、ここから南下して旧台北府に出て、さらに旧艋舺、旧大稲埕と順番に歩くことにした。ガイドブックとしては『地球の歩き方』の他に、又吉盛清『台湾 近い昔の旅 台北編―植民地時代をガイドする』(凱風社、1996年)及び朱天心の小説『古都』(国書刊行会、2000年)の計3冊を参考にした。『古都』の後半では日本人になった視点で台北の街を歩く話法が現れるが、その際のガイドブックとして使われていたことから又吉書を知った。

 中山北路と並行する林森北路をしばらく南下すると、道路の両側に公園が広がるところに出た。東側は林森公園(写真2)、西側は康楽公園(写真3)となっている。ここにはかつて日本人の共同墓地があった。乃木希典の母親や明石元二郎もここに葬られたという。乃木も明石も台湾総督経験者である。明石は在職中に世を去った。日本人が引き揚げた後、住む家のない外省人が住みつきスラム街となっていたが、その後つぶされて公園として整備されたらしい。又吉書には明石の墓の鳥居がそのまま不法住宅の柱に使われている写真が掲載されているが、現在ではあとかたもない。ジョギングや太極拳をしているジャージ姿のおじさん、おばさんをちらほら見かける。すぐ横にはシネコンがあり、日中にはにぎわう繁華街のようだ。事情を知らなければ広々と快適な、都会の中のオアシスといった感じの公園だ。なお、林森とは戦争中に中華民国の総統だった人物である。

 林森北路から西側に並ぶ横丁に入ってみた。旧共同墓地の南側、中山北路の東側はかつて大正町と呼ばれ、日本人の一戸建て住宅が並んでいたという。現在では飲み屋街となっており、雑然とした雰囲気が漂う。飲み屋の看板には日本語が目立つ。肥前屋というウナギの蒲焼屋があり、ここの味は評判が良いらしいが、まだ朝早いのでにおいは漂ってこない。四、五階以上はある雑居ビルが立ち並ぶすき間に二階建ての日本式家屋がまだ残っている(写真4)。かつての日本人街のたたずまいを微かにしのばせる。いくつか教会をみかけたが、いずれも屋根に瓦を葺いているのが目を引いた(写真5写真6)。

 この写真を撮っていたら、不意に後ろから犬がバウワウと野太い声で吠えかけてきたので驚いた。振り返ると、片目のつぶれた大きな犬。少しびびった。よく見ると尻尾をパタパタ振っているので、おそらく構って欲しかったのだろう。

 まだ朝食を摂っていなかったので、そろそろお腹がクレームをつけ始めている。ガイドブックを見て朝食はここにしようと決めていた台湾料理の店・青葉餐庁は8:30開店。ちょうどいい時間にたどり着いた。切り干し大根入りオムレツを注文。ちょっと甘めだが、決してまずくはない。お粥はおかわり自由。私はサツマイモ入りのお粥を頼んだ。さっぱりとして、朝の胃袋によくなじむ。

 中山北路を南下。林田桶店の前を通った(写真7)。まだ朝早いので開いていないが、日本統治時代に修行をしたおじいさんがここの店主で、日本人が来ると日本語で気さくに話してくれるらしい。台北の街を歩いていると、そろそろ都市としての新陳代謝が働く時期なのか、古い建物を取り壊した跡をよく見かける。写真8写真9には三角形の跡がついているが、隣に日本式の建物があったのが分かる。

 高速道路の下をくぐると、国父史蹟紀念館が目に入った。通称、梅屋敷。日本統治時代の旅館で、孫文がたびたびここに逗留したことにちなんで紀念館として保存されている(→参照)。中山北路の交差点を挟んだ斜向かいに行政院がある。かつて台北市役所だった建物だ。ここの南側で中山路と忠孝路が交わっており、前に述べた座標軸の基点をなす。宿舎からここまで、寄り道したり食事したりしたにもかかわらず二時間余りで来られた。行政院の南側、忠孝東路を挟んだ向かい側にあるのが監察院(写真10)。こちらは日本統治時代の台北州庁だった建物である。玄関上に張られた赤いラインは元旦を祝う飾り幕。

(続く)

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