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2008年1月17日 (木)

澁谷由里『馬賊で見る「満洲」』『「漢奸」と英雄の満洲』

 太平天国の動乱以降、清朝末期から中華民国初期にかけて中央権力を欠いた中国では各地で武装勢力が割拠する混乱状態に陥っていた。世界史の教科書的に整理すると、淮軍を率いて太平天国を鎮圧した李鴻章系が洋務運動の担い手として中央政界に重きをなし、その中から新建陸軍を築いた袁世凱が台頭。彼が辛亥革命時に孫文と取引きして清朝に引導を渡して中華民国の大総統となったが、帝政運動に失敗して失意のうちに死ぬ。袁の部下たちは北洋軍閥として抗争。蒋介石率いる国民革命軍による北伐及び張学良の易幟(1928年)によっていったん中国は統一されたものの、今度は国共内戦に突入、という流れになる。こうした混乱期には、当然ながら各地で自衛の動きが出てくる。たとえば“馬賊”という言い方がされるが、その中には一定の保険料を徴収していわば必要悪的に形成された自衛武装集団(保険隊)などもあった。

 澁谷由里『馬賊で見る「満洲」』(講談社選書メチエ、2004年)はこうした“馬賊”出身者の中でも張作霖に焦点を当てる。張作霖といえば日本の傀儡となったなり上がり者というイメージも強いが、本書はそうした定説的な理解に疑問を呈し、むしろ彼の政権の自立的な性格に注目する。とりわけ、張作霖政権下、奉天という一地域ではあっても警察行政の刷新、税務機構の整備、財政再建、鉄道の敷設、大学の創立など内政改革を進めた王永江という人物を高く評価している。中央派遣のキャリア官僚(科挙官僚)がいなくなって、地元の中下級官吏たちのモチベーションが上がったこともこうした改革が成功した一因であったとも指摘する。

 中国近代史では康有為や孫文などの革命家が名高いが、彼らには理想はあっても混乱を終息させるだけの実行力がなかった。国家を秩序だってまとめ上げるには財政と軍事力とが不可欠であり、その点で着実な実行力を示そうとした人物として本書は袁世凱を評価。小規模ながら張作霖も同様の方向を目指していたという位置づけも興味深い。

 「保境安民」、つまり一定の秩序を保って民生を安定させるのが第一の目的であり、そのためには清濁併せ呑む。王永江はそうした態度で日本軍とも妥協を重ね、バランスをとった。澁谷由里『「漢奸」と英雄の満洲』(講談社選書メチエ、2008年)は、張作霖と張学良、張恵景と張紹紀、王永江と王賢湋、袁金鎧と袁慶清、于沖漢と于静遠という五組の父子それぞれを主役とする五章構成。張作霖・張学良親子と王永江を除けば、みな満州国に関わっており、彼らを“漢奸”として断罪して終わらせてしまうのが戦後歴史学のスタンダードであった。しかし、彼らとても「保境安民」という一線を持っており、抗日派とは方法論の違いに過ぎなかったと考えることもできる。

 満洲国の初代国務総理・鄭孝胥は洋務官僚出身の知識人で二代目国務総理・張恵景は“馬賊”あがり。二人とも日本側のスキを見て主導権を取り戻そうという思惑では共通していたが、出身階層の違いからソリが合わず協力することはできなかった。こうしたあたりから中国社会における庶民と知識人との断絶が見出せる。

 山海関の東、いわゆる“満洲”は清朝発祥の地としてかつては漢族の移住は禁止されており、漢族にとってなじみは薄かった。しかし、この地が“満洲国”として分離されたためにこそ、かえってここもまた中国の一部のはずだと意識化されたという指摘は、日本への対抗意識をもとに中国ナショナリズムが形成されたことを考える上で興味深い。

 日本の大陸進出は現地の人々の受け止め方を考えれば決して美化できないが、かといって中共の公式見解である人民史観も不自然だ。そうしたもどかしさが著者の動機となっている。特定の史観ですっきり整理してしまうのではなく、矛盾をはらみつつも試行錯誤していた人物群像を、上記二著はエピソード豊かに表情も浮かぶように描き出しており、とても面白かった。

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