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2007年12月16日 - 2007年12月22日

2007年12月21日 (金)

杉森久英『大政翼賛会前後』

杉森久英『大政翼賛会前後』(ちくま文庫、2007年)

 タイトルは何やら堅そうだが、巻末解説で粕谷一希(中央公論社で杉森の後輩にあたる)が指摘するように、政治史的にカッチリした記録ではない。杉森は中学教師を経て中央公論社に入社。しかし同僚と気まずくなって嫌気がさしていたところに大政翼賛会へ来ないかと誘われ、ホイホイ入ってしまった。そんな感じに自らの若き日々を軽妙につづった半生記。

 末端部員なので大政翼賛会の全体像は分からないにせよ、その空気が伝わってくるのが面白い。国士気分の右翼の豪放な笑い声が聞こえてくる一方で、元左翼も多数もぐりこんでおり、翼賛会は蓑田胸喜などから攻撃も受けた。戦時中には、こうしたごった煮的組織が意外と多い。大仰なスローガンの割にはただのコケおどしで、組織的にはグダグダ。ナチスなんかと比べるべくもない。そもそもの成り立ちからしたって、軍部の専横を抑えるため近衛文麿を中心に一大政治勢力をまとめあげようというのが本来の目的だったにも拘らず、いつの間にか当の軍部まで入り込み、結局何のための組織なのか分からなくなってしまったのだから。

 かなり以前のことだが、ドイツ文学者の高橋健二が大政翼賛会文化部長だったのを知って、ケストナーを訳したあの人がファシストだったの…?と驚いたことがあった。その頃は大政翼賛会=“悪の組織”みたいな単純な図式が私の頭にあったわけだ。しかし、高橋は就任時、「軍部の言いなりにならず、さりとてつぶされないように、のらりくらりとやっていきます」と語っていたそうな。そういう微妙なスタンスも、戦後になると“戦争協力”なる一律のレッテル貼りをされてしまった。左翼の文芸評論家・平野謙が、戦後において自らの進歩派的“良心”を誇示するため、翼賛会に所属していた過去について他人をけなしてまで言い訳する姿が実に醜い。

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2007年12月20日 (木)

朱天心『古都』

朱天心(清水賢一郎訳)『古都』(国書刊行会、2000年)

 「まさか、あなたの記憶が何の意味もないなんて…」という一文で『古都』は始まる。台北と京都、現在と過去、様々な位相を往還しながら、都市に根付く人々の想いとその断絶の哀しみとがつづられた小説だ。

 台北の街並みは緻密に写し取られ、とりわけ草花の描写には匂い立つような感じすらさせるが、それはいわゆる具体性、リアリティーとはちょっと違う。現在の町名と日本統治時代の町名とが混ぜこぜになった語り口に、取っ掛かりのつかめない戸惑いをまず覚えた。しかし、ぺダンチックなまでにふんだんな引用も合わせ、読み進めていくうちに、現実と幻とがめくるめく転変するような、“読む”という意識を崩すある種の混濁状態に招き寄せられる。“記憶”といわれるものの根幹は、明確な形をとらなくても手応えとして残る確かさにあるのか、そんな思いを読後にかみしめさせられた。

 「古都」を彩る多様な引用文献のうち、一つの柱となっているのが川端康成の同名小説『古都』(新潮文庫、1968年)である。京都の年中行事を背景に、捨子だが商家に拾われて大切に育てられた娘とその双子の妹との出会いが描かれている。朱天心の「古都」では京都と台北とが重ね描きされ、それをきっかけに後半では、彼女自身の育った街並みを日本人という他者の視点で眺めようとする話法も現われる。

 “捨子”意識が一つのカギとなりそうだ。朱天心の父は外省人、母は本省人。外省人二世だが、複雑なアイデンティティー。台湾ナショナリズムが高まって「外省人は出て行け!」と言われても、外省人二世に帰るべき所などない。彼らもまた他ならぬ台湾で生まれ育ったのだから。

 いま、まさにここで生きているという確かな実感はどこに求められるのだろうか? 自分が歩んできた過去の時間と結びついた記憶。入れ代わり立ち代わり現われては消えるファーストフード店のように代替可能なものではなく、もっと切実なかけがえのない記憶。

「この土地から、人々を引き留めるに足るだけの、かけがえのないものが消え去ったとき、もはや人々は、どうしようもないあきらめに似た気持ちでその場に留まることしかできない。」(86ページ)

 記憶というのは時として現在の様々な思惑から改変を受けやすく、そうした後知恵が自分自身を不自然な居心地悪さに追いやってしまうことが往々にしてある。たとえば、政治的要請で再構築された大文字の“歴史”。政治は過去の抹消と作り替えを繰り返してきた。日本は清代の街路名を日本風に改名し、国民党は日本統治時代の記憶を全否定した。そして、現在の台湾ナショナリズムもまた同様である。権力者が変わるたびに街の名前が変わっていく。しかし、どのような政治的経緯があろうとも、この都市に人々が暮らしてきたという事実に変わりはない。

 生身の記憶は一本の理屈で裁断されるようなものではない。生きてきた記憶を故意に作り替えようと繰り返された“歴史”に対して、この小説は皮膚感覚に訴える確かさを読者の脳裡に呼び覚まそうとしている。

 本書には他にもいくつかの短編が収録されている。「ラ・マンチャの騎士」は、身分証も持たず普段着で外出してそのまま死んでしまったら、どのようにして私が私であることは証明されるのだろう? そんな想像からアイデンティティーの問題に思いをめぐらし、持ち物だけでなく場所も大切なことがほのめかされる。「ハンガリー水」では、匂いをとっかかりに喚起されるヴィヴィッドな記憶がテーマとなっている。

 匂いを感じさせたり、光景がイメージとして浮かび上がってくる筆致が魅力的だ。皮膚感覚に根ざした“記憶”とアイデンティティーの結びつきというテーマでこれらの短編も「古都」と響きあう。

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2007年12月16日 (日)

「アフター・ウェディング」「ある愛の風景」

 家族というかけがえのない関係は、人が入れ替わっても成り立ち得るのだろうか? デンマークのスサンネ・ビア監督「アフター・ウェディング」をはじめに観たときにはピンとこなかったのだが、続けて同じく「ある愛の風景」を観て、そうしたテーマで通じているように思った。

 「アフター・ウェディング」はインドの孤児院のシーンから始まる。その運営にあたるヤコブは資金援助の説得のためデンマークに戻った。大企業を経営するヨルゲンに面会したところ、何の気まぐれか、娘の結婚式に招待される。出席してヤコブは驚く、ヨルゲンの妻は彼の昔の恋人で、その娘というのは別れる間際に妊娠させていた彼自身の娘であった。ヨルゲンは難病で死期が迫っており、自分の死後も家族が困らないよう、ヤコブに父親の役割を担わせようと手筈を進める。かつての恋人と死を間近にした今の夫。実の父と育ての父。初めは傲岸不遜に見えたヨルゲンだが、冷静に手を打っているように見えながら、家族それぞれの想いに引き裂かれる姿が痛々しい。

 「アフター・ウェディング」は父親役、夫役を入れ替えようとする話だが、対して、一人の人間で人格が変わってしまった場合、それを家族は受け入れることができるのか?

 「ある愛の風景」は刑務所から出所するヤニックを兄ミカエルが出迎えるシーンから始まる。ミカエルは優秀な軍人で、弟の不始末にも配慮が行き届き、ヤニックは反発しつつも信頼している。出所のちょうど翌日、ミカエルは平和維持軍の任務でアフガニスタンに向かったが、作戦の途上、ヘリコプターが撃墜されてしまう。戦死の知らせに悲嘆にくれる家族。ショックを受けたヤニックは気持ちを入れ替え、残された義姉のサラや子供たちのために心を砕く。

 ミカエルは生き残って現地のゲリラ勢力の捕虜となっていた。同じく捕虜となっていたもう一人の兵士が弱音を吐くと、「もちろん、人間はいつか死ね。だけど、ここじゃない。必ず戻れるさ」と励ました。しかし、その直後、ゲリラからその兵士を殺すよう命じられた。愛する妻のもとへ戻りたい一心で、彼は手を下してしまう。絶望的な局面にぶつかったとき、人は信頼を裏切ることがあり得るのを自分自身の中に見てしまった。彼の心の中で何かが崩れた。無事帰国できたものの、妻と弟の関係に疑心暗鬼を募らせ、人が変わったように荒れ狂う。

 人と人とが無条件で信頼感を置けるというのは、よくよく考えてみると不思議なものだ(そうではない家族もいるのだろうが…)。インドの孤児院やアフガンの戦場といったモチーフは、家族という内向きに安定した関係に対し、全く異質なものをつきつける効果を際立たせている。

「アフター・ウェディング」
2006年/デンマーク/119分
(2007年12月14日レイトショー、シネカノン有楽町2丁目にて)

「ある愛の風景」(英題:Brothers)
2004年/デンマーク/117分
(2007年12月15日、シネカノン有楽町2丁目にて)

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